「3.11」後の比較教育社会史研究、討論と批判

もうだいぶ時間が経ってしまって今さら感満載なのだが、やはりブログには残しておこうと思う。比較教育社会史研究会という研究者ネットワークが今年で10年の節目を迎えた。毎年春と秋に研究会大会がある。毎年5月には『比較教育社会史研究会通信』なるものが…

「生きる力」(泣)の歴史観:追伸

前エントリ、 明治以降、今日に至るまでの日本における近代学校の教育課程の展開が〈科学技術主義〉−〈復古的道徳主義〉−〈自由教育=自己教育力主義〉の3項のせめぎあいの過程として描かれる。 なんかどっかで目にしたことのある「図式」だな、とそのあまり…

「生きる力」(泣)の歴史観:後編

さて、と(また長いよ、中身ないけど)。戦前について『近代日本カリキュラム政策史研究』(風間書房、1997年)、戦後について『現代日本の教育課程改革 ―― 学習指導要領と国民の資質形成』(風間書房、1992年)、という分厚い実証研究の方は参照しておらず…

「生きる力」(泣)の歴史観:前篇

最初に断っておくが、ひさしぶりだからといって、そして長文だからといって甘くみてはいけない。今日のエントリの中身の乏しきこと、そのレベルの低きこと。...と書き始めて、途中からすっかり日曜の研究会対策のレジュメ作成モードになってしまい、12000…

生活変動仮説

中川清『日本都市の生活変動』(勁草書房,2000年)の生活変動仮説。冗長にはなるのだが,私はいちいち生活構造‐変動仮説,と呼び直す。環境変動への抵抗の枠組み(=生活構造)が析出されて‐そののち‐その変動の軌跡がトレースされる,のであって,単なる生…

「戦後教育の問題」の所在

2学期の授業も始まり,なんやかやと慌ただしいなかブログの更新は滞りがちになる。正直,twitterというサービスの誕生は,(少なくとも私程度の人間にとっては)ブログの有用性を有意に低める(笑)。ブログに書いていた程度のことはツイッターでつぶやける…

続・佐々木輝雄と「教育の機会均等」――備忘メモ

今日のこれは備忘メモである。まだ読み始めたばかりなので本格的な考察は後日に譲る。私はその前に萬年先生の著書を読まなければならない可能性がある。佐々木輝雄の「『教育の機会均等』概念のパラドックス」という考え方は読み取りが難しい。しかし,これ…

大学教育の記憶

「最近の学生は勉強しない」「非常識だ(受講態度や勉学姿勢その他に関して)」「学力が低下している」「こんなこともできない」「あんなこともできない」...(以下省略)...とぶつぶつ言ってる大学教員がいた場合,ほぼ例外なく,その大学教員のほう…

言葉たちの葬送(1)「システム」――20世紀教育-社会システム

たぶん5,6年ほど前に何かの拍子で書き留めていたメモ。パソコンの中身の掃除してたらでてきた。参考文献は,まあ,雰囲気で,ね。 日本社会に〈20世紀教育‐社会システム〉とでもよぶべきものが措定できるのではないか。そのシステムの形成と変容のプロセス…

続・佐々木輝雄論集

しかし萬年先生のブログを拝読するにつけ,なんか私は自分でずいぶんレートを上げてしまったようにも思われるが,それはきっと気のせいである。この内的な感覚を「背筋が寒い」と名づけよう。いろんな方向で,なんかすごいことになっておる。佐々木輝雄職業…

佐々木輝雄と「教育の機会均等」・序

ふたたび田中萬年先生よりお送りいただきました。佐々木輝雄職業教育論集・全3巻,多摩出版,1987年。金子さんが「それにしてもこんな天才的な学者の研究を知らなかったとはまったく自分の不明を恥じ入るばかり」とまで評する研究者の論集である。萬年先生の…

福祉と教育

もうだいぶ時間がたってしまったが(←最近こういうのばっかだ),比較教育社会史研究会・若手別動部隊(←などと呼んでいるのは私だけだマネしちゃダメ)の研究会にお邪魔してきた。相変わらず,世界のいろんな地域の(←というわけでもなかった,ちょっとイギ…

拙稿ご紹介

昨日は件の研究会でした。1日頭を使い続けるという機会が少なくなっていたところに寝不足のまま朝から夜の飲み会まで“祝祭”が続きましたので,いささかならず疲れましたが,ま気持ちのよい疲れです。関係者のみなさま,お疲れさまでした。そのとき少しだけ話…

ねじれの補足。

連休中は故あってフーコーの精読をしておった。思ったよりもはかどらなかったが,いたしかたない。当分,この作業を続けないといかんだろうなぁ,と思う。いま思い立ったが,いっそのことこれからは「遅れてきたフーコディアン」を名乗ろう......かと…

四六答申と教育学

ゆっておくが,これは教育学「もどき」の書きなぐったメモである。昭和42(1967)年に諮問され昭和46(1971)年に答申が出された中教審の「今後における学校教育の総合的な拡充整備のための基本的施策について」,いわゆる「四六答申」といえば,1990年代初…

「読むこと」「書くこと」の社会史の問題領域

※しばらく,このエントリをトップに置くことにしました.新しいのは下にきます.ご了承ください.※ お蔵出し.識字と読書―リテラシーの比較社会史 (叢書・比較教育社会史)作者: 松塚俊三,八鍬友広出版社/メーカー: 昭和堂発売日: 2010/02メディア: 単行本購…

「大学紛争」と「オープン教育」:備忘

書くべきエントリを書く間もないまま,しかし急いで備忘のために書きなぐっておきたいことができた。丁寧に書く時間もないし,ブログで書くようなレベルの話でもない。もっと大きなまとまった形で描くべき全体のパズルの示す図柄が,ぼんやりとだが,しかし…

(理論科研の予習をかねて)戦後日本の社会構想

高原基彰(2009)『現代日本の転機―『自由』と『安定』のジレンマ』日本放送出版協会.いただいてからずいぶんほっぽってたので(すみません)...「73年の転機」以降を「現代日本」と把握する見方というのは“あり”かもしれん.国際的に普遍的な動向と日本…

「農家の長男」の野中広務

さて,進学から就職までのプロセスをどのように経験したかは,その後の人生に大きな影響を及ぼす.客観的な社会移動の軌跡に影響を及ぼすというだけでなく,最近の研究では社会に対する信頼感や価値観にも影を落とすことなどが実証的に明らかにされているら…

野中広務の「教育の歴史社会学」的スケッチ,その2

魚住昭『野中広務 差別と権力』(講談社文庫)である.ある意味,野中氏が今あるような文脈で「解読」される欲望の対象となることを決定づけたノンフィクション作品.もちろん,その延長上にここ数日の本ブログでの「筆遊び」もあるわけだが.本書のもととな…

野中広務と戦後日本・序

「野中広務」という存在は「戦後日本」を理解するうえで有効な切り口になりうると思う.以下,備忘メモ.昭和初期〜戦時体制下で少年期を過ごす(1925〜1945).この時期の彼の履歴で重要なことは,旧制中学に進学したという事実と,中学卒業後,進学ではな…

「野中広務」をめぐり(3)―「教育の歴史社会学」的スケッチ

野中氏の政治家としての達成や歴史的意義,ということにはさしあたり触れず,そして,彼の「出自」についても,通常注目される意味でのそれにはさしてウエイトを置いていない視点がどこに向けられているのか,ほとんどの人には意味不明でしょうが,一応,彼…

「野中広務」をめぐり(2)――’99、夏。

野中広務(2003=2005)『老兵は死なず―野中広務全回顧録』文春文庫.96年橋本内閣発足から引退を決意する2003年自民党総裁選までの回顧録.改めて振り返ると,97〜98年金融危機への対応と,自自公連立政権を成立させたあとの各種重要法案の成立ラッシュが00…

「野中広務」をめぐり(1)

14日東大情報学環シンポ「闘争としての政治/信念としての政治」にむけて予習. 野中広務・辛淑玉(2009)『差別と日本人』(角川書店).・すでに言われつくしていることだし自分でもかつてちょっとだけ触れたこともあり今更なのだが,戦後日本を考えるうえ…

現代の問題と〈社会史〉研究との接点

まあ,あのこんな感じのことを.梅田では.長いよ.現代の問題と〈社会史〉研究との接点―「個別化・個性化教育」と情報社会論/アーキテクチャ論の視点から―

貧民の帝都

秋だ.大学教員=研究者であればお国の税金から研究に必要な資金をいただけるようお願いすべき季節だ.幸い個人的には昨年度すでに研究費をいただけた.自分にとって新しい試みで.しかし今年はどういうわけか共同研究へのお誘いを1つではなくいただいて,そ…

チェック...ダブルチェック...(2)

えぇっと「クライマーズ・ハイ」を未見の人は必ずDVDで見てくださいね...というのが前エントリの結論ですね.こんなに日があいてから何言ってんだか,ってことですが.正しい事実を正確に叙述するための倫理は何もジャーナリストの専売特許では(もちろん…

いい流れ

自分のほうの「個性化教育」の現代史研究の準備作業(先方との連絡取りなど)は,なんか怖いくらいいい流れで進みつつある.どこかに落とし穴が! いや,夏休み有意義にね,っていう神様の思し召しととらえておきます.いまの大学に勤め始めてから最近,地味…

虚焦点としての連合赤軍事件

ちょっと面白そうだなぁ,ひやかしにでも行きたいなぁ,という感じになったお知らせを耳にした.*********【第6回ジェンダー・コロキアム】 『戦後日本スタディーズ2巻 60-70年代』. 上野ゼミ関係者の3つの論文を選んだ書評セッション.7/8日18:4…

『教育と平等』からの方法論的考察(書きなぐりver.)

こんなことしている時間的余裕はないのだ,とわかっていても広げてしまう本というのがありますね.アマゾンさんが届けてくださった以上,これを読まずには他の仕事を進められないという感覚.苅谷剛彦『教育と平等――大衆教育社会はいかに生成したか』中公新…