林竹二,きた?

以前こちらでご紹介した「林竹二」と,それを導きの糸とする東大教育学部の「西洋教育史概説」を講じておられる川本隆史さん.なんとびっくり,その川本さんご本人から「林竹二」関連その他の諸論考をご恵送いただきました.(実は頂いてからだいぶ間があいてしまっているのですが,)ありがとうございます.

なかでも林竹二への言及もある「経験・抵抗・理性―三人の《どう生きるか》に学ぶ」(『慶応義塾大学教職課程センター年報』第16号(2005年度))と,「格差原理・デモクラティックな平等・租税による支えあい―“溜め”のある社会をめざして」(日本哲学会『哲学』第60号(2009年))が個人的な関心とも近くて,興味深く読ませていただきました.

さて,「林竹二」である.

川本さんから頂いたもの↑は講演記録を活字化したもので,「林竹二」との出会いについてもざっくばらんに語られています(「3.理性をもつことと学び=変わること――林竹二(1906〜85)の授業実践をめぐって」).

私が林先生晩年の授業実践に興味をもつようになったのは、演出家の竹内敏晴さんの文章を通じてでした。駆け出しの大学教師だった1980年ごろのことです。(77頁)

林竹二氏は1969年に宮城教育大学学長になったのち70年代から最晩年にかけて全国各地の小学校・中学校を授業をして廻るようになる.「林先生晩年の授業実践」と語られているのは,そのことを指している.

一番有名なのは授業「人間について」.この授業の主発問によれば,この授業は「人間はどこまで動物か.そして,どこから動物でないものになるか」を考えるもの.授業内容は録音された上でいくつもの著作となって活字化したし,授業記録として映画の制作,写真集の出版も行われた,ちょっと特別な授業実践である.

私が「林竹二」と出会ったのは1993年の東大教育学部で開講された(たしか)「放送教育」という講義題目の授業において.戸崎賢二さんというNHKのディレクターの方が半期教えに来られていた.

なぜ「ディレクター」なのかというと,林竹二没後にNHKが制作した『授業巡礼』という番組の担当ディレクターだったのが戸崎先生.「授業巡礼」というのは上で↑「林先生晩年の授業実践」と呼ばれているもの.全国各地の小・中学校を授業してまわった営みのことを指す.

番組は林竹二の「授業巡礼」,とりわけ授業「人間について」を受けた人びとのもとを訪ね,インタビューする,ひたすらそれをつなげた構成.圧巻は45分番組の後半15分以上(!)を占める藤倉義幸さんという方へのインタビュー.当時は林竹二ゆかりの宮城教育大学(だったと思う,たしか)夜間大学(←番組確認して訂正)で学ぶ教員志望の学生さん,ただし26歳(ぐらいだったと思う,たしか).

この方は東京都立南葛飾高校定時制に在学中に授業「人間について」と出会う.実は林は全国の小・中学校をまわるようになってから70年代の後半以降,あるきっかけにより高校でも授業「人間について」を行うようになる.ただし,ここでいう「高校」は,そのほとんどが定時制底辺高校.「義務教育の棄子」たちをかき集めた高校.兵庫県湊川高校(定時制),尼崎工業高校(定時制),南葛飾高校(定時制)...被差別部落,在日,沖縄(単身出稼ぎ者),貧困,低学力,(知的)障害,「精神薄弱(!)」,一家離散,非行,犯罪...「うちの生徒たちは放っておいたら刑務所に行くか,ヤクザになるか,死ぬかしかない子たちなんです」...たしか藤倉さんご自身も,暴走族の総長かなにか(←番組見て,厳密には違うけどニュアンスを残すため訂正せず)をしていた人だったと思う.

細かい前後の事情をぜんぶ端折っていうと,林は(最初はたしか湊川じゃなかったかと思うが記憶は定かではない)小学校45分授業1コマ用の内容だった授業「人間について」を,“そういう”高校の生徒向け50分授業2コマの内容にバージョンアップした授業を実践する.藤倉さんが受けたのもたぶん,その授業.

自分にとっての授業「人間について」を語る彼のインタビューは15分を超える長尺の「半生記」となった.そうならざるをえない“必然性”があったからだ.これを45分番組に編集する過程で担当ディレクターだった戸崎さんは,しかし,このインタビューだけは編集しないという決断を下された.このインタビューを編集するということは一人の人間の人生を編集することになる,というようなやり取りをインタビュー取材に同行したカメラマンとのあいだで交わされたエピソードなんかを覚えている.

期せずして一人語りをはじめた藤倉さんのインタビュー.カメラマンだった方は誰のキューがでたわけでもないのだが,ゆっくりと藤倉さんの表情へとズームしていく.そして藤倉さんの一人語りが終わったまさにその瞬間,画面のフレームいっぱいに,一つの授業をつうじて生まれ変わった人間の表情が映し出される...というようなシーンだった記憶がある.

「林竹二」の授業巡礼をつうじて起こったことを追尾していったこの講義は,だから,「放送教育」という枠をまったく超えた,まさに教育学そのものを捉えなおす内容のものとなっていたように思う.

その後,林竹二の授業記録や写真集,とりわけ高校での授業記録をかなり読みあさった記憶がある.『教育の再生をもとめて』や『続・授業による救い』など(藤倉さんのエピソードは後者に一部収録されている).

それ以後の私はというと,「林竹二」の存在など忘却の彼方となって,研究者として社会階層・社会移動論や「教育の歴史社会学」あたりでもぞもぞ試行錯誤を繰り広げることになるわけだが,2006年に教員養成大学に「教職専任」として着任し,とりわけ「教師論」(「教職の意義等に関する科目」)などという科目を担当しなければならなくなってから,そういう教職科目の中核に何をもってこようか模索した結果として,もう一度「林竹二」を読み直そうと思いたったことから今日に至る.

湊川高校以後の授業「人間について」のなかで,「人間だけが自分で自分の人生を選択することができる,人間とは自分の生き方を選択できる唯一の動物なのです」という一節がでてくる.「人間とはどこまで動物か,そして,どこで動物でないものになるか」を論じるなかで,でてくる.藤倉さんをはじめ,これらの高校で授業「人間について」を受講した生徒たちの琴線に触れるのが,この一節.

この一節のあとを継いで林の口から語られる「理性をもつということ」の意義が,川本さんの講演記録では強調される.林の教育論における「学ぶこと」の意義.

学ぶということは、覚えこむこととは全くちがうことだ。学ぶとは、いつでも、何かがはじまることで、終わることのない過程に一歩ふみこむことである。一片の知識が学習の成果であるならば、それは何も学ばないでしまったことではないか。学んだことの証は、ただ一つで、何かが変わることである(『学ぶということ』国土社,1990年,95頁)

「林竹二」については,また機会を改めて.

教育の再生をもとめて―湊川でおこったこと

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続 授業による救い―南葛飾高校で起こったこと

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授業 人間について (現代教育101選)

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学ぶということ (現代教育101選)

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学ぶこと変わること―写真集・教育の再生をもとめて (1978年)

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