野中広務と戦後日本・序

「野中広務」という存在は「戦後日本」を理解するうえで有効な切り口になりうると思う.以下,備忘メモ.昭和初期〜戦時体制下で少年期を過ごす(1925〜1945).この時期の彼の履歴で重要なことは,旧制中学に進学したという事実と,中学卒業後,進学ではな…

「野中広務」シンポ,とりあえずの報告

14日(月),行ってきた.これにあわせて昼間いろいろ個人的な案件処理(←おおげさ)を詰め込んだので疲れた.フォレストでの食事会,なんか敷居が高くて行けんかった.後悔.北田さん,お疲れさま.「話法」の違う登壇者の話をまとめる(かのように見せる)…

「野中広務」をめぐり(3)―「教育の歴史社会学」的スケッチ

野中氏の政治家としての達成や歴史的意義,ということにはさしあたり触れず,そして,彼の「出自」についても,通常注目される意味でのそれにはさしてウエイトを置いていない視点がどこに向けられているのか,ほとんどの人には意味不明でしょうが,一応,彼…

「野中広務」をめぐり(2)――’99、夏。

野中広務(2003=2005)『老兵は死なず―野中広務全回顧録』文春文庫.96年橋本内閣発足から引退を決意する2003年自民党総裁選までの回顧録.改めて振り返ると,97〜98年金融危機への対応と,自自公連立政権を成立させたあとの各種重要法案の成立ラッシュが00…

「野中広務」をめぐり(1)

14日東大情報学環シンポ「闘争としての政治/信念としての政治」にむけて予習. 野中広務・辛淑玉(2009)『差別と日本人』(角川書店).・すでに言われつくしていることだし自分でもかつてちょっとだけ触れたこともあり今更なのだが,戦後日本を考えるうえ…

Social Class in Contemporary Japan

Hiroshi Ishida & David H. Slater(eds.), Social Class in Contemporary Japan: Structures, Sorting and Strategies(Routledge, 2009.11)キタ!...ってか出た!Social Class in Contemporary Japan: Structures, Sorting and Strategies (Nissan Inst…

ステイクホルダーの所在,あるいは「構造改革イデオロギーの文明化作用」の問題

事業仕分け,花盛り.仕事柄,科学研究費関連のあれやこれやの議論などを中心に散見.「国民の前で議論を公開する」と言われましても,そもそも,なぜ,他ではない「この」事業が仕分けの対象として選択されたのか,の部分や,仕分け人から繰り出される疑義…

社会的閉鎖(おまけ)

その昔,80年代ごろに一瞬だけ「社会的閉鎖理論」なんてのが流通したことがある.知らない人は知らなくていいと思う.盛山和夫先生がけっこうコテンパンに批判しているので,以下引用.「階層研究における『女性』問題」という(懐かしい...)数理社会学…

社会的排除と教育社会学(もうあきたのでとりあえず最後)

「社会的排除」という概念が突破口になるわけではない.そこはくれぐれも勘違いしてはならない.「社会的排除」概念によって研究上の新しいインスピレーションが得られるとしても,そこで得られるもののほとんどは,これまでの教育社会学が「階層」という概…

社会的排除と教育社会学(3)

だが「教育社会学」が社会政策論的問題関心から脚光を浴び始めたのは,まさにそうした「前提状況」の消失が誰の目にも明らかになってきた頃からだ.何が「教育」研究に求められてのことなのか? そんな感じで岩田正美著『社会的排除―参加の欠如・不確かな帰…

社会的排除と教育社会学(2)

承前.耳塚氏の報告「揺れる学校の機能と職業社会への移行―教育システムの変容と高卒無業者」は,彼が90年代後半から共同研究として着手していた,70年代末に実施したものと同じ対象高校・同じ内容の質問紙調査を軸とした調査・分析以降の諸研究ひっくるめた…

社会的排除と教育社会学(1)

これまでの日本では教育問題や教育政策についての議論は社会政策と分離して論じられる傾向が顕著だったように思う.私は入会しているが,社会政策学会に入会している教育学者というのは何人いるのだろう(あ,ぼく教育学会には入ってなかったw.どう見ても…

現代の問題と〈社会史〉研究との接点

まあ,あのこんな感じのことを.梅田では.長いよ.現代の問題と〈社会史〉研究との接点―「個別化・個性化教育」と情報社会論/アーキテクチャ論の視点から―

「学力」研究,雑感

これは質の低い雑感である.詰めた考察は改めて行う(どうせそういう機会がすぐくる)....という保険をかけたうえでいうと,今の日本の教育社会学の「学力」研究は偏向している.「格差」しか見ていない,という意味で.私の気のせいでなければ,そこに…

「教育(学)」をいかに語るか

最近すっかり「教育学」者としてのお仕事に駆り出されまくりの広田照幸先生.まあ引き受けてるんだからしようがないですけどね.岩波ヒューマニティーズ・シリーズのほうは貰えないみたいなんで(←最初から期待すんなよ)買いました.けれども今日は先日いた…

生活構造論と社会階層論

一応,「本業」のほうのお勉強も並行して備忘.なかなかはかどらないけれども.社会階層論は今ではすっかりSSM調査研究と同義になっている感があるけれども,もう少し元をたどれば,むしろ生活構造論や社会政策論系の労働者研究の系譜につながっていくわけで…

チェック...ダブルチェック...(2)

えぇっと「クライマーズ・ハイ」を未見の人は必ずDVDで見てくださいね...というのが前エントリの結論ですね.こんなに日があいてから何言ってんだか,ってことですが.正しい事実を正確に叙述するための倫理は何もジャーナリストの専売特許では(もちろん…

かぐわしい

社会学者,香ってきそうな記事これって「中間文化論」『中央公論』(1957)の先生?「『総中流の思想』とは何だったのか」では「村上泰亮」以前はもうざっくり全部削らざるをえなかったのですが,ほんとはこの人のも全部つぶしたかったのです,えぇ.なんか…

 現代の教育研究・覚え書き

戦後の学習指導要領の改訂の経緯を眺めてくると,それが経験主義・進歩主義・児童中心主義といった「自ら学ぶ主体」としての《子ども本位》の教育理念と,系統主義・注入主義といった「知識重視」の《教師本位》の教育理念とのあいだを振り子運動のように往…

 「社会学」雑感(ひとりごとver.)

himaginaryさんのところ経由でJohn Quiggin さんの「ミクロ経済学帝国主義に抗して(Against (micro)economic imperialism)」を読む. Second, the fact that egoistic rationality assumptions work well in a lot of microeconomic applications proves lit…

社会学「再」入門

一般にイメージしがちな「社会学入門」書とは毛色が異なるけれども,広く人文社会科学の布置のなかに社会学という「発想」が生まれきたった由縁を示し,具体的な社会学の課題に接する入口にまで招待する,というこの本の構成は正しく「社会学入門」の書だと…

虚焦点としての連合赤軍事件

ちょっと面白そうだなぁ,ひやかしにでも行きたいなぁ,という感じになったお知らせを耳にした.*********【第6回ジェンダー・コロキアム】 『戦後日本スタディーズ2巻 60-70年代』. 上野ゼミ関係者の3つの論文を選んだ書評セッション.7/8日18:4…

中堅以下底辺あたり高校の進路指導

今日は教員免許状更新講習・選択の「若年労働市場の変容と進路指導」という,いまどきいろんなとこで聞きそうなお題のお話をしてきました.参加する教員のほうも大変ですな.この講習1日分(6時間)に1人6000円お支払いになっているわけですので.そ…

方法論的考察(補助線ver.)

「方法論的個人主義」vs.「そうでないもの」(「方法論的社会主義」でもなんでもよい)というのもそうだけど,そういうふうに「方法論」の構想が分節できるという話と,具体的な方法実践が存立可能かとか,その説明力の水準が学術研究として妥当か否かという…

『教育と平等』からの方法論的考察(書きなぐりver.)

こんなことしている時間的余裕はないのだ,とわかっていても広げてしまう本というのがありますね.アマゾンさんが届けてくださった以上,これを読まずには他の仕事を進められないという感覚.苅谷剛彦『教育と平等――大衆教育社会はいかに生成したか』中公新…

高校進路選択研究3部作,「功罪」2部作

教員免許更新講習・選択科目「若年労働市場の変容と進路指導」のため,酒井朗(編)(2007)『進学支援の教育臨床社会学――商業高校におけるアクションリサーチ』勁草書房,望月由起(2007)『進路形成に対する「在り方生き方指導」の功罪――高校進路指導の社…

戦後社会史を読み替える

映画評や書評ばっかり続いてもしようがないので,少し別のエントリを.『思想地図』vol.2に寄稿した拙稿「『総中流の思想』とは何だったのか」をお送りした敬愛する(数少ない)研究上の先達から望外のご返信をいただく.「戦争(敗戦)体験という変数を入れ…

ファシズムと現代

神島二郎「天皇制ファシズムと庶民意識の問題」『近代日本の精神構造』岩波書店,1961年.「階級分化」が階級分化としてひとびとに映じないで、秩序感覚の不安としてあらわれるがゆえに、それは正体の分からぬ危機であり、同時にまたそれゆえに烈しいとも言…