(告知その2)「エゴ・ドキュメント/パーソナル・ナラティヴをめぐる歴史学と社会学の対話」

さて、その比較教育社会史研究会経由でまわってきたシンポジウムのお知らせ。

3月11日(土)に上智大学四谷キャンパスにおいて、オーラル・ヒストリーにかんする歴史学社会学の学際的シンポジウムが「エゴ・ドキュメント/パーソナル・ナラティヴをめぐる歴史学と社会学の対話」と題して開催されます。

日本オーラル・ヒストリー学会主催とありますが、比較教育社会史研究会と深いかかわりのある大門正克さん(横浜国立大学)と長谷川貴彦さん(北海道大学)が、それぞれ司会と報告者としてご登壇、ということで案内が届いたようです。

一方で、もうひとりの報告者には社会学から、移民・エスニシティ研究がご専門で新進超絶気鋭の社会学者・朴沙羅さん(神戸大学)、討論者には同じく社会学から(数年前には私と同じ職場で働く間柄でもあった)好井裕明さん(日本大学)が登壇されます。朴沙羅さんには多くの優れた研究業績がありますが、ここではアレッサンドロ・ポルテッリ『オーラルヒストリーとは何か』(水声社、2016年)の翻訳を挙げるに留めておきます。

このシンポジウムがあること自体は、後者の社会学界隈ネット経由ですでに知っておりましたが、上記のような縁で比較教育社会史研究会経由でも私のところにお知らせメールが舞い込みました。

これは私にとってたいへん印象深い出来事です。

というのも、このブログで比較教育社会史研究会の例会の告知を続けてきてもうそろそろ10年近く――前にも書いたかもしれませんが、私がブログを始めたのはこの研究会の告知をだすというのが初発の動機です――、その営みが「社会学業界」ネットワーク経由の情報とクロスしたのは、じつにこれが「初めて」の経験だからです。これまでこの研究会と「教育」社会学とがコラボないしクロスすることはきわめてしばしばありましたが、「教育」のつかない「社会学」がその位置にくるのは私の記憶では初めてのことです。

考えてみれば、叢書所収の論文のなかには――たとえば『識字と読書』所収の酒井順子「口述文化と文字世界――シティ・オヴ・ロンドンに見られた労働文化の伝達」のように――ふつうに社会学/人類学系オーラルヒストリー/ライフヒストリーの論考はあるわけです。ここで多くは論じませんが――厳密に論じきるだけの力量が私にありません――、日本_の_社会学における口述生活史/オーラルヒストリー/ライフヒストリー/ライフストーリー、、、等々の語が指し示す圏域を支配していた磁場の極点が移行しつつあることの反映なのかしらん、という気がしないでもありません。気のせいだとも言えますが。

たとえばこれがもっぱら「対話的構築主義」の範域内に生じた問題意識であったなら、そのシンポジウムの知らせが比較教育社会史研究会を経由して私のもとに届いてくる、といったことの生じる余地はなかっただろうと思います。だからどっちがいいとか悪いとかの話をしているのではなく、ただ「クロスしなかっただろう」ということです。と同時に、これは兆候的なことではなかろうか、と感じたことも事実です。

そんなわけで私のなかで勝手にエポック・メイキングなお知らせです。2017年3月17日(土)13:30〜17:30、上智大学四谷キャンパス2号館5階508室、申込不要・入場無料とのことですので、ご関心の向きは、ぜひ。

なお、これと関連してその3日後、3月14日(火)には一般社団法人社会調査協会の公開研究会「ライフストーリーとライフヒストリー――『事実』の構築性と実在性をめぐって」も開催されるそうです。こちらはガチで社会学業界の「中」のお話しになりましょうか。登壇者は西倉実季さん(和歌山大学、報告「ライフストーリー論におけるリアリティ研究の可能性」)、朴沙羅さん(神戸大学、報告「何が対話的に構築されるのか」)、岸政彦さん(龍谷大学、報告「物語/歴史/人生――個人史から社会を考える三つの方法」)、司会に 三浦耕吉郎さん(関西学院大学)ということのようです。開催地は大阪、関西学院大学・梅田キャンパス1405教室。詳細は上のリンク先をご覧ください。

オーラルヒストリーとは何か

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