宮寺本書評会雑感、からの石浜西小・拡大現職全体会へのお誘い

先週土曜日には某研究会(通称:広田理論科研)で宮寺晃夫(編)『再検討 教育機会の平等』(岩波書店、2011年)の書評会があった。

再検討 教育機会の平等

再検討 教育機会の平等

といっても、執筆陣のうち当研究会メンバーでもある人の論考限定の書評会で、しかも当日は時間が足りずに大御所2人(編者と科研代表者)の論考には触れられずじまいであったのだが。

厨先生執筆章にあっては「コメンテーターからご質問いただきましたが答えは期待されてないと思いますので(大意)」、からの厨先生のご講義とあいなって、編者苦笑のなかそれはそれで大変楽しく、また有意義でもあった。私ももういい年でもあるので、早くああいう受け答えのできる大人になりたい。

拙稿(「個性化教育の可能性―愛知県東浦町の教育実践の系譜から」)に関していえば、コメントをくださったお二人にはいずれも正確にエッセイの主旨を汲んでいただき、感謝している。教育社会学専攻のコメンテーターからは、拙稿の「論証は特徴的」であり「学問的作業であることは間違いない」が「何をしているのだろうか」という問題提起からのコメントをいただいた。

その点についていくらか語った記憶があるが、たいしたことはしゃべっていない。しかし会が終わってからの雑談でもうお一人のコメンテーターからは「ああいうアプローチはむしろ歴史研究では当たり前のことであって、ごく自然なことですよ」というお言葉をいただいて、まあこれはたいへんにありがたいことであった。教育(思想)史研究プロパーの方にそう言ってもらえるというのはですね。「いま」の学校に入って見て聞いて考えたことを書いている文章だからあんまりそう思われないかもしれないが、あれはほんとは歴史研究である、というか歴史研究(的)でもあろうとしている、という程度には。

概して若い教育学者の方に好意的に読んでもらえたのは望外の喜びである。ぜひ、件の学校の先生方にもお伝えしたい(というかお伝えした、さっき)。

しかし教育学者の方に好意的に読んでもらえる文章をこの私が書くことになろうなどとは、10年前なら夢想だにしなかったことである。人生とは一寸先は闇である。

もちろん、そうは読まない教育学者のほうがもっといっぱいいるのではあろうが。

そこでお知らせ、というかお誘いが一つ。

拙稿「個性化教育の可能性―愛知県東浦町の教育実践の系譜から」で論述対象となりました東浦町立石浜西小学校では来年2012年の1月23日(月)に「拡大現職全体会」という、まあいろいろまるめてざっくり言うと公開授業研究会のような外部に対する授業公開の会( 拡大現職全体会(一次案内))を催します。

リンクを参照していただければわかりますが、当日公開授業後の会で不肖・森も、7年近くにわたり本校の学校改革をサポートする助言者として伴走してきた佐野亮子先生と対談っぽいことをさせていだたく予定です。

ということで、拙稿をお読みになってこの学校の取り組みや、あるいはこの学校自体に興味をもたれた方、拙稿は読んでないが(これからぜひ購入して読もうと思っているが←これ重要)本ブログに辿りついて同じく興味をもつようになった方、私の知り合いや知り合いでない方、上述の科研のメンバーの方やメンバーでない方、研究者の方、現職教員・退職教員・未来の教員(←つまり教員志望の学生・院生さん)の方、どういう方でもいいので、ご関心をもたれた方はぜひ、この日の公開授業に足をお運びください。

その際、拙稿もしくは本ブログ経由で情報を得て参加を希望される方は、森宛てにメールにて参加希望の旨を事前にお伝えいただければ幸いです。返信にて当日の詳細についてお知らせいたしますので、本ブログ・プロフィール欄に記載のアドレスまでご連絡ください(もちろんリンク先記載の通り、 学校HPから直接「学校参観依頼書」にて参加を申し込まれても結構ですが、森経由にしていただけると、もう少しきめ細やかに対応させていただきます(^^))。

「○○学習」だとか、本に書かれていることが実際とどのように同じかあるいは違っているか、ご自分の目で確かめていただく絶好のチャンスと思われますので、奮ってご参加ください。そういう機会ってなかなかないと思います。終わった後は一緒に打ち上げのお酒でも飲みましょうw。

さて、書評会雑感の続きであるが、どういう話の流れであったのかもう忘却の彼方だが、そもそもどうしてこういう実践に興味をもったのか的な質問を編者から受けての自分語りが少し入った。ああいうのを正しく陰謀という。

どうしてこういう実践に興味をもったのか、という質問はこの間いろんな立場のいろんな人に何度も聞かれた。ということは、私のような人間がある教育実践に興味をもつというのはよほど奇矯なことなのであろう。逆に言うと陳腐な質問である。いろいろ模索したあげく、自分のライフストーリーとしてまとめあげると一番早く相手が納得してくれるというのもまた共通の事象である。

それはそれでいいんだけど、それってでも同じ理屈で特定の論者の議論の価値を貶めるのにもよく使われる手だよね教育の世界では――ということぐらいは釘を刺しておく(少なくとも私は見たことあるよ、教育さんが他の教育さんの議論をそうやって貶めるところを)。

めんどくさいのでそこではだいぶデフォルメしてしゃべったが(おおむね嘘でもないのでよしとするが)、まあちょっと下世話な面白さもあろうかというところなので、ついでにもう少し語っておいてもよいかと思う。

私が最後に前任校を離れるとき、個別化・個性化教育の実践プログラム開発の当事者であった成田幸夫先生と送別会の席で酒を飲みつつ話をしてるうちに、私と成田先生とがある重要な一点で成育歴上の共通点をもつことに気づいたということがあった。

それはあまり人にすすんでしゃべるようなことではないし、しゃべりたくもないことだったので、当時なんで突然そんな話になったのか、酔っ払っていたのでその点もすでに忘却の彼方である。

でもその流れで、成田先生はちょっとだけ、自分がどうしてあのような実践開発に情熱を捧げたのかの一端を話した。

それをもってあの実践開発を支えた動機と読み込むのは上述したような意味において愚かで暴力的な解釈の押し付けではあるのだが(そしてそういう愚かな読み取りをするのが研究者という生き物でもあるのだが)、一方で、たしかにそのように読みたい衝動にも駆られる話でもある。

念のため申し添えるが、それはあの書評会の席で私がしゃべった内容とはぜんぜん違う話である(そんな話するわけないだろしらふの席で)。>関係者限定。

どうよ、このミステリアスな過去に彩られたおれ(違

もう少し話をしてもよいかと思ったが、思いのほかめんどくさくなってきたので、今日のところはここまでとしておく。

上記の拡大現職全体会に来ていただければ、きっと成田先生にもお会いできると思いますよ。ちょー面白い人っすよ。