(何かの予告としての)教育政治の思想地図

「戦後教育学」の捉え返しは、昨今の日本の教育アカデミズムで一つの潮流をなしている感があるが、教育社会学界では、広田照幸が『思想』2007年第3号(岩波書店)の「思想の言葉」に寄せた「教育学の混迷」が一つのスタンダードな認識となってしまい(かつて自分が書いた小文にも、そのまま借りた部分がある)、ごく一部の例外を除いて、それ以上の議論の深まりをみせていない。

また、昨今の教育政治をめぐる認識としても、同じく広田照幸が『格差・秩序不安と教育』(世織書房、2009年、ただし初出はさらに前)で提示した「三極モデル」――旧来保守・新自由主義・社民リベラル――がしばしば参照されるが、そのことによって、これまたそれ以上の議論の深まりはみられない。

そうすると、「戦後」についても「現在」についても、日本の教育政治をめぐる認識の初期値を与えているのは広田だということになるわけだが、それは彼が何か「政治」に関して飛び抜けた見識を備えているからというよりは、斯界にそのような議論を展開する系譜と枠組みと知見の蓄積がないことの端的な反映でしかない。

日本の教育社会学は、教育における「経済」「産業」「労働」との接点の問題については多くの実証研究を蓄積してきたが、「政治」を正面から扱う分析は十分な展開を遂げてこなかった。いや、じつは正確を期せば、1960年代から80年代初頭にかけては、教育社会学者による教育政治・政策過程を扱った実証分析――教育委員の選出過程、地方議会選挙、教育予算編成や学校建築・人事行政などの領域における権力構造、自民党と文部省との政官関係etc.――はいくつかある。教育行政学が「アンチ教育行政学」の自己規定のもと――何のことかわからない若人は「宗像 アンチ教育行政学」あたりでおググりください――、まさに「戦後教育学」の有力な一翼として展開を遂げるなかでできた空隙を、実証的な教育社会学者の仕事が少しく埋めた。だがその後、そうした政治・政策過程そのものを研究対象とする確たる流れが教育社会学界に形成されたわけでもない(個別に見ても「ない」と言っているわけではもちろんない)。

その結果、教育政治を十分に対象化した議論は蓄積されておらず、その認識も過度に単純化された図式――保守と革新、文部省と日教組、「国家の教育権」と「国民の教育権」etc.――を大きく踏み出るものとはなっていない。既述の「三極モデル」も、あくまでこうした二項対立図式を前提にした修正モデルである。図式として簡明で便利には違いないが、それゆえの誤謬が潜んでいないとも限らない。それが学界の思考の初期値を構成してしまうのは問題があるだろう。

先に挙げた「教育学の混迷」にしても、あれがもし、「価値」や「運動」にコミットした戦後教育学 vs. 「実証科学」に専念し政策策定に関与した教育社会学、といった別様の単純な二分法をもたらすなら、教育学と教育社会学の間にあったさまざまな関係性のモメントを捨象してしまっているし、そのことによって深めるべき教育学批判と継承との論点を取り逃がしてしまうことになるだろう(たとえば有力な民間教育(研究/運動)団体の一つ、教育科学研究会が発行する雑誌『教育』や著書に収められた教育社会学者・松田洋介による論考は、その点を的確に抉出している。後者所収の久冨論考も「解毒剤」としてよい。ただし著書全体では別の「毒」に当たる向きもあるかもしれない。人生いろいろ、教育学もいろいろである)。

「社会(科)学の再帰性」などと大上段に構えずとも、教育政策立案や教育改革批判に重要な影響を及ぼした/ているという点では、教育社会学界も当の教育政治図式を構成する一アクターであって、その例外ではない。2000年前後の「学力低下/格差拡大」論や「ゆとり教育」批判で有力な論客となったのは教育社会学者であったし、さらに遡れば、1950年代後半から70年代初頭にかけて近代化指向の教育改革(教育=経済計画立案)に理論的・実証的知見を提供した――ことにより「戦後教育学」から蛇蝎のごとく(?)嫌われた――のも教育社会学者であった。

2006年の教育基本法の改定に象徴されるように、冷戦体制の崩壊によるグローバル化の新たな展開や新自由主義新保守主義的改革の進展を背景として、昨今の教育界が重要な政治的・政策的変動に襲われていることは疑いない。そのような状況下で、好むと好まざるとにかかわらず、気がつけば現実の教育政治の渦に巻き込まれているというのが、「政治」を正面から扱う議論の蓄積をもたない教育社会学界の現状なのではないか。「戦後教育学」自ら導出し依拠してきた「教育的価値」に対し、「距離」をとるだけで安全な足場が得られたフェイズは終わった。

そんなわけで、これまでなんとなく共有してしまってきた教育政治をめぐる思想地図(のようなもの)を、それ自体一度きちんと対象化して議論しておく必要があるのではないか。

その際、教育領域における政治の話を、教育領域にだけ閉じて議論することは、とても危うい。自ら見立てた対立図式を、ただ反復することにもなりかねない。戦後の教育政治の激しい対立を伴った展開は、「日本型福祉国家」に向けた動きとも連動していたし、昨今の「新自由主義」的展開もまたそうした連動の一環だろう。教育領域「外」の動きから教育政治を「相対化」する視点も必要だ。

このかん、「教育社会学の「教育学」化」との指摘は、積極的な選択としても、またネガティヴな懸念としても、しばしば口にされるようになった。厳密な因果推論を武器に新たな「実証科学」請負アクターとして教育政治に参入しつつある「教育経済学」の存在も関連しているかもしれない。以前も書いたが、教育経済学者が教育社会学も含めた自ら以外の教育諸学をすべて一括りに「教育学」と呼ぶのは印象的だ。ちょうどかつての教育社会学がそうしていたのと同様に。

そんな教育経済学者だが、昨今さまざまなメディアで――かつての教育社会学者以上の鋭い語気で――「エビデンスに基づく教育政策」を強調し、また現実に中央/地方政府の教育政策・計画の策定場面近くに委員として参加する場面を目にすることも増えた。ときに「社会実験」の必要性まで説く。もちろん重要な指摘ではある(また一口に「教育経済学者」といってもいろんな立場の人がいる)。だが、そこでは「誰が」、「何に」エビデンスを求めるのかの政治(ポリティクス)が内在的に問われる様子はあまりない。(文科省による)「少人数学級政策の教育効果」は問われても、(財務省による...と言ってよいだろうか)「大学の基盤的経費削減政策の教育効果」が問われることは、あまりない。

ここには明らかな「政治」がある。エビデンスをめぐる政治は、アジェンダ設定の主導権争いから始まるのだ。その現実にも照準しつつ、同時に――「政治」のフィルターを経たあとの――「客観的」なエビデンスにもとづいた検証に立脚し(た「政治」にもさらにコミットし)ていくことを、「エビデンスに基づく教育政策」は含意する。そうした「再帰的」な問いへの対応性能如何は、社会学に認められてよいアドバンテージの一つである。

もちろん、社会学者であろうがなかろうが、政策立案・評価や改革プロセスの渦中に一旦巻き込まれてしまえば、そこに働く「政治」力学を一人の当事者として反省的に対象化せざるを得ないわけだが(でなければ「当事者」である資格はない)、それそのものをも共同の学的検証の俎上に載せる、そうした概念装置を備えているかいないかの話である。

また付言しておけば、90年代以降の教育行政学では、とりわけ2000年代に入り、合理的選択制度論をはじめとする新制度論や政府間関係論など政治学行政学の理論的・方法論的ベースから、量的・質的調査を駆使した実証的研究の蓄積が進んでいる。「教育行政の学」から「教育の行政学」への転回を遂げて久しい教育行政学の進展を前にして、教育政治を捉える社会学にどのような固有の意義があるのかないのか(別になくても構わないが)、そのことも再審に付されてよい。

そんな問題意識をもう少し広く共有し、実際にそれに応えうる概念装置を整備していくための議論の場を企画した。いろんな人の協力を得ることができ、開催の見通しも立った。詳細が正式に告知できるのはもう少し先になるだろうが、ここ数か月にわたり、準備のための議論で書き散らしていたことや、書いていなかったことなどをメモしてみた。

格差・秩序不安と教育

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教育 2013年 05月号 [雑誌]

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戦後日本の教育と教育学 (講座 教育実践と教育学の再生)

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