「2巻で1冊」、RED本――『公教育の再編と子どもの福祉』【全2巻】合評会の予習用①

次のエントリを書くのが遅れているうちに、明石書店さんのウェブサイトに多様な教育機会を考える会(rethinking education研究会、略称RED研)が出す2巻本(以下、RED本)のページを詳細目次つきで作っていただきました。これで各章の内容がかなり想像できるようになったのではないでしょうか。
www.akashi.co.jp
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ただし、これは各章の内容・構造を見通すにはよいのですが、著書全体の構造が見えにくくなります。他方で、前回のエントリ(なぜ語「多様な教育機会」をタイトルに含む本を出したのか - もどきの部屋 education, sociology, history)でリンクを貼ったアマゾンのページでは各章タイトルだけの目次なので、著書全体の構造は見やすいのですが、今度は逆に各章の内容が推し量りにくくなっています(あと、アマゾンのページには執筆者紹介(編者以外は簡略版ですが)があるので、それもプラスポイントです)。せめてサブタイトルはあっていただきたい、と。

絵に描いたような帯に短したすきに長し状態。

ということで、こちらではサブタイトル付きの章構成をば(執筆者紹介はアマゾンのページをご覧ください)。

  • 1巻〈実践編〉『「多様な教育機会」をつむぐ――ジレンマとともにある可能性』

はしがき: 森 直人
序章: 森 直人 バスに乗る――反復される対立構図を乗り越えるために

第Ⅰ部 「多様な教育機会」を考える――ジレンマの見方
第1章: 森 直人 「多様な教育機会」と教育/福祉――ジレンマのなかで、ジレンマと向き合う実践の論理
第2章: 金子 良事 「無為の論理」再考
第3章: 澤田 稔 教育におけるジレンマと緩さの意味論――「社会的に公正な教育」の構想とその実践的課題=可能性

第Ⅱ部 「多様な教育機会」をつくる――ジレンマのなかの実践
第4章: 中田正敏 インクルーシブな高等学校づくりにおける実践の端緒――アイデア会議、オンザフライミーティングなどにおける水平型コミュニケーションの可能性について
第5章: 高嶋 真之 地方の高校生と都市部の大学生をつなぐ場と機会の創出――バーチャル空間を活用した公設型学習塾の実践の現在地
第6章: 内藤 沙織  「居られる」と「学びに向き合う」の狭間で――学習支援・不登校支援・夜間中学の実践から
第7章: 谷村 綾子・阪上 由香 中学校にサードプレイスを――中学校内居場所の実践
第8章: 前北 海 不登校支援の考え方――子どもを中心に考える

第Ⅲ部 「多様な教育機会」をふり返る――ジレンマの軌跡
第9章: 高山 龍太郎 教育機会確保法理解のためのガイド
第10章: 森直人・金子良事・澤田稔/聞き手:江口怜 「多様な教育機会を考える会」の歩みをふり返る

あとがき: 澤田 稔 ジレンマの積極的受容としての「緩さ」再考

  • 2巻〈研究編〉『「多様な教育機会」から問う――ジレンマを解きほぐすために』

はしがき: 森 直人

第Ⅰ部 教育機会を問う、その問い方を問う
第1章: 卯月 由佳 多様な教育機会とその平等について考える――ケイパビリティ・アプローチを手がかりに
第2章: 森 直人 〈教育的〉の公的認定と機会均等のパラドックス――佐々木輝雄の「教育の機会均等」論から「多様な教育機会」を考える
第3章: 仁平 典宏 「バスの乗り方」に関する一試論――教育社会学の「禁欲」について
第4章: 藤根 雅之 不登校や多様な教育機会に関する社会学的研究は議論を開き継続させていけるのか

第Ⅱ部 不登校への応答・支援を問う
第5章: 山田 哲也 多様な子どもの「支援」を考える――登校/不登校をめぐる意味論の変容をてがかりに
第6章: 武井 哲郎 フリースクールにおける「学習」の位置と価値――行政や学校との連携事例に着目して
第7章: 江口 怜 不登校児への応答責任は誰にあるのか――1970年代以降の夜間中学における学齢不登校児の受け入れを巡る論争に着目して

第Ⅲ部 教育と福祉の交叉を問う
第8章: 金子 良事 教育と福祉の踊り場――「居場所」活動の可能性についての考察
第9章: 小長井 晶子 教育制度と公的扶助制度の重なり―就学援助と生活保護を対象として
第10章: 広瀬 裕子 子ども支援行政の不振と再生――トラスト設置手法を導入したイングランドドンカスター

第Ⅳ部 学校・教師を問う
第11章: 知念 渉 教員はどのように居場所カフェを批判したのか
第12章: 井上 慧真 教員の「指導の文化」と「責任主体としての生徒」観
第13章: 澤田 稔 後期近代における社会的に公正な教育の実践的論理――批判的教育学からの示唆

あとがき: 金子良事

これを見てわかること。本シリーズ『公教育の再編と子どもの福祉』は2巻に分かれていますが、「序章」は1巻にしかありません。つまり、目次の構造上、このシリーズは「2巻で1冊」と考えるべきことがわかります。1巻だけで2巻を読まない人は、映画の前半だけ見てやめる人、「それでどうなった!?」の結末は無視する人に似ることになりますし、2巻だけで1巻を読まない人は、映画の前フリや伏線を無視して途中から見始めるのと同じになります。たしかに外観上は、1巻は「です・ます」調で、参考文献や注も最小限に抑えた一方、2巻はまったくの学術論文調で書かれていますが、本の内容・構造上は「2巻で1冊」とみてください。

私なりの理解で(ここ強調)、この「2巻で1冊」本の構造を「部」単位で並べ替えると以下のようになります。

  1. 1巻&2巻 はしがき
  2. 1巻 序章 バスに乗る
  3. 1巻 第Ⅰ部 「多様な教育機会」を考える――ジレンマの見方
  4. 1巻 第Ⅱ部 「多様な教育機会」をつくる――ジレンマのなかの実践
  5. 1巻 あとがき
  6. 2巻 第Ⅰ部 教育機会を問う、その問い方を問う
  7. 2巻 第Ⅱ部 不登校への応答・支援を問う
  8. 2巻 第Ⅲ部 教育と福祉の交叉を問う
  9. 2巻 第Ⅳ部 学校・教師を問う
  10. 2巻 あとがき
  11. 1巻 第Ⅲ部 教育と福祉の交叉を問う

ただし、読者のみなさんが実際に読んでいく順番としては、1巻の第Ⅰ部と第Ⅱ部は逆にしたほうがよいかもしれません。また、2巻の第Ⅰ部~Ⅳ部はみなさんの関心に即して順不同で取り組んでかまわないと思います。

なお、澤田稔さんによる1巻あとがき「ジレンマの積極的受容としての「緩さ」再考」は、「あとがき」とは名ばかりの「プチ論考」といった趣があります。1巻の終わりという位置で、1巻第1章(森)に向けた、あるいは2巻(やさらにそれ以降の考察)に向けた問題提起が込められていますので、「実践編」の「あとがき」という外見にだまされないように読んでください。

また、この2巻本の大きな特徴として、充実した「巻末索引」(全30頁)があります。編者のひとり、澤田さん渾身の作です。2巻を通した索引で、各巻末に同じものがあります。この点でも本シリーズは「2巻で1冊」です。しかしこんなのはまだぜんぜん驚くべきところではありません。以下に、索引の凡例(1巻367頁、2巻393頁)から一部を引用します。

索引
1. 人名索引とそれ以外の事項索引を大別して示している。
(略)
4. さらに…(略)…事項索引は、年代・時代(歴史的)区分事項、国名・地名等(地理的)事項、その他の一般事項(団体名等を含む)の3種類に区別して整理している。
5. 国名・地名等(地理的)区分事項に関して、市町村名は都道府県の下位項目として示している。ただし、件名と県庁所在地等県内都市名が同じ場合に、県・市の区別が明記されていない場合には、県・市の区別なしに項目立てしている。
6. 本シリーズ1巻を①、2巻を②と表記した。

まず、上記6.より同じ人名・事項が1巻・2巻のどこで・どのように出現しているか――ということは1巻と2巻の議論が相互にどのように連関しているか――を抽出することができるようになっています。

それに加えて/それ以上に、本シリーズの索引が変態的(いい意味で)なのは、上記引用には反映されていませんが、「ものすごく一般的――と一般的には思ってスルーしてしまう――語句も可能なかぎり広く拾っている」ところにあります。たとえば、「学習」「生徒」「教師」「公教育」「義務教育」「実践」「不登校」......etc.

これってふつう「不登校」がらみの「教育」を論じた本で索引に拾われる性質の語句じゃないと思うんですね(出現しまくりの「普通名詞」とみてしまいがちです)。ですが澤田さんはこれをぜんぶ拾いました(なにせカリキュラムについての本の索引で語「カリキュラム」を項目として拾った前科のある人です)。それが徹底されています(さすがに「教育」の項目はありませんでした、残念)。

(最初に澤田さんがチェックして真っ黄っ黄になったPDFファイルを目にして「これ、ほんとにぜんぶ拾うんですか!?」と返してくださった編集者のみなさま、たいへんお世話になりました。)

このあたりの狙いや苦労については、9月29日(日)開催の合評会(後述)で澤田さんご本人の口から語っていただくことにして。

これら2つの特徴が組み合わされることで、本シリーズの索引には、1巻と2巻をブリッジする機能があります。と同時に、この2巻本が扱っている主題に関する「事典」的機能すら備えている、と評価できるものになっています。この索引を道しるべにすることで、1巻〈実践編〉で出てきた(キー)ワードが、2巻の研究論文のなかで何を・どのように論じる素材として、あるいは資源として、はたまた対象として用いられ/扱われているかを見てみることができるのです。ですので、とくに1巻〈実践編〉への関心から本シリーズを手にとった読者のみなさんには、ぜひこの索引を手がかりに2巻〈研究編〉まで手を広げてほしいです。一回トライしてみてください。それが可能な本にできあがっています。

研究者ではない、一般の読者のみなさんには「索引」を手がかりに本を読む、という習慣があまりないかもしれません。ですが、学術的な本を読むときにはとても有用なものです。学術研究を生業とする研究者にとっても、新しい学術的知見を扱った本・論文を読むことは難しく、難しいというか、「よくわからない」ことが多く、そうであるがゆえに「最初からすべてを理解できる」という前提をとらずに取り組みます。「わからない」が当たり前の世界なので、「わからないから敬遠する」という発想をとりません。

むしろ、「目次」を手がかりとした著書・論文の「構造」把握をベースにした流し読み(&繰り返し読み)や、「索引」を手がかりとした拾い読み(&繰り返し読み)といったやり方を駆使して、何度も繰り返し読む、ということを行います。「索引」を活用した読み方が習慣になると、そのことによって、各章を別々に読んでいたときには得られなかった理解に到達することがあります。

個人的に、今回澤田さんが作成した索引のなかで自分でも活用してみようと思ったのは、「一般事項」「地理的事項」と区別された「歴史的事項」です。これは「時代」(明治・大正・戦前・戦時期・戦時中・戦争直後・占領期・戦後)や「年代」(1940年代・1950年代・1960年代・1970年代・1980年代・1990年代・2000年代・2000~2010年代・2010年代)がピックアップされています。これらを拾って流し読んでいくと、どの時点で・どのようなフェイズの変化があった(と認識されているか)を見通すことができるようになるはずです。また、共通して言及されるターニングポイントも見やすくなる。みなさんが日々の実践のなかで感じている事柄の「歴史性」についての認識を新たに得ることができるだろうと思います。そんな観点から、ぜひ「索引」を活用して、本シリーズの1巻・2巻をブリッジした読み方を試してみてください。

なお、今回の索引に拾われた事項のなかで個人的なヒット作は「ジレンマ(→モヤモヤ)」「モヤモヤ(→ジレンマ)」のクロスリファレンスです。

本日のエントリはすでにかなり長くなりましたので、このへんで。今日のエントリを参考に、ぜひ本シリーズを手にとって、あるいは、9月29日に開催予定の合評会に参加してみてください(下記リンク先に申し込みフォームがあります。参加費無料、対面&オンライン併用式です)。
www.akashi.co.jp