彼の話

「先生に悪気がないことはわかっていますし、たぶんご自分では気づいていらっしゃらないのだと思うのですが、」

と、その学生は私のある講義終わりのレスポンスカードに書いていた。

「先生はとても簡単に“バカ”という言葉を使います。はっきり言って不愉快です。」

彼の言うとおり、指摘されるまで自覚はなかった。そして、悪気もなかった。

「実態は○○なのに△△なんていう政策を進めようとしている時点で、まったくバカじゃないかと思いますね」「バカみたいな話です」「バカか、と言いたくなるでしょう?」といった風に、それまでの私は、何かへの、あるいは誰かへの軽侮の念を込めた批判 非難の意志を表すとき、「バカ」という言葉をとても安易に、それゆえ頻繁に用いていた。

彼は続ける。

「僕は小学校時代、特殊学級に入れられたことがあり、同級生たちに“バカだ、バカだ”と言われ続けて、さんざんバカにされました。“バカ”という言葉は、とても人を傷つけます。」

「そんなとき、特殊学級で僕の担任になった先生だけが、“お前はバカじゃない、絶対バカじゃないからな、いっしょにがんばろうな”と励まし続けてくださいました。とても熱心に、根気強く勉強を教えてくださいました。その先生のおかげで、今の僕があります。」

「あの先生のような大人になることが僕の目標です。森先生も、授業のなかでそんな簡単に“バカ”という言葉を使わないようにしてください。お願いします。」

――――言葉がなかった。自分を恥じた。

次の週の講義の冒頭、そのカードの内容に触れ、謝罪し、感謝の気持ちを伝え、そして約束した。もう授業のなかでそんな簡単に“バカ”という言葉を使わない。

彼は私の大切な恩師のひとりである。

それ以外にも、前の職場ではいろいろなことを学んだ。そしてそれ以来、守るようにしていることがいくつかある。

ひとへの軽侮の念を示すために「バカ」という言葉を使わない。「今の学生は…」という定型の学生dis・若者dis、「今どきの親は…」といった定型の保護者disに与しない。「あんなFラン…」という特定の大学dis、「学校はダメだ、教師は“バカ”だ、教育界/学の全体が“バカ”みたいだ」といった一般化された教育dis、教師dis、陳腐な教育「学」disからは距離をとり、必要があれば抵抗する。

守るよう心がけていることと、守れていることとは違う。そのあとに同じ過ちを繰り返したこともあるだろう。だがだからこそ、つねにそのことを胸に刻んでおく。

社会学に限らず、社会科学の研究界隈にいると、教育(界/学)を皮肉ったり揶揄する言葉や態度に出くわすことがしばしばある。それも、とても安易にそうしている。比較的「教育」に近いところで仕事をしているので、余計目につくのかもしれない。教員養成大学で働く前の私も、きっとそういう人間のひとりだったに違いない。ある面で、教育(界/学)はシニカルな、それゆえに無責任な揶揄の対象にはしやすいから。

前の職場にいたときに、何人かのすぐれた教師(教育実践家)に出会えたことが、そして、彼/彼女らが私のような(社会(科)学の言葉しか使えない)人間にも伝わる言葉で教育実践を語ることのできる実践家であったことが、何よりの幸いであった。実践家は(も)、実践を分析する鋭利な視点と豊かな言葉をもっている。当たり前のことだ。それまでの私がそれを想像しようとしなかっただけのことである。

他方で、とても真摯に教育と向き合う人びとの口から、教育の実践や現場をdisる言葉が発せられる場面に出くわすこともある。本当はある特定の実践や、実践者や、教育現場をdisっているのだが、口から発せられた言葉はとても一般化された、それゆえ陳腐で無意味な教育/教師/現場disに聞こえてしまう。

おそらく、真摯に教育に向き合うがゆえに、本気でかかわろうとするがゆえに、歯がゆいのだ。教育現場に改善への兆しが一向に表れない(ように思えてしまう)ことが。本当はそんなことなどないのだが。ときに悪貨が良貨を退けているようにも映る。そう映る実態も、おびただしい制約のもとで強いられた「現場」の捻じれの現われで、そんなこと言われずとも、知らないわけではないのだが。気づけないのだ。いま自分の発した言葉が、“そういう言葉”になってしまっていることに。

もし本当に本気で教育現場とかかわって、少しでも実践(者)に資する役目を果たすつもりがあるのなら――つまり、「教育学者」として在るつもりなら――、どうであろうと「現場」disを口にすべきではない。そう学んだ。それはきっと一般化された教育/学校/教師disになってしまっているから。そして、一般化された教育/学校/教師disほど簡単に教師との信頼関係を壊してしまうものはないから。教師とのあいだに信頼が築けないのに、どうして「教育をヨクする」ことなどできるだろう。

「現場」にいるのは自らと理念をともにする実践者だけではない。だから、「教育現場にかかわる」とは、自らと理念をともにしない実践者、自らともっとも遠いところにいる教師とこそ対話し、理解し、互いの間に走る亀裂を自覚しつつ、なお伴走していくことを選びとることであるのだろう。そのためには一体どれほどの知性と教養、知識とスキル、信念と現実感覚とが必要であるのか。考えると、少し気が遠くなる。

ある日、ある教育学者に誘われて、ある中学校の研究授業を参観した。その学校の教頭、教務主任がそれとは別に、実はある教師の授業をちょっと見てほしい、そしてできたら「指導」してほしいという。いいですよ、とその教育学者。なりゆき上、なぜか私もついて行く。

チャイムが鳴って、すぐにわかった。授業が成立していない。若く、とても有名な大学の、大学院もでた、新任の教師である。

終わってから個別の研修会。件の授業者、教育学者、教頭、教務主任、それに私。授業者に自己評価を語ってもらい、その一つ一つにさらに質問を重ねながら、示唆を与えつつ、問題を共有していく。そして、それは起った。

おおげさに言えば、授業者の口からでたその言葉を耳にした瞬間、私は頭の血が逆流する思いであった。教頭と教務主任は苦り切った顔で視線を落とす。およそ教育に携わる者の口からでるべき言葉ではない。彼が“そういう人間”だから生徒がそれを嗅ぎとって授業が成立しなくなったのか、それとも授業が成立しないという現実が受け入れられず、それを生徒に投影するのかはわからない。わからないがしかし、言ってよいことと悪いこととの一線は厳としてある。明らかに、その一線を超えていた。

思わず私は隣の教育学者の顔を見た。その場にいる誰よりも怒りで顔を紅潮させているように見えた。だが口調は一切変わらず、それまで以上に真っすぐ彼と向き合い、一つ一つ言葉を選び、ゆっくりと、丁寧に対話を進めていく。

どれだけの時間が経ったのか。ふたりが共有したその場の対話が進んだ先で、件の若い教師は「わかりました」と言った。自分は間違っていた、と。そこまで辿り着き、席を立ってもう帰ろうというときには、教頭と教務主任と、そして何より彼の顔が少し晴れやかなのが印象に残った。

帰りの車内で、「○○さん、あのとき頭にこなかったですか?」と尋ねたら、「もちろん頭にきたよ」と返ってきた。そうか、そりゃそうだよな。当たり前だよな。

「それにしても、どうしてあんなことになるんでしょうか?」との私の問いにも、彼はきちんと答えてくれた。とても納得した。なるほど、そうか、そういうことか。

私の考える「教育学者」とは、そういう人のことである。