比較教育社会史研究会 2015年秋季例会プログラム

開催当日に日付が変わってからの投稿が申し訳なさすぎて震える。

ほんとに申し訳ない。

比較教育社会史研究会、恒例の秋季例会が下記の通り開催されます。見ていただければお分かりのとおり、充実の報告者、討論者、講演者となっております。前半は秋葉淳・橋本伸也編『近代・イスラームの教育社会史:オスマン帝国からの展望』(昭和堂、2014年)の合評会、後半は『20世紀アメリカ国民秩序の形成』(名古屋大学出版会、2015年)を刊行された中野耕太郎さんの講演です。比較教育社会史における「社会的なもの」。。。注目の展開であっただけに出席できないこと、また告知が遅れたことが申し訳ありません。

あまりに申し訳ないので、ここまでのところでもう4回も申し訳ないと書いています。(←5回目

申し訳ない。(←6回目

比較教育社会史研究会 2015年秋季例会プログラム


日時:2015年 10月 25日(日)
会場:青山学院大学渋谷キャンパス 第16会議室(総研ビル9階)
(http://www.aoyama.ac.jp/outline/campus/aoyama.html)


プログラム


第1部 秋葉淳・橋本伸也編『近代・イスラームの教育社会史』合評会(13:00〜15:30)


司会:姉川雄大(千葉大学
コメンテイタ:長縄宣博(北海道大学
八鍬友広(東北大学
応答:秋葉淳(千葉大学


休憩


第2部 講演「20世紀アメリカ国民秩序と教育問題――シカゴの経験に注目して――」(16:00〜18:30)
司会:岩下誠(青山学院大学
スピーカー:中野耕太郎大阪大学

近代・イスラームの教育社会史―オスマン帝国からの展望 (叢書・比較教育社会史)

近代・イスラームの教育社会史―オスマン帝国からの展望 (叢書・比較教育社会史)

20世紀アメリカ国民秩序の形成

20世紀アメリカ国民秩序の形成

振り込み

学生時代、親から仕送りをもらっていた時期があった。自動送金サービスじゃなくて、毎月決まった日に、親が直接ATMまで行って振り込んでいたと思う。

逆の立場になった今、自分も自動送金サービスを使わずに、毎月、直接ATMまで行って振り込んでいる。

やってみたことがある人ならわかってくれると思うが、毎月、必ず、「忘れない」というのは、じつは結構、たいへんなことだ。

自分ひとりの生活にも追われる日々に、毎月、ずっと、である。

仕送りしてくれた期間、親は一度も忘れたことがなかった。きちんと、毎月、機械のごとく、同じ日に振り込まれた。

私は仕送りするようになってからこれまで、三回ぐらい所定の日を過ぎ、(とても気兼ねした)「督促」を受けてしまったことがある。

昔、西原理恵子の漫画で、親に捨てられた子が、ふとしたことで、自分を捨てた(と思い込んでいた)親が、幼い自分宛てに毎月振り込みしていたことを示す預金通帳をみつける場面があった。

5000円とか1万円とか、とても生活の足しになる額ではなかったが、毎月毎月、振り込まれてあった。

「ああ おれは、おやじに捨てられたんじゃなかったんだ。」

額ではなく、毎月、忘れず、振り込みに行く親の姿をたぶん思い浮かべて、その子は泣いた。

それから少しく長じたその子もまた、自分が養うと決意をした人を養うべく、毎月振り込む人になろうと努力した。

だが彼は続かなかった。

嗤ったり、バカにしたりしないでほしい。毎月、必ず、忘れず、ずっと振り込む人になるというのは、じつは結構、たいへんなことなのだ。

課題研究「戦後の教育政治を問い直す」@駒澤大学 9月10日(木)

※プログラム開始・終了時刻に誤記がありましたので訂正しました(7月30日)

日本教社会学会の第67回大会最終日、9月10日(木)13:30より、課題研究「戦後の教育政治を問い直す」で司会を務めます。

なお、他に2つある課題研究は、「「子どもの貧困」に教師はどう向き合えるのか」「量的教育データ収集の課題と展望」となります。どちらも自分の部会と重なっていなければぜひとも参加してみたい、興味深いテーマと登壇者が並んでいます。詳細は大会HPにアップされた大会プログラムをご参照ください。

そこに記載されている本課題研究の趣旨文と登壇者は下記の通りです。

課題研究1 戦後の教育政治を問い直す


9月10日(木)13:30-16:30
会場:1-301


保守と革新、日教組と文部省、国民の教育権と国家の教育権。戦後日本の教育政治は、こうした二項対立図式を軸に展開され、教育アカデミズムもまたこの政治図式に規定されてきた。本課題研究は、戦後の教育政治を振り返り、戦後教育をめぐって産出されてきた認識のあり方を歴史的に対象化することを目指す。そうした認識がいかなる政治的・社会的文脈のもとで生成され、そこでどのような機能を果たしたのか、また、現時点で振り返れば、どのような限界があったのかを検討する。


いわゆる「戦後教育学」が文部省に対抗しながら「国民の教育権」の確立を目指した高度成長期に、教育社会学は自らの価値規範の提示を抑制しつつ、実証科学に専念することで、近代化指向の教育改革に理論的・実証的知見を提供してきた。さらに1980年代に入ると、欧米の近代学校批判の理論的知見を摂取し、学校や教育という営みそれ自体の批判的検討へと関心を移行させていった。そうして大文字の政治を軸に展開してきた二項対立図式を相対化することで、自らの批判性・卓越性を確信してきた。


しかしながら、1990年代以降、冷戦体制の崩壊によるグローバル化の新たな展開や新自由主義新保守主義的改革の進展により、戦後の二項対立図式と教育システムそれ自体が揺らぎつつある。財務省による教育予算の削減、あるいは首長部局の権限強化、教育の市場化、ナショナルカリキュラムの強化など、教育の外部主導で、教育領域の自律性を縮小する動きが強まっている。教育社会学が、従来批判することの多かった「教育の論理」を「擁護」する方向へと舵を取りつつあるのはそのためである。そこに見られる「教育学」化への懸念も発せられているが、教育社会学が自らコミットする価値前提に自覚的にならざるを得ない局面は拡大している。


そうだとして、教育社会学は教育政治にどのように向き合えばよいのか。旧来保守・新自由主義・社民リベラルの三極モデルで近年の教育政治を捉える見方も提示されているが、これまでの教育社会学が「政治」を対象とする議論を十分発展させずにきたこともあり、教育政治をめぐる議論には未整理の部分も多い。こうした限界を乗り越えるためにも、戦後の教育政治を振り返り、人口に膾炙した認識図式の内実がいかなるものであったのか、そこにいかなる葛藤があり、また、いかなる未発の契機が存在していたのかについて、改めて検討することが求められている。


司会:森直人(筑波大学
報告1:「教育行政学は政治をどう分析してきたのか」
 村上祐介(東京大学
報告2:「戦後教育における「市民」の位置―日本型生活保障システムとの関連で」
 仁平典宏(東京大学
報告3:「教育研究運動は、近代学校批判をどのように受け止めたのか」
 松田洋介(金沢大学
討論者:広田照幸日本大学)・木村元(一橋大学 ) 

これにかかわってすでに公開済みのエントリ(「(何かの予告としての)教育政治の思想地図」)もありますが、上記企画で予定されている内容と直接の関連があるわけではありませんご参考まで。

プログラム冒頭には私から部会の趣旨説明をすることになっていますが、そこでしゃべることがなくなってしまっても困りますので、私自身による本部会の位置づけや企画実現にまで至る経緯等の詳細は当日に譲ることとして、周辺情報の確認だけしておきます。

「教育と政治」を第一義的に扱う既存の研究領域の一つは、いうまでもなく、教育行政学となるでしょう。1950年代に入って宗像誠也が教育行政学を「アンチ教育行政学」として「戦後教育学」の有力な一翼に位置づけて以降しばらく(静態的?)法制度(解釈)論への傾斜が続き、データの経験的分析に依拠した実証研究の蓄積が停滞した斯界にあって、80年代を端緒に具体的なデータの収集と分析にもとづいた新たな研究の展開がみられます。90年代以降はアメリカ政治学の理論的動向に立脚した経験的研究の蓄積も進んでいますし、近年の政治学界が「教育」に向ける関心のありようにも、それ以前とは異なるフェイズに入ったことを感じさせるところがあります。

第1報告者の村上祐介さんは非学会員ですが、単著『教育行政の政治学教育委員会制度の改革と実態に関する実証的研究』(木鐸社、2011年)もある、上述した教育行政学の新展開を担う気鋭の研究者のお一人です。研究論文はもちろんですが、個人的には以前SYNODOSに掲載された「教育は誰が統治しているんだろう?――教育を構造的に眺める」(教育行政学者・村上祐介氏インタビュー)のなかのある部分を読んだことも、今回村上さんにお願いすることになった一つの契機です。

本課題研究に数日先立つ日本教育学会第74回大会の初日(8月28日(金)17:00〜19:00@お茶の水女子大学)には、政治学者の田村哲樹さん(名古屋大学)を報告者に迎えたラウンドテーブル「教育政治学の創成――教育学と政治学の協働へ向けて」が開催されるようですが、村上さんはそこでもコメンテーターを務められます。企画者&もう一人のコメンテーターは小玉重夫さん(東京大学)、司会に荻原克男さん(北海学園大学)、部会趣旨等の詳細はこちらのプログラム(【pdf】日本教育学会 第74回大会@お茶の水女子大学 8月28日(金)〜30日(日))の該当頁をご確認ください。

その田村哲樹さんは、すでに6月に開催済みの福祉社会学会開催校企画シンポジウム「福祉社会学と学問的隣人との対話」【pdf】において「福祉政治学からみた福祉社会学」と題した報告をされており、その際、本課題研究の第2報告者である仁平典宏さんが討論者として登壇されています。「福祉政治」をめぐって領域をまたぎ鋭く論点を抉出する対話の場となっていたのではないかと推察します。

また、日本政治学会『年報政治学』では現在、2016年度第I号(2016年6月刊行予定)の特集を「政治と教育」に設定して、論文を公募中(2015年10月20日消印有効)のようです。詳細はこちら(『年報政治学』2016年度第I号特集論文公募のお知らせ)を参照していただきたいのですが、ことほどさように「教育と政治」というテーマは企画がかぶりつt ホットな論題となりつつあります。

「教育を政治との関係のうちに新たに位置づける必要」があると指摘する『年報政治学』の論文公募は、募集する投稿論文の研究方法を「思想・歴史・地域研究から、現代における「教育政治」の分析まで、多様なもの」に求めているようですが、日本教社会学会における本課題研究の関心は、一に「歴史」にあります。「戦後70年」を迎えた2015年現在、あらためて感慨を抱くのは、1960〜70年代に歴史研究に従事していた者にとっての70年前が19-20世紀転換期だということです。その時代の「教育の歴史社会学」は「近代」を問う独自の地平を切り拓いていったと私は考えていますが、それに見合うだけの問題意識の議論/相互批判/共有が、いま「戦後」をめぐってなされているでしょうか。

討論者のお一人に今年3月、岩波新書から『学校の戦後史』を刊行されたばかりの木村元さんをお呼びしているのもそのためです。戦後教育史といえばいまだに大田堯(編)『戦後日本教育史』(岩波書店、1978年)を超えるものはないとも評される斯界において、単著のしかも新書で戦後通史を書くというのはなかなかたいへんな仕事です。注も書けず、右からも左からも「あれが書いてない、これも書かれてない」と厳しく論難されがちななかで、敗戦直後から50年代前半にかけての時期、「夜間中学」「福祉教員」の制度や、障害児を対象とする盲・聾学校養護学校/特殊学級の学校教育法に依拠した制度化とその一方での就学義務猶予・免除規定の存置、在日朝鮮人による「国語講習所」の開設/朝鮮学校への改組/「阪神教育闘争」から学校閉鎖令による強制閉鎖/各種学校認可取得運動へと至る流れ、さらにはアメリカ軍政下における「沖縄の教育基本法」、といったトピックの記述に紙幅を確保しているところ(68-74頁)が印象的です。

第3報告者の松田洋介さんと討論者の広田照幸さんは今回の登壇者のなかではもっとも「教社な人」だと思われますが、このお二人の間にいちばん明瞭な対立点が存在するような気もいたします。詳細は当日の議論を待つことにいたしましょう。

「戦後教育の歴史社会学」を新たに展望するための試金石として「政治」という切り口がどの程度妥当あるいは有効なものかどうか、また当日の議論がそれに応えるものたりえているかどうかは、参加者のみなさんのご批判を待つ以外にありません。非学会員の方も大会参加費さえお支払いいただければ会場に入ることは可能ですが、さしあたり、学会員のみなさまのご来場をお待ちしております。

若干心配しているのは、先日行われた事前打ち合わせがけっこう盛り上がってしまったことです。登壇者のあいだで事前に盛り上がってしまったシンポの当日はだいたいしょぼい、の法則に打ち勝つことができるよう祈りましょう。

そうです、祈るのです。

学校の戦後史 (岩波新書)

学校の戦後史 (岩波新書)

第7回 教育の歴史社会学コロキウム

恒例の。

来る8月22日(土)に7回目となる教育の歴史社会学コロキウムが開催されます。今回のテーマは「高等教育の歴史社会学」ということになりましょうか。発表者は大前敦巳(上越教育大学)さんと吉田文(早稲田大学)さんです。

第7回 教育の歴史社会学コロキウム


日時: 2015年8月22日(土)13:30〜17:00
会場: 電気通信大学 東1号館 705会議室(7階)(http://www.uec.ac.jp/about/profile/access/


プログラム:
【発表1】13:30〜15:00(質疑応答を含む)
大前敦巳(上越教育大学)
ブルデューとリンガーにおける文化的再生産の歴史社会学―高等教育の変容とその比較の方法をめぐって」
参考文献:
「P. ブルデューにおける高等教育の文化変動論―市場化に伴う正統的文化の自律性低下に着目して」『日仏社会学会年報』21, pp.45-65, 2012年.
「1960年代における新構想大学創設に向けた「計画」のキャッチアップ」『上越教育大学研究紀要』34, pp.67-78, 2015年.


(休憩15分間)


【発表2】15:15〜16:45(質疑応答を含む)
吉田文(早稲田大学
「戦後日本の一般教育の変遷」
参考文献:『大学と教養教育―戦後日本における模索』岩波書店,2013年


17:00〜17:15 茶話会(情報交換会)自由参加・同会場にて
17:30〜    懇親会(食事会)自由参加・調布駅近くに移動


連絡先: 教育の歴史社会学コロキウム事務局
     電気通信大学 共通教育部 佐々木研究室(東1号館513号室)
            E-mail: (略)
            Tel:(略)
*参加される方は前日までに上記にメールまたはFAXでご連絡下さい。
(参加希望で佐々木研究室の連絡先をご存知ない方は、お名前・ご所属・研究テーマ等の情報とともに、森宛てに問い合わせてください。)

吉田さんのご報告は、2013年に岩波書店から刊行された著書『大学と教養教育―戦後日本における模索』の内容と関連したものとなるようです。戦後日本の大学教育の拡大過程における語「教養教育」と語「一般教育」との抜き差しならない(?)めくるめく関係をめぐるお話にも触れられるのではないかと思われます。

他方、いただいた開催通知にある大前さんの報告概要紹介には「フランスの高等教育の変遷をたどりながらドイツとの比較をなさり、ブルデューとリンガーの文化再生産論を歴史社会学的に捉えるといった意欲的な議論を展開される予定です」とあるのですが、ほほほほんとうにそうだとしたらたいへんに意欲的なご報告になるだろうと期待されます。

ただ、個人的には、参考文献に挙げられた2本目の論文(の延長上の問題)に興味があります。この線に限定しても、吉田さんのご報告との絡みでは、とても重要な議論の展開が可能なのではないかと思います。2010年代に入って今まさに進行中の「大学改革」を捉えるうえでも、たいへん示唆的な論点が提起されうるだろうと考えます。

ネット上で読めますが、当該論文の要旨は下記となります。

本稿は,1960年代の新構想大学創設に向けた政策形成過程に着目し,1957年科学技術者養成拡充計画に端を発する高等教育計画が,文部省と経済企画庁の調査局による情報提供に加え,ユネスコOECDの国際機関,イギリスのロビンズ報告,アメリカのカリフォルニア州高等教育計画などの影響を受けて,欧米の「計画planning」をキャッチアップしながら洗練化していった様相を明らかし,その到達点と課題を考察することを目的とする。


1960年の経済審議会による国民所得倍増計画と,国際的な経済発展に伴う教育計画の高まりを背景に1963年中教審三八答申の審議が進められ,1967年の四六答申諮問後,1970年1月の「高等教育の改革に関する基本構想試案」において長期総合計画の原型が確立され,その後公聴会などの意見聴取による修正を経て1971年の答申に至った。この時期には中教審と並行して,東京教育大学内部でもカリフォルニア大学の「クラスター・カレッジ制度」の影響を受けた新構想大学のプランが立案され,1970年筑波研究学園都市法を経て,1973年筑波大学関連法に結実し開学に至った。しかし,同年の第一次石油ショックを契機に修正を迫られた1976年からの高等教育計画では,私立大学の抑制を政策的に誘導することに計画の重点が置かれ,人材需要に対応する新構想大学の拡充は例外として扱われるにとどまった。

「新構想大学の拡充は例外として扱われるにとどまった」との結論のその先に、われわれの現在があるのではないかと思います。

ソウル・アメリカ・TVXQ

ユノの兵役入隊により7月21日からしばらくグループとしては活動休止と報じられる東方神起だが、そのことは韓国の徴兵制とユノの年齢とを理解しているファンなら誰でも予期したことだから、余裕のないなかを縫って昨年から今年前半にかけてのライブにはできるだけ足を運んだ。ドームツアーでは全国複数のドーム球場を追いかけたし、国境を越えてソウルの会場も経験した。この間に体感したなかでは、そのソウルでのライブがベストであった。韓国産の楽曲で編成されたセットリストの質の高さと、生のバンド演奏やバックダンサーたちのパフォーマンスへのスポットライトなどの要素も入れ込んだ日本産のライブ演出の妙とが合流したステージは圧巻であった。2人が国境をまたいで蓄積してきた経験を後続のK-POPアーティストやファンたちへ伝えようとする第一人者の使命感のようなものすら感じられて、圧倒された。

とか書くととても偉そうに知ったかをかましているわけだが、私は2人組になってからのファンなので、正真正銘のにわかである。

東方神起のライブに行っている、というと「なんで?」と訊かれることがある。「男なのに」というのは省略されているのだろう。もっと直截に「どういう気持ちで観てるんですか?」と尋ねてくる人もいる。「あれは“女向け”の“商品”なのに」ということか。たしかに、あからさまなセックスアピールに訴えた演出はある。けれど、ふつうに考えて「かっこいい」と思って観ているに決まっているだろう。心中去来する少しく棘のある違和感を飲み込んで、「やー、どうやったら自分も東方神起に――みたいに、じゃなくて東方神起のメンバーそのものに――なれるかなー、と思って観てるに決まってるじゃないですかー」とおどけて返す。

実際には、もう少し歌と踊りが上手くならないと東方神起になるのは難しいだろうと思っている(真顔

もちろん、会場を埋め尽くす何万という観衆の圧っっっ……(略)……っっっ倒的な多数は女性ファン、ファンというか、ビギスト(Bigeast)である。もしくはカシオペア(Cassiopeia)である。覚悟はしていたが、連れに誘われ初めて東京ドームのライブに参加したときはちょっと怖かった。なにがといって、三塁側(甲子園でいえば)アルプス席後方に陣取ると、あそこはどうも球場の何万人ぶんの黄色い絶叫が集まって、真後ろからその反響の直撃をくらうことになるのである(憶測)。というかもう絶叫が共鳴する大渦の真ん中で押しつぶされることになるのである(比喩)。40を過ぎて初めて本気で泣こうかと思ったが、もういい大人なのでさすがにそこは「泣きべそ」レベルでなんとか堪えた。

あとはまあ「好奇の目」というほどではない――し、自意識過剰といわれると返す言葉もない――が、会場を歩いていると周囲からの無言の「視線」の圧力を浴びている気がして、今はだいぶ慣れたが最初はまったく落ち着かなかった。東方神起の2人はライブ会場でもマスコミ向けにも「男性ファンの存在はとてもうれしいしもっと増えてほしい」と折に触れて強調してくれるので、かなり気は楽になる。最近は楽曲の合間のMCトークのあいの手に会場から野太い男の声が飛び交って、笑いを誘うというシーンも増えた。そんな今でも会場に着いたらまず自分以外の「男性」の姿を探してしまい、何人か視界に確認してから、ようやく少しほっとする。多くは彼女や奥さん娘さんが熱烈なファンで、それに連れられてきた彼氏や旦那・お父さんといった趣だが(私の最初もこの部類)、そこからハマって自立したファンになるとか(現在の私はこの部類)、ダンスをしていそうな若い衆(残念ながらあまり見かけることはない)などは純粋にダンスパフォーマンスの質の高さに惚れているのだろう。もちろん、もっとふつうの意味で惚れている人もいるだろう。

私は平均的な日本人男性よりはやや身長が高いので、ドーム球場だと内野席・外野席ならよいのだが、アリーナ席なんかが運よく当たると逆に心配の種を一つ抱えることになる。私の後ろの席にくるのは99.8%ぐらいの確率で女性であって、そのほとんどが私よりかなり背が低いことになるので、総立ちライブで後ろの人が視界を遮られることなくちゃんとパフォーマンスを満喫できるかがすごく気になる。あろうことか0.●%(零点何パーセント)かという確率で前の席にきた無駄に背の高いおっさんのせいで、やっと会える東方神起の姿が見えなくなる(かもしれない)のだ。あの黄色い絶叫ぶんの東方神起への愛が反転した敵意となって背後から刺される痛みを想像してほしい。もちろん、いろんな角度から視線が届くよう計算しつくされたプロの手になる演出なので、そんなのはふつうは杞憂にすぎないのだが、それでもやっぱり気にはなる。

その日はじめて運よく(?)ドームのアリーナ席があたり、どうなるかなあという一抹の不安を抱えつつ会場に着いて、連れが先にトイレに行っておくというので一人でチケットに記された席を探すと、はたして私の後ろはグッズで完璧に身を包んだバリバリのビギスト(女性)5人組であった。しかも真後ろはひときわ小柄。背中を丸め首をすくめ、精一杯小さくなって席に着いたつもりであったが、案の定、

「あ゛ーっ、もぉーなにぃー、なんでよぉーー、まじさいあくぅーーー」と、後ろから。

ごめんなさい。としか言いようがない。

だいぶ遅れて隣の席に着いた連れを相手に、それまでたった一人で聞えよがしの落胆と敵意の声に耐え続けた時間の辛さをひとしきり聞いてもらってからそっと後ろを確認すると、声と口ぶりから自分より10コぐらい年上を予想していたら一回りほど年下っぽくてなんや知らん、さらに凹む。ステージが始まっても最初のうちは膝を曲げて身を屈め、少しでも低くなろうと努めていたが、先に述べたとおりのプロの仕事であるので、しばらく経って、そんな気にしなくても視界を遮ることもない、と確認してからは落ち着いて超絶パフォーマンスを楽しむことにする。

ふと気がつくと左斜め2列ほど前の席に、それまでまったく視野に入っていなかったが、小柄な20代前半ぐらいの男の子がいる。思わず男の「子」と口走ってしまうほどには小柄なナデ肩で背中も広くないので、斜め後ろから見てそれとはなかなか気づかなかったが、たしかに大人の男性だ。友人か恋人の女の子といっしょに来ているのかと思ったが、両隣ともそんな雰囲気は微塵もなくて、どうやら完全に1人で来ているらしい。赤いペンライトや首にかけたタオルやら、コールのかけ方やサビの部分の振り付けやら、もう何度も東方神起のコンサートには足を運んでいるベテラン・ビギストの風情である。お世辞にもリズム感のいいほうではないとお見受けしたが、コンサートの間中ずうーーーっと、心から楽しそうに、満面の笑みをたたえた幸せそうな表情でステージ上の2人を見つめている横顔がとても印象的だった。ステージが終わってアンコールを待つ時間、「トー・ホー・シンキ」、の4拍子で赤いペンライトを振るのが恒例だが、そこでの彼は周りの誰よりうれしそうに、はじける笑顔で喜びに体を揺らしていた。

なにかしらん、たぶん私は感動していたのだ。彼のそんな姿を見ていると、ちょっと前まで変に周りの目を意識して、ぎこちなく不格好に縮こまっていた自分の姿が妙に滑稽で、ばかばかしく、醜く思えてきた。むしろそれはそのまま私自身のなかにある「偏見」の裏返しに過ぎなかったんじゃないのだろうか、と。でもこれでいい。自由だ、と思った。好きなものを好きでいて、誰に迷惑をかけているわけでもない。アンコールでは私も自然に背中を伸ばして楽しく揺れた。

6月、pride month のソウルではさまざまな困難や妨害にも屈することなく、今年も Korea Queer Culture Festival が開催され、28日にはソウルでの過去最大規模のプライド・パレードが行なわれたという。そのパレードにわずかに先立つ26日(現地時間)、アメリカの連邦最高裁判所同性婚を認める歴史的な判断を示した。オバマ大統領は声明を発表し、「すべての人びとが、誰であるのか誰を愛しているのかを問われることなく、平等に扱われるべきだと再確認された。…自分たちが結婚できるのかどうか、多くの同性カップルが不確かな状況におかれてきたが、これで終止符が打たれる。…この判決は原告にとって、長きにわたり闘ってきたゲイやレズビアンのカップルとその子ども、支援者たちにとっての勝利であり、そしてアメリカにとっての勝利だ」と述べたという。

2つのニュースの映像のなかに映し出された人びとの伸びやかな姿や表情を見るにつけ、東方神起のドームツアー会場で目にした印象的な笑顔の記憶がよみがえる、2015年6月の終わりである。

請求書(学費)

クラレンドンハイツの公営住宅団地、貧困を象徴する典型的な「住宅プロジェクト」に住むデレックは、同じ団地に住む他のティーンエイジャーたちに比べてかなり特異な教育歴をもつ。

きわめて学業成績優秀で――このこと自体プロジェクトに住む黒人の少年として特異だ――、3年生から8年生まで、合衆国連邦政府の奨学金で市のはずれにあるバーンズ学園という名門私立学校(プレップスクール)に通うことになった。8年生までの在籍期間中の成績はAやBばかりで、すぐに生徒や教師の尊敬を集めるほどの優秀さだった。

白人の上流階級ばかりの教育環境にも適応し、友人もたくさんできた。テキサスやメキシコ、マーサズ・ヴィンヤードで裕福な友人やその家族と一緒に過ごす夏休みも経験した。母親は私立学校に通えることになった息子が将来は大学に進み、弁護士になってくれることを夢みていた。

そのままいけばデレックは、アメリカン・ドリームの神話に輝きを与える貴重な確証となるはずだった。肌の色や貧しさにかかわらず、才能と意欲と努力さえあれば成功への道は開ける、と。

だがデレックは8年生でプレップスクールを辞め、9年生から12年生(日本の高校3年生)までは地元の公立ハイスクールに通学することを選ぶ。いったいなぜ?

デレック:勉強するのは好きだけど、多すぎるのは好きじゃないんだ。それで8年生でバーンズをやめたんだ。興味がなくなったってわけ。もうたくさんって思えるようになったんだ、[授業料の]請求書とかなんかがね。


著者:でも奨学金をもらってたんだろ。それでぜんぶ払えたんじゃないのかい。


デレック:ああ、いい成績をとってるかぎりはね。そしたら、政府が払ってくれるんだけどね。(83頁)

政府が代わりに払ってくれる。いい成績をとってるかぎりはね。

だが、学校から届く請求書の宛名は自分(の親)だ。一人で家族を支える母親だ。自分が基準の成績をとりそこねたら、その瞬間に母親は返すあてもない借金を背負うことになる。一瞬にして。

はたして10代20代の若者が、家族をプロジェクトから救出するか、さもなくば路頭に迷わせるかというような、そのようなプレッシャーのもとで勉学すべきものだろうか。続くものだろうか。

無理というものではないのだろうか。

いやできる。現に自分はそうして成り上がったのだ、という人もきっといるだろう。だが忘れてはいけない。この一人が耐えきってやり遂げた向こう側には、その何倍何十倍何百倍ものデレックがいるということを。数知れない前途有為の人材が、声も上げずにプレッシャーに削られ断念していった/いることを。

倫理的理念的に許されないというよりも、現実的にいって不合理である。社会の発展を阻害している。

ここ日本でも、国立大学の学費を(さらに)上げるという案を国の審議会が出してきた。それに対し、国立大学の学費を上げて教育機会が奪われるというのなら、奨学金で対応すればいいじゃない、という「合理的」な「対案」も出されている。だが、その「奨学金」はほんとうに、決してデレックを生みだすことのないよう細心の制度設計が払われたものなのか。そこでいわれる「合理的」は、いったい誰にとっての「合理的」なのか。

明晰で、誠実で、家族思いの青年ほど、自分が経済的な身の丈にあってない教育機会にチャレンジしつづけることの「リスク」の意味を鋭く察し、自ら進んで引きさがる。「前途有為」からの退却は、いつだって「自発的」だ。

一律に安価で良質な教育機会を用意することの社会にとっての「合理」性を、なぜそうまでないがしろにするのか。(誤解のないようにしてほしいが、現行の国立大学の学費はすでに国際的には「べらぼうに高価な水準」だと私は思う。)

デレックが大学に進学することはなかった。著者はその後のデレックがどうなったか、8年後の姿まで追跡調査をしているので、ご関心の向きは著書を直接参照されたい。10代20代の若者に、右手で教育機会を差し出しつつ、左手で請求書(学費)を突き付ける社会の姿がそこに描かれてあると、私は思う。

付記:
国際人権規約社会権規約)中の中等教育・高等教育の漸進的無償化条項は、教育機会と引き換えに請求書(学費)を突き付けない、という原則を国際的に確認したものだ。この無償化条項に対し、批准以来長く「留保」を続けてきた日本政府も、ようやく国際公約として「留保撤回」を宣言したはずではなかったか。

国立大学の学費値上げなど、端的に「国際公約違反」である。

ぼくにだってできるさ―アメリカ低収入地区の社会不平等の再生産

ぼくにだってできるさ―アメリカ低収入地区の社会不平等の再生産

再分配

「教育の機会均等」とは再分配のことです。

再分配を子どもの側からみたとき、それは「教育の機会均等」を意味します。

どんな親のもとに生まれた子どもにも「教育の機会均等」を保障しようというのなら、それがどんな親であろうとも、そこに再分配はなされるべきだということになります。

再分配のカットを進める「改革者」のいう「公平な競争のある社会」「努力と意欲の報われる社会」とは、「金のある人間にとって有利な社会」「機会均等の失われた社会」のことです。

「どのような」改革かを問わずに、ただ「改革」であるだけでそれを支持するなどということはできません。

(※fbより転載)