『識字と読書』への期待

松塚俊三・八鍬友広編『識字と読書――リテラシーの比較社会史』(昭和堂,2010年).
この本は多くの人びとに読まれるべき本となろう.まだはまぞうで検索してもでてこない.2月刊予定である.出版社のホームページから入っていくと章立てのみ公開されている.↓下に転載した.

さらに言うと私はこの本の中身は未見である.だが,この著書にまとめられるもととなった比較教育社会史研究会の「識字と読書」セッションの諸報告,とくにその最初の立ち上げのときの鮮烈な印象は,いやがうえおう(←日本語っ!1/19)にも期待を高める.そのときの模様レポートとあわせてお読みいただければ.

さて...

この本を読むことをつうじて読者に「生きること」と「読むこと」「書くこと」とのつながりについて思索をめぐらしてもらえるなら,編者にとってなによりのこととなろう.

わたしたちの思考や感覚,感情のあり方は,すでにわたしたちが用いている言語によって枠づけられている.わたしたちの思考は言語の〈外部〉に立つことはできない.

歴史学の周辺でも「言語論的転回」なんていうのが一時期はやった.今もはやってるのかもしれない.〈言語〉とか〈テクスト〉とかが大事なんだ.

でもそんなポストモダンな雰囲気のもと,〈言語〉や〈テクスト〉の大切さを強調して歴史を叙述しようとする人のほとんどは,しかし,「では人はどのようにして〈言語〉を獲得してきたんだろうか,その獲得の仕方は歴史的にどのように変化してきたんだろうか」「〈テクスト〉を読んだり書いたりできるようになるプロセスってどういうものだったのだろうか」「そのプロセスの違いってどんなふうに社会やそこで繰り広げられる人びとの営み,ざっくり言って文化に影響を及ぼしてきたんだろうか」っていう,ごく自然にそういう発想につながるはずの問いを問うことは,なかった.

〈教育〉批判をおこなう人の,しかしそのような批判をおこなう思考自体が――自分自身が,って言い換えてもいい――〈教育〉によって形成されてきたということの意味を問う姿勢の希薄さ.

もしもわたしたちの思考や経験にとって〈言語〉を獲得するということがもっとも基底的な条件であるとするならば,そのぶん,「読むこと」「書くこと」の営みを問うことは「生きること」そのもののありようを問う,重要な思索へと連なっているはずである.

人は「生きること」においてのみならず,自ら死を選ぶときですら,かれが獲得した〈言語〉の磁場のもとで(のみ)その選択を,選択するのである.その思考,その感情も,かれが獲得した〈言語〉によってのみ思考され,感覚される.

であるとするならば,かれがどのように〈言語〉を獲得したか,そのありようこそが,かれの「生きること」の様相を枠づける.「識字」を問うことは,単に文字を知っているという状態ではなく,どのような共同体で(≒どのような身の回りの人たちと),どのような身体的実践として(≒具体的な身振り・手振りをともなって)かれの〈ことば〉が獲得されたのか,その文脈と具体的な実践のありかたの違いが,かれの思考や感情や選択のありようを規定する条件を問うことである.

これは非常に重い問いである.

にもかかわらず,とりわけ日本語で書かれる教育の歴史研究において,「読むこと」「書くこと」の歴史は事実上等閑に付されてきたといわざるをえない(もちろん例外はある.日本近世史における識字研究の蓄積など).

そういう問題意識が本書の出発点におかれている.

比較教育社会史研究会の「識字と読書」部会の立ち上げ時,編者のお一人である松塚先生のご報告は,そういう強い学術的批判意識にもとづいた鮮烈なものだった.今でもこの研究会のなかで,もっとも印象に残っている発表の一つである.

本書の予定されている目次は以下のとおり.刊行された暁にはぜひお手にとってみてほしい.そして一人でも多くの人に目を通していただきたい.とくに「教育」という窓を通して人の生き方や社会のあり方を考えてみたい,とお思いの方には.

そして,もしお時間の都合がつくならば,3月28日の日曜日,京都の同志社大学のキャンパスでお会いしましょう.気持ちのいいキャンパスです.その頃私は自分の引っ越しその他で多忙を極めることが予想されるのですが,この合評会だけはぜひ参加したいと考えています.そこで編者の方が語る言葉に直接ふれたいと思うからです.そういう合評会になる予感がします.

ぜひ!

『識字と読書――リテラシーの比較社会史』

目 次
序 章 識字と読書、その課題と方法(松塚俊三・八鍬友広)
第一部 国家・社会の編成と文字
第1章 宗教改革期のドイツにおける読書・コミュニケーション・公共性(蝶野立彦)
第2章 統治のための識字(三浦利之)
第3章 明治期日本における識字と学校(八鍬友広)
第二部 民衆世界と読書
第4章 日本近世における「家」の教育と書物(横田冬彦)
第5章 日本近世における出版と読書(長友千代治
第6章 啓蒙期パンフレットとその読者層(山之内克子)
第7章 読書する自画像(山田史郎)
第8章 一九世紀末ドイツの家庭医学書の「科学化」(服部伸)
第三部 交錯する文字世界
第9章 明治前期における書籍情報と書籍流通の一相(鈴木俊幸)
第10章 読み書き教育効率化と標準発音普及を目指して(山口美知代)
第11章 セクシュアル・リテラシィ(松塚俊三)
第12章 口述文化と文字世界(酒井順子

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