公的な職業能力開発の場が消えるという選択をめぐって

数日経ってしまいましたが,田中萬年先生がご自身のブログで 独立行政法人雇用・能力開発機構法の廃止法案 に関して,以下のような呼びかけを行っていらっしゃいます。

「独立行政法人雇用・能力開発機構法を廃止する法律案」本日閣議決定

厚生労働省は「独立行政法人雇用・能力開発機構法を廃止する法律案」を本日、同法案の国会提出について閣議に付議し、閣議決定がなされました。http://www.mhlw.go.jp/stf/houdou/2r9852000000tudz.html


 なお、「独立行政法人雇用・能力開発機構法を廃止する法律案」の概要、同法案要綱が示されていますが、先ほど指摘した職員の募集・採用に関しても以前のママです。


 こんな理不尽な法案については広く社会に訴えて、現職員の権利を守らねばなりません。


 次に意見を厚労省に送るフォー[ム(?):森]が有りますので、お知り合いに送ってもらうようにお願いしましょう。https://www-secure.mhlw.go.jp/getmail/getmail.html

田中先生からは同じ趣旨のメールも「有志」宛てに送られており,この法案,とりわけ職業訓練指導員が全員「一旦解雇」されるという条文へ向けられた,先生のひとかたならぬ危機意識がうかがえます。「法律の廃止は困難かも知れない」という現状認識は認めつつ,「まじめに献身的に活動してきた職業訓練指導員」と職業訓練の存在意義を死守するために上記内容を呼びかけておられますので,拙ブログでもご紹介いたします。

現在,「補助金カット反対(大意)に向けたパブコメよろしく!」という動きがどの大学でもあると思いますが(その甲斐あってか寄せられたパブコメの「量」だけは他省庁から「動員」の存在を指摘されたほどであるようですが),職業訓練(職業能力開発)の領域はもう一段踏み込んだ削減案となっています。そして,「大学」と比較したときの当該領域の「動員」力の小ささも容易に想像できます。田中先生の問題意識を共有される方には,上記呼びかけをご参照いただければと思います。

職業訓練が置かれている如上の状況については,読売新聞・大津和夫記者の記事を紹介する形で,濱口先生もご自身のブログでその問題点を指摘されています(仕事ない・・・・訓練の場もない 80施設全廃 求職者に打撃@読売新聞)。

大津記者の書いたものは,政府が出した「全国約80カ所ある国の地域職業訓練センターを、来年3月までに全廃する方針」をめぐっての記事となっています。「仕事も少ないのに、訓練の場までなくなるんですか」「センターがなくなれば、高いお金を出して民間の講座を受けるしかない」とうなだれる苫小牧地域職業訓練センターに通う男性(31)の声が紹介されています。

濱口先生は,この記事の内容をうけて,

この記事には、本ブログの読者の皆さんにはおなじみの、例のOECDの積極的労働市場政策への国の支出の割合のグラフも載っていますが、このグラフを見て「何とかしなければいけない」と思う人ははじめからそう思っているのであって、愚昧な人々は「ああ、アメリカと同水準だからいいや」とか「ヨーロッパ諸国は良くもこんなムダなことに大量の金を使っているんだなあ」としか感じないのでしょうね。

とコメントされています。

先日twitter上で某・労働経済学の気鋭の若手研究者の方が,以前は(←というところが重要なのですが)「規制」の副作用を想像できない労働法学者はアホだと思っていた,と正直に述懐されていました(←だが実務で一緒に仕事をする機会があって認識を改めた,法律家と経済学者の共同作業が重要だと悟った,というのが当該つぶやきの主旨であることは強調しておきます)。

同様のことは法学/法律家以外の領域とのあいだにも言えることではないでしょうか。分野を超えると思考の前提が変わるわけですので,経済学者は規制の副作用や経済合理性の所在を理解しない他領域の人間をアホだと思うかもしれませんが,所与の制度的条件を変更する可能性を想像せず,与えられた枠内での「合理性」のみを追求することしか知らない経済学者は他からアホだと思われているかもしれません。逆もまたしかり。私達は,自分が思考の前提としているもの以外の前提を知らないだけという端的な事実(つまり自分がアホだという端的な事実)を,相手が「アホ」だという誤認とすり替えているだけなのですから(←よって,申し上げたいことは,決して「経済学者がアホ」などということではありませんので,ぜんぜん,念のため)。

私は中等後教育・訓練よりは義務教育とりわけ初等教育に公的支出を優先すべきだと考えてはいますが,かといって高等教育や職業訓練が重要でないとは全く考えません。世代の再生産という課題に正面から対峙しようとするなら,ここで挙げた2者(に限っても)は相互に排他的な政策オプションではありません。少なくとも世界に冠たる経済大国・日本においてはそうであるはずです。

しかし,これは当然,公的財政支出の積み増し,あるいは少なくとも,その編成原理の大幅な組み替えを要求する方向性ではあります。そのとき,「何が所与とされるべき条件で,何が操作可能な政策変数とみるか」において立場の違いが浮き彫りになり,最大の論点を構成するように思います。私個人に関して言えば,「どのような未来の社会像を,現時点のこの社会の成員は選択するのか」という政治的次元の選択こそが,まずは考慮されるべき〈変数〉なのではないかと考えています。アングロサクソン系の社会になるような未来像を選択しなければならないぐらいなら,今以上の租税負担を受け入れることのほうが,と。だって,たぶん私,失業しますよ,そのうちwww 「大学」,つぶされるんですよ,今の高等教育政策のままなら。これをお読みになっているすべての読者のなかで,「自分は未来永劫,絶対に公的職業能力開発など必要としない」と断言できる人がいますか? いたら手を上げてください。あ,あなたですか? それはほんとにアホですね。

いろいろと重要な論点が多く埋まっている問題ですので,はなはだ言葉足らずではありますが,今日のところはこれぐらいで。

田中先生の呼びかけの内容に戻れば,先生がそこで最も力点を置かれているのは,「雇用能力開発機構廃止法案にある理不尽な現職員解雇−再雇用条文」の存在です。細川厚生労働大臣の10月5日付記者会見にも,

雇用・能力開発機構の中の能力開発の点については高齢・障害者雇用支援機構に引き継ぐことになっていますから、その点で職員の異動ということになります。雇用・能力開発機構は廃止ということで、新たに職員の皆様は高齢・障害者雇用支援機構の公募に応募していただくということで、そこでどのような形で公募で採用していくかについては、当然やる気のある人達をしっかりと受け止めて採用していくことになります。

とある,この点です。「解雇」の上,「公募に応募」というところは押さえておきたい。

これまで長年にわたって蓄積されてきた訓練プログラムと,それを作成し,実施する人的資源は,一旦その継承の連続性が断たれてしまうと,原状回復に至るまでに多大な社会的損失が発生する,ということには,きちんと留意すべきと考えます(以前,金子良事さんもエントリで少しだけ紹介された懇談会の折での新井吾朗さんの訓練プログラムについてのお話など,私には瞠目ものであった。が,その場に居合わせた訓練畑の方たちは「何を驚いとるのだこいつらは?」と怪訝な顔をされていたのが印象的だった)。

ただし,この辺りの主張を本格的に展開するためには,本来は,先日のノーベル経済学賞授与の件と絡めて相当に堅固かつ頑健な議論を準備する必要があるのですが,残念ながら,今はその用意がありません。

しかし,「仕事も少ないのに,(公的)訓練の場までなくなるんですか?」......という苫小牧の男性の言葉を真摯に受け止めるなら,やはり私は佐々木輝雄・講義録の言葉を想起しつつ,こうつぶやかざるを得ない――失業者の教育訓練について,どこがやってくれるんでしょうか,民間がやってくれるんでしょうか,派遣会社がやってくれるんでしょうか。ただ出来るんでしょうか,派遣会社の人材が。そういう失業者の教育訓練のノウハウはどこが一番日本では持っているでしょうか......と。

モデルと現実は違う。経験的研究に与えられたデータは未だ大きな限界を抱えたままだ。

さしあたり,今年に入ってから始めている数学の勉強には改めて力が入る,今日この頃。