レスラー

ミッキー・ローク主演,ダーレン・アロノフスキー監督,2008年アメリカ.

いろんな意味で想像以上の作品でした.

ミッキー・ローク演ずるのは80年代のスター・レスラー,ランディ・“ザ・ラム”・ロビンソン.金も名声も肉体も,かつての黄金期の片鱗さえ見るべくもなく失った現在でもオールド・ファンや若いレスラー仲間からは絶大な人気と信頼とを得ているカリスマ・レスラー.その彼も肉体の衰えはいかんともしがたく引退を決意し,新しい仕事(スーパーの総菜売場の売り子(!))に就き,疎遠になっていた娘との関係を取り戻し,第二の人生を歩もうと試みるが...というストーリー.

本質的には誰にも訪れるであろう,とてつもない老いと孤独と貧困の恐怖と哀しみを描ききった作品.周りの女性客はラストシーンのランディに涙していたようですし,開演前には「私『レスラー』にはまったわ」と話されている(おそらくは複数回目の鑑賞であろう)初老の女性客の方もいたようです.

しかし,私には正視できなかった.

かつて一人のプロレス・ファン少年であった私には,プロレスラーの晩年の姿としてあまりに赤裸々に過ぎて,正視することの難しい作品でした.それはある意味では本作に対する最大限の賛辞のつもりです.

けれども最後まできちんと見ましたよ.ブルース・スプリングスティーンの歌う「ザ・レスラー」が流れるなか,エンドロールの最後まで.というか,私を含めて誰も立ち上がることのない(できない)エンディングであったといったほうがよいかもしれません.

映画の開始からずっと脳裏に浮かんでいたレスラーが2人.1人はテリー・ファンク.しかしそれは80年代にファンクスとして絶大な人気を誇っていた当時の姿ではなく,その後しばらく日本マット界から姿を消したのち,大仁田厚の率いるFMWの有刺鉄線が張られたリングに上がり,血まみれになり電流爆破を受けていた頃のテリー.

もう一人はダイナマイト・キッド.しかしそれは80年代に初代タイガーマスクの好敵手として,またおそらくは史上最も美しいダイビング・ヘッドバットを繰り出して絶大な人気を誇っていた当時の姿ではなく,現役時代のステロイド投与や度重なる無理なファイトの後遺症で車椅子生活を余儀なくされ,ひっそりとプロレス界から姿を消した(と風の噂で耳にした)彼の姿(それは想像するしかないわけですが)...

彼らをそのような存在にするまでに崇め,かつ,追い込んだのは,他ならぬかつてのプロレス少年である私自身でもあるからです。

80年代に二枚目俳優(死語)として絶大な人気を誇ったのち俳優としての「どん底」を味わったミッキー・ロークも,「ねこじゃらしパンチ」で日本国中の失笑をさらった当時の面影――それは「ナイン・ハーフ」の頃の面影,ということでもあるのですが――など微塵もなく,「かつて栄光を味わい,今は過去のプライドと過去を知る者からのリスペクト以外はすべてを失った男」の貧困・孤独と老醜を壮絶なまでに全身全霊で怪演.もしかしたら「主演:ミッキー・ローク」という事前情報がなかったら最後までそれがミッキー・ロークであることに気づかなかったかもしれません.

これもある意味ではミッキー・ロークの役作りと演技に対する最大限の賛辞のつもりです.

しかし,プロレス・ファンはこの物語をどう受け止めるべきなのでしょうか? ランディの最後のマイク・パフォーマンスにどのように応えるべきなのでしょうか?

作品中には,繰り返されるステロイド剤接種や試合前のギミックを仕込む情景なども露悪的なまでに,しかし淡々と描かれていきます.

〈レスラー/男〉と対比的に描かれる〈ストリッパー/女〉の構図もプロレス・ファンにある種の「現実」を強烈に突きつけるように描かれます.図式的には(本質的にも?)プロレス・ファンとストリップ・ショーをかぶりつきで眺めている〈男〉たちとは同じ布置にあるというわけです.

実際にこの映画を撮った監督がどうなのか知りませんが,鑑賞後の印象として言えば,誰よりもプロレスを愛したがゆえに誰よりもプロレス・ファン(=自分)を呪う者の作った映画,という感じでしょうか.

制作会社は「主演:ニコラス・ケイジ」という方針だったのに対して,監督は「主演:ミッキー・ローク」にこだわり製作費の大半が削られてしまったとか.結果,一台のカメラがドキュメンタリーのようにランディの日常を撮るかのようなカメラワーク.最終的に監督のそのこだわりは成功しすぎなぐらい成功しています.

プロレスにさほど関心がない人には上級の「ヒューマン・ドラマ」として鑑賞できること請け合いの作品.ぜひご覧ください.

かつて,もしくは今もプロレス・ファンである/であった人は,見ておくべき作品.必ずご覧ください.

それにしても本作中にも「80年代最高!」「90年代最低!」というやりとりが.そして最後に20年ぶりの(ランディにとっては命がけの)再戦に臨むときのランディの入場曲はガンズ・アンド・ローゼズ(!).きちんと引導渡して「死なせて」やるべきではないかと本気で考える.成熟することを禁じられた80年代を.