【恵投御礼】『概念分析の社会学 2――実践の社会的論理』

すばらしき共著本、2冊目は、酒井泰斗・浦野茂・前田泰樹・中村和生・小宮友根編『概念分析の社会学 2――実践の社会的論理』(ナカニシヤ出版、2016年)です。

同じくナカニシヤ出版から2009年に刊行された『概念分析の社会学――社会的経験と人間の科学』の続編。充実した紹介ページはこちら

著者のうちのお二人からお送りいただきました。ありがとうございます。

手にとって、「はじめに」「ナビゲーション 1〜 4」「おわりに」と、全14章の論考のなかから福祉/教育がらみの数章にざっと目を通しただけですが、これはなかなかです。前著もそうでしたが、論文集でありながら1冊の書物としての完結性、といいますか完成度が高い。それと同時に、各章それぞれの議論の密度も高く、上述のように著書の一部分だけを、それも流し読みしただけでたいへんに脳みそが疲労いたしました。各論考の圧縮率がやや高くてたいへんそうな気もしますが、逆に言えば、これで3,200円というのは破格の安さと言えましょう。

脳みそが疲れるほんとのところの要因はむしろ、「概念連関をたどることによる実践の記述的解明」を行う本書の諸論考が備える抽象性と具象とのかかわりを、具体的な「記述的解明」のなかに読み解く作業に、本来的に付随するものでありましょうが。

なお、本書には前著と異なる点がいくつか指摘できますが、そのひとつは、エスノメソドロジー研究「ではない」社会学者による論考が2編収録されていることです。前著を手に取り、自らの問題意識や研究プロジェクトとの類似性を感得しながら、しかし十全にはそれを実現できてこなかった研究者には、重要な参照点となるかもしれません。

少し時間をかけて、丁寧に取り組みたいと思います。ありがとうございました。

概念分析の社会学2: 実践の社会的論理

概念分析の社会学2: 実践の社会的論理

「頭の悪さ」

社会学は、たとえば経済学がそうなっているような意味では学問として体系化されにくく、体系化されていない。だから学問の習得のプロセスでは、自分の問題意識を明確なかたちで言語化し、具体的な対象との関連のもとで、問いや「視点」や手法を一つひとつ「カスタマイズ」――といってまったくの「自己流」ではもちろん困る――して組み立てていかないといけない。

比較的に漠然とした研究計画で入学してくる院生をみていると、そのことがくっきりとわかる。フィールドワークでやる、といっているのに、計量的手法でないと解けないような問いを立てている、というような状態が長く続く。だからゼミでは、問題意識と対象と問いと視点と手法と……のあいだにある、微妙だが重要なずれを、参加者との討論のなかで検討し、まずは可視化し、いったん壊して、組み立て直して、また修正して、というのを繰り返していくプロセスとなる。

修士論文が書けた、というのはこの「カスタマイズ」がどうにかこうにか、ひとつ、やり遂げることができた、ということを意味するのではないか。「体系」ではなく、「方法」の習得。

個人的な印象でしかないが、「ものわかりの悪かった」院生ほど、このプロセスをきちんとやり遂げたあとは、「安心して見ていられる」研究者になっている気がする。自分がとても苦労した経験があるから、この「カスタマイズ」の重要性を身にしみてわかる、というところがあるのだろうか。ひとつできたからといって、それでなんでもかんでも解けるように、論じられるようになるわけではない。別の問題にはまた、別の「カスタマイズ」を考える必要がある。

むしろ問題は、「ものわかりのよい」「センスのある」「頭のよい」学生だったほうにあるのかもしれない。なんにでも口を挟んでやがてボロをだす、というのはだから、「頭の悪い」人間のやることではない。

社会学というのは、「頭のよい」人間には、あまり向いていない学問なのかもしれない。

しかし、そもそも学問というのは「頭の悪い」人間が――およそ人間というものは「頭が悪い」――どうにかこうにか、きわめて不十分なかたちであれ、世界を認識しようと発展させてきた制度であろうから、べつに社会学に固有なかたちで言うべき話でもなかったかもしれない。

ということで、ここまで書いてきたことにはほとんど意味がなかったな、ということがここまで書いてきてわかった。

社会学にしても、計量とか会話分析とか、手法でピンを刺し、そこを動かぬ基点に他を整序していくというような、習得すべき知識やスキルの体系化もあるところにはあるだろう。

それでもなお、問題(意識)や対象から入り、相対的に「カスタマイズ」の余地が大きく残る領域において、「ものわかりのよい」「センスのある」「頭のよい」院生が、「とても質の高い」修士論文を書きあげたときに、あるいは書きあげるプロセスにおいて、上に述べたようなことを「指導する」ことは可能であるか、否か。

製造物責任」などという品のない言い方で「指導する」側の責任を問うのも、引き取るのも、どこか信用ならないのは、その程度のことすら考えた形跡がみえないからかもしれない。ひとを――いまの場合、研究者を――「指導」し、育てるということの難しさを、まじめに考えているようには思えないからなのかもしれない。

(レジュメ) 「天野郁夫と教育社会学――近代化論から(比較)高等教育システム論、その歴史研究へ」

そんなわけで過日、日本教社会学会がこの数年取り組んでいる「若手研究セミナー」なる企画のなかで、天野郁夫による講演「私の教育社会学研究50年」のコメンテイターなる意味不明の役を務める。斯界を代表する研究者の半世紀におよぶ研究生活に「コメント」もなにもないわけで、とかく「ご説拝聴」になってしまい若手と講演者との質疑応答が沈滞しがちという危惧へのカンフル剤として働けばよいものと割り切る。事前にもらった講演レジュメにある浩瀚な研究業績の時系列的羅列を思いきって構造化し、聴衆が奥行きをつけて「読める」ように補助線を引くだけの簡単なお仕事。。。のはずが、90分を越える講演のあと15分ほどの休憩のあいだに拙レジュメが配布され、休憩時間中ずっと隣の席で天野郁夫がそれを熟読するという名の罰ゲーム。後悔先に立たず。

とはいえ、率直にいって、この仕事は引き受けてよかった。指名してくださった方々には感謝したい。たぶんコメンテイターにならなければ私がこのレジュメを手にすることはなかっただろうし、結果、天野郁夫の仕事が「どういうもの」であるかを勘違いして「理解」したつもりのままだっただろうと思う。

多くの著書のある天野だが、単著が刊行されるのは意外なほど遅く、1978年の日経新書『旧制専門学校』が最初である。さらに基準を「学術専門書」に置くとすると、1982年の『教育と選抜』まで待つ。だがそこからの10年に主要なものだけで、『試験の社会史』(83年)、『「学習社会」への挑戦』(84年)、『高等教育の日本的構造』(86年)、『近代日本高等教育研究』(89年)、『学歴主義の社会史』(編著1991年)、『学歴の社会史』(92年)などが立て続けに出版される(そのかん高等教育/教育全般の時論・一般書を加えることさらに数冊)。なかでも『試験の社会史』は教育研究として初のサントリー学芸賞を受賞する。

東大着任が79年なので、この流れを目の当たりにした東大の院生ならずとも、天野は東大にきて(それまで温めてきた)自分の仕事を開花させた、、、それは刊行された著書の「カテゴリー」別の数とインパクトからして『教育と選抜』『試験の社会史』『学歴主義の社会史』『学歴の社会史』といった学歴=選抜研究がメイン・テーマである、、、と思ってしまったとしても無理はない。少なくとも私はそう思った。だが、「その後」、仕事のメインは高等教育論だとされる――天野自身、東大での高等教育論講座の開設にもこだわり尽力する――ようになるし、私もそのことの意味を深くは考えないままそう理解してきた。この「「教育の歴史社会学」系学歴研究の天野」と「高等教育論の天野」との相互関係を、彼のキャリア全体のなかでどうとらえるかということはあまり考えてこなかった。

そのことが、今回よくわかった。天野のレジュメで私がいちばん印象的だったのは、国立教育研究所(アジア教育研究室→教育計画研究室)から始まり、名古屋大学(比較教育学)、東京大学(教育社会学)、国立大学財務経営センターを経て現在に至る自らの研究ステージのなかで、バートン・クラークの比較高等教育研究プロジェクトに参加したイェール大学ISPS客員研究員時代の1974〜75年を「重要な分水嶺」と明記して名古屋大学時代をⅠ期とⅡ期に分割し、もって研究キャリア全体も前期と後期に分かたれてあったことである。

天野の専門は高等教育論、それも「比較_高等教育_システム論」、これがメインで、「教育の歴史社会学(学歴=選抜研究)」がサブとなる。この幹と枝とが合流したところに現在絶賛刊行中のいわゆる「高等教育三部作」(『大学の誕生』(上・下)、『高等教育の時代』(上・下)、『新制大学の誕生』(近刊))がある。本エントリ副題(当日レジュメに同じ)はそのことを示す。

そんなことを軸にした私の理解を当日は述べた。私にとってもそれは意味ある発見だったので、いずれ文章にしてエントリにして残しておきたいと思う。とりあえず今日は、当日配布のレジュメだけ公開(途中、図はうまく再現できていないがそこはそれ)。本文はまたいずれ。

★自己紹介
(略)


★歴史感覚の微調整
東京大学 比較教育社会学コース スタッフ(森在籍時)
・天野郁夫・藤田英典苅谷剛彦箕浦康子・金子元久
藤田英典苅谷剛彦箕浦康子・金子元久 + 広田照幸
藤田英典苅谷剛彦・     金子元久・広田照幸 + 恒吉僚子(森と入れ違いで 白石さや)


東京大学 教育社会学
・牧野巽(教授:1949〜1965)
・清水義弘(助教授:1953〜1965)(教授:1965〜1978)
・松原治郎(助教授:1966〜1978)(教授:1978〜1984)____ここまで東大文学部・社会学科出身
・天野郁夫(助教授:1979〜1984)(教授:1984〜1996)……教育社会学出身
藤田英典助教授:1986〜1992)(教授:1992〜2003)


※1)1984〜1986:東京大学の教育社会学講座に天野郁夫ひとり
※2)天野―参加者 ⇔ 清水―森 …… 「清水義弘の講演の場にかりだされた苅谷剛彦」で近似
※3)一橋卒→富士通→東大教育(学士入学)「高校の先生になりたかった」(だがゼロ免だった)


★1990年代以降の「教育の歴史社会学」系レビュー論文のなかで
・広田(1990):
「麻生は〈機能〉に注目し、天野は〈制度(化)〉に注目した」(82)、「総体としてどういう構造を持つに至ったのかを具体的にたどる」(84)、「「近代化と教育」を解く枠組み自体の不十分さを克服しようとする方向」(85)
・広田(1995):
「平板な変動モデル」「趨勢モデルを越えたモデルの構築はできなかった」(37)
・広田(2006):
「天野郁夫の業績目録(1996年、私家版)をみると、歴史研究の成果を発表している同時期に、「アメリカにおけるマンパワー論の動向」(1963)、「教育政策と人的能力開発政策」(1965年)、「日本の教育計画」(1968年)などの論考が並んでおり、まさに同時代の経済成長と人材需要―教育計画の問題と重なった関心で歴史研究を深めていたことがうかがわれる。現在から未来にかけての長期の構造変動という視角をずらし、過去から現在に至る構造変動という視角を採用すれば、教育計画論と近代化過程の研究とは、手法や理論の面できわめて親和性が高かった」(143)


☑「枠組み」「モデル」: 近代化論、(構造)機能主義 …… ?


☑現代の問題を考えるための歴史研究: 歴史分析と現状分析(・比較分析)とは両輪
「別に歴史研究をしたくて日本の高等教育の明治以来のことをやっているわけではないのです。私の問題関心はいつも現代の方にありました」「私の問題意識はいつも現代が出発点で、現代の高等教育システムの抱えているさまざまな問題の向こうに何が透視できるのか、透視しようとする努力の結果が、この本だと、自分では思っています」(後掲書評会での発言)


★本コメントの要約
☑(比較)高等教育システム論: 「大学」ではなく「高等教育」、「個別」ではなく「システム」← 大衆化/序列


☑印象的だった点: エール大学ISPS客員研究員を分水嶺に、名古屋大学時代を二分


☑2つの分割線: 名古屋Ⅰ期/Ⅱ期、東大前/後
●60s 近代化論―――――――74-75 高等教育システム――――――→ 
(人材養成/専門教育…)     (比較/日本的)         ⇒「高等教育三部作」
・            …………79 教育社会学――――――→
                  (学歴研究/選抜/(葛藤)理論)


☑「経済と教育」・近代化論の問題設定から(比較)高等教育システム論へ
→ 現状への問題意識に立脚して、プロセスを具体的にたどる歴史研究
→ 葛藤モデルで描くか、機能モデルで描くかは、テーマ・対象しだい


☑「近代化論が下敷き」と一括される時期の研究に、むしろ今日の若手と通じる未発の契機?


★近代化論: 『日本の教育システム』(1996)、『教育と近代化』(1997)
☑教育と経済、清水義弘、教育計画、高等教育
・教育開発・技術革新: 人的資本論マンパワー論への不満(労働力の「量」から「質」へ)
→ その後の展開なく(学歴研究・高等教育システム論へ)  cf. 沢井実(経営史)
→ 「学校教育を媒介として伝達・形成される知識・技術の質」「人材形成」(=社会化)
  「教育の過程で獲得された知識・技術の内容や、その有効性」(=レリバンス)
→ 学歴研究を経由することで「選抜・配分」の視点に傾斜していった


・Wastage 研究: 途上国の教育開発・教育計画(ユネスコ)、教育投資論/人的資本論
→「中途退学と原級留置という二つの現象」、「不就学」…人的資源/教育費の「浪費」
→ ウェステージの速やかな解消(不就学の改善・就学率の上昇)に成功した途上国・日本
→ 不就学・中途退学・原級留置…「政策的・実践的な、またきわめて現代的な問題意識」
→ 文脈を反転させ現在の教育社会学の主題に cf. 包摂/排除、酒井朗「学校に行かない子ども」


・教育計画論 : 教育政策・教育行政の「計画化」の歴史(/知識)社会学的解読
→ 「(1)教育の計画化を要請する基盤の成立と変容、(2)教育の計画化の思想と理論の成立と展開、(3)計画化の主体の形成と成熟、(4)政策・行政的な実践としての計画の出現」
→ 1971年中教審答申の前後という時代背景、のちの〈制度(化)〉〈システム(化)〉の発想


・高等教育研究: (旧制)専門学校/私学
→ 近代化の担い手・人材養成・「専門教育」・「速成」、法学商学系私学・「教養」・「実業」


☑「理論」ではなく、「対象」「問題」と、対象にかんするたしかな「事実」「知見」
「…構造=機能主義的な立場に立ったこれらの論文は、「時代遅れ」とみえるかも知れない。…しかし論文の価値は、主題や方法の時代との適合性にあるわけではない。…流行をこえて継承されるべき実証的な研究の積み重ね、蓄積がなければ学問の発展はない。そして私はいまだに、自分が近代日本の教育について確実な事実や知識としてなにを、どれだけもっているのか、…疑念を捨て切れずにいる」(天野1997: 411)


★(比較)高等教育システム論
名古屋大学時代Ⅱによる展開:M. トロウ
・「高等教育」: どの範囲の学校が高等教育か
・「システム」: 法的規定だけではない関係性(ただし「システム」はそう簡単に形成されない)


★教育社会学東京大学
☑学歴研究=選抜研究: 『教育と選抜』『試験の社会史』『学歴主義の社会史』『学歴の社会史』
・「学歴」の意味を「社会的地位」に還元して把握する枠組み(=選抜・配分)
・東大の院生を指導する立場
→ 70s欧米のネオ・ウェーバー(ネオ・マルクス)派の葛藤理論との対峙=「地位表示機能」
→ 初発にあった社会化(「人材形成」)や「レリバンス」への視点とはここで分岐
(→ 70sイギリスの「新しい教育社会学」=「スループット」)


☑院生 指導 との共同研究
トヨタ財団/カシオ財団研究助成: 「高等学校の進路分化機能に関する研究」
→ 以後の日本の教育社会学の一つの潮流へ
 e.g. 学校社会学、学校エスノグラフィ、「教育から職業への移行」研究etc.


丹波篠山: 『学歴主義の社会史』→ その後の「教育の歴史社会学」の里程標に
 cf. 野村正實『学歴主義と労働社会』


★高等教育三部作
☑プロセスを具体的にたどる歴史研究: 『大学の誕生』(形成/葛藤)、『高等教育の時代』(構造と機能)


★結論(論点の提起):研究キャリア初期にみる「未発の契機」をめぐって
☑研究キャリア初期の「未発の契機」: 『教育と近代化―日本の経験』『日本の教育システム』 


☑「通り一本」を越えさせる研究  cf. 菅山真次『「就社」社会の誕生』
・技術革新、労働力の「質」、「教育の過程で獲得された知識・技術の内容や、その有効性」
・学歴=選抜研究への転回とのある種の「距離感」⇔ 経営(史)学、労働(史)研究
・隣接諸領域を媒介し、それらとの接点で研究の有効性を発揮する

※参考資料
「天野郁夫『大学の誕生(上・下)』(中公新書、2009年)書評会――著者を迎えて」より抜粋
(平成22〜24年度日本学術振興会科学研究費補助金・基盤研究(B)「社会理論・社会構想と教育システム設計との理論的・現実的整合性に関する研究」第2次論文集(研究代表者・広田照幸、課題番号:22330236), 2013年所収)


広田照幸: ちょっと全然違う点をうかがいたいのですが、どうやったらこういう本が書けるのかというような話をちょっと聞きたいんですけど。
天野郁夫: ちょ、ちょっと(笑)
広田: いや、つまり何かというと、淡々とこの本は歴史が記述してあるように見えて、実はすごくシステマティックな枠組みで書かれている本だと思うんですよ。枠組みということを考えたときに、麻生誠先生の『大学と人材養成』(中公新書、1970年)の本が同じ高等教育の多様性の問題を扱っていますが、しかしあの本は非常に機能主義的な枠組みですよね。どういう人材が必要で、そのためにこういう学校ができましたというふうな。そういう機能的対応のようにして多様性が論じられているんですが、あの本と比べるとこれは葛藤論ではないかと思って読んだんですね。とくにウェーバー的な集団間の葛藤、威信を争う葛藤の物語として、この本は書かれている、と。だけども、そんなことは本文には一行も書かれていないわけですよ(笑) そうすると、社会学者としての天野先生の部分をださずにこの本を書いたときの、その作り方の思いみたいなものをちょっと聞きたいというのがあります。そもそも、この本の隠れた理論、フレームについての今の理解は適切かどうかという、そこら辺をちょっとうかがわせてください。
上山隆大: なんか、ゼミみたくなってきた。
――: (笑)
天野いや、葛藤論だとか何だとかいう以前に、制度の立ち上がりの時期というのは、どんな書き方をしても葛藤論的な枠組みを組み入れなければ、書けない、面白くは書けない。面白くというのは変だけど、ダイナミックには書けないということがあると思います。この次に書くのは『高等教育の時代』というタイトルになっていますが、これはもう葛藤論では書けません。
広田: ああ、そうですか
天野構造機能主義的な古い枠組みで書いています。僕ももう老人ですからね、あまり方法論や理論にこだわらず、好きなように書かせてもらっています(笑)
広田: 最初のところに、こういうフレームで歴史を見ていこうとか示してあればすごく分かりやすかったのですが、それが書かれていなくて。だけど、それを一つ一つの記述を通して読み取れというのがこの本で、最初少し読み取りにくかったのですが、あるところまでいったら、ああ、なるほどと、大体分かってきたわけです。
上山でもそれは、歴史の正統的な書き方じゃないですか。
広田: ああ、そうですね。まあ、われわれは一応、教育社会学という領域でやってきているから。歴史家はやっぱり違うということでしょうかね。
天野: これは、そういう意味では歴史研究。大体ね、近現代の百数十年というのは、社会科学にとって歴史的過去かどうかという問題もあるんじゃないか。・・・・・・
(中略)
広田多くの歴史家はどうしても事件とか出来事の方を、個別にどう説明するかにいくから、だから多分、全体としてこういうシステマティックな記述にならないんだと思うんですよ。
天野: それは、社会学的なレームワークが、僕のなかのどこかにしまわれていて、それを巧みに引き出しながら使っているっていうだけの話だから。
広田: ええ。パソコンに向かってさらさらと書いて、こんな、密度が高くて、そろったものは書けないから、きっとどっかにプロットがまずあるんだろうと思って。
天野: いや、ないですよ(笑)

二次分析研究会成果報告会週間

今週は東大社研SSJデータアーカイブ開催の二次分析研究会のうち、2つの成果報告会に出席した(例年複数行われており、今年は「参加者公募型」で2回、「課題公募型」では6つの研究会が立ちあがっていた模様。詳しくは東大社研SSJDAのページを参照のこと)。

ひとつめは月曜日、先のエントリでご紹介した自分のかかわるもの。未定だった第2部のコメンテータは東大社研・特任研究員の中川宗人さんにつとめていただく。コメントにレジュメ配布で臨まれたのは本研究会ではおそらく初。中川宗人さんには、橋本健二編『戦後日本社会の誕生』(弘文堂、2015年)所収の第4章「学歴主義の戦前と戦後―『京浜工業地帯調査』から見る学歴と経営身分」という論考がある。「京浜工業地帯調査」の「従業員個人調査」データセットの再分析にもとづくものである。前掲書のなかでも力作のひとつなので、ご関心の向きはぜひ。

第2部での議論とからめて一つだけ。

(以下、登壇者の報告やコメントについての言及はすべて私の記憶と編集という作為を経過したあとのものなので、ご本人の発言趣旨とはおそらく異なることに留意。)

相澤さんは、東大社研・労働調査資料のデジタル復元作業に着手した最初の研究者という立場から、ここで復元している調査・データを位置づける主旨のご報告。神奈川県民生部の委託で行われた1960年代前半の5つの調査は、明らかに氏原正治郎を中心としつつ、だがもう一方の軸には江口英一がいた。調査テーマは江口的(貧困・社会福祉社会保障)でありながら、調査手法は氏原的(「氏原工房」)。この2つのベクトルの狭間で――よくも悪くも――「放っておかれた」ことが、5つの神奈川県民生部=東大社研調査原票を今日までほぼ完璧に保存しえたことの背景にあるのではないか、と(ちなみに江口が勤務校に持って行ったとされる諸調査の原票はそのほとんどが散逸した)。

調査実施当時にすでに行われた分析を超えるような《歴史分析としての二次分析》はどのようにありうるのか――たぶんこうした分析を試みたことのあるものなら誰もが抱くであろう感懐。いくら現在の統計処理テクノロジーがめざましい進歩を遂げているとはいえ、最初に実施した調査が実態を切りとった元の解像度それじたいは変更のしようがないのだから、やれることには限度がある。それでもなお、このような作業を行うことにどのような意味があるのか。

ひとつひとつの調査は一時点の「スナップショット」であり/でしかなく、それ単体でやれることには限度がある。だがだからこそ、良質な調査の原票は積極的にアーカイブしていかなければならない――という面白くもなんともない答えが、一応現時点でのわたしの考えである。しかし、わりと頑なにそう思っている。一時点/局所にかんする調査を貯めていき、個々への厳密なデータ批判に立脚しつつ、それらの分析結果――あえていえば「記述的」なそれ――を相互に照応させることではじめて「その時代」の何かが浮き彫りにされていく。そういう大きなプロセスとして構想したほうがよい。ほそぼそとでいいので、着実に継続・継承していかなければならない。この復元作業のプロジェクトのなかで何人かの「当時の氏原=江口周辺を知る研究者」の話をうかがう機会があったが、その方々じしんが立案・設計・実施したいくつもの重要な調査原票がその後どこにも受け継がれず散逸する危険性のもとに置かれているようにも感じる。

違う言い方をすると、「分析」だけを研究者としての評価の対象とするのではなく、「データの整備」をきちんと業績として評価していく体制づくりが重要である。「それで飯が食える」ということ。ここはわりとまじめに提言したい。

「京浜工業地帯調査」の話に戻すと、あれは「従業員個人調査」だけに依存するのではなく、「職場調査」その他の調査資料とも照らし合わせながらデータ分析の結果を位置づけていくのがよい。あれ(「京浜調査」)じたい、複数調査の複合体として存在しているので、まさに「復元した複数調査相互の照らし合わせ」によってはじめて「何か」の像を明確に描きうるものなのだろうと思う。氏原の「性格」論文の第29表(とくに(3)(4)、『日本労働問題研究』だと378頁)が「本給(月給・円)」を単位として作表されていることには留意したい。

かわって金曜日、こちらは香川めいさんを中心に、ベネッセ教育総合研究所が2008年・2013年に実施した「放課後の生活時間調査」データの二次分析を行うプロジェクトの成果報告会、「子どもたちの過ごし方、暮らし方――『放課後の生活時間調査』2008年と2013年から」(PDF)。自分が生活時間調査データを抱えていることもあり、どのような問いを設定し、どういう分析手法を活用しているかを勉強しに参加。

個々のデータ分析から明らかになっている知見もたいへん興味深いものがあったが、それはまた論文化がなされるであろうから措くとして、香川報告の「系列分析」と三輪報告の「遷移行列/対数乗法RC(M)モデル」である。基本的にはある行動からべつの行動への移行あるいはシークエンスをどのように把握し、全体の構造をとりだすか、という関心のものと考えてよいだろう。

これまでなかなか扱いが難しかったタイプのデータなので、とりあえずいまは分析手法のアイディアをだして「やってみる」という段階かという感想を抱く。両報告とも職歴/社会移動で用いられていた分析手法の適用である。他方で、その分析で何を明らかにするのか、なぜそれを明らかにすべきなのか、というところはつねに押さえておきたい。チェピンの「多様性」指標はごくごく単純なものであるが、そこには人びとの「生活の質」をとらえるのだという明確な志向があった。

ともあれ、分析手法の開発は必要だし重要である。来年も報告会があるということなので、つぎはどういう発想でくるのか、目が離せなくなりそうなことである。

というか、なんかわかった風に書いているが、勘所はぜんぶ「感覚」で理解した「ことにしている」の現状であるので、あれをもう少しちゃんと理解するためにはもっと相当勉強しなければならない、という思いを強くした週末である。

っていう感じ。

2015年度 二次分析研究会 成果報告会

年度末が近づいてきました。ここ数年、東京大学社会科学研究所が神奈川県民生部の委託により1960年代前半に実施していた複数の社会調査を、原票のデジタル復元&データセットの作成&分析する研究会にかかわっており、今年度も例により1年間の成果報告会が開催されます。一部未定の部分はありますが、こちらにプログラム(PDF)が公開されています(下記に転載しました)。

すでに拙ブログで公開済みのエントリに書いてきたように、社研・氏原正治郎グループによる調査の復元作業については、橋本健二さん(早稲田大学)を代表とする研究グループが、1951年実施の「京浜工業地帯調査」や1952年実施の「貧困層の形成(静岡)調査」、さらに1961年実施の「『ボーダー・ライン層』調査」に着手して以来、相澤真一さん(中京大学)を実質的な作業リーダーとしてノウハウの蓄積・展開と作業の推進を図ってきました。すでに分析結果の公刊が進みつつありますが、「京浜工業地帯調査」にかんしては橋本健二編『戦後日本社会の誕生』(弘文堂、2015年)に二次分析の成果の一部が反映されていますし、相澤さんが中心となって上記「貧困調査」系の成果の一部を含む著書の刊行も近いと聞いています。

その第二ステージとして、一昨年度・昨年度は「団地居住者生活実態調査」、今年度は「老齢者生活実態調査」および「福祉資金行政実態調査」の復元&二次分析の作業が着手されています。東大社研の労働調査は神奈川県との関係性のなかで多く実施されています――その背景に、氏原の恩師で研究グループの理論的リーダーであった大河内一男が1951年に内山岩太郎・神奈川県知事(1947〜67年)の顧問に就任したことがあった点について、橋本編(前掲)所収の仁田道夫「戦後労働調査の時代――氏原正治郎の足跡からたどる」に言及があります――が、たとえば「京浜工業地帯調査」や、あるいは苅谷剛彦・菅山真次・石田浩編『学校・職安と労働市場』(東京大学出版会、2000年)に二次分析の成果の一部が反映されている「新規学卒者(中卒)労働市場調査」(1953年実施)が神奈川県企画審議室の依頼なのに対して、上述の「『ボーダー・ライン層』調査」(1961年実施)から「福祉資金行政実態調査」(1962年実施)「老齢者生活実態調査」(1963年実施)社会福祉意識調査(ソーシャル・ニーズ調査)」(1964年実施)「団地居住者生活実態調査」(1965年実施)までの一連の調査は神奈川県民生部の委託によるものです。

われわれが復元作業に着手しているのは、この東大社研と神奈川県民生部との連携のもとで1960年代前半に毎年立てつづけに実施された調査――労働調査論研究会編『戦後日本の労働調査』(東京大学出版会、1970年)の分類でいうと「貧困・社会保障」のカテゴリーに入る諸調査です。そして、この第二ステージの復元作業からは、ひきつづき相澤さんを中核メンバーの一人としつつ、しかし作業指揮・遂行の実質的な中心は渡邉大輔さん(成蹊大学)に移っているというべきでしょう。今年度の本研究会も「戦後日本社会における福祉社会の形成過程にかんする計量社会史」と題し、渡邉さんを代表として組織されています。作業を組織・指示する明晰さ――もちろん「分析」の局面でも――と、実際に作業を進めるバイタリティは驚異的です。さらに、彼の指揮のもとで原票の撮影からデータの入力、コーディングなど実際の作業を担当している成蹊大学の学生諸君の優秀さたるや!――「団地」のときにはもっとグダグダな監督者(つまり森)のもとで筑波の学生さんも奮闘してくれました(^O^)/。ともあれ、神奈川県民生部委託による1960年代前半実施の東大社研・氏原グループの調査が後世に分析可能な遺産として受け継がれるのは、渡邉さん(と彼のもとにあった学生たち)による貢献、その献身的な作業の賜物だということは銘記されなければなりません。

とはいえ、作業量は膨大。今年度の報告会は、統計的な二次分析としては単純な集計レベルのものとなりそうです(が、第3部の報告者のラインナップを前にして油断してるとヤケドするぜ、たぶん)。他方で、われわれは当時実際に調査にかかわった研究者への聞き取りをはじめとして、一連の東大社研=神奈川県民生部調査を、日本における各種の社会調査・労働調査・貧困調査・福祉調査が分岐・展開してく流れや、あるいはもっと広く日本社会の歴史的文脈のもとに位置づけ直す作業も並行して進めています。前掲の労働調査論研究会編以外にも、たとえば山本潔さんが『日本の労働調査――1945〜2000年』(東京大学出版会、2004年)などで社研調査に史的検討を加えておりますが――労働研究者ですから当たり前ですけれど――見事なまでに「労働」調査のみに関心が限定されていて、氏原調査が有していた包括性/総合性(別言すれば未分化性)は俎上に載せられていません。今年度はこの復元作業も一定の蓄積を達しつつあるという認識から、こうした側面にウエイトを置いた報告会となるでしょう。

「社会調査史」プロパーではありません。他方で、「社会調査」と「それに必要だったもの(技法・技術、人員・組織、資金、理論・学説など)」に照準しているという面では、たとえば日米社会学史茶話会の関心にも通じるものがありますが、あそこの議論ほどの射程の広さや包括性があるかというと、それも難しい。われわれの研究会の最大の特徴は、「調査史」的読解をしつつ、同時に、データを復元し・さらに実際に分析する、この《調査分析》の二重性にあるのではないかと考えます。当時の技術的な制約から、研究者の頭にアイディアはあってもできなかった分析があるでしょう。他方で、当時の技術的な制約ゆえに、アイディアのもちようがなかったという分析もあるでしょう。われわれの二次分析=計量社会史の試みは、当時の研究者が何を考え、どのように調査を組織・実践したか、に重ねて、現在のテクノロジーのもとで可能になった分析手法を実際にデータに適用したらどのような知見が得られるのか、そこまで議論の射程がのびているのです。

報告は一人15分ほどと短いものを重ねます。それら報告を繋ぎあわせながらフロア全体として一つの議論が展開していくような場になればよいなと思います。私の報告はといいますと、・・・・・・と、もうだいぶ長くなりましたし仕事もいろいろ溜まっておりますのでこのへんで。

ご関心の向きはぜひ。

[二次分析研究会2015 課題公募型研究 成果報告会]
高度経済成長期の労働・福祉・老齢者調査


日時:2016年3月14日(月)13:00〜17:30
会場:東京大学本郷キャンパス 赤門総合研究棟 5階 センター会議室


司会:佐藤香東京大学


【第1部】歴史のなかの老齢者・福祉調査(13:00〜14:20)
コメンテータ:野口典子(中京大学


■ 調査対象としての老齢者
報告者:渡邉大輔(成蹊大学


■ 福祉調査と「老齢者調査」
報告者:羅佳(日本福祉大学


■ 労働・福祉・老齢調査における社会階層と生活構造
報告者:森直人(筑波大学


■ 高度経済成長期の生活構造調査
報告者:佐藤和宏東京大学


休憩(14:20〜14:30)


【第2部】老齢者・福祉調査の射程(14:30〜15:40)
コメンテータ: 未定


■ 児童問題と社会調査
報告者:白川優治(千葉大学


■社研労働調査資料の中の「老齢者調査」・福祉資金調査
報告者:相澤真一(中京大学


■「老齢者調査」の概要/設計
報告者:渡邉大輔(成蹊大学


休憩(15:40〜15:50)


【第3部】「老齢者調査」の紹介(15:50〜17:30)
コメンテータ: 野口典子(中京大学


■ 家族と世帯
報告者:石島健太郎(東京大学日本学術振興会


■ 仕事と退職・引退
報告者:渡邉大輔(成蹊大学


■ 経済状況
報告者:相澤真一(中京大学


総括討論 コメンテータ: 未定

戦後日本社会の誕生

戦後日本社会の誕生

戦後日本の労働調査

戦後日本の労働調査

日本の労働調査―1945~2000年

日本の労働調査―1945~2000年

学校・職安と労働市場―戦後新規学卒市場の制度化過程

学校・職安と労働市場―戦後新規学卒市場の制度化過程

第9回 教育の歴史社会学コロキウム

すっかり告知用ブログと化しつつありますが、例によって忘れないうちに。

教育の歴史社会学コロキウムも第9回。前回に続いて、統一テーマが設定されてというよりは「ひと」で選ばれた企画でしょうか。前回が京大系だったとすると今回は東大系。ただし、歴史研究の「方法」という点では対照的な面もあるお二人、そのあたりは発表タイトルに象徴的に表れている気もします――というのはあえて「言い過ぎ」な言い方をしておりますが。2つの報告をつなぐ問題意識としては、そういった方法論的関心も視野に入れつつ、個別の報告内容としても、それぞれに興味深い問題提起がありそうです。

それはそうと、今回は「参考資料」「参考文献」がやや多いですね。「参考資料」のほうが報告内容に直截かかわりのあるもの、「参考文献」はもう少し一般的に「名刺代わり」といった趣でしょうか。違っていたらごめんなさい。

事務局からのメールには、「教育の歴史社会学に関心のある方なら、だれでも気軽に参加できます。学部生、大学院生の方も、ふるってご参加ください。懇親会にもぜひご参加下さい。」とありますので、みなさんもお気軽に一度どうぞ。佐々木さんの連絡先が分からない方は、これも例によって、森までご一報ください。学部生にも気軽に門戸を開いている研究会というのはありそうでなかなかないので、「教育の歴史社会学」がらみの研究に関心のある学部学生のみなさんは、一度様子をのぞいてみて損にはならないと思います。

第9回 教育の歴史社会学コロキウム


日時:2016年2月27日(土)
 13:30〜17:00 研究発表(各90分間、途中、休憩15分間)
 17:00〜17:15 情報交換会 自由参加
 17:30〜19:30 懇親会(食事会)自由参加
会場:パルコ調布店 7F  日本料理「天濱」半個室
会費:3,000〜4,000円(料理2,000円+飲み物:学生は割引)


会場:電気通信大学京王線調布駅すぐ)東1号館705会議室(7階)
〒182-8585 東京都調布市調布が丘1−5−1 


プログラム 
【発表1】13:30〜15:00
武石典史(聖路加国際大学)「官僚の選抜・配分構造」


・参考資料(1)「進学先としての陸軍士官学校――明治・大正・昭和期の入学難易度と志向地域差」『史学雑誌』114(12)、2005年
・参考資料(2)[PDF]「陸軍将校の選抜・昇進構造――陸幼組と中学組という二つの集団」『教育社会学研究』87、2010年
(参考文献:『近代東京の私立中学校――上京と立身出世の社会史』(ミネルヴァ書房、2012))


司会:大前敦巳(上越教育大学)


(休憩 15分間)


【発表2】15:15〜16:45)
河野誠哉(山梨学院大学)「歴史研究の技法、あるいは研究の“手付き”について」



・参考資料(1)「〈学年誌の時代〉をめぐる社会史的考察――書店と戦後日本社会」(山梨学院大学経営情報学部編『経営情報学論集』第21号、2015年)
・参考資料(2)「近代日本における教員批判言説をめぐる一考察――ある新聞投書欄『炎上』事例を題材に」(山梨学院生涯学習センター編『大学改革と生涯学習』第18号、2014年)
(参考文献:
  酒井朗・多賀太・中村高康編『よくわかる教育社会学』(ミネルヴァ書房、2012年、共著)
  吉田文・広田照幸編『職業と選抜の歴史社会学国鉄と社会諸階層―』(世織書房、2004年、第5章担当)
  森重雄・田中智志編『〈近代教育〉の社会理論』(勁草書房、2003年、第3章担当))


司会:佐々木啓子(電気通信大学


連絡先:教育の歴史社会学コロキウム事務局
     電気通信大学 共通教育部 佐々木研究室(東1号館513号室)
            E-mail:(略)
            Tel & Fax:(略)
※参加される方は前日までに上記にメールまたはFAXでご連絡下さい。懇親会参加についてもご連絡下されば幸いです。
(初めての参加希望で、上記連絡先をご存じない方は森までお問い合わせください。)

どうしてもやってしまう。

大学の専任の教員になって2年目の冬にえらいインフルエンザに罹った。ん? あれ? なんか体調おかしくね? と思う間もなく猛烈な悪寒が全身を襲い、体中の節々は痛み、炎上したブログのページビュー・カウンターのごときスピードで熱は上がる。一度経験したから知ってる(炎上)。40度近くまでいった(体温)。あかん。死ぬ。これはもう生命の危機を感じるレベル。当時職場の関係で離れて暮らしてたうちの奥さんにエマージェンシーコールで来てもらう。

ふだんならなんの支障もなく歩いて行ける距離にある内科までたどり着けそうもない。2人とも車を運転しないのでタクシーを呼ばざるをえないが、こんな思っきしインフル症状で公共交通機関に乗るのもどうか。とか言ってられない。マスク2重のキッチン用アルコール消毒スプレー片手にタクシーに乗り込む。咳はもちろん、なるべく息もしない。いやそれは無理。どこにも素手で触らず降りる。

受付で即「インフルっぽいです」の自己申告で隔離された待合室にゴー。粘膜をごにょごにょやって検査。ビンゴ。タミフルを処方されたのは後にも先にもこのときだけだが、あれは偉大だ。服用して寝て汗をかくと、すぐウソみたいに熱が下がる。

それで懲りたので、次から毎年11月にはインフルエンザの予防接種を受けるようにした。この仕事は結構学生さんからうつされる。というか、こちらがうつす側にまわるのはまずい。とくに前の職場は学生がみんな無理な体調をおしてでも授業にでてきちゃうし。講義の3分の1以上欠席で期末の受験資格を失う、とか学則に書く大学が悪い。それでいて介護等体験実習ってやつはちょっとでも体調に異変があると行かせてもらえず、いろいろ履修上めんどいことになるので余計に。いまの職場もキャンパス内の宿舎に住む学生が多く、流行が始まるとどうにも。そして毎年流行はくる。

予防接種に1000円の補助がでた年もあったがすぐなくなった。あれは補助すべき。というか「経費」。こう見えて風邪をひきやすい体質で、それまでひとシーズンに2回とかふつうに風邪をひいていたが、予防接種を受けるようになってからなぜかまったく風邪もひかなくなった。体調がすこぶるよい。なのでちょっと毎年の注射がクセになった。プラシーボ。

私は生活の基盤が2か所あるが、自分の職場のある自治体よりもう一個のとこのほうが500円ほど値段が安いので、毎年そっちで打つ。最初の年、どこの病院にしようか迷う。どこでもいいのだが、街中の便利なところにあって昔好きだった兄弟プロレスラー(誰だよ)に似てる名前のクリニックを選ぶ。これがプロレスラーみたいな名前によらず(だから誰だよ)、たいへん上品で物静かな感じの白髪の老先生が一人で診ている。若い頃は女性にもモテたんじゃないか。地元の進学校からKO大学の医学部をでてUターンで開業。って待合室の院長略歴に書いてあったが、なんとなく納得。

変に高飛車な物言いもなく、老先生は淡々と、粛々と問診票を確認し、注射へ。

「どちらでも、好きなほうの腕をだして、袖をめくってください」と、静かに老先生。

まあ右利きだしな。左腕をだして、袖をめくり、先生に対して直角に構える。

「アルコール、少し染みるかもしれません」と言って老先生、私の左腕をおさえながら注射する部分をアルコールで消毒。

そしてここだ。

「はい、力を抜いて。手は腰にあててください」

ってところで、いっっっ...(略)...っっっつも、右手を右腰に あてちゃうんだよなあ。

想像してほしい。「老先生へならえ」みたい体勢になる。

「そうじゃないですね、これをこう 」って老先生もさすがにちょっと声を張って私の左手をとり、肘を曲げ、左腰にあてがう。

あ、ああ、こっちね、これね、そりゃそうですね。。。

ってあれ、どーーーしてもやっちゃうんだよ。 毎年。

っていう話。