2015年度 二次分析研究会 成果報告会

年度末が近づいてきました。ここ数年、東京大学社会科学研究所が神奈川県民生部の委託により1960年代前半に実施していた複数の社会調査を、原票のデジタル復元&データセットの作成&分析する研究会にかかわっており、今年度も例により1年間の成果報告会が開催されます。一部未定の部分はありますが、こちらにプログラム(PDF)が公開されています(下記に転載しました)。

すでに拙ブログで公開済みのエントリに書いてきたように、社研・氏原正治郎グループによる調査の復元作業については、橋本健二さん(早稲田大学)を代表とする研究グループが、1951年実施の「京浜工業地帯調査」や1952年実施の「貧困層の形成(静岡)調査」、さらに1961年実施の「『ボーダー・ライン層』調査」に着手して以来、相澤真一さん(中京大学)を実質的な作業リーダーとしてノウハウの蓄積・展開と作業の推進を図ってきました。すでに分析結果の公刊が進みつつありますが、「京浜工業地帯調査」にかんしては橋本健二編『戦後日本社会の誕生』(弘文堂、2015年)に二次分析の成果の一部が反映されていますし、相澤さんが中心となって上記「貧困調査」系の成果の一部を含む著書の刊行も近いと聞いています。

その第二ステージとして、一昨年度・昨年度は「団地居住者生活実態調査」、今年度は「老齢者生活実態調査」および「福祉資金行政実態調査」の復元&二次分析の作業が着手されています。東大社研の労働調査は神奈川県との関係性のなかで多く実施されています――その背景に、氏原の恩師で研究グループの理論的リーダーであった大河内一男が1951年に内山岩太郎・神奈川県知事(1947〜67年)の顧問に就任したことがあった点について、橋本編(前掲)所収の仁田道夫「戦後労働調査の時代――氏原正治郎の足跡からたどる」に言及があります――が、たとえば「京浜工業地帯調査」や、あるいは苅谷剛彦・菅山真次・石田浩編『学校・職安と労働市場』(東京大学出版会、2000年)に二次分析の成果の一部が反映されている「新規学卒者(中卒)労働市場調査」(1953年実施)が神奈川県企画審議室の依頼なのに対して、上述の「『ボーダー・ライン層』調査」(1961年実施)から「福祉資金行政実態調査」(1962年実施)「老齢者生活実態調査」(1963年実施)社会福祉意識調査(ソーシャル・ニーズ調査)」(1964年実施)「団地居住者生活実態調査」(1965年実施)までの一連の調査は神奈川県民生部の委託によるものです。

われわれが復元作業に着手しているのは、この東大社研と神奈川県民生部との連携のもとで1960年代前半に毎年立てつづけに実施された調査――労働調査論研究会編『戦後日本の労働調査』(東京大学出版会、1970年)の分類でいうと「貧困・社会保障」のカテゴリーに入る諸調査です。そして、この第二ステージの復元作業からは、ひきつづき相澤さんを中核メンバーの一人としつつ、しかし作業指揮・遂行の実質的な中心は渡邉大輔さん(成蹊大学)に移っているというべきでしょう。今年度の本研究会も「戦後日本社会における福祉社会の形成過程にかんする計量社会史」と題し、渡邉さんを代表として組織されています。作業を組織・指示する明晰さ――もちろん「分析」の局面でも――と、実際に作業を進めるバイタリティは驚異的です。さらに、彼の指揮のもとで原票の撮影からデータの入力、コーディングなど実際の作業を担当している成蹊大学の学生諸君の優秀さたるや!――「団地」のときにはもっとグダグダな監督者(つまり森)のもとで筑波の学生さんも奮闘してくれました(^O^)/。ともあれ、神奈川県民生部委託による1960年代前半実施の東大社研・氏原グループの調査が後世に分析可能な遺産として受け継がれるのは、渡邉さん(と彼のもとにあった学生たち)による貢献、その献身的な作業の賜物だということは銘記されなければなりません。

とはいえ、作業量は膨大。今年度の報告会は、統計的な二次分析としては単純な集計レベルのものとなりそうです(が、第3部の報告者のラインナップを前にして油断してるとヤケドするぜ、たぶん)。他方で、われわれは当時実際に調査にかかわった研究者への聞き取りをはじめとして、一連の東大社研=神奈川県民生部調査を、日本における各種の社会調査・労働調査・貧困調査・福祉調査が分岐・展開してく流れや、あるいはもっと広く日本社会の歴史的文脈のもとに位置づけ直す作業も並行して進めています。前掲の労働調査論研究会編以外にも、たとえば山本潔さんが『日本の労働調査――1945〜2000年』(東京大学出版会、2004年)などで社研調査に史的検討を加えておりますが――労働研究者ですから当たり前ですけれど――見事なまでに「労働」調査のみに関心が限定されていて、氏原調査が有していた包括性/総合性(別言すれば未分化性)は俎上に載せられていません。今年度はこの復元作業も一定の蓄積を達しつつあるという認識から、こうした側面にウエイトを置いた報告会となるでしょう。

「社会調査史」プロパーではありません。他方で、「社会調査」と「それに必要だったもの(技法・技術、人員・組織、資金、理論・学説など)」に照準しているという面では、たとえば日米社会学史茶話会の関心にも通じるものがありますが、あそこの議論ほどの射程の広さや包括性があるかというと、それも難しい。われわれの研究会の最大の特徴は、「調査史」的読解をしつつ、同時に、データを復元し・さらに実際に分析する、この《調査分析》の二重性にあるのではないかと考えます。当時の技術的な制約から、研究者の頭にアイディアはあってもできなかった分析があるでしょう。他方で、当時の技術的な制約ゆえに、アイディアのもちようがなかったという分析もあるでしょう。われわれの二次分析=計量社会史の試みは、当時の研究者が何を考え、どのように調査を組織・実践したか、に重ねて、現在のテクノロジーのもとで可能になった分析手法を実際にデータに適用したらどのような知見が得られるのか、そこまで議論の射程がのびているのです。

報告は一人15分ほどと短いものを重ねます。それら報告を繋ぎあわせながらフロア全体として一つの議論が展開していくような場になればよいなと思います。私の報告はといいますと、・・・・・・と、もうだいぶ長くなりましたし仕事もいろいろ溜まっておりますのでこのへんで。

ご関心の向きはぜひ。

[二次分析研究会2015 課題公募型研究 成果報告会]
高度経済成長期の労働・福祉・老齢者調査


日時:2016年3月14日(月)13:00〜17:30
会場:東京大学本郷キャンパス 赤門総合研究棟 5階 センター会議室


司会:佐藤香東京大学


【第1部】歴史のなかの老齢者・福祉調査(13:00〜14:20)
コメンテータ:野口典子(中京大学


■ 調査対象としての老齢者
報告者:渡邉大輔(成蹊大学


■ 福祉調査と「老齢者調査」
報告者:羅佳(日本福祉大学


■ 労働・福祉・老齢調査における社会階層と生活構造
報告者:森直人(筑波大学


■ 高度経済成長期の生活構造調査
報告者:佐藤和宏東京大学


休憩(14:20〜14:30)


【第2部】老齢者・福祉調査の射程(14:30〜15:40)
コメンテータ: 未定


■ 児童問題と社会調査
報告者:白川優治(千葉大学


■社研労働調査資料の中の「老齢者調査」・福祉資金調査
報告者:相澤真一(中京大学


■「老齢者調査」の概要/設計
報告者:渡邉大輔(成蹊大学


休憩(15:40〜15:50)


【第3部】「老齢者調査」の紹介(15:50〜17:30)
コメンテータ: 野口典子(中京大学


■ 家族と世帯
報告者:石島健太郎(東京大学日本学術振興会


■ 仕事と退職・引退
報告者:渡邉大輔(成蹊大学


■ 経済状況
報告者:相澤真一(中京大学


総括討論 コメンテータ: 未定

戦後日本社会の誕生

戦後日本社会の誕生

戦後日本の労働調査

戦後日本の労働調査

日本の労働調査―1945~2000年

日本の労働調査―1945~2000年

学校・職安と労働市場―戦後新規学卒市場の制度化過程

学校・職安と労働市場―戦後新規学卒市場の制度化過程

第9回 教育の歴史社会学コロキウム

すっかり告知用ブログと化しつつありますが、例によって忘れないうちに。

教育の歴史社会学コロキウムも第9回。前回に続いて、統一テーマが設定されてというよりは「ひと」で選ばれた企画でしょうか。前回が京大系だったとすると今回は東大系。ただし、歴史研究の「方法」という点では対照的な面もあるお二人、そのあたりは発表タイトルに象徴的に表れている気もします――というのはあえて「言い過ぎ」な言い方をしておりますが。2つの報告をつなぐ問題意識としては、そういった方法論的関心も視野に入れつつ、個別の報告内容としても、それぞれに興味深い問題提起がありそうです。

それはそうと、今回は「参考資料」「参考文献」がやや多いですね。「参考資料」のほうが報告内容に直截かかわりのあるもの、「参考文献」はもう少し一般的に「名刺代わり」といった趣でしょうか。違っていたらごめんなさい。

事務局からのメールには、「教育の歴史社会学に関心のある方なら、だれでも気軽に参加できます。学部生、大学院生の方も、ふるってご参加ください。懇親会にもぜひご参加下さい。」とありますので、みなさんもお気軽に一度どうぞ。佐々木さんの連絡先が分からない方は、これも例によって、森までご一報ください。学部生にも気軽に門戸を開いている研究会というのはありそうでなかなかないので、「教育の歴史社会学」がらみの研究に関心のある学部学生のみなさんは、一度様子をのぞいてみて損にはならないと思います。

第9回 教育の歴史社会学コロキウム


日時:2016年2月27日(土)
 13:30〜17:00 研究発表(各90分間、途中、休憩15分間)
 17:00〜17:15 情報交換会 自由参加
 17:30〜19:30 懇親会(食事会)自由参加
会場:パルコ調布店 7F  日本料理「天濱」半個室
会費:3,000〜4,000円(料理2,000円+飲み物:学生は割引)


会場:電気通信大学京王線調布駅すぐ)東1号館705会議室(7階)
〒182-8585 東京都調布市調布が丘1−5−1 


プログラム 
【発表1】13:30〜15:00
武石典史(聖路加国際大学)「官僚の選抜・配分構造」


・参考資料(1)「進学先としての陸軍士官学校――明治・大正・昭和期の入学難易度と志向地域差」『史学雑誌』114(12)、2005年
・参考資料(2)[PDF]「陸軍将校の選抜・昇進構造――陸幼組と中学組という二つの集団」『教育社会学研究』87、2010年
(参考文献:『近代東京の私立中学校――上京と立身出世の社会史』(ミネルヴァ書房、2012))


司会:大前敦巳(上越教育大学)


(休憩 15分間)


【発表2】15:15〜16:45)
河野誠哉(山梨学院大学)「歴史研究の技法、あるいは研究の“手付き”について」



・参考資料(1)「〈学年誌の時代〉をめぐる社会史的考察――書店と戦後日本社会」(山梨学院大学経営情報学部編『経営情報学論集』第21号、2015年)
・参考資料(2)「近代日本における教員批判言説をめぐる一考察――ある新聞投書欄『炎上』事例を題材に」(山梨学院生涯学習センター編『大学改革と生涯学習』第18号、2014年)
(参考文献:
  酒井朗・多賀太・中村高康編『よくわかる教育社会学』(ミネルヴァ書房、2012年、共著)
  吉田文・広田照幸編『職業と選抜の歴史社会学国鉄と社会諸階層―』(世織書房、2004年、第5章担当)
  森重雄・田中智志編『〈近代教育〉の社会理論』(勁草書房、2003年、第3章担当))


司会:佐々木啓子(電気通信大学


連絡先:教育の歴史社会学コロキウム事務局
     電気通信大学 共通教育部 佐々木研究室(東1号館513号室)
            E-mail:(略)
            Tel & Fax:(略)
※参加される方は前日までに上記にメールまたはFAXでご連絡下さい。懇親会参加についてもご連絡下されば幸いです。
(初めての参加希望で、上記連絡先をご存じない方は森までお問い合わせください。)

どうしてもやってしまう。

大学の専任の教員になって2年目の冬にえらいインフルエンザに罹った。ん? あれ? なんか体調おかしくね? と思う間もなく猛烈な悪寒が全身を襲い、体中の節々は痛み、炎上したブログのページビュー・カウンターのごときスピードで熱は上がる。一度経験したから知ってる(炎上)。40度近くまでいった(体温)。あかん。死ぬ。これはもう生命の危機を感じるレベル。当時職場の関係で離れて暮らしてたうちの奥さんにエマージェンシーコールで来てもらう。

ふだんならなんの支障もなく歩いて行ける距離にある内科までたどり着けそうもない。2人とも車を運転しないのでタクシーを呼ばざるをえないが、こんな思っきしインフル症状で公共交通機関に乗るのもどうか。とか言ってられない。マスク2重のキッチン用アルコール消毒スプレー片手にタクシーに乗り込む。咳はもちろん、なるべく息もしない。いやそれは無理。どこにも素手で触らず降りる。

受付で即「インフルっぽいです」の自己申告で隔離された待合室にゴー。粘膜をごにょごにょやって検査。ビンゴ。タミフルを処方されたのは後にも先にもこのときだけだが、あれは偉大だ。服用して寝て汗をかくと、すぐウソみたいに熱が下がる。

それで懲りたので、次から毎年11月にはインフルエンザの予防接種を受けるようにした。この仕事は結構学生さんからうつされる。というか、こちらがうつす側にまわるのはまずい。とくに前の職場は学生がみんな無理な体調をおしてでも授業にでてきちゃうし。講義の3分の1以上欠席で期末の受験資格を失う、とか学則に書く大学が悪い。それでいて介護等体験実習ってやつはちょっとでも体調に異変があると行かせてもらえず、いろいろ履修上めんどいことになるので余計に。いまの職場もキャンパス内の宿舎に住む学生が多く、流行が始まるとどうにも。そして毎年流行はくる。

予防接種に1000円の補助がでた年もあったがすぐなくなった。あれは補助すべき。というか「経費」。こう見えて風邪をひきやすい体質で、それまでひとシーズンに2回とかふつうに風邪をひいていたが、予防接種を受けるようになってからなぜかまったく風邪もひかなくなった。体調がすこぶるよい。なのでちょっと毎年の注射がクセになった。プラシーボ。

私は生活の基盤が2か所あるが、自分の職場のある自治体よりもう一個のとこのほうが500円ほど値段が安いので、毎年そっちで打つ。最初の年、どこの病院にしようか迷う。どこでもいいのだが、街中の便利なところにあって昔好きだった兄弟プロレスラー(誰だよ)に似てる名前のクリニックを選ぶ。これがプロレスラーみたいな名前によらず(だから誰だよ)、たいへん上品で物静かな感じの白髪の老先生が一人で診ている。若い頃は女性にもモテたんじゃないか。地元の進学校からKO大学の医学部をでてUターンで開業。って待合室の院長略歴に書いてあったが、なんとなく納得。

変に高飛車な物言いもなく、老先生は淡々と、粛々と問診票を確認し、注射へ。

「どちらでも、好きなほうの腕をだして、袖をめくってください」と、静かに老先生。

まあ右利きだしな。左腕をだして、袖をめくり、先生に対して直角に構える。

「アルコール、少し染みるかもしれません」と言って老先生、私の左腕をおさえながら注射する部分をアルコールで消毒。

そしてここだ。

「はい、力を抜いて。手は腰にあててください」

ってところで、いっっっ...(略)...っっっつも、右手を右腰に あてちゃうんだよなあ。

想像してほしい。「老先生へならえ」みたい体勢になる。

「そうじゃないですね、これをこう 」って老先生もさすがにちょっと声を張って私の左手をとり、肘を曲げ、左腰にあてがう。

あ、ああ、こっちね、これね、そりゃそうですね。。。

ってあれ、どーーーしてもやっちゃうんだよ。 毎年。

っていう話。

「私の教育社会学研究50年」

えらいこっちゃ。

「私の教育社会学研究50年」。

牛丼一筋80年、みたい趣きである。そんなことゆうてたらまた怒られるで。

日本教社会学会では数年前から学会内に「教育部」という部局を立ち上げ、2日間にわたる「若手研究セミナー」を3月下旬に開催しているようです。地方の大学(院)など、院生の数が少なかったり、身近な「ロールモデル」がいないとか、学会以外で研究上の相談や議論をする機会がないとか、学会の著名な先生と話をする機会がほとんどないとか、、、人的ネットワークの問題以外にもこまごまとした、さまざまになかなか可視化されにくい不利のある環境で研究生活を送っている大学院生または若手研究者を想定して、そういうイベントが企画されるようになったとかいう話を耳に挟んだことがあります。

今年は第4回ということで、第1日目には天野郁夫先生が「私の教育社会学研究50年」というタイトルで90分の講演をされ、2日目には一橋大学の山田哲也さん、名古屋大学の内田良さん、東京大学の有田伸さん、といった錚々たるメンバーをファシリテーターとして、それぞれ順に「質的方法と量的方法を架橋する(仮)」「低コストで研究を展開し、情報を発信する(仮)」「外国社会を対象に含めた研究を行う(仮)」と題したワークショップ「研究力の向上を目指して」が開催されるそうです。すばらしい。「低コストで研究を展開し」ですよ。なにこの実践的なWS。

詳細はこちらから、さらにPDFファイル「開催のお知らせ」へといけますのでご確認ください。当日払いの参加費1,500円に、交通費・宿泊費は自腹だそうです。申込み期限は2月29日。詳細はPDFファイルの記載を熟読してください。

(1)主催:日本教社会学
(2)日時:平成28年3月26日(土)13時〜3月27日(日)
(3)場所:東京理科大学 神楽坂キャンパス
  〒162-0825 東京都新宿区神楽坂1-3(JR・地下鉄飯田橋駅徒歩3分)
(4)参加対象:大学院生または若手研究者で教育社会学に関心のある方(非学会員も可)
(5)定員:50名(定員になり次第、締め切り)
(6)参加費:1,500円(当日支払い)
参加費は、資料冊子の印刷費及び通信費等に充当します。交通費・宿泊費につきましては、各自でご準備ください。
1日目終了後、懇親会を開催します。懇親会費は別途ご用意下さい。3,500 円程度を見込んでおります。
(7)プログラム  【以下略】

ところで私は1日目の天野先生の講演のあと、30分もかけて「コメント」をすることになっています。「私の教育社会学研究50年」に30分のコメント。なんの罰ゲームですかこれは。

一応、私はこれはやはり高等教育研究の話なのではないかということで、そちらにはそちらで他にもっとずっと適任の方がいらっしゃるのではないか、とは申しました。申しましたが、こういうことになりました。うちの奥さんにも「引き受けたほうがいいよ、あまの先生なんでしょ」と諭されて、最終的にはお引き受けいたしますとお返事いたしました。

「コメント」というか、これは私がどれだけすぐれた「インタビュアー」になれるか、ということが問われるのでしょうねえ。。。そのためには「勉強」というか、ちゃんと事前リサーチを充実しておかないとダメですなあ。。。60〜70年代の話は一つのポイントですかね。教育部のスタッフの方々も予習に精を出されると明言されておられます。

ところでこの学会の「若手」というのはどういうあれでしたっけ? なんか「自己申告」というのを昔聞いたことがあったようななかったような。そうだとすると「いやー、面白そうだったんで思わず来てしまいましたわ―、たまたまヒマだったんですわー」つったおじさんが来ててもいいわけか。

つまみだすけどね。もちろん。

「課題研究の報告」と「テーマ部会の募集」

もう去年の話になってしまいますが、こちら(課題研究「戦後の教育政治を問い直す@駒澤大学9月10日(木))で告知していた企画には多くの方々にお集まりいただき、盛会のうちに終えることができました。報告&コメントくださった登壇者や当日会場でお手伝いいただいた学生のみなさん、議論の場に足を運んでくださった参加者の方々に、あらためて御礼申し上げます。ありがとうございました。

「課題研究の報告」として当日の議論まとめも載った学会ニュースレターが日本教育社会学会のホームページにアップされました。本部会の部分は下記の通りです。

課題研究1:戦後の教育政治を問い直す


報告1:教育行政学は政治をどう分析してきたのか 
 村上祐介(東京大学
報告2:戦後教育における「市民」の位置――日本型生活保障システムとの関連で
 仁平典宏(東京大学
報告3:教育研究運動は、近代学校批判をどのように受け止めたのか
 松田洋介(金沢大学


討論者:広田照幸日本大学)、木村元(一橋大学
司会:森直人(筑波大学


戦後日本の教育政治は、保守と革新、文部省と日教組、国家の教育権と国民の教育権といった二項対立図式を軸に展開され、教育アカデミズムもまたこの政治図式に規定されてきた。しかしながら、1990年代以降、冷戦体制の崩壊によるグローバル化の新たな展開や新自由主義新保守主義的改革の進展により、この二項対立図式と教育システムそれ自体が揺らぎつつある。これまで二項対立的な政治図式を相対化することで知的批判性・卓越性を確信してきた教育社会学が、現実の変動のなかで、自らの依拠する価値前提に自覚的にならざるを得ない局面は拡大しているが、「政治」を対象化した研究の蓄積が不十分なこともあり、教育政治をめぐる議論には未整理の部分も多い。そこで本課題研究は、戦後の教育政治を振り返り、戦後教育をめぐって産出されてきた認識のあり方を歴史的に対象化することを目指し、それがいかなる政治的・社会的文脈のもとで生成され、どのような機能を果たしたか、そこにどのような限界や未発の契機があったのかを検討した。


第1報告の村上祐介氏は、「誰が教育を統治しているのか」を扱うのが教育政治の分析であると規定したうえで、これに最も近い領域としての教育行政学が、これまでどのように政治を分析してきたか、その成果と課題を整理し、今後の教育学・教育社会学が何をなすべきかを提起した。厳しいイデオロギー対立のもと、教育行政学は、教育内容などの内的事項に関して政治は教育に関与すべきではないとして、分析の埒外に置く自律化戦略をとってきた。そこに一定の意義はあったが、本来論証すべき仮説であるはずの「教育の固有性」を前提とした議論は、2000年代以降の教育委員会制度廃止論など政治主導の改革案に対し、有効な批判が難しいなどの弊害が現れている。今後は、政治的中立とは何かを問う理論的検討や、さまざまな主体・レベルの「政治」を観察する必要があり、教育社会学には「権力」概念の問い返しや実態分析などで独自の役割が求められると結論した。


第2報告の仁平典宏氏は、教育の外部に社会保障という参照点を設定し、福祉国家の給付/規制的側面とも対応した「欠乏/恐怖からの自由」を目指す戦後的価値の継承という切り口から、教育学説の「自閉化」と呼ばれる現象を問い返した。戦後初期の教育学が市民社会論と同じ地平において給付/規制双方の問題を射程に入れていたのに対し、むしろ教育社会学のほうが教育機会の平等な提供という問題設定に偏り、結果の平等や差別・抑圧からの自由を等閑視してきた。教育学の自律化/自閉化と観察された現象は、1960年代の日本型生活保障システムの成立にともなう疎外論的問題設定の前景化によるが、同様の転回がみられた社会福祉学ではその後、福祉国家拡張という政策的ベクトルと接合していくので、「自閉」は必然ではない。国家を敵手とみなすのではなく、教育学的理念を福祉政治の言葉で翻訳し直すことで、戦後的価値の継承が可能ではないかと提起した。


第3報告の松田洋介氏は、教職員組合運動と並走してきた教育研究運動が1970年代以降の近代学校批判をどのように摂取し、いかなる議論が立ち上がったか、教育科学研究会における批判と応答の展開を概観し、そこに伏在する現代的意義と課題を検討した。教科研の論者たちの議論には、教育科学に還元されない社会科学の知見が有機的に組み込まれており、戦後の教育学が政治や経済から距離をおいた地点に学問的基盤を据えたとする認識は一面的である。むしろ、そこで語られた政治や経済の内実の再解釈をつうじて、やや陳腐化した二項対立的な教育政治把握を相対化する必要がある。民間教育運動なしでは学校現場を政治的な空間として対象化することは困難であり、その歴史的検討のなかで、政治的構想と教育構想の布置連関がいかなるものであったかを問い、政治にのみ規定されることのない教育の社会性を逆説的に浮かび上がらせていくことが重要だと指摘した。


1人目の討論者の広田照幸氏は、3つの報告に共通する視点を「戦後教育研究の失敗の歴史」と総括したうえで、(1)その説明枠組みは今後の教育政治の現状分析を行うツールたりえるのか、(2)戦後教育の歴史そのものを扱う際にも、その分析視点・理論・概念をどこから調達するのか、さらに、歴史研究の戦略目標をどこに置くのか(政治的中立を掲げた運動の政治性を暴露するだけの作業にならないか)、といった問いを提出した。


続いて木村元氏は、広義の教育学研究の立場から、各報告に問いを投げかけた。村上氏には、教育(行政学)の価値(中立性)をどう考えるか、とくに黒崎勲の学校参加論をどう捉えているか、仁平氏には、教育と福祉あるいはケアとの基本的な枠組みの違いをどう考えているか、松田氏には、民間教育運動の多様性の叙述から二項対立を突破する新たな戦後教育史を構想する際に直面する問題に対してどういう見通しをもっているかを問うた。


フロアを交えた議論では、1990年代以降のネオリベラルな潮流に対抗する制度構想を考えるうえでも重要な、1970年代にありえたかもしれない教育政治と福祉政治のフレーム接合という仁平氏による論点提起をめぐり、活発な質疑応答が行われた。政治的中立性を考察する際の鍵となる教育(行政)の専門性という観点など、十分掘り下げられない論点も残ったが、今後の本格的な戦後教育の歴史研究の展開につながる問題意識が共有された。

上記リンク先にあるニュースレターPDFファイルでは他の2部会、「「子どもの貧困」に教師はどう向き合えるのか」と「量的教育データ収集の課題と展望」についても、同様の議論まとめを参照することができます。おかげさまで、今回の大会における課題研究はどこも盛況だったようです。私がかかわった「戦後の教育政治」部会も用意した資料120部がはけましたが、「子どもの貧困」部会もそれに近く、また120部を超えて最多オーディエンスを集めたのは「量的教育データ」部会だったと耳にしました(本学会の課題研究では1部会・最大120部の資料を用意する、というのが集客の一つの目安になっているようです)。

この学会の課題研究というのは、15名ほどからなる研究委員会という2年任期の学会内組織が、企画の立案から趣旨文の作成、登壇者のリストアップとコーディネート、部会の運営、討論の整理と記録までを担当します(私も今回指名されてはじめて知ったのですが)。企画の立案から趣旨文の作成、登壇者のリストアップまでの過程では、委員会内部での議論でかなり揉まれることになります。他の企画に対してコメントもしましたが、自分の企画に対してもコメントを貰いました。2年間に2回の大会で各3部会ずつ、計6つの企画の検討に立ちあいましたが、何を隠そう、私がかかわった「戦後の教育政治」部会がいちばん「ボコボコ」にされたといって間違いありません(泣

フワっとした企画書を出してしまった委員会での議論当日、つぎつぎに他の委員からツッコまれる姿を見かねた委員長・母熊先生から「きみたちこのままだと今日中に企画が固まらずに終わりそうだしそれだと100パー詰むんで悪いけどこのあとの議論に参加しなくていいから隣の別室行ってもいっかい企画を立て直してきてくれるかな、至急! よろしく!(大意)」といわれ、別室隔離されたのも今となってはいい思い出です。つまり、真剣(まじめ)に議論したということですね。「あ、これあれや、いまボコボコになってるの体や」と、忘れていた感覚をひさしぶりに思い出すことのできた、たいへん得がたい貴重な経験となりましたまことにありがとうございます。

そういう経験を踏まえていえば、自分が直接企画に携わった部会に120部の資料がはけるぐらいの人が集まったという事実より、他の部会もそれに勝るとも劣らぬ数の人が集まり、「今年の課題研究はどこに行こうか迷うよね」といった声を複数の方角から耳にすることができたことのほうがうれしいですよね。

企画の焦点が定まりきらなかったことにはいくつか理由があると思いますが、その一つは、具体的な実証研究の蓄積に十分立脚して組み立てられたものではなかったことに由来するのではないかと思います。その点は当初からある程度開き直ってはいて、むしろ今回の課題研究をきっかけに、そうした視角も横目で視野に入れつつ、戦後教育の歴史研究がある程度の焦点の共有を図りながら進展していく叩き台になってくれれば、と思わないでもありません。

そういう意味では、同じ学会ニュースレター後半に、新・研究委員会より次回の第68回学会大会@名古屋大学において「テーマ部会」の開催募集の告知がありますが、本課題研究をきっかけにした感じの研究報告が3〜4本ほど集まるメドが事前に立てば、私が800字の趣旨文・企画書を用意してこれにエントリしようかなと考えています。

その方向性に関心があるかも、という方は森まで簡単な研究テーマ・報告タイトル案など添えてメールでご連絡いただければ幸いです。テーマ部会のエントリ締め切りが3月16日とのことですので、今から約1か月後の2月下旬までをメドにご連絡ください。

よろしくお願いいたします。

年末につき覚え書き

とくに誰に求められているというわけではないけれども。

夏の終わりのある飲み会をきっかけに、今までにないドライヴ感でものを考えた今年の後半であった。おおきく言えば、「教育の機会均等」ということについて。あるいは、教育と福祉の境界と接合について。数年前の研究会がらみで(机上で)考え、宮寺編『再検討 教育機会の平等』(岩波書店、2011年)や広田・宮寺編『教育システムと社会』(世織書房、2014年)などで散発的に書いたものはあるが、もっと本格的に考えざるをえない模様。まだ自分のなかでも十分整理できていない。

「教育の機会均等」という理念はあるが、それがどのような表現型において実現されるかには多様性と可変性とがある。「教育の機会均等」の実現には公的な教育支出に負うところが大きいが、さまざまな教育資源がどのように配分されるかを決める仕組みについて、われわれは明確には知らない。「均等」からの偏差を克服すべきものとして発見し、さらなる「均等」の実現にむけた政策的介入を導く際に、どのような基準にもとづいて「不均等」が発見され、いかなる手段が現実への介入策として採られるか、その資源配分の基底にはたらくロジックはいかなるものか――苅谷『教育と平等』(中公新書、2009年)によれば、日本の義務教育において実現した「教育の機会均等」は、個人を単位とした「個の平等」ではなく、一定の範域をもつ空間=地域を単位として析出される教育条件の差異=格差を均していく「面の平等」。詳細は著書を参照のこと。

児童生徒数を教員数で割り算してしまえば、結果的に得られる値はみな同じ「PT比」ではあるが、苅谷によれば、教育財政のユニットコストとして何が設定されているかが、教育に関する基本的な考え方と連動するがゆえに重要なのだという。アメリカのように「生徒時間(pupil hour)」(生徒数と教員が教える時間数との積)をユニットコストとする考え方は、学習の個人化、子ども中心主義をベースとした進歩主義的教育実践と親和的だが、「学級定員(の上限)」を基準とする「面の平等」はそうではない。その観点からすれば、70年代末から80年代にかけて注目を浴びた個別化・個性化教育のたぐいが日本で一過性のあだ花に終わるのは必然だ、ということになろう。

学力テストの結果にみられる差異=格差を、子どもの生育環境や社会経済的カテゴリーではなく、都道府県/市町村/学校/学級別の、しかも「点数の散らばり」を捨象した「平均点」の違い(のみ)において把握しようとする「平等」観。日本における「教育の機会均等」が「個の平等」ではなく、「面の平等」として追求されたことの意味は、苅谷が指摘する以上に大きい。「面の平等」が均等/不均等を判定する「面=範域」の最小単位を「学級」とすることは明白だが、その「学級」からこぼれ落ちたり弾き出された/出た子どもの「教育機会」(の毀損)に対する手当てはどうするのか――手当てをとろうとして、それを正当化する根拠を、この「平等」観とそれがもたらした教育資源配分ルールのなかに見出すことは、じつは困難である。

不登校」がたんに「心の問題」ではなく「進路の問題」で(も)あるという問題設定のシフトはすでに起こってひさしいが、それ以上に、義務教育段階におけるそれは基本的人権としての学習権の保障、「教育の機会均等」の基本的理念に抵触する事態である。「個人」ではなく「学級」を最小単位に構築された「教育の機会均等」は、「教育機会」のありかを「学校教育制度」の《内部》に見出すしかないが、それはもはや明らかな限界に直面している、といわざるをえないのではないか。

佐々木輝雄は同様の問題を教育と労働の境界/接合において提起していた。「学校制度内教育の機会均等」と「学校制度外教育の機会均等」とのパラドクス(の追求)がそれである。

学校制度外教育の機会均等理念に基づく教育制度理論・・・によれば,「教育の機会均等」を保障する制度とは,個々の具体的な教育的営みを捨象した,いわば抽象的・非人間的な整合性を持つ制度にあるのではなく,個々の教育的営みそれ自体の実質を保障する制度にあるととらえられた・・・システム論的には一見多様にみえる教育制度であっても,その制度は個々人の教育プロセスの多様化であり,個々人の教育ゴールでは単一な制度として止揚されるのである。つまり,整合性の追及の主体は,抽象的な制度の側にあるのではなく,個々の具体的な人間の側にあるのである。所与の条件における「教育の機会均等」の保障とは,まさにかかる具体的な人間の主体的な整合性の追及[ママ]を可能にする制度によってのみ,初めて可能になると考えられるのである。(『佐々木輝雄職業教育論集 第3巻』262-3頁)

何度読んでもわかりにくいが、おおきく言えば、同じ問題である。教育と学校とはイコールではない。「教育と学校とはイコールではない」という前提から教育―雇用/労働―福祉の関連構造を再設計していくなかで、どこまでも「個々の教育的営みそれ自体の実質」に準拠しつつ、「公教育」のありかたを問い直す。

だが、どのように?

上述の苅谷(2009)は、小泉内閣時代のいわゆる「三位一体の改革」での義務教育費国庫負担制度の存廃問題をめぐる論議のなかで着想が得られたものである。結果的に国庫負担率は2分の1から3分の1に変更された。それから10年。

来年は「義務教育」と「機会均等」について考えることの多い一年となりそうである。よろしく。

再検討 教育機会の平等

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教育システムと社会―その理論的検討

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教育と平等―大衆教育社会はいかに生成したか (中公新書)

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第8回 教育の歴史社会学コロキウム

忘れないうちに。

第8回目となる教育の歴史社会学コロキウムが28日に開催です。発表者は濱貴子さん(富山県立大学)と井上義和さん(帝京大学)。司会はそれぞれ有本真紀さん(立教大学)と堤孝晃さん(東京大学)です。発表の内容はともに既発表の論文をもとにし(さらに発展させ)たものとなりますでしょうか。期せずして(か否か)、お二人とも京都系。濱さんの『教育社会学研究』の論文はネットで読めます。「イメージの変容」とありますが(そしてそれはその通りでありますが)、「問題としての職業婦人」がどのように良妻賢母規範との融和/への包摂を遂げていったかの過程を描くもの、ともいえるでしょうか。

井上さんのは先日刊行された福間良明・山口誠編『「知覧」の誕生』(柏書房、2015 年)収録のものですね。ところで、つい先日あるお方より「鹿児島土産だ」といってレトルトカレーをいただいたのですがそれが知覧の特攻カレーでして、これは何か因縁をつけられているかと身構えましたがとくにそういうわけでもなく、捨てるわけにもいかないので逆に速攻食してしまえ、と食べてみましたらべつにふつうのカレーでした。そういうテーマを扱った本です(ちょっと違います

後半ややふざけてしまいましたが、井上さんの論文はご研究の新境地を拓くものと拝察いたします。また著書全体としても意欲的な論文集となっておりますので、ご関心の向きはぜひ。

第8回 教育の歴史社会学コロキウム


日時:2015年11月28日(土)
 13:30〜17:00 研究発表(各90分間、途中、休憩15分間)
 17:00〜17:15 茶話会(情報交換会)自由参加
 17:30〜 懇親会(食事会)自由参加
会場:電気通信大学
 〒182-8585 東京都調布市調布が丘1-5-1 電気通信大学 東1号館 705会議室(7階)


プログラム


【発表1】
濱貴子(富山県立大学)「戦前期日本の婦人雑誌における職業婦人イメージの変容」
参考文献:「戦前期日本の大衆婦人雑誌にみる職業婦人イメージの変容」『教育社会学研究』85 集( http://ci.nii.ac.jp/naid/110009553960 )


司会:有本真紀(立教大学


(休憩 15分間)


【発表2】
井上義和(帝京大学)「知覧巡礼の活入れ効果――現代の特攻受容にどうアプローチするか」
参考文献:「記憶の継承から遺志の継承へ――知覧巡礼の活入れ効果に着目して」
福間良明・山口誠編『「知覧」の誕生』柏書房、2015 年、第 10 章)


司会:堤孝晃(東京大学


連絡先:教育の歴史社会学コロキウム事務局
電気通信大学 共通教育部 佐々木研究室
E-mail: (略)
Tel/Fax:(略)
(* 参加される方は前日までにメールまたは FAX でご連絡下さい。初めての参加希望で、上記連絡先をご存じない方は森までお問い合わせください。)

「知覧」の誕生―特攻の記憶はいかに創られてきたのか

「知覧」の誕生―特攻の記憶はいかに創られてきたのか