EMLS研

授業からのスピンオフで、教育系の院生数名と小さな研究会を始めました。エスノメソドロジー/会話分析(EMCA)の基礎の基礎を勉強して、教育領域でいう授業研究に取り込み、「授業場面の相互行為分析」へと展開していく可能性について模索し検討する、初心者たちの研究会です。

当面は串田秀也・平本毅・林誠『会話分析入門』(勁草書房、2017年)を1章ずつ読みながら、データセッションも交えつつ進める予定です。メンバーは、教科教育学を専門とする研究者養成系大学院のドクターと、教員養成系大学院のマスターと、私、の6名です。場所はつくば。基本的に金曜の19時半から(大学の学年歴の関係でずれるときもあります)。月1~2回の開催頻度を予定しています。

さしあたり、(1)テキスト(串田他『会話分析入門』)1章ずつ&他の論文1本の文献検討(※後者は「ガチのEMCA、からちょっとだけ他の領域も意識した」、「でもEMCAの手法を取り込んだ実証分析を試みて(提示して)いる文献」的な文献を、当面は森がチョイスしたものを指定、その後、各自該当する文献を見つけた時点で随時提案)と、(2)テキスト(同上)1章ずつ&データセッション、の2つの形態を並行させながら進めていきます。

EMCAの専門家はいません。EMCAの専門家を目指そうとする研究会でもありません。授業研究を相互行為分析として展開したい、そのために実践が組織化される過程を記述する「精度」を上げたいと考えている、あるいは近い将来現場に入って教育の実務家(教師)としてよりよい教育実践を探っていくための「ものの見方」の手がかりを得たいと考えている、非EM者による研究会です。私以外は(教科)教育学的な関心から、授業分析にEMCAの要素を取り入れる可能性を検討しています。私の研究関心については下記の通りです(初回顔合わせでの自己紹介レジュメから)。

ご関心があれば、問い合わせてください。誰でも歓迎します。また、EMCAの専門家の方のご助力もいずれお願いできれば幸甚です。教育学、社会学、EMCAはそれぞれ依って立つ学問的基盤において鋭く対立する契機もありますが、そうありながらも対話しつつ、教育実践を解読する水準を引き上げていく道行きへのお付き合いをお願いするしだいです。

正直にいえば、このような研究会の告知をするのはいささか気恥かしくもあります。その歳になって始めてお前の人生に間に合うのか? と問われれば、間に合わないかもね、と答えるしかありません。でもうまく若い人を巻き込めれば、そこに道ができるでしょう。『ワードマップ エスノメソドロジー』(新曜社、2007年)所収の小論「EMにおける実践理解の意味とその先にあるもの」の言うことをまともに受けとめて始めます。

数年前にフィールドワークを始めたときにも検討はしました。が、諦めました。その後、宿題をためたまま塩漬けにしてしまっていたところ、今年になってたまたま大学の中央図書館で再会した上記ドクターの院生と同じ問題意識で意気投合し、教員養成系大学院の授業に指定し、あらためて少し勉強して、一念発起しました。フィールドワーク中にお世話になった方々に、何かもう少し形になったものをお返ししなければとの思いもありました。

そんな感じです。

「個別化・個性化教育」における実践の編成――その記述に向けた覚え書き


(A)森直人,2011,「個性化教育の可能性――愛知県東浦町の教育実践の系譜から」宮寺晃夫編『再検討 教育機会の平等』岩波書店:115-146.
(B)森直人,2014,「〈教育的なるもの〉再考――「福祉国家と教育」をめぐって」広田照幸・宮寺晃夫編『教育システムと社会――その理論的検討』世織書房:173-189.


I. 2 論考のポイント要約
(A)苅谷テーゼ(教育の「自由」化・「個性」化=格差拡大(格差の世代間連鎖の固定化・強化))の問い返し

  • 1970s 末~

‐愛知県東浦町立緒川小学校:成田幸夫(・安藤慧)、加藤幸次
‐オープンスクール建築(1 コマ85 分、チャイム廃止)
‐「6 つの学習態様」:
指導の個別化 ← はげみ学習/集団学習/週プロ/総合的学習/オープンタイム/集団活動 → 学習の個性化

  • 2000s~

‐石浜西小学校への導入:「2 教科同時進行単元内自由進度学習」「自由活動型総合学習」・・・「○○学習」(←「週間プログラム学習」)と「わくわくフリータイム」(←「オープンタイム」)
‐「2 教科同時進行単元内自由進度学習」=「○○学習」(学習パッケージによるコース別一人学び・・・「学習の手びき」「学習カード」と「学習環境」

  • 主張:苅谷テーゼの一面性、すべて実証上の争点(=帰結はオープン)

‐「規律化の弛緩」vs.「学校への誘導」「許容から規律へ」
‐古典的再生産論(対応原理・見えない教育方法)vs.「自己モニタリング」「個別=共同学習」「教育的視線の濃密化・精緻化」


(B)「個別化・個性化教育」実践プログラムの「似て非なるもの」への変容:「同じ実践」の差異

  • 仁平テーゼ(「教育的」価値/論理/意味論が社会権を蝕む(=「無条件の生存保障」の切り下げ圧力))の問い返し・・・「教育的」の両義性(多義性)の示唆
  • 主張:石浜西小の「わくフリ」=社会権(=無条件の生存保障)的な時空間の実現


II. 新たな問い:「同じ実践プログラム」が「異なる実践」の編成につながるのはなぜ/いかにしてか?

  • 「同じ」教育実践プログラム

愛知県東浦町立緒川小学校,1983,『個性化教育へのアプローチ』明治図書
――――,1985,『自己学習力の育成と評価――続・個性化教育へのアプローチ』明治図書

  • 石西の実践の「ゆるさ」

cf. 「そこそこ」のパッケージの積み重ね(竹内淑子 2017)

  • 2教科同時進行単元内自由進度学習:週プロ/○○学習

「教師が苦しくなるような学習カードは作りたくない」「発問を切り出しただけの学習カードでも十分に子どもは勉強する」「緒川や卯の里ではこまめに口出し…石西ではそこまでやり込まない」

  • 自由活動型総合学習:オープンタイム/わくフリ

‐「似て非なるもの」:何か違う、教師に気づかれてはいるけれど記述・説明されない差異
‐他領域に「通じる/理解される」実践:「すごくよくわかる」、保育・仏 RMI(参入支援最低所得)・フリースクールオルタナティヴスクール・「ひきこもり」就労支援・「居場所」づくり実践…… etc. →→ 「福祉的/ケア的」ラベル貼りでは理解は進まない

  • 教育実践の「機能」をめぐる論点:伝統的な社会学の問題設定

‐従来の教育社会学的仮説(テーゼ):階層間格差の拡大・固定化・正当化
・教師による恣意的な教育実践の使い分け:古典的再生産論
・教育実践の不在/からの撤退、子ども中心主義のパラドクス: Sharp and Green 1975、潮木守一 etc.


‐森仮説:低階層・貧困層外国籍児童の学力保障と社会的包摂


だが、そもそも/その前に......


  • 問い:「同じ」はずの教育実践プログラムが、なぜ/いかにして、「異なる」のか?

→答え:相互行為(=実践を組織化するのは教師だけでなく子どもも)だから


(1)実践を正当化する教育理念
(2)理念と関連づけられて定式化された技法(=具体的な状況を超えて利用可能な方法的知識)の集積体である実践プログラム
(3)設計図としての実践プログラムを参照しつつ(=利用可能な方法的知識の適切な運用を通じ)、具体的な状況に応じて組織化される教育実践

→ (3)のモメントの記述的解明

  • 「記述」をめぐる論点:EMCA か?

・これまでの「記述」
(A):最終的に統計的因果効果の分析へと収斂させる(=変数や因果・媒介関係の探索の)ためのパイロット・サーヴェイ的な記述
(B):第3 節「教育的なるもの〉の空隙の学校空間への埋め込み――石西「わくフリ」の実践から」の民族誌的(エスノグラフィック)(?)な記述

  • EMCA との研究志向上の根源的な違い/距離

・データの「外」にある変数(への視点)の持ちこみ(?):串田他『会話分析入門』第3 章第4節
定量的・統計的因果分析の基盤構築(?):同上

会話分析入門

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エスノメソドロジー―人びとの実践から学ぶ (ワードマップ)

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