社会的閉鎖(おまけ)

その昔,80年代ごろに一瞬だけ「社会的閉鎖理論」なんてのが流通したことがある.知らない人は知らなくていいと思う.盛山和夫先生がけっこうコテンパンに批判しているので,以下引用.

「階層研究における『女性』問題」という(懐かしい...)数理社会学会『理論と方法』第9巻第2号(1994年)の論文.数理社会学会のウェブページではなぜかこの号だけPDFファイルがないので頁数はいま私が参照している科研費報告書採録のもの*1だけ(ごめんなさい).

Joan Ackerによる批判以降,階層研究において「女性」の問題をどう扱うべきか,階層体系の単位は家族か(女性の階層帰属は彼女の属す家族の男性世帯主のそれに等しい,という仮定),それとも個人か(結婚や家族の構成によらず一貫性と独立性をもつものとして女性の階層帰属を仮定)という問題を議論するなかで社会的閉鎖理論,登場.

しかし,このような意味で階級ないし階層という用語を用いるとすれば,その概念の拡散には際限がなくなる,という心配が当然のことながら生じる.・・・・・・実際,このような拡散をむしろ心配としてではなく,階級理論の新しい定式化へと発展させる方向として考える見方もある.社会的閉鎖理論がそれである.F.Parkin(1979)は,階級理論の目的の一つは「基本的な社会的亀裂の線を明らかにすること」だとして,さまざまな社会的亀裂を統合的に概念化する「排除としての社会的閉鎖 social closure 」概念を提唱した.
(中略)
R.Murphy(1988)は,いくつかの点において,パーキンを批判しつつも,包括的な階級概念は,財産,エスニシティジェンダーなどに基づく支配と排除の構造的諸関係がすべて合わさった結果として考えられるべきであり,排除についてもその「主要形態」「派生形態」および「偶有contingent形態」を区別すべきだ,と主張する.(160頁)

で,盛山先生いわく,

こうした閉鎖理論に対して期待する向きもなくはないけれども,はっきり言って階級・階層研究にとっても,あるいはジェンダー研究や差別研究にとっても,ほとんど役に立たないだろうと思われる.まず第一に,研究戦略上の基本的な思いちがいがある.閉鎖理論の提唱者とフォロワー達は,現代社会のさまざまな不平等や差別や利害闘争を統一した概念図式で捉えることに関心があるが,それはちょうど「一般システム理論」が諸科学に対して,あるいは「行動科学」が個別社会科学や心理学に対して,持とうとした関係である.しかしながら,これらはいずれも,すでに個別分野で知られていることを別の用語で置き換える以上の発見をなしえていない.新しい知識の創造には,概念の共通化では不十分な何ものかがあるのである.(160-161頁)

もひとつ,

第二に,排除という鍵概念に決定的な問題が潜んでいる.閉鎖理論における「排除」には,マルクス主義における「搾取」にとって代わってしかも同様の理論的役割を果たすことが目論まれている.すなわち,排除は人々の客観的利害に関わっており,ある人々が排除されるのは,排除によって利益をえる人々がいるからであり,ある人々の生活機会が損なわれているのは,まさに他の人々の生活機会が恵まれているからである.排除によって人々の間に引かれる境界線=社会的亀裂は・・・(中略)・・・潜在的な利害の対立をも意味するものである.このようにして,実際のところ,排除概念はいわば労働価値説なき「搾取」概念であるといっても過言ではない.そして,もしそうだとすると,労働価値説なき搾取概念がもともと持っている困難・・・は,排除概念にもつきまとうことになる.(161頁)

もー疲れた.あといろいろ書いてあるけど省略して,

以上,閉鎖理論にはあまりにも多くの誤りや不完全さが目立ってとても真剣に考慮するには価しないが,しかし,このことは,階層概念を拡散させて性別や民族なども包摂しうる理論図式を考えることが本来的に誤りであることまでも含意するものではない.(162頁)

とくる.

たぶん,盛山先生の書いておられることは正しい.

で,社会的閉鎖理論がゆってた「排除」と,件の「社会的排除」とのいちばん大きな違いは,後者が“政策の言葉”だってこと.「社会的包摂政策」のなかの言葉だということ.社会的包摂「政策」と切り離された「社会的排除」概念はないってこと.

教育社会学という研究領域は,少なくとも日本の歴史的経緯をみるかぎり(いやたぶん他でもそうだと思うけど),最終的な“政策の言葉”への落とし所を見据えることで(のみ?)研究の駆動力を調達してきた領域だと思うんです(「政策科学」(!)).いいことか,そうでないかは措くとして(←措くなよ).

で,他方で,これまでの「一国内での平等な機会への道程」を補助仮説にしてきた教育社会学の計量的な研究が行き詰っていると思うんです(「グローバル化」(!)).

そこに風穴を開けるために使えるものなら何でも使う,っていうのが,とりあえず行くべき道です.

教育社会学って,所詮そういう領域だと思います.そういうところ,私は好きですけど.

どうでもいいけど,社会的閉鎖理論が「階層と女性」問題を扱うなかで論究されてて,いま「社会的排除」概念って,すごくこの間の社会状況の変遷を反映してて思いのほか(昔の論文引っ張り出すことになって)有意義だった.

なんかまとまりないけど,このへんで.

*1:佐藤俊樹(研究代表者)『階層・移動研究の現在』平成6年度科学研究費補助金・総合研究(A)(課題番号04301016)研究成果報告書.とてもよい報告書です.