2009-01-01から1年間の記事一覧

心底驚きの年越し

「林竹二」,承前.私が初めて「林竹二」と出会うこととなった学部生時代の講義「放送教育」だが,それを非常勤で教えにきておられた戸崎賢二先生.あたかも私はそのお名前をずっと覚えていたかのように前エントリでは書いているわけだが,実はこれ,川本さ…

林竹二,きた?

以前こちらでご紹介した「林竹二」と,それを導きの糸とする東大教育学部の「西洋教育史概説」を講じておられる川本隆史さん.なんとびっくり,その川本さんご本人から「林竹二」関連その他の諸論考をご恵送いただきました.(実は頂いてからだいぶ間があい…

「農家の長男」の野中広務

さて,進学から就職までのプロセスをどのように経験したかは,その後の人生に大きな影響を及ぼす.客観的な社会移動の軌跡に影響を及ぼすというだけでなく,最近の研究では社会に対する信頼感や価値観にも影を落とすことなどが実証的に明らかにされているら…

野中広務の「教育の歴史社会学」的スケッチ,その2

魚住昭『野中広務 差別と権力』(講談社文庫)である.ある意味,野中氏が今あるような文脈で「解読」される欲望の対象となることを決定づけたノンフィクション作品.もちろん,その延長上にここ数日の本ブログでの「筆遊び」もあるわけだが.本書のもととな…

アッコちゃんライブ

先週は月曜にシンポ観覧のため東京に行ったほか,私事でもやや大きな動きがあってたいへん.そんななか金沢21世紀美術館・シアター21で開催された矢野顕子・出前コンサート「ベーゼンドルファーを弾く vol.12」へ,息抜きに.毎年12月に行われる「さとがえる…

野中広務と戦後日本・序

「野中広務」という存在は「戦後日本」を理解するうえで有効な切り口になりうると思う.以下,備忘メモ.昭和初期〜戦時体制下で少年期を過ごす(1925〜1945).この時期の彼の履歴で重要なことは,旧制中学に進学したという事実と,中学卒業後,進学ではな…

「野中広務」シンポ,とりあえずの報告

14日(月),行ってきた.これにあわせて昼間いろいろ個人的な案件処理(←おおげさ)を詰め込んだので疲れた.フォレストでの食事会,なんか敷居が高くて行けんかった.後悔.北田さん,お疲れさま.「話法」の違う登壇者の話をまとめる(かのように見せる)…

地方入試会場での思い出

今年の予定も入れるとここ3年ほど地方入試会場(←いや大学本体がすでに「地方」なんですけどね)の担当.うちは一般入試3日間行うので(ホテルに軟禁状態),入試最終日には教員・事務職員はもちろんのこと,受験生との間にもなんかしらん「仲間意識」みた…

「野中広務」をめぐり(3)―「教育の歴史社会学」的スケッチ

野中氏の政治家としての達成や歴史的意義,ということにはさしあたり触れず,そして,彼の「出自」についても,通常注目される意味でのそれにはさしてウエイトを置いていない視点がどこに向けられているのか,ほとんどの人には意味不明でしょうが,一応,彼…

「野中広務」をめぐり(2)――’99、夏。

野中広務(2003=2005)『老兵は死なず―野中広務全回顧録』文春文庫.96年橋本内閣発足から引退を決意する2003年自民党総裁選までの回顧録.改めて振り返ると,97〜98年金融危機への対応と,自自公連立政権を成立させたあとの各種重要法案の成立ラッシュが00…

「野中広務」をめぐり(1)

14日東大情報学環シンポ「闘争としての政治/信念としての政治」にむけて予習. 野中広務・辛淑玉(2009)『差別と日本人』(角川書店).・すでに言われつくしていることだし自分でもかつてちょっとだけ触れたこともあり今更なのだが,戦後日本を考えるうえ…

Social Class in Contemporary Japan

Hiroshi Ishida & David H. Slater(eds.), Social Class in Contemporary Japan: Structures, Sorting and Strategies(Routledge, 2009.11)キタ!...ってか出た!Social Class in Contemporary Japan: Structures, Sorting and Strategies (Nissan Inst…

ゆっくりと、振る。

むかし,どのTV局だったか忘れてしまいましたが,「野茂現象」として,メジャーリーグを目指し日本のプロ野球界をスキップして(といっても,実際にはそもそも日本の野球界で注目されるほどの実力もないまま)渡米する若者を追うドキュメントっぽい特集があ…

思想地図vol.4

エントリが遅れてしまいましたが,編集部よりご恵投いただいておりました.ありがとうございます.遅れているあいだに(そんなことと無関係に)発売初日に増刷が決まりましておめでとうございます.私も読ませていただきまして,今までの本誌(全部で4号です…

11月の息抜き

むっかーしのことだが,広田照幸先生が今の私ぐらいの年齢のとき,天野郁夫先生(彼の文字通りの師匠)に説教されていたシーンを思い出す.広田先生は今も(?)昔も休日あげて研究=仕事に没頭しやすいタイプのお人だ.私が院生だったころには学務がたてこ…

ステイクホルダーの所在,あるいは「構造改革イデオロギーの文明化作用」の問題

事業仕分け,花盛り.仕事柄,科学研究費関連のあれやこれやの議論などを中心に散見.「国民の前で議論を公開する」と言われましても,そもそも,なぜ,他ではない「この」事業が仕分けの対象として選択されたのか,の部分や,仕分け人から繰り出される疑義…

社会的閉鎖(おまけ)

その昔,80年代ごろに一瞬だけ「社会的閉鎖理論」なんてのが流通したことがある.知らない人は知らなくていいと思う.盛山和夫先生がけっこうコテンパンに批判しているので,以下引用.「階層研究における『女性』問題」という(懐かしい...)数理社会学…

社会的排除と教育社会学(もうあきたのでとりあえず最後)

「社会的排除」という概念が突破口になるわけではない.そこはくれぐれも勘違いしてはならない.「社会的排除」概念によって研究上の新しいインスピレーションが得られるとしても,そこで得られるもののほとんどは,これまでの教育社会学が「階層」という概…

社会的排除と教育社会学(3)

だが「教育社会学」が社会政策論的問題関心から脚光を浴び始めたのは,まさにそうした「前提状況」の消失が誰の目にも明らかになってきた頃からだ.何が「教育」研究に求められてのことなのか? そんな感じで岩田正美著『社会的排除―参加の欠如・不確かな帰…

社会的排除と教育社会学(2)

承前.耳塚氏の報告「揺れる学校の機能と職業社会への移行―教育システムの変容と高卒無業者」は,彼が90年代後半から共同研究として着手していた,70年代末に実施したものと同じ対象高校・同じ内容の質問紙調査を軸とした調査・分析以降の諸研究ひっくるめた…

社会的排除と教育社会学(1)

これまでの日本では教育問題や教育政策についての議論は社会政策と分離して論じられる傾向が顕著だったように思う.私は入会しているが,社会政策学会に入会している教育学者というのは何人いるのだろう(あ,ぼく教育学会には入ってなかったw.どう見ても…

事業仕分けライブ中継

事業仕分けライブ中継つっても,これずっと見る人ってどんだけ? つーかオレ今見てるけど.文科省のとこ.これは具体的にどのような結論がでるか,民主党政権ってなんなのかってのは,ここで一つ完全に試されるわけで.まああとは官僚さんたちの「会議力」,…

くるり,中野サンプラザ

先週末は入試業務で出勤.今年もついにやってきた,この季節.その業務終了後,満を持して,くるりの今年2回目のツアーとなる「くるりワンマンライブツアー2009〜とろみを感じる生き方〜」,中野サンプラザ1日目へ.くるりの2人とドラムのボボさんとの3…

この中学が母校だったら私もっと“かしこかった”のに...

私の勤務する私立教員養成大学では「教員養成GP」プログラムの一環として2年次に現場の小・中学校に出向いて,学習指導案を事前に公開していただいたうえで授業実践を観察させていただく(しかも一日かけて)という,(破格の)実習が都合3回設定されてい…

MVP

野球の神様,ありがとう.

現代の問題と〈社会史〉研究との接点

まあ,あのこんな感じのことを.梅田では.長いよ.現代の問題と〈社会史〉研究との接点―「個別化・個性化教育」と情報社会論/アーキテクチャ論の視点から―

無事帰還,多謝

件の研究会から帰還.今回は個別研究発表を聞く機会はなかったのですが,合評会から研究動向報告とつづく議論を聞いていると,すんごい長い射程と大きな枠組みをめいっぱい広げた分析軸をめぐる議論と,とっことん細部のディテールにこだわった見解のぶつけ…

発表準備

明日(もう今日ですか?)から,比較教育社会史研究会の2009年秋季例会(ただし1日目(31日)は厳密には若手セッションという半独立部隊)が始まる(←最近になってようやくこの辺の「ニュアンス」がわかってきた.ちょっと内輪ベースの話になってしまってま…

制度設計と人口規模のはなし

一部ですごく話題になっている東氏出演の朝生でしたが(途中までみてた,風呂上りにテレビつけてそのまんまw),個人的に非常に面白かったのは制度設計と人口規模の話が少しふくらんだこと.実際の文脈では,ルソーの話が出て,「24000人(ぐらい)」ってい…

脳科学つづき

河野哲也『暴走する脳科学―哲学・倫理学からの批判的検討』光文社新書,2008年.脳科学の現実社会への適用について哲学・倫理学の立場から批判的に考察した本.「脳の十年」(1990年代アメリカ・ヨーロッパ,遅れて日本も突入する脳科学推進に向けた国家あげ…