ゼミ年度替り

新年度が始まった。私の2014年度はまだ終わってないが、そんなこととは関係なく新年度が始まった。

新入生は緊張しているだろうか。初めて実家から離れて暮らすのは本人以上に親が緊張するだろう。緊張というか、心配だ。就活も今年は解禁が後ろにずれたから、4年生は大変だろう。就活の開始があまりに早いのは大学教育の中身に支障がでるから望ましくないのは言うまでもないが、3月というのは卒業論文必修の職場で働く人間としてはちょっと遅いかなーと思う。卒論生活と就活生活の始動とピークの位置が近くなりすぎな気がする。だったらいつ解禁ならいいんだって話になるが、年明け1月ぐらい(3年の)がキリもよくていいんじゃないすかね、と返すことにしていて(とくに根拠はない)、だから昨今の右往左往のなかでいえば、12月というのはそんなに悪くなかった(卒論始動の段階で学生が就活生活に慣れてた)。

ま、景気動向のほうが重要かもですけど。

いやそもそも日本型の一斉「就活」というのがグローバルにはあれなんで、ってやって「在学中は教育専念、就活は卒業してから」説の大学の中の人というのもたまに見かけるが、スケジュールに区切りのあることがもたらす「就活」資源の集中には――デメリットもあるが――とくにある種の「資源」に欠けがちな学生にとっては小さくないメリットがあると思っているので、そこはあまり意地を張って道理を通さず企業さまとの折り合いはつけたほうがいい派の人である。

まあでも企業さまには「常識」になってることで大学の中の人(学生も含めて)にとっては「無理」が通ってしまってるところもなくはなく、学生はまだ在学中なのに企業 or 職場関連イベントに平日来いとか平気で言ってくるのはちょっとどうなんだろうかとは思う。ぜんぶがぜんぶ土日にやれとは言わないが――企業の中の人にも土日は休んでほしいので――、まだ内定の段階にとどまっている12月とか1月の時期に内定先の職場の忘年会だか新年会だかに呼んで飲み会に参加させるとか、

それ、今?

っていうようなイベントに平日呼び出すのはちょっとどうなんでしょうか。

職場を同じくする(だろう)人との親睦を深めることはそれとしてあっていいし、「営業は肝臓が強くないとやっていけないぞガハハ」という教訓も伝えられてよいものかもしれないが、それは正式に採用になってから深めればよい親睦や伝えればよい教訓なのではないかと思う。あなたが学生を呼びつけて教えを垂れていたまさにその頃、その学生は在学中に取り組んだ研究テーマの総仕上げをしている一番の山場で、とても重要な時期なのです。少なくとも弊社の場合。

そんな私も昨年度その時期に与えたアドバイスの効率の高さに瞠目したばかりであって偉そうなことは言えないし、卒論より「ガハハ」のほうがいいという学生もきっといるだろうが、内容的にも時期的にも前倒しにしてよいこととよくないこととの一線はきちんと引いてほしいし、そのための意思表示は何らかの形でしておいたほうがいいですよね >誰か

あるいはそこに一線があることに気づかない(気づけない)のは、その企業の中の人自身が学生時代に自分で「それ」を経験してないからじゃないだろうか、と思わなくもない。経験してたのに「忘れた」のであれば思い出せるかもしれないが、経験してないものを想像するのは難しい。「それ」というのはつまり、自分で問いを立て、答えを出す、ということだ。もちろん、「問い」の前にも、「問い」から「答え」のあいだにも必要な手順と作業と作法があって、それは専攻によって異なる部分もあるだろうが、いずれにしても、そういうことだ。

これがありうべき「一つの」大学像に依拠した物言いでしかないというのは半分は当たっている。だが、企業の中のことはよく知らないが、たぶん「それ」ができること、「それ」ができるようになることを通じて身につくことは、いろんな仕事に生かせるんじゃないかと思うし、仕事にとどまらない「いろんなこと」にも生かせるはずだ。それは「役に立つ」という日本語が醸し出すニュアンスとは少し違って、むしろ自力で歩いて行こうとするときに必要な基礎体力とか身体動作みたいなものじゃないだろうか。歩いているときに歩いてる本人は決して自覚しないような何か。

ひらたくいうと、アクティブ・ラーニングですね。←

そんなわけで一つゼミが終わり、また新しくゼミが始まる。まだ在学の人はさらにテーマを発展させたり変えたり違うゼミも経験したりしてください(適宜)。卒業した人はどんどん歩いて行ってください(勝手に)。

私は早く2014年度を終わらせてください(振り出しに戻る

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「社会的 social 」という概念が歴史的には平等や連帯といった価値を志向する規範概念であったことに注意を喚起する議論に日本で注目が集まったのは、そう遠くない過去のことである(市野川容孝『社会』岩波書店,2006年)。社会学という学問は「価値自由」の原則のもと、「社会的」という観念が帯びていた規範的要素を削ぎ落すことによってはじめて、事実を観察する科学としての自立=自律を果たした。この脱規範化の契機、言い換えれば「社会的」という言葉に込められていた理念や価値の「忘却」こそが、社会学社会学として誕生するための歴史的な条件だったというのである。

自らの誕生の契機を「忘却」することにより今日の発展を遂げた社会学において、その「忘却」という事実をもさらなる分析の俎上に載せた上記の論考にみられる再帰的な問題設定は、ある危機意識に由来する。それは、近代の成立期において見出された「社会」を可能にした理念、平等や連帯という近代原初の価値規範の存立根拠そのものが重大な動揺に見舞われているという現状診断である。20-21世紀転換期以降の現代社会において社会学を実践しようとするわれわれには、自らの原点にある「社会学的忘却」の歴史的事実をあらためて想起したうえで、なおその規範的志向から距離をとる緊張を手離すことなく事実を捉え、思考を展開していく強度が要請される。

2014年度ゼミ論集『「社会学的忘却」を超えて』は、そうした問題意識の系譜に連なる記録である。春学期のゼミでは、リュック・ボルタンスキー&エヴ・シャペロ(三浦直希他訳)『資本主義の新たな精神(上・下)』(ナカニシヤ出版,2013年)(=Boltanski, Luc et Ève Chiapello, 1999, Le nouvel esprit du capitalisme, Gallimard)の上巻「一般的序論:資本主義の精神および批判の役割について」を全員で精読した。伝統的な階級・階層論の概念装置では捉え尽くすことのできない雇用の不安定化・劣悪化と新たな貧困、社会的排除が広がる現在の風景はいかにしてもたらされたのか。「1968年」にあれほど高まった資本主義への「批判」の渦は、なぜ、どのようにして効力を失い、雲散霧消してしまったのか。フランスを事例とした歴史的過程を分析するための方法論を展開した、重厚な序論である。

そこではM. ヴェーバーによる古典『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』を参照しつつ、資本主義の「精神」とそれへの「批判」――社会的批判と芸術家的批判――との相互的な展開運動として近代産業=資本主義社会の歴史を捉える視角が提示される。本書によれば、現代の困難な状況とは、1960年代末に高揚の頂点を迎える1960/70の「批判」を吸収することで生成した「資本主義の新たな精神」の帰結である。資本主義の作動を労働者にとって受忍可能なレベルに制御していくために「批判」の装置は欠かせないが、現代の悲劇は、新たな資本主義の精神の誕生によってかつての批判――とりわけ「社会的」な批判――が完全に失効したにもかかわらず、それに対置されるべき新たな批判の装置がいまだ更新されない現実に由来する。

入手しうる批判の装置は、目下のところ、いかなる壮大な代案も与えてくれない。唯一残っているものは、生(なま)の状態の憤慨、人道主義的な仕事、見世物となった苦悩、…(中略)…だがこうした主張が広がりを獲得するには、より適切な表象と新たな分析モデル、社会的ユートピアが欠けているのである。(上巻20頁)

現代日本の劣悪化する雇用を象徴する牛丼チェーン店の創業者もまた「全共闘世代」――日本の「68年世代」――であった。「世界から飢餓と貧困を撲滅する」という経営理念と、日本における経営=雇用実態との間にみられる、あの戯画的な懸隔を想起しつつ本書を読む者は、なぜこの懸隔が矛盾なく接続してしまうのかを問いながら、あるべき「社会的なもの the social」(社会的批判、社会的ユートピア)を再興しなければという規範的志向と、客観的に観察する科学に徹しようとする志向との、せめぎ合いに晒されることになるだろう。したがってここに並んだゼミ論は、秋学期以降にゼミ生各自が――意識的にであれ無意識的にであれ――そうした葛藤を超えようとして経験した試行錯誤の軌跡の、とりあえずの到着点として読まれてほしい。

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第1部「「社会学的忘却」の可能性」には文字通り、「社会学的忘却」によって誕生した社会学という学的営為の射程と可能性とをあらためて問い直す論考が3篇揃った。「後発」社会科学であるがゆえの尊大な「社会学帝国主義」でもなく、あるいは体系的な公理論構築の困難さへの居直りや、「常識を疑う」などという雑駁なスローガンでもなく、経験科学の一領域としての社会学の「居場所」が問われている。

第1章の○○○○「国家間の不平等に関する研究における社会学の役割についての検討」は、近代資本主義がなぜ他ならぬ近代=西欧において可能だったのかを問うたマックス・ヴェーバーの『プロ倫』と、その古典を国家の経済的成功を説明する「文化説」の一種と切り詰めたうえで「まったくの誤謬」と一蹴するアセモグル=ロビンソンによる政治経済制度説とを対比するなかで、文化や歴史に照準する社会学的思考の可能性を検討する。その考察のなかにみられる「なぜ権力者が[ときに/自発的に]創造的破壊に向かうか」との問題設定には、今後の具体的な経験的研究への展開可能性が潜むかもしれない。幕末維新期において、「なぜ日本の旧支配層=武士身分は自ら進んで特権を放棄したか」を問うた園田英弘『西洋化の構造』(「郡県の武士」、思文閣出版、1993年)の「機能主義的武士観」のエートス論を彷彿とさせる。

第2章の○○○○「貧困・開発研究における社会学の役割」もまた、そしてより直截にアセモグル=ロビンソンの『国家はなぜ衰退するか』によりながら、洗練された数理的フォーマライズにもとづく政治経済的制度論とは異なる位相で途上国の貧困・開発援助実践=研究に貢献しうる「開発社会学」固有の役割を見出そうとする。その際、人びとが繰り広げる相互作用に焦点化するという戦略は、おそらく正しい。だが、結論に至るまでの論脈を追うと、ややもすれば「行為」と「意識」との間に見出すべき位相のズレが十分主題化されておらず、その結果、「援助」や「教育」の実践とそれがもたらす帰結との間に単線的・順接的な関係性を前提しているようにも読めてしまう。このあたりは一般論の次元で論じてもあまり生産的でない。今後の具体的なテーマ/フィールドの設定に即した考察が期待される。

ゼミ論集に先だって執筆された卒業論文をベースにした第3章の○○○○「「社会の縮図」と社会」では、「「学問的でない社会学」の観察」の観察をつうじて、翻って社会学なる経験科学の特質を浮き彫りにする議論が展開される。おそらく、社会学の観察が「内部観察である/でしかない」ことが経験的な社会科学としての社会学の特質を規定する根本条件だというのは、そのとおりだろう。そして、内部観察であることと、科学であることとは、究極的には両立しない。だが、その「究極」の何歩か手前で対象を客観的に把握する技法として、社会学はある。そのためには内部観察に「なりきる」ことが必要だ――「学問的でない社会学」にはそれがないから「社会学」ではない――という指摘は興味深い。社会学が自然科学と厳密に同等の身分では科学たりえない「限界」が、それでも「科学」として社会学が存立する根拠だというのだから。

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「社会運動」とは、明示的に――ときに激烈に――「社会的」な価値と理念を追究する集合的営為である点で、学的実践としての「社会学」の極北にあるともいえる。だが、というより「だからこそ」、「社会学的忘却」を超えて思考する営みにとって、社会運動はもっとも重要な分析対象の一つである。第2部「社会運動とアイデンティティ」は、そうした対象としての社会運動を、その担い手のアイデンティティの次元まで掘り下げて検討した論考3篇によって構成される。

第4章の○○○○「山谷における社会運動の歴史社会学」は、近年急速に「寄せ場」から「福祉の街」への転換が進む山谷において、かつて暴力組織との激烈な闘争も辞さずに日雇労働者との連帯の可能性を模索した元〈寄せ場活動家〉への聞き取りにもとづく卒業論文をもとにする。「社会の総寄せ場化」が進展する現代日本における新たな連帯の手がかりを得ようとする本章は、新左翼運動から労働運動へ、支援者から〈寄せ場活動家〉へというライフストーリーのなかにさえ忍び込む、不可視化された非対称性の発露を見出す。結局それは〈贈与のパラドックス〉を〈政治〉の意味論に解消する言説形式の一つでしかないのだろうか。最後の最後で著者はそれでも「否」と答えようとする。だが、どのような意味で? 本当の「問い」はここに在る。問われるべき真の問いまで正しく辿り着くことのできた論考だといえよう。

第5章の○○○○「在日朝鮮人の民族的アイデンティティ」も卒業論文にもとづく論考である。国際的にみても特異に強固な「同化政策」を一貫した特徴とする日本社会において、在日が在日としてあること自体、絶えざる「運動」としてか維持不能であったという事実性において、これも「社会運動」とそのもとで生きる人びとのアイデンティティの位相を問うた論考だといえるだろう。ネイションとエスニシティ、国民と民族という概念軸の重層的な錯綜関係を、中国/日本/朝鮮の3つの位相において解きほぐそうとする本章の論述は、率直に言って、整理されたものではないだろう。しかしながら、「エスニックな連帯か市民権か」という強制された隘路からの解放を展望しようとする問題設定にとって、これは必要不可欠な「混乱」である。東アジアにおける「ナショナリズムという難問」を解くための豊かなヒントがここにはある。

第6章の○○○○「反原子力運動史の日独比較」は、社会運動の比較‐歴史社会学ともいうべきスケールの大きさを感じさせる論考である。反原子力運動に反核運動の側面もあわせて読み込み、その歴史的な展開を追尾していく本章の叙述からは、ボルタンスキー&シャペロが「資本主義の精神」と「社会的批判」にとっての転機に挙げた「1968」が、それに留まらない深度と射程を伴う変動であったことが示唆される。反原子力運動にみられる日独の差異は、「1968」の転機をそれぞれの社会がいかに超克したかの違いを反映しているのではないか。それはまた、世界的な「現代化」――再帰的近代化(U. Beck, A. Giddens)?――を読み解くうえでも根本的に重要な視角であるはずだ。反原子力運動に埋め込まれたそれぞれの社会の「自画像」と、それへの批判の先に描かれた「ユートピア」の有する歴史的・現代的意義を、本章の今後の展開が抉出することを期待したい。

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近代社会がもたらした〈生〉の脆弱性に対し、雇用=労働を軸に対応してきた「社会的」な仕組みに明らかな綻びがみられる現在、ではいかにしてその再構築を図るのか。昨年度のゼミ論集『〈能動化〉する福祉国家と社会の諸相』から連続する問題系に多くのゼミ生の関心が集まるのは当然だろう。第3部「「社会的」の再構築をめぐって」では、労働‐福祉‐教育の接合の実態とその再編をめぐる検討がテーマとなる。喫緊の政策的課題に直結するからこそ、いかに客観的観察に徹する科学を貫けるかが鋭く問われることになる。

第7章の○○○○「失業対策事業とはなんだったのか」は、失業対策事業従事者を対象に1955年・63年の2回にわたり実施された質的な生活歴調査の二次分析にもとづく卒業論文の縮約版である。戦後日本の労働政策のなかでネガティヴな評価しか受けてこず、実務家の「トラウマ」とも評されてきた失対事業だが、実際に就労した当事者の視点から再構成された本章の分析によれば、そこに見出されるのは通念に反し、あくまで労働による自立した生活を希求し、職場を数少ない自らの「居場所」と見定め働き続けることを選択した人びとの姿であるという。労働政策の「失敗」として語られてきた失対従事者の定着現象をこのように再解釈した本章は、その現代的意義を「社会的就労」の可能性という論点にまで敷衍する。示唆に溢れる指摘だが、両義的である。それは究極には、労働を生存の条件とすることの帯びる両義性である。

第8章の○○○○「日本社会における非正規雇用の増大と方策」は、1990年代以降の非正規雇用の増大の要因を日本型雇用の「崩壊」に求める議論を手際よく整理したうえで、ジョブ型雇用社会への転換に向けて求められる方策の一つとしてジョブ・カード制度を取りあげ、その可能性と課題とを検討する。論述は手堅く緻密だが、もう少しマクロに俯瞰するとどうだろうか。ジョブ・カードの要請される根拠が端的に労働市場におけるマッチングの効率化にあるなら、本当にそれが最適解かどうかは再審の余地がある。マッチングの効率化以外に根拠があるとすれば、それは何か。ジョブ・カードが導入されることで何が可能になり、どのような問題が発生するのか。参照文献が政策遂行側である厚労省とその所管するJILPT系に偏らざるを得ないなか、より批判的な「問い」の設定が試みられれば大きな発展可能性のあるテーマである。

第9章の○○○○「なぜ専門学校は進学先として生き残ることができたのか」は、学校教育法第一条にもとづく公教育体系の「外側」に置かれながら、1970年代後半の制度創設以後に実現する「専門学校」の着実な発展の背後にあった要因・ニーズを抽出しようと試みる。経済的要因に特化した観点から先行研究が与える(大学進学の)「代替的進路」という位置づけを超えたところに意味を見出す本章の議論は、その限りでは妥当で説得的なものである。だが、そこでの議論の焦点が、進学側=教育需要側=(卒業後の)労働供給側にしか当たっていないのもまた事実である。専門学校が公教育の「周辺」にあったことは、それだけ直截に労働需要側のニーズを反映した世界であったことの裏返しである。その点にも視野を広げれば、第8章の小野論考とあわせ、ジョブ型雇用社会への転換に向けた議論の試金石ともなるテーマであろう。

大学福祉系学部での調査に立脚した卒業論文をもとにした第10章の○○○○「福祉系学部における教育から職業への移行」は、近年日本の教育界で一つの政策的・実践的提言として人口に膾炙した「教育の職業的意義」とその目的変数としての「柔軟な専門性」の形成とを、単なるスローガンとしてではなく実証研究の課題として引き取り、社会学的検証の俎上に載せた意欲作である。具体的なカリキュラム・教育実践の領域まで踏み込み、教育から職業への移行過程を捉えるために(カリキュラムとキャリアの)「結合」と「分離」という独自の分析概念を導出することに成功した点は高く評価される。社会学が規範概念としての「社会的」を忘却するまさにそのときに、「社会的」な価値の実現を担う「専門職」として誕生したソーシャル・ワーカーの養成が対象である点では、もっとカリキュラムの内実にまで踏み込んでも面白い。

第11章の○○○○「日本における公共図書館の位置づけと変容」が考察の対象とした公共図書館は、「社会的なもの」の歴史を考えるうえでも今後を構想するうえでも、じつは決定的に重要な焦点の一つである。著者の問題意識から離れるかもしれないが、「貧者と/の図書館」という問題設定、もっと端的に言えば、公共図書館はホームレスの来館・利用に対してどう接するべきかという課題がある。退館強制を含む利用規制派を一方の極として、だが他方にはホームレスを含むすべての人びとの社会的包摂を公共図書館の中核的価値と位置づける立場が存在する。また、担当業務の「専門性」は認められながら、公的機関の民間移譲が進む現状において雇用の非正規化が最もドラスティックに進展している職域だという公共図書館司書の現状も指摘できよう。射程の広い対象を正しく選定した本章の考察の今後の展開が期待される。

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最後の第4部「文化と階級」には、さまざまな社会現象を「階級文化」という視角から分析することの可能性を追究した社会学的論考が3篇並んだ。「社会的なもの the social 」の展開と具現化の歴史の根底に、階級分裂をいかに回避し「社会」の統合を維持するかという利害が横たわっていたことは、あらためて指摘するまでもないだろう。階級概念の説得力と適用範囲の限界が今日明らかになりつつあるとはいえ、われわれはまだ、この「社会」の考察を支える古典的分析概念を、そう簡単に手放すわけにはいかないのだ。

第12章の○○○○「日本における近代競馬文化発展に見る大衆文化への広まり」は、「競馬の母国」イギリスと対比しつつ日本の近代競馬の歴史と現在とを考察し、なぜ日本では上流階級の社交場としての競馬の「貴族性」が失われ、「大衆文化」として広まったのかを問う。だが、その問いへの回答に「文化のオムニボア化」をもちだすのはトートロジーではないか。ではなぜ日本では文化のオムニボア化が顕著に進んだかという問いへの一段ずらしが起こるだけである。一方でもっと競馬の歴史を丁寧に追尾し、他方で競馬を他の文化現象との関係性の網の目に位置づける必要がある。そのうえで――ふたたび園田英弘のアイディアを借りれば――、「逆欠如理論」(『教育社会学研究』49、1991年)的な発想で競馬という文化現象を分析する視角が求められるのではないか。スケールの大きな文化‐歴史社会学を構想してほしい。

第13章の○○○○「「Japanese Only」横断幕を通して見る日本におけるフーリガンの存在」は、2014年3月に起こった日本のサッカー・リーグにおける人種差別横断幕事件を手がかりとした論考である。だが、何について考察するのか、との率直な疑問は残る。日本のサッカー・ファン文化に関する考察なのか、それとも近年強く懸念されている日本の人種差別的な排外主義の前景化を対象とした社会学を構想するのか、あるいはその両者を架橋するところに独自の問いを設定するのか。そのどれであれ、そこに(無?)階級性という視角を持ち込むのか否か。「フーリガン」がイギリスという特定の空間の特定の歴史性のもとで「構築」されたラベルでもあり、それをもとに日本の事象を考察することの妥当性についても議論の余地はあるのではないか。第12章の○○論考と同様、対象の重要性は疑いないので文化社会学として骨太の研究を目指してほしい。

第14章の○○○○「父親による家庭教育」は、「育児」や「子育て」の域を超えて要求される「家庭教育する父親」像を種々の言説や先行研究の調査結果を渉猟して描き出し、現代日本の階層/ジェンダー構造の変動を反映する現象として解読するための課題を抽出した論考である。「権威/ケアラー/チューターとしての父親」言説の重層的な展開を整理したうえで、実証的な研究課題の焦点に父親の教育「意識」を置き、その階層的/地域的な拡大可能性と、さまざまな情報資源との接触をつうじた意識形成のダイナミクスとの2つを提起する本章の、レヴュー論文としての精度は高い。「家庭教育」概念そのものの構築性とそれゆえの複雑性にも目配りされている。あえて言えば、本章が参照する1980年代以前ではなく、90年代以降に到達した後期バーンステイン理論の視角を導入するとどうなるか、と問うてみたい欲求には駆られる。

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社会学ってどういう学問なんですか?」と問われたとき、私が用意しているもっともシンプルな答えは、「社会問題について調べる学問です」というものだ。もう少し話をする時間があるなら、「社会問題とは何か/何だと考えることができるか」について話していく。そうすれば、それが自動的に「社会問題について調べる学問」である社会学とは何かを語っていくことにつながるからだ。

社会学的忘却」を超えて歴史に即して言えば、「社会問題」(socialな問題)とは、近代原初の時点において生起した、それまで人びとが経験したことのない新奇な(modern)現象、街に溢れでる見たこともない規模の貧者の群れ、したがってそれは貧困問題であり、あるいは階級問題のことだった。「社会」とは、その分裂を超えて見出される「べき」だと人びとが考えた、規範概念であったということの背景には、それがある。そして、社会学とは近代において生れ、近代に内属しながら、かつ近代そのものを問い返す学問である、という自己規定も、こうした歴史的な誕生の契機の反映である。

社会学とは「社会の内部観察」である。いや社会学に限らず、「すべての」社会科学が本当は内部観察であって、内部観察でしかない。では、それでも社会学が他の社会科学と異なるもののように映るのはなぜかといえば、それは自らが社会の内部観察でしかないことをもっとも愚直に引き受け、正面からそのことと向き合う学問が社会学であるからだと、私は思う。初学者がとまどう社会学の多様性や「わけのわからなさ」はすべて、このことに起因する。それを十分踏まえずに、社会学という経験科学の特質を、とにかく斜に構えて――「価値」や「規範」を冷笑して――、常識的な見方をひっくり返す――常識の自明性を疑う――などというところに見出すのは、根本的なところで錯誤がある。

「社会の内部観察」としての社会学は、「知識の蓄積」が確実に専門性の高度化を約束するという意味での体系化が難しい。それはむしろ、自分自身も関わる――そこから自分だけ特権的に身を引き剥がすことのできない――社会事象を「正面から」扱うという困難な作業で使える「技法」の集積体なのだ。それが「技法」である以上、講義室に漫然と座って教師の話を聞いていても、試験前に教科書の内容をどれだけ正確に暗記しても、身にはつかない。われわれはただ社会学を実践することによってのみ、社会学を習得できるのだ。

社会学的忘却」という風変わりな言葉を冠したゼミ論集を編み終わった今、私が伝えたいことは、それに尽きる。