いろいろと。

年度末,あわただしくしております。いろいろと負債がたまっておるわけです。

・先日,某先生から文字通りのご叱咤いただきました某データの入力&コード化&コードブック作成作業は空き時間をみつけてはコツコツと継続中であります。来年度中には形にするっ!

・個人科研の調査に日本列島を東奔西走中であります。こんなに小学校・中学校に通う研究を私がやることになろうとは前世紀の末には誰が予測したであろうか。 一寸先は闇!

・↑の科研調査とも関連するし,もともとの自分の研究にも直結するし,来年度申請中の共同科研の一つとも関係するので,戦後改革以降の教育政策・教育運動系の資料を渉猟しているところであります。しっかし,この時期の資料の紙質の悪さ! くずし字体の無秩序!

・先日とある方から執筆の打診のありました理論系の原稿,正式な執筆「依頼」のこないまま,どうせなくなった話だろうとは思いつつ,せっかくの機会だからということで,執筆準備にあたる理論系著作物の渉猟&読み込み作業に突入。んで実際のところ,どうなん!?

・いよいよ近づいてまいりました比較教育社会史研究会2010年春季大会2日目(3月28日),松塚俊三・八鍬友広(編)『識字と読書』(昭和堂,2010年)合評会にむけて勉強中。合評会の模様を報告する小文を『研究会通信』に寄稿予定なり。おれでいいのか!?

そんなこんなの今日この頃ではありますが,2月末には調査などもろもろで福井市訪問。目的の一つは福井市立至民中学校というところを見てくること。いわゆるオープンスクール建築への校舎の建て替えを契機に,そのオープンスペースを有効に活用した教育実践を数年前から始めている学校です。

キーワードは「異学年型教科センター方式」という専門用語。もう少し分節化して表現すると「教科センター方式」+「異学年型クラスター制」という組み合わせ方式による教育実践を近年展開している中学校です。

この「異学年型クラスター制」というのを目の当たりにしますと,私なんかがすぐに想起するのは福井県立若狭高校の「縦割りホームルーム制」といわれたものだったりするわけです。このあたり,詳細は苅谷剛彦酒井朗(編)『教育理念と学校組織の社会学――「異質なものへの理解と寛容」縦割りホームルーム制の実践』(学事出版,1999年)へ。詳細は後日。

目的のもう一つは,福井大学教職大学院で開催された「実践し省察するコミュニティ:日本の教師教育改革のための福井会議2010」の各セッションへの参加。一番の目玉は鈴木寛・文部科学副大臣による講演「日本における教師教育改革:その必要性と展望」。んまぁーー,マスコミの多いことよ。このあたり,ほんのさわりだけtwitterにてすでにtweet。そのうち(←最近こればっか)まとめてブログにも投稿しようと思います。

で,前者「至民中学校」と後者「福井会議」とは実は密接な関連のもとにあるトピックなわけだが,それも後日。

その後,今週は東京までこれまた資料調査にて出張。帰宅なう(←ちがう!)。

国立教育政策研究所・教育研究情報センター・教育図書館にて資料閲覧。泊まりがけで数日かけて渉猟したが目ぼしい成果は(今のところ)なし。まー「資料がない」という事実を確認するのが資料調査の意義,っていうことで自分を納得させようとしていた調査最終日,それは起こった。

最終日だからってことでもないのだが,ちょっと朝早くに目覚めてしまい,お腹も減っていたのでいつもより早い朝食を食べた当日...うーん,やっぱり目ぼしい資料はないっすかね,という感じで資料室のカウンターにてご相談。

「70年代末から80年代にかけて国研に在職されていた○○さんという方がかかわった取り組みや調査なんかで関連資料が残ってないかと思って来たんですけど,そのあたりの資料って今どうなってますかね?」

とわたし。

「そのあたりの資料は完璧にオンライン化されているわけではないので,もしかしたら登録されているもの以外で何かあるかもしれませんが,ちょっと今すぐにはわかりかねます」

とカウンターの方......ごもっとも。

まーいいや,「資料がない(今のところ)」というのが確認できたのが今回の収穫,朝飯早かったから腹も減ったし霞が関の官僚たちが昼休みに一斉に飯食いに出てくる前に早めの昼食にでもすっか,ということで昼食へと外出。

30分ほどして最後の確認作業をしようとドアを開けて入室したところ,入口すぐのカウンターから↑の方がなぜかヒソヒソ声で「もりさんっ!」と私を呼びとめなさる(一日の最初に利用届けを出すし,利用者は少ないし,↑のやりとりもしているので,ここでは名前で呼ばれるわけである)。

(依然としてヒソヒソ声で→)「実はもりさんからお問い合わせのあった元研究官の○○さんなのですが,今日,もりさんが退室されてから偶然こちらに資料閲覧にこられまして,先程からあちらで調べ物をされています。○○さんの資料を探してらっしゃる方がみえているんです,と申しましたら,喜んでいつでも協力しますよっておっしゃってたんですけど,どうなさいますか?」

とその方。

「え? いま来てるんですか?」とわたし...「ええ,あちらに」とその方。

見ると私が陣取っていた座席の2列前にそのお方が......あ,見たことある(紙の上で),このお顔。

そう,そのお方こそ,1970年代半ば以降,日本に個別化・個性化教育の理念と実践が本格的に紹介・導入されるにあたってきわめて重要な役割を果たすこととなった,現在日本個性化教育学会の初代会長を務めておられる,加藤幸次先生,その人であった。


名刺もってきといてよかったーー。


こんなことってありますか? 現代史やってる人で,ある人物関連の資料収集調査中に偶然,その人物本人と遭遇した経験のある人っていますか? もしいれば,ぜひとも,この驚きを一緒に分かち合っていただきたい。

加藤先生は大変親切な方で,そのあと(ご自身も資料調査その他の用件があるからこそ来室されていたのにもかかわらず)小一時間ほどお話しする時間を割いてくださったというわけである。その際,先日このブログでも取り上げたトピック(教育の「個性化」「自由化」は必ず「教育の格差」を拡大させるか?)をめぐって興味深いディスカッションができたわけである。そして実はそこでの議論は,↑で取り上げた『教育理念と学校組織の社会学』の苅谷執筆部分と対照させながら考察すると極めて重要な問題群ともつながってくるわけである......のだが,今日はもう最近のハードスケジュールがたたって消耗しているので勘弁していただくことにする。

ブログで語るべき近況以上研究未満の話もずいぶん溜まってきてしまった。まあ,当分ここは閉鎖するつもりもないので気長にお付き合いいただければ幸いです。

それにしても,加藤先生にはいずれ正式にお話をうかがおうとは思っていたし,その場合,どの方に仲介していただいて紹介してもらって,というのもシミュレーションはしていたけれども,こんなことがホントに起こるなんて...なんか“個別化・個性化教育のネ申”に呼ばれている気がする。こっちおいでよ,って。なんかいろんなことがうまく行き過ぎてる気がする。

最後になりましたが,本エントリには,お天道様に誓って脚色その他はありません。ほんとに起こった出来事のみを忠実に再現させていただきました。それと,加藤先生と教育図書館カウンターの方,ほんとにご丁寧かつご親切にありがとうございました。この場を借りて感謝申し上げます。