わたしたちの・学校を・つくる

また長いんだなあ。。。(みつを


都内某公立小学校参観記(その2)
先日、といってももう1か月以上も前だが、11月の下旬に板橋区立の小学校で開催された公開研究授業とその後の研究発表会&講演に足を運んだ。愛知県東浦町で1970年代末から80年代にかけて誕生・展開した個別化・個性化教育の実践プログラムのうち、「2教科同時進行単元内自由進度学習」という学習形態を導入した小学校である。この学校で単元内自由進度学習の実践を参観するのは実はこれが2回目である。「都内某公立小学校参観記」と題したエントリで言及した学校がそれである。記事は7月に入ってからアップされているが、授業を見せていただいたのは5月下旬のことだ。

当該実践の具体的なあり方については(くどいようだが)拙稿「個性化教育の可能性――愛知県東浦町の教育実践の系譜から」宮寺晃夫(編)『再検討 教育機会の平等』(岩波書店、2011年)で一部ふれた(←ステマ)。2教科同時進行の単元内自由進度学習は、当該実践誕生の地・東浦町立緒川小学校では「週間プログラム学習」と呼ばれ、拙稿が対象とした東浦町立石浜西小学校では「○○学習(まるまる・がくしゅう)」と命名された。今回の板橋区立大谷口小学校では「マイマイ学習」と名づけられた。マイマイはかたつむり。マイコース&マイウェイの学習、ということで。

単元内自由進度学習とは何か、についてはなるほど再度拙稿をステマしてもよいのだが(なにせぜひ買っていただきたいのだが)、今回の公開研究発表会を機に、もっと教育実践にたずさわる先生方が参照するにふさわしい文章が書かれたので紹介する。この1年半ほどのあいだ、大谷口小学校と、もう1つ並行して同様の授業研究を遂行中の板橋第一小学校で、2校同時に外部講師としてかかわってきた澤田稔さん(上智大学による解説文である。Minor’s Blog のエントリ「板橋区立大谷口小学校での授業研究」「「マイマイ学習」と大谷口小学校の授業研究」(未定稿)と題してアップされた論考がそれである。公開研究発表会で参加者全員に配布された。A4で16ページの力作である(長いが、読みやすい)。これが書かれていたであろうときの澤田さんの体調を知りつつ前日の夜にこの草稿が送られてきたのだが、一読後にはその行間から滲み出る筆者の気合いのほどにやや圧倒された。また、当日公開授業&研究発表会のあとに行われた澤田さんによる講演「TTで「個が活きる」学びを創造する〜教科の自立型学習とその意義〜」パワポ資料は板橋区立大谷口小学校の校内研究のページ内の「研究発表講師講演資料」にPDFファイルで置かれている。

ということで、詳細はすべて上記リンク先で熟読していただければと思う。このエントリはほとんどその誘導のためだけに書かれている。とりわけ日々勤務先での実践に悩む(たとえば学級崩壊に近いような状況に苦しむ)先生方にはそちらを参照していただきたい。実践者目線で書かれた文章である。読む人が読めば(主として教育まわりの研究者)わかると思うが、あらゆる「立場」の教育関係者を読者として想定した文章である。とりわけ、これまでこうした実践に寄せられた、そして今も寄せられ続けるあらゆる批判と懐疑の視線への応答を企図して書かれている。そのようなものとして私は読んだ。「文章を読んでわかるのはここまで、あとは実際に見てもらうしかありません」と宣言されてあるところなど、実践レベルの論理に貫かれた解説文である。

屋上屋を架す愚は控えたいが(と言いつつ書くわけだが)、私が読んで印象的だったのは学習カードづくりにおける標準的コースとしての教科書準拠コースのもつ意義を積極的に位置づけている点である。これまで「そういう作り方ではない」(≒より“個に応じた”≒子どもの“見取り”にもとづいた)コース作成に力点が置かれてきたように思うからだ(単に私の不勉強かもしれない)。このことは澤田さんによる今回の大谷口の実践開発の主眼が、一方で教師集団の協働性の構築とその基盤のうえに立った教材研究力の(集団としての)向上に自覚的に置かれていることと無縁ではないだろう(パワポ資料PDF2ページ目・第6スライド)――ただし目的と結果とを私が混同している可能性はある。

1つの教科書準拠コースを作成するのに複数出版社の検定教科書を熟読する(6年生の社会科の研究発表では「5社」という報告だったように記憶する)。何が最低限の事項で何が発展的あるいは教科書会社ごとの独自性なのかを読み取り、コース構成のアイデアを豊富化する。そのうえで、学習カードを読んだだけで――ということは口頭の場合と異なり言い足し・言い直しがきかない条件で――“どんな学力の子どもであっても”指示・発問ややるべき作業の内容が理解可能なように何重もの視線による入念な推敲を重ねる。この過程を教師の協働で行う。(私の考える)そのことの意義は以前書いたこと((続)「個別化・個性教育」という2つの実践――「ガンダム」か「GM」か)の繰り返しが多くなるのでやめるが、それが教科書準拠コースの徹底した作り込みという形で具体化されている様子を垣間見た気がした。社会学の研究者(一応)目線でいえば、原稿&パワポ終盤にみる「知識基盤社会だからPISAで云々」のくだりには首肯しがたい認識も混ざっていないわけではないが、そこは実践を広め理解を得るためのレトリックという部分もあるし、ここでは重要な話ではない。

ともあれ、上記「「マイマイ学習」と大谷口小学校の授業研究」(未定稿)を直接参照されたい。

ところで肝心の公開授業であるが、たいへん感銘を受けた。というのもどうかと思うが、もうそういう言い方しかできない。ここに一つひとつの詳細を書いてもかえってしらじらしい。とにかく前回5月に参観したときと比較した実践の格段の充実ぶりに驚いた。私は5月に参観した際に外部の人間の視点からみて気になった点をいくつか上記「都内某公立小学校参観記」エントリで指摘していた。そのときに今後改善の必要性を感じた点を当該エントリに即して整理すると、学習環境における情報量の精選・再編、学習環境のセッティングにおける動線の検討、学習カードの内容構成の根本的検討、チェックテストの精選・簡略化とコミュニケーション機会として捉える発想の転換、子どもへの働きかけと学習活動への介入の抑制・精選、といったところか(よくまあ素人がこれだけ書いたものだと反省する)。

これらの点について、すべて――完全にすべて――が見事にクリアされていたように思う。なにより印象的だったのは――この個別化・個性化教育推進派の研究発表会では通常のそれとは異なり、研究者たる外部講師ではなく実践者たる教師たちのイニシアティヴで研究会が進行されるのだが――、実際に実践にたずさわった教師たち自らが、これら諸点を含めて(2教科同時進行)単元内自由進度学習のポイントと自分たちの狙い、そして今後の課題について完全に自らの言葉で認識し説明・表現するレベルにまで高まっていたことである。もともとキャリアの浅い若手に偏りのある(?)メンバー構成だけに一層である。「雰囲気づくりのための学習環境と役に立つ学習環境とのメリハリ」とかすっと言葉にでてくる際の自信に満ち溢れた表情には、わずか半年前にみたときの困惑や半信半疑の色は微塵も残っていない。子どもたち以前に、教師たちが変わった。その教師たちの変貌につられて、子どもたちが大きく変わった。そのように感じた。

上では澤田さんの手になる文章と資料のみ紹介したが、当日配布された資料には大谷口小の先生執筆によると思しき「公開授業指導案・23年度授業実践集」と「研究の概要」と題された二種類の冊子も含まれている。とくに後者を通読すれば、いかに教師たち自らの認識が、外部講師の「受け売り」段階をはるかに超えて、深化・発展したかがうかがえる。具体的な実践場面にもそうした跡は散見された。一例を挙げれば、チェックテスト。前回見たときにはここの部分の「息苦しさ」がどうにも気になった。だが今回は、教師たち自らの言葉を借りれば、「見取る・見守る・認めて褒める」の原則が貫かれる姿へと変貌していた。チェックの対面コミュニケーションでは徹底してよいところを見つけて「褒める」。だが当然厳しく諌めたり、注意を促さなければならないこともある。それらの注意点は大きめの付箋に赤字で簡潔に記入し、学習カードに貼られる。学習カードのファイルを開くと、繰り返しその付箋が子どもの目に入り、次なるチェックの教師の目にも入る。そういう工夫がなされていた。

そんなわけで、実践者でもなければ教育実践の研究者でもない(それどころか厳密な意味での教育研究者かすら怪しい)私が語れることはもうないわけである。私は私が語ることがなくなる情景をたしかに目撃した、そのことを報告することが私にできるすべてである。

澤田さんが2校同時の研究指定校での講師に指名されてからわずか1年半。教師集団全員からの懐疑的な視線を一身に受ける「完全アウェイ」の雰囲気から始まり、途中、職員室に響き渡る大声で研究推進委員のベテラン教諭と交わしたサシでの激論(口論?)、文字通り毎日のように――私大教職課程という職場の業務をこなしたうえで――学校に通いつめ、学習カードの検討にも一から付き合って作り上げた1年半。とくにこの半年の全力投球。記して称賛のことばを贈りたい。


5年生の彼女
授業は午後に45分間の1コマが公開されたわけだが、ここまで語ったような学校の――わずか半年での――変貌ぶりに驚いた私は、授業開始後15分ほどで貴重な45分のうちの数分間を無駄にした。

先ほどから言及している前回参観時のエントリ「都内某公立小学校参観記」に一人の女の子のエピソードが書かれてある。

別の女児も「学校のテストってぜーんぶ意味わかんないからさぁ、もうしわしわですよ」(実際、すでに何度かくしゃくしゃに丸められた形跡)、「先生!! なんでこの丸が見えないんですか!!」といって彼女はチェックテストの用紙を再度くしゃくしゃにして投げ捨て、その場で泣き始めた。


ちょっとしんどいんかな、と思う。彼女はテスト問題の「中身」以前に、問題文の日本語の意味がうまくつかめていない。そのフラストレーションが、自分の書いた記号の不明瞭さに向けられた教師からの何気ない指摘に対する感情的な暴発につながる。

のくだりででてくる女の子である。5年生である。感情的な「暴発」の矛先になったのは同じ5年生の隣のクラス(という言い方がオープンスクールのあの小学校でどこまで妥当か)のベテラン女性教師である。

今回の公開授業で5年生は国語と理科のマイマイ学習であった。国語は「平安にタイムスリップ」の単元である。いろんな「〜〜区」と名づけられたコーナーが設置され、さまざまに充実した学習環境で構成されている。5年生のスペースに限らず、各フロアの学習環境の充実と子どもたちの学習する姿、教師たちがそれを見守り声かけする姿の変貌ぶりにしばし言葉を失い立ち尽くしていた私を見かねたのだろうか、その彼女がすっと近づいてきて私の手をとり連れて行こうとする――「ここだけじゃなくて、いろんなコーナーがあるんでもっといろいろ見てまわってください」

それからひとまわり、5年生の学習スペースをツアーコンダクターよろしく彼女は私を連れ歩き、一つひとつ、そこが「何区」と呼ばれて、何が目玉のコーナーかをひとくさり説明してくださる。あれは平安時代の「投げ矢」というのだろうか、そのコーナーもある。昔こういう遊びがあったのだと教えてくれる。やってみたらどうですか、と勧めてくる。やってみる。うまく壺に入らない。もう一度やれという。もう一度やってみる。入った。よかったです、面白いでしょ、昔の人もやってたんですよ、という。今度はこっちに行くとですね――といってまた私の腕をとる――、ここは百人一首のコーナーなんですよ、という。これもやってみてくれ、という。わかった、自分でじっくりやっとくわ、わざわざ丁寧に教えてくれてありがとう。いえ、どういたしまして、他にもいっぱいありますから、ゆっくり見ていってください、と満面の笑みを残して去っていく。

どうもおじさんには、ここらあたりが限界だった。せっかく限られた時間の公開授業でありながら、そして彼女の勧めにもかかわらず、私はしばらくトイレで時間をつぶすことになった。

トイレから戻ってくると、彼女は5月の参観のときに自らがしわくちゃにまるめたチェックテストの紙を投げつけた件のベテラン教師と言葉を交わしている。ちょっともう正確な言葉をメモできる状態ではなかったのだが、先生がなにか彼女に言ったのだ。そしたら彼女のほうは「W先生だったらあたし、ぜんぜん○○しちゃいますよ〜〜www」みたいなことを返していた。半年前がウソみたいなやりとりだ。

この日、この女の子がすごくマイマイ学習のスケジュールをこなしたのか、と問われれば、必ずしもそうではない。というよりもむしろ、いろんなところを歩き回って、私にしてくれたように大勢詰めかけた参観者に気を配り、あるいは友だちとのおしゃべりなど、主に「社交」に費やした45分であったといったほうがふさわしい。そんなことでいいのか、と問う人はいるだろう。正当な問いだと思う。その点については澤田さんの上記「「マイマイ学習」と大谷口小学校の授業研究」(未定稿)の「3.(2)単元内自由進度学習の方法的側面=実践上の留意点」や講演パワポ資料、ならびに上記拙稿「第4節「教育可能性に向けたテクノロジー」をめぐる争点」(宮寺編『再検討 教育機会の平等』(岩波書店、2011年)第5章)などを参照のうえ、できれば来年度、もう一つの研究指定校である板橋第一小学校での研究発表会に足を運ばれたらよいだろう。具体的な子どもの学習の姿を踏まえた、実践レベルでの議論をまちたい。

5月のときの彼女は単にその日ちょっと機嫌が悪かっただけかもしれず、11月のこの日はたまたま調子のいい一日だったのかもしれない。いかに他の多くの子どもと教師の姿も同時に変わっていたとはいえ、5月の彼女と11月の彼女を線で結んでその変化の軌跡のみを授業改革の成果として読み込もうとすることには、この日1時間の授業でさしてマイマイ学習を進展させなかった彼女の姿だけをもってこの学習形態による「格差拡大の帰結」の必然性を読み込む姿勢と同じ類の過誤がはらまれる。だがこのことは銘記しておきたい――学習スペースをくまなく案内してくれた彼女があらゆる学習環境の意味を正確に理解し、その内容を私に言葉で明晰に説明できるレベルの認識にまで到達していたことは、確かな事実として正しく踏まえられるべきである。

この小学校の先生方が作り込んだ目を見張るような学習環境と、そのもとで縦横無尽に学習活動に勤しむ子どもたちや、あるいは私を学習環境のそこここに案内して説明してくれた5年生の彼女のどこか誇らしげな表情をみるにつけ、ふと私は、学校というのは「ある」ものではなくて「つくる」ものなのだな、という感慨を抱いた。学校というものは、誰も何もしなくてもすでにもうそれはただそこにあって、そうしていくつもならんで「ある」なかからどれか気に入ったものを「選ぶ」ことができる、というような、そういうものでは――少なくともただそれだけのものでは――ないんだな、という感慨を抱いた。そして同時に、私は私の学部生時代からの指導教員だった一人の教育社会学者が15年も前に著した『教育改革――共生時代の学校づくり』(岩波新書、1997年)という、とても教育学めいた題名の本のことをひさしぶりに思い出した。


“共生時代の学校づくり”
藤田英典は同時代に東大教社に在籍した他の教育社会学者が有するのと同じ意味での「主著」をもたない研究者である。アメリカでの学位取得論文から後の「社会的・教育的トラッキング」概念へと発展する一連の計量社会学的研究が――かつて志高く(?)計量的手法を駆使した「教育と社会階層」研究者を目指していた私にとって指導教員に選ぶ理由はそれだけで十分であったが、しかし――日本語でまとまった著書として出版されることはなかった。いちはやく展開しつつあった「趣味縁」社会論も、それと関連して鳥瞰的視座から「融接型社会から分節型社会を経てクロスオーバー型社会へ」という社会変動の見取り図を提示しようとした議論も未完である。代わりに彼が大きな労力を割いて取り組まねばならなかったのは90年代から本格化する「教育改革」の陥穽に警鐘を鳴らし続ける役回りであった。小渕&森内閣の教育改革国民会議での孤軍(?)奮闘もあった。「自民党と文部(科学)省にアリバイ作りの口実を与えているだけだ」との批判もあった(政策路線は現実に何一つ変えられてないじゃないかという批判だったが、ではあのとき他にどのような「抵抗」のオプションがあったのかという私の問いにきちんと応えてくれた人は今のところいない)。

『教育改革――共生時代の学校づくり』は、そういう時代の渦の中で最初に書かれた著書である。出版に先立ち、藤田自身も編集委員5名のうちの1人として1992年の創刊にたずさわった教育学諸領域縦断的な雑誌/著書シリーズ『教育学年報』(世織書房(←ちょっと前の東・北田編『思想地図』の教育学版みたいなのをご想像あれ)に発表されていた諸論文をもとに、一般読者・政策担当者向けに書き下ろされたものだ。焦点は初等中等教育、とりわけ義務教育の改革である。具体的に俎上にのせられたのは「公立中高一貫校の導入」、「学校週五日制の完全実施」、「飛び級制」などであるが、批判の真の焦点=争点は、「公立中高一貫校」の延長上に控えていた公立義務教育の学校自由選択制(「学校選択の自由」論)と、「学校週五日制」の背後にあった「学校スリム化」論の二者にあった。わけても前者は本書のなかで「義務教育段階における学校選択の自由」こそが「21世紀前半の日本の教育界で最大の争点になると予感させる重大な問題である」(224頁)と位置づけられる。いずれの争点に対しても「反対」の論陣を張った。どう転んだって最終的には教育機会の深刻な格差拡大に帰結する、と。

大谷口小学校の実践を紹介する文脈でこの本をもちだすことは誤解を招くかもしれない。本書では一貫して「個性化教育論(者)」がかなり厳しい筆致で批判されているからである。「個性化教育論(者)」が具体的に何/誰を指すのか本書中では必ずしも詳らかでないが、しかし『教育学年報』を主戦場として書かれた既刊の諸論考をよく読めば、そこで想定されている敵が「初等・中等教育の画一性・平等性を批判し、能力別の多様化を促進すべきだと主張する」経済学的な自由化論者であることがわかる(本書でも途中1か所だけ批判対象の論者が「中谷巌」と特定できる箇所がある)。

ここにいう「個性」なる語の出自が臨教審における「教育の自由化」論にあること、その「自由化」の語がその後の審議会内部での政治的対立と妥協のすえに「個性主義」→「個性重視の原則」と変遷したこと、これは自由化論の基本的主張が後退したというよりも、むしろ市場主義的「教育の自由化」論が教育学的な進歩主義・児童中心主義の立場と合流することにより、その受容される基盤の拡大を帰結することになったと藤田はいう(「教育の公共性と共同性」『教育学年報2 学校=規範と文化』世織書房、1993年)。この点はこの後の苅谷剛彦・志水宏吉など、日本の教育社会学者による教育改革批判の言説に共通した時代認識であるから繰り返さない(既出拙稿128-129頁)。

『教育改革』に戻る。

義務教育段階での「学校選択の自由化」を本丸とする「教育の自由化」論の中核にある価値は「選択(の自由)」である。なるほど「選択」は市場経済の基本理念であるだけでなく民主主義社会の基本理念でもあって、近代的自由の中核をなすものである。だが、市場経済とは違って、民主主義社会は「共生」や「公論」という価値をも基本理念としている。そして、学校――とりわけ公立の義務制学校――は、地域の人びとにとって共同性の基盤、共生的生活圏の核として存在しており、「共生」という価値を伝達し育むことそれ自体を重要な課題ともしている。そのようにすぐれて公共的な営みである学校教育のあり方は、政策の専門家(文科省中教審)や教育の専門家(教師)が独占的に決めていくべきものではなく、教師と生徒と親が一緒になって“つくっていく”ものとして、地域のなかに、地域とともにあるということこそ、そのパブリック・スペースとしての可能性が担保される。

藤田によれば、そのような価値を実現すべき民主主義社会の基盤としての義務制学校は、「選択」の対象として制度化されてはならない。なぜなら、

この「共生」という価値は“選ぶ”という行為によってではなくて、“受け入れる”という行為、“関わる”という行為によって実現されるものである。(『教育改革――共生時代の学校づくり』「はじめに」8頁)

マーケットデザインの理論と手法(メカニズム・デザイン理論)――ご存知のとおりノーベル経済学賞受賞のあれだ――を用いて学校選択制を分析・設計(し、暗にその拡大を支持)する経済学者には若干失笑混じりにその「教育学」性が指摘されたゆえんである。他方で、「自らの学校」という意識・愛着・コミットメント形成のためにこそ「選択」が不可欠だとして別様に学校選択制を支持する「教育学」者(教育行政学者)とは上述の『教育学年報』発信での論争にまで発展したところのものでもある(藤田=黒崎論争)。

だが藤田によれば、義務制学校は、学校選択のマーケットデザイン論者が用いる「機内食のメニュー選択」のアナロジーで語れるようなものではない。アナロジーを重ねるなら、その機内食は“選ぶ”以前にそこに“関わる“人びとによって不断に“つくられ”なければならないものだからである。他方で、「選択」という契機は「他者のまなざしによって捉えられる差異」にもとづくが、「自分たちの学校」という固有性の意識が形成されるにあたって決定的に重要なのは、そこ=学校でどのような経験をするか、どのような過ごし方をするかである。その意味で学校は――三たび繰り返せば――教師と生徒と親が一緒になって“関わり”、「自分たちの学校」を“つくっていく”べきものとしてある。そのような不断の学校づくりへと向かう日常の教育活動を、すべての学校にその課題を達成することを等しく可能にするための制度的保障こそが政策的に要請されるのであって、「学校選択の自由化」はむしろその基盤を掘り崩す。民主主義社会は「選択」と「共生」のバランスのうえに成り立っているのであり、そのバランスが崩れるときに民主主義社会は危機に直面する。「少なくとも義務教育段階までの学校教育は、それを基本原理とすべきであろう」。それが藤田の反論であった。

15年前にこの本を読んだとき、私はこういう藤田の議論をほんとうには理解できていなかったと思う。だが11月に大谷口小学校の教育実践をみて、5年生の彼女の姿を前にして、私は唐突に15年前の藤田のこの主張を思い出した。そして今、15年経って、私は藤田の主張を支持したいと思う。

だが急いで述べ加えなければならないことがある。

藤田が使った「「共生」という価値は“選ぶ”という行為によってではなくて、“受け入れる”という行為、“関わる”という行為によって実現される」という理路はとても“薄い”。別の言い方をすれば、現代の日本において「公教育」の歴史的な概念規定をどのように把握すべきかの問題がまったく考察の外である。かつての教育学にはあった(はずの)対抗的な公教育概念を提示するという課題は後景に退き、公教育=既存の国家制度という等式は前提である。ひらたく言いかえれば、そこで語られる“選択”や“受け入れる”は徹頭徹尾マジョリティにとっての、きわめて一元的なそれでしかない。周辺化の力学が作用するもとでの“選択”だとか“受け入れる”だとかで言い表される決断は、抑圧的な条件を強制されるなかで重層化せざるをえなくなる、そのような経験ではないか。そのような周辺化と抑圧の条件を超えて「共生」という価値を実現するには、日本の「公教育」のあり方そのものをもっと根底から「公論」の対象に据える必要があっただろう。

その意味では、民主党政権によって導入された「公立高等学校の授業料無償化・高等学校等就学支援金制度」(以下「就学支援金制度」)が、学校教育法第一条指定の学校(以下「一条校」)以外にも専修学校高等課程と「各種学校となっている外国人学校のうち高等学校の課程に類する課程を置くもの」とについても同様に制度の適用対象としたことは、日本の「公教育」の概念と理念とを何歩か前進させる歴史的な歩みとなるはずだった。それは藤田の議論がなお等閑視していた現代日本における「公教育」の歴史的な概念規定という課題に踏み込み進展させる、画期的な政策の実現となるはずであった。

だが、《わたしたち》の政府は朝鮮学校のみを適用除外とする差別的な決定を下し、今回の総選挙で誕生した自民党政権は、さらにその決定の違法性を取り繕う法令改悪を進めようとしている。もちろん、「児童の権利条約」「国際人権規約」「人種差別撤廃条約」等に表現された国際通念上、正当化できる合理的根拠などない(日本国も「児童の権利条約」「国際人権規約」に批准、「人種差別撤廃条約」に加入している)。このような違法性の高い人権侵害を許してはならない*1

「公教育」の具体的なあり方は歴史的に規定されるもので、これこれの要件を満たしていれば「公教育」だという普遍的な規準はない。「世俗・義務・無償」だってそうだ。逆にいえば、「公教育」の規準は、《わたしたち》が、前提となる《わたしたち》性への問い返しそのものとともに、つねにその内実を与え続けていくべきものである。就学支援金制度は現存の「公教育」の根幹、一条校の規定とそのあり方そのものをも問い直す契機ともなりうる、重要な一歩である。学校教育が「公論」と「共生」という価値に立脚しているという藤田の主張に実質を与えるのは、この朝鮮学校“除外”という問題を自分たちの問題として引き受け対抗する《わたしたち》の意志にかかっている。ここで後退してはならない。

わたしたちの_学校を_つくる。

民族教育の権利が抑圧されるなかで自らの学習権を実現すべく「自分たちの学校」を文字通り「わたしたちの・学校」と呼び共同的に守り育ててきた歴史に学び――それはこの社会の抑圧の歴史と向き合うことでもある――、その学習権(民族教育の権利)の保障をも組み込んだ新しい「共生」という価値に根ざした学校教育制度を“つくっていく”。

このことと、大谷口小学校の取り組みとは、このようにして、繋がっている。

学校は、この二つのレベルで“パブリック・スペース”(公共の場)として存在している。それは、教育政策が公論の対象として論じられ選択される公共の場を提供し、もう一方で、公共の営みとしての教育実践が展開する公共の場、教育実践に直接・間接にかかわる人びとが出会い、相互交流する場でもある。(『教育改革――共生時代の学校づくり』醬頁)

藤田が述べた「学校の二重の意味でのパブリック・スペースとしての可能性」とはそういうことだと、私は思う。

教育改革―共生時代の学校づくり (岩波新書)

教育改革―共生時代の学校づくり (岩波新書)

*1:朝鮮学校の就学支援金制度除外問題については、新聞等の報道で「朝鮮学校無償化」といった表現が頻繁に使われることもあってか、基本的な認識のところで驚くほど多くの方が(ちょっと失礼な言い方になりますが)ネット上のデタラメな理解を真に受けてしまっている様子をよく目にします。この点について、すでにネット上では適確な解説がいくつか出ていますので、ご紹介したいと思います。(1)金明秀さん(関西学院大学)による「朝鮮学校「無償化」除外問題Q&A」社会学者の金明秀さんによるもので、法制的な次元の話に留まらず、もう少し広く社会的な次元まで視野に入れた解説となっていますので、私としては最初にこの記事を読んでいただくことをお勧めしたいと思います。(2)朝鮮学校無償化問題FAQ - livedoor Wiki。各論に細かく、かつコンパクトに対応されています。有益な参考リンクも多く紹介されているので、次の段階ではこれをご一読ください。(3)Afternoon Cafe:朝鮮高校無償化 FAQ。ポイントを絞ったものですね。時間が限られたなかでというときに。いずれにせよ、ぜひとも一度各リンク先をご覧になってください。よろしくお願いいたします。