多様な教育機会と教育費メモ

末冨芳『教育費の政治経済学』(勁草書房、2010年)、第3章「「公私混合型教育費負担構造」の法システムとその流動」

末冨によれば、日本の教育費負担構造の特徴というべき私費割合の高さの根底には、公教育費(「設置者負担主義」)の支出範囲と金額に関する法的根拠の不在ないし曖昧さ、およびその範囲・金額の限定性がある。その限定的で、かつ、支出範囲・金額に関する法的規定の曖昧な(公的)教育費の境界を、民法820条の「監護及び教育の権利義務」規定を根拠とする「受益者負担主義」にもとづいた私教育費負担が代替してきたが、他方で、その私費負担の拡大を制限する法的根拠は不在である。

たとえば授業料無償の義務教育において――憲法教育基本法のもとでの「義務教育無償」を「授業料の無償」と解する「授業料無償説」が日本政府のとる立場である――、その他の費用について保護者負担原則が明記されているのは「学校給食費」と「スポーツ共済センター掛金」のみであり、それ以外の徴収金には明確な法的根拠がない。その結果、たとえば公立小学校における学校徴収金は、年額1000円未満から年額10万円以上までと、自治体によって多様な分布を示しており、「義務教育無償」の公私関係ですら曖昧な部分が大きい。

つまり、教育費を公私でいかに「分担」するかという明確な原則を欠いたまま公費と私費が総体としての教育費を結果として負担しあう構造(のまま教育拡大を遂げてきたの)が日本の特徴であり、「公私混合型」とはこの謂いである。

その「公私混合型教育費負担構造」が、21世紀に入って「流動化」している。

第一に、学習補充主義にもとづく公教育費投入、すなわち、学校教育以外の放課後・土日の補習や学習塾通塾などの学校外教育への公費支援の拡大である。具体的には東京都港区の「土曜特別講座」や杉並区和田中学校の「夜スペ」など。

第二に、教育の多様性の確保のための非一条校・株式会社立学校等への助成、すなわち、フリースクールオルタナティブスクールや非学校法人立学校への公費導入に向けた公教育費の体系再編と対象拡大(の模索)である。

(第三に、家計教育費投入の後退という要素もあるが省略。)

これらの公費支援が憲法89条の「公の支配」原則にかなっているか、教育の機会均等理念と照らして容認できるかが大きな論点となるだけでなく、公私教育費負担の「混合」領域の構造や性質をよりいっそう複雑化させ、公費が公教育に果たす役割に対する混迷を深めることともなりうる懸念がある(130頁)。

したがって末冨は、この「混合」領域に対して家計の役割を法制もしくは政策により定位していくことが、教育費負担の曖昧な原則の明確化を可能にし、公私の役割分担にむけた制度変化にとって不可欠だと論じる(131頁)。

主として論点整理にとどまっているが、最後に若干の提言(太字は引用者)。

まず学校教育費の公私負担については、公教育費と私教育費とのグレーゾーンについて、学校の設置者と保護者等との間で費用負担の原則やその量的規模の妥当性についての検討が行われ相互作用的に調整される必要がある。


また、学校外教育については、教育の機会均等原則を学校教育以外にも拡張して適応(ママ)される必要があるとの前提のもとで、子どもたちの学校外の学習の保障(学習保障主義)を普遍的に適用し運用していく必要がある。ただしこの際、どこまでが公費負担でどこまでが私費負担されるべきかという教育費の公私負担に関する基準の検討は、学校教育における公私負担と同様に不可欠である。(135頁)

むしろ逆に、教育費の公私負担に関する基準の検討が「相互作用的な調整」のもとで遂行される、という要素を準拠点として、新たな「教育の公共性」、あるいは「(組織志向ではない)個々の教育行為志向」の「教育の機会均等」保障を構想できないか。

留意点。上の引用の第二点目(学校外教育への公費支援)がある種の抑圧性――子どもが学習サービスへのニーズを持たないのに保護者が強制する、もしくは逆に子どもが学習サービスへのニーズを持っている場合に保護者がサービスを受けさせない――に帰結し(てしまうがゆえに新たな紛争源になり)がちであることには、すでに末冨の叙述内に注意喚起がある(124頁)。

いずれにせよ、

現在の学校教育制度の外側にあるものの、一定の公共性を有する教育活動に対する公費投入のあり方は、今後の教育費の公私関係の再編の基軸の1つとなっていくと考えられる。(133頁)

教育費の政治経済学

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