課題研究「戦後の教育政治を問い直す」@駒澤大学 9月10日(木)

※プログラム開始・終了時刻に誤記がありましたので訂正しました(7月30日)

日本教社会学会の第67回大会最終日、9月10日(木)13:30より、課題研究「戦後の教育政治を問い直す」で司会を務めます。

なお、他に2つある課題研究は、「「子どもの貧困」に教師はどう向き合えるのか」「量的教育データ収集の課題と展望」となります。どちらも自分の部会と重なっていなければぜひとも参加してみたい、興味深いテーマと登壇者が並んでいます。詳細は大会HPにアップされた大会プログラムをご参照ください。

そこに記載されている本課題研究の趣旨文と登壇者は下記の通りです。

課題研究1 戦後の教育政治を問い直す


9月10日(木)13:30-16:30
会場:1-301


保守と革新、日教組と文部省、国民の教育権と国家の教育権。戦後日本の教育政治は、こうした二項対立図式を軸に展開され、教育アカデミズムもまたこの政治図式に規定されてきた。本課題研究は、戦後の教育政治を振り返り、戦後教育をめぐって産出されてきた認識のあり方を歴史的に対象化することを目指す。そうした認識がいかなる政治的・社会的文脈のもとで生成され、そこでどのような機能を果たしたのか、また、現時点で振り返れば、どのような限界があったのかを検討する。


いわゆる「戦後教育学」が文部省に対抗しながら「国民の教育権」の確立を目指した高度成長期に、教育社会学は自らの価値規範の提示を抑制しつつ、実証科学に専念することで、近代化指向の教育改革に理論的・実証的知見を提供してきた。さらに1980年代に入ると、欧米の近代学校批判の理論的知見を摂取し、学校や教育という営みそれ自体の批判的検討へと関心を移行させていった。そうして大文字の政治を軸に展開してきた二項対立図式を相対化することで、自らの批判性・卓越性を確信してきた。


しかしながら、1990年代以降、冷戦体制の崩壊によるグローバル化の新たな展開や新自由主義新保守主義的改革の進展により、戦後の二項対立図式と教育システムそれ自体が揺らぎつつある。財務省による教育予算の削減、あるいは首長部局の権限強化、教育の市場化、ナショナルカリキュラムの強化など、教育の外部主導で、教育領域の自律性を縮小する動きが強まっている。教育社会学が、従来批判することの多かった「教育の論理」を「擁護」する方向へと舵を取りつつあるのはそのためである。そこに見られる「教育学」化への懸念も発せられているが、教育社会学が自らコミットする価値前提に自覚的にならざるを得ない局面は拡大している。


そうだとして、教育社会学は教育政治にどのように向き合えばよいのか。旧来保守・新自由主義・社民リベラルの三極モデルで近年の教育政治を捉える見方も提示されているが、これまでの教育社会学が「政治」を対象とする議論を十分発展させずにきたこともあり、教育政治をめぐる議論には未整理の部分も多い。こうした限界を乗り越えるためにも、戦後の教育政治を振り返り、人口に膾炙した認識図式の内実がいかなるものであったのか、そこにいかなる葛藤があり、また、いかなる未発の契機が存在していたのかについて、改めて検討することが求められている。


司会:森直人(筑波大学
報告1:「教育行政学は政治をどう分析してきたのか」
 村上祐介(東京大学
報告2:「戦後教育における「市民」の位置―日本型生活保障システムとの関連で」
 仁平典宏(東京大学
報告3:「教育研究運動は、近代学校批判をどのように受け止めたのか」
 松田洋介(金沢大学
討論者:広田照幸日本大学)・木村元(一橋大学 ) 

これにかかわってすでに公開済みのエントリ(「(何かの予告としての)教育政治の思想地図」)もありますが、上記企画で予定されている内容と直接の関連があるわけではありませんご参考まで。

プログラム冒頭には私から部会の趣旨説明をすることになっていますが、そこでしゃべることがなくなってしまっても困りますので、私自身による本部会の位置づけや企画実現にまで至る経緯等の詳細は当日に譲ることとして、周辺情報の確認だけしておきます。

「教育と政治」を第一義的に扱う既存の研究領域の一つは、いうまでもなく、教育行政学となるでしょう。1950年代に入って宗像誠也が教育行政学を「アンチ教育行政学」として「戦後教育学」の有力な一翼に位置づけて以降しばらく(静態的?)法制度(解釈)論への傾斜が続き、データの経験的分析に依拠した実証研究の蓄積が停滞した斯界にあって、80年代を端緒に具体的なデータの収集と分析にもとづいた新たな研究の展開がみられます。90年代以降はアメリカ政治学の理論的動向に立脚した経験的研究の蓄積も進んでいますし、近年の政治学界が「教育」に向ける関心のありようにも、それ以前とは異なるフェイズに入ったことを感じさせるところがあります。

第1報告者の村上祐介さんは非学会員ですが、単著『教育行政の政治学教育委員会制度の改革と実態に関する実証的研究』(木鐸社、2011年)もある、上述した教育行政学の新展開を担う気鋭の研究者のお一人です。研究論文はもちろんですが、個人的には以前SYNODOSに掲載された「教育は誰が統治しているんだろう?――教育を構造的に眺める」(教育行政学者・村上祐介氏インタビュー)のなかのある部分を読んだことも、今回村上さんにお願いすることになった一つの契機です。

本課題研究に数日先立つ日本教育学会第74回大会の初日(8月28日(金)17:00〜19:00@お茶の水女子大学)には、政治学者の田村哲樹さん(名古屋大学)を報告者に迎えたラウンドテーブル「教育政治学の創成――教育学と政治学の協働へ向けて」が開催されるようですが、村上さんはそこでもコメンテーターを務められます。企画者&もう一人のコメンテーターは小玉重夫さん(東京大学)、司会に荻原克男さん(北海学園大学)、部会趣旨等の詳細はこちらのプログラム(【pdf】日本教育学会 第74回大会@お茶の水女子大学 8月28日(金)〜30日(日))の該当頁をご確認ください。

その田村哲樹さんは、すでに6月に開催済みの福祉社会学会開催校企画シンポジウム「福祉社会学と学問的隣人との対話」【pdf】において「福祉政治学からみた福祉社会学」と題した報告をされており、その際、本課題研究の第2報告者である仁平典宏さんが討論者として登壇されています。「福祉政治」をめぐって領域をまたぎ鋭く論点を抉出する対話の場となっていたのではないかと推察します。

また、日本政治学会『年報政治学』では現在、2016年度第I号(2016年6月刊行予定)の特集を「政治と教育」に設定して、論文を公募中(2015年10月20日消印有効)のようです。詳細はこちら(『年報政治学』2016年度第I号特集論文公募のお知らせ)を参照していただきたいのですが、ことほどさように「教育と政治」というテーマは企画がかぶりつt ホットな論題となりつつあります。

「教育を政治との関係のうちに新たに位置づける必要」があると指摘する『年報政治学』の論文公募は、募集する投稿論文の研究方法を「思想・歴史・地域研究から、現代における「教育政治」の分析まで、多様なもの」に求めているようですが、日本教社会学会における本課題研究の関心は、一に「歴史」にあります。「戦後70年」を迎えた2015年現在、あらためて感慨を抱くのは、1960〜70年代に歴史研究に従事していた者にとっての70年前が19-20世紀転換期だということです。その時代の「教育の歴史社会学」は「近代」を問う独自の地平を切り拓いていったと私は考えていますが、それに見合うだけの問題意識の議論/相互批判/共有が、いま「戦後」をめぐってなされているでしょうか。

討論者のお一人に今年3月、岩波新書から『学校の戦後史』を刊行されたばかりの木村元さんをお呼びしているのもそのためです。戦後教育史といえばいまだに大田堯(編)『戦後日本教育史』(岩波書店、1978年)を超えるものはないとも評される斯界において、単著のしかも新書で戦後通史を書くというのはなかなかたいへんな仕事です。注も書けず、右からも左からも「あれが書いてない、これも書かれてない」と厳しく論難されがちななかで、敗戦直後から50年代前半にかけての時期、「夜間中学」「福祉教員」の制度や、障害児を対象とする盲・聾学校養護学校/特殊学級の学校教育法に依拠した制度化とその一方での就学義務猶予・免除規定の存置、在日朝鮮人による「国語講習所」の開設/朝鮮学校への改組/「阪神教育闘争」から学校閉鎖令による強制閉鎖/各種学校認可取得運動へと至る流れ、さらにはアメリカ軍政下における「沖縄の教育基本法」、といったトピックの記述に紙幅を確保しているところ(68-74頁)が印象的です。

第3報告者の松田洋介さんと討論者の広田照幸さんは今回の登壇者のなかではもっとも「教社な人」だと思われますが、このお二人の間にいちばん明瞭な対立点が存在するような気もいたします。詳細は当日の議論を待つことにいたしましょう。

「戦後教育の歴史社会学」を新たに展望するための試金石として「政治」という切り口がどの程度妥当あるいは有効なものかどうか、また当日の議論がそれに応えるものたりえているかどうかは、参加者のみなさんのご批判を待つ以外にありません。非学会員の方も大会参加費さえお支払いいただければ会場に入ることは可能ですが、さしあたり、学会員のみなさまのご来場をお待ちしております。

若干心配しているのは、先日行われた事前打ち合わせがけっこう盛り上がってしまったことです。登壇者のあいだで事前に盛り上がってしまったシンポの当日はだいたいしょぼい、の法則に打ち勝つことができるよう祈りましょう。

そうです、祈るのです。

学校の戦後史 (岩波新書)

学校の戦後史 (岩波新書)