新自由主義が格差拡大をもたらした、と言われたりする。あるいは、小泉改革が(死語?)、とも言われる。
1990年代に入る頃から教育改革も進展して、2000年代にはすごいスピードで加速した(ように感じる)。今も続いているのかもしれない。それは公教育の世界に「市場原理」を導入するものだ、と言われたりして、時期も時期だし(90〜00年代)、「新自由主義的な教育改革」なんて言う人もいた(気がする)。私も言ったかもしれない。教育の格差や子どもの貧困の拡大をもたらした元凶だ、と言う人も多い。
少し教育を知っている人だと、ああ、これはそもそも臨教審が、なんて言う。臨教審とは中曽根内閣の頃の臨時教育審議会のことで、もう今から30年近くも昔のことだ。教育の自由化、とか個性重視の原則、とかがマスコミにも大々的に取り上げられて、人口に膾炙して、これがそもそも「新自由主義」の源なんだ、って言う人がいる。画一・一斉・一律の原則に代えて、あたかも市場で商品を買うように、個性あふれる多様な選択肢のなかから自由に選択する、この新しい原理にもとづいた教育へ。そうした動きがしかし、画一・一斉・一律が担保していた最低限保障を切り崩し、格差の拡大と再生産とに帰結する、と言う。臨教審、教育改革、自由化、多様化、個性化、選択、市場原理、自己責任、新自由主義、ネオリベラル、格差、貧困、拡大、連鎖......このあたりはもうこれでワン・セット、という趣きで。
やや気になるのは、そのワン・セットの根っこの部分は、もう少し先まで遡れるよね、ということだ。その「もう少し先」が「四六答申」だ、というところまではすでに見た(もうずいぶん昔のことで、中身もひどいエントリだから振り返りたくない)。
だが、だから「四六答申」が「新自由主義」の淵源なんだ、と言えるだろうか...――ふつう、言わない。
1971(昭和46)年、第22回中教審答申「今後における学校教育の総合的な拡充整備のための基本的施策について(答申)」。なるほどたしかに1970年代初頭は世界史的にも「転機」だとは言われる。けれども諮問から答申まで「4年という異例の長期間」としばしば強調されるように、「四六答申」の諮問は1967(昭和42)年のこと。「全教育体系を総合的に整備」することを掲げたこの答申は、しかし政策提言の流れで言えば、同じ森戸辰男会長による第20回(1966年)中教審答申「後期中等教育の拡充整備について」と、同じく第21回(1969年)答申「当面する大学教育の課題に対応するための方策について(答申)」との密接な連続性のもとに捉えられるべきだろう。ちなみに前者は「後期中等教育のあり方について」と「期待される人間像について」の二本立てで有名だ。もっと言えば、大学教育については、さらに先立つ「三八答申」(第19回(1963年)中教審答申「大学教育の改善について」、天野貞祐会長)に遡る必要があるだろう。
それでも――答申による「第三の教育改革」との自称を待たずとも――「四六答申」は「転機」なんだとは言えるし、私もそう思う。では、どのような意味においてか。それを今日私たちが辿りついている地点から振り返る――ポスト「四六答申」のプロセスを問い返す――ことは、もっと深められてよい論点ではないかと思う。たとえば、グローバルな教育改革の同時性のもとで(ポスト)「四六答申」の理念と施策の意味を考える。
いつまでそんな話をやっているのか、ということである(「やっていない」ということでもある)。しかし重要な話ではあろう。
教育制度・政策の構想として、どこまでが必然で、どこから私たちの意思決定に開かれているのか。「新自由主義」というワードに依存した改革批判は、その発話の効果として、「市場原理」に回収されない教育の「自由」や「個性」、「多様性」、「選択」の別様のあり方を構想する思考の回路を遮断する。「あちら側」からこれらの言葉を取り戻すことなしに、新しい形での教育の支え合い方を論じることもできないだろう。何かを“イデオロギー”だと断じてしまえるためには、それなりの分析というものが必要なのだ(というか、分析なき批判こそが“それ”に実効性を与える)。
ぼんやりとそんなことを言い始めてから幾星霜、生来の怠惰もあり、目ぼしい進展はない。そんななか、このたび日本教育社会学会という学会の研究委員というお仕事を拝命したのを機に、ちゃんとした専門家の力を借りて、このテーマをもう一歩だけ前進させてみたいと考えた。
毎年開催される当該学会の大会最終日には「課題研究」という枠があって、学会内外から報告者とコメンテーターを立てた議論の場が設けられる。その企画の一つを考えろというお題が与えられたので(それが研究委員会なるものに期待される重要な機能の一つなので)、上に述べたようなラインで提案した。詳細がどうなるかは不明である(←ここ重要)。こういう話をネットでちょっとだけ公開しつつ進めることもあってよいのではないかとも思い、ここに書いている。
少し大きく「教育政治の歴史社会学」というテーマも挙げたが、もう一つ「ポスト『四六答申』を問い返す――グローバル化の中の教育改革」みたいなことを申し上げた。ペアを組んで同じ部会を担当することになりそうな方はまた少し違った(しかし関連のある)テーマを掲げられていた。とりあえず私が担当するテーマの開催は再来年の大会になりそうだということなので(←現時点での話であって詳細は不明である)、そこに向けた準備のための勉強会を立ち上げようかと考えている(とりあえずはその相方の先生と2人で)。
変数を増やしても議論が拡散するだけなので焦点は絞らなければならない。グローバルな同時性の問題、教育政治の次元(たとえば日教組・教育制度検討委員会など)、就学前・初等・中等・高等など教育段階別の論点もあるし、経済審議会や財界との関連も見なければならない。財政の問題はとくにきっちり押さえる必要がある。あるいは臨教審を契機とする教育(政策)をめぐる公共圏の変容(“マスコミ”と世論(せろん)主導の)ということも言えるのかもしれない。
4年も近く前に集った研究会の宿題を、いいかげん完済せねばなるまい。
ちなみに今期の研究委員会でご一緒するのは若くて優秀な方々が多く、なにげに楽しい。そんな私はもう何年もあの学会に足を運んでいないので(というか何回かしか運んだことがないので)、いろんな意味でどきどきである。