何年ぶりかの完全徹夜。

気がつけば,もう1ヶ月も更新がなかったわけである。ここのところ,結構な頻度で東海地方の小学校へと調査出張に出かけておるわけで,正直,そんなブログとかいってる余裕もない。

調査途中であるわけで,具体的なあれこれをブログごときで語れるわけもないのだが,いろいろと有益なことだけは確かである。<調査。

更新が滞っていたこの1カ月,調査以外にもプライベートのあれこれや,新職場での慣れない学務などが立て込んで,もう大変。そんななか,その調査先の小学校で行われる「現職教育全体会」(という名の校内研修のようなもの)に呼ばれる形でお話させていただいた。

研究主任の先生(と校長先生)以外の先生方に対しては,どうも最近ときどき変なのが校内歩きまわって授業見てはメモとったりしてやがるがそれは○○な目的で来てるらしい,的な情報以上の説明をしてこないまま来校回数も7〜8回を迎えていたので,一度まとまった時間をいただいて,自己紹介をかねつつ来校の目的と背景について1時間ほどお話しする――という予定だったのだが15分もオーバーして結局75分間ほどしゃべくった。

「A小の個別化・個性化教育の可能性をめぐって」と題した話は,主に「A小の個別化・個性化教育の実践が『教育の格差』への対抗策として有する可能性の射程を測定する」という調査目的を説明することを通じて,先生方に自らが携わっている実践の歴史的・国際的背景を理解していただく,という趣旨のもとに作成した。

構成は,(1)日本における「教育の格差」の実態(の歴史的推移),(2)階層格差の存在とその不可視化(〜90年代前半),(3)個別化・個性化教育の日本への導入の歴史的背景(70年代半ば〜80年代(展開)→90年代(政策的定着)),(4)苅谷剛彦氏(を中心とした教育社会学者)による批判の要点(90年代後半〜),(5)「個性化」論者と苅谷氏との対立を森はどう見ているか,どこに可能性があり,何を検証すべきか――といった目次で進行。(1)から(5)への話の展開を追うことが,そのまま戦後日本の「教育と/の格差」の歴史的展開(とそれへの対峙(の不在))と重なるように話の内容は構成したつもりである。

週明け・月曜の一日の授業終了後という悪条件のもと,最後まで食い入るように資料を見つめながら話に耳を傾けていただいたのは何よりであった。

話の骨子は,(1)〜(2)はすでにある講義ノート・配布資料からの抜粋,(3)は研究計画書からの編集,(4)は先日の学会報告からの借用,であるので本来はさほど苦にならないはずの事前準備なのではあるが,現職教員への講演というのは個人的に一番重責を感じるので,なかなかなことではあった。何年振りかで完徹,というのは,この講演前日のことであった。

配布資料上の著作権的大人の事情が絡むものや,対象校固有の内情に触れるスライドを全削除したうえで,講演後半のスライドの一部を抜粋紹介する。
【抜粋】A小「現職教育」資料.ppt 直

まああの,こんな感じのことをね,さくっとしゃべってきましたよ,わたしゃ。

観察調査のほうは箕浦康子的語法でいうところの「ごさーーーーっと(情報を)とってくる」的第一段階を終えた感じの今日この頃。こっから少しフォーカスedおぶざべーしょん,な感じ。それにしても不思議だ。今自分がやっている,この,これは,自分の研究業績としてカウントされるのはどうでもいいことなんだけど,なんか知らん,一所懸命やってる自分が面白い。

ぼくのこの,これへの入り口は単純に,この実践が歴史的に辿った顛末が面白い,というただそれだけの好事家的興味を超えるものではなかったはずなんですがね。最初は。

件の研修の最後に研究主任の先生は(おそらくは他の職員に聞かせるために)私に質問された――「もり先生は,私達の実践を対象としたこの研究をすることで,何をしたいんですか?」,と。

「政策」や「制度」を動かすのではない。各々の現場に携わる実践家が,試行錯誤しながら自分の現場にふさわしい実践の開発と継承を遂げていこうとする際に,そういう際に参照するに値する実践の系譜を,政策論争の副作用として断ちたくない,そのためのささやかな根拠づくりに協力したいんです。

参照するに値する実践のオプションは複数あればあったほうがいい。で,この小学校のやってる取り組みが「役に立つ」学校というのは,この日本にいっぱいあると思うんですよ。ぼくは。

......そして,これが私の「調査」のバイアスでもあるわけだ。