チェ28歳の革命/39歳別れの手紙 ( & 敵こそ,我が友)

それにしても奥さんの家(現在プチ別居生活です)の近くにいい映画館があってよかった.1200円で映画が見れて5回行くと1回タダ,さらに月曜メンズデー1000円,火曜レディスデー1000円,1日ファーストデー1000円,その他,定期券みせたらエコ割引サービスありって利益出せてますか,支配人?

まあ,公開スケジュールはまったく遅れるので話題作をはやく見たいという方には不向きですが,そのぶんミニシアター/インディペンデント系の作品も(地方生活でありながら)存分に見られるので重宝してます.映画館って洋服屋(セレクトショップ)と一緒で,都会か田舎かっていう以上に自分と趣味の近い人がやってる店が近くにあるかどうかが重要なんですね.あと個人的には上映予定の映画のチラシをばんばんくれるのも気に入ってます.ことの性質上,ド地方の映画館の場所情報をここで公開しても営業的なメリットはないでしょうから実名は出しませんが,お客さんとして足しげく通うことで,この映画館存続の一助としたいと思います.

というわけで,思いっきり遅れてチェ・ゲバラ2部作(スティーヴン・ソダーバーグ監督)を鑑賞.勝ち戦(28歳)と負け戦(39歳)のお話です.

第一,搾取の構造があるとして(いやあるのですが),その打開策として(武装闘争という名の)「戦争」という手段が正当化されるか.第二,正当化されないとしたら(たとえば)独裁政権下で民主的意思決定の可能性が閉ざされた政治空間〈内部〉の人間は,どのようにしてその状況を打開しうるか.

印象的だったのは,エルネスト・ゲバラがゲリラの「教育」(ほとんど3R'sレベル)をすごく重視した人物として描かれていたことです.文字の読み書きができて最低限の計算ができることは政治的主体化の前提としてとして欠くべからざる要件である,というのは最先端の識字研究が教えるところでもあります*1.文字の読み書きがどのような〈共同体〉で実践され体得されるかが,そこで形成される批判的知性や自立精神のありようを規定するというわけです.

だとすれば,そのような知の創造/伝達の場を組織化する最高学府としての「大学」が果たしてきた/果たしている社会的機能は過小評価されてはならないと思われます.教育の制度化以降,上級学校はつねにより下級の学校の教師を輩出してきました.教育の制度化以前から(ということは,国民国家より先に)存在した最高学府「大学」が特権の場であったことは,「大学」に社会変革機能の潜勢力があることの裏返しではないか.少なくとも,国民国家における「教育」は政治権力にとって両刃の剣であり続けたし,これからもまたそうであり続けます.その潜勢力をどのような形で浮上させることができるかが大きな分水嶺となるのでしょう*2

軍人/革命家・ゲバラにほとんど興味はもてませんでしたが,教師・ゲバラの姿は大変面白く鑑賞しました.

それにしてもゲバラの最期をみるにつけ,クラウス・バルビーを描いた『敵こそ,我が友』(ケヴィン・マクドナルド監督)を思い出さざるを得ません.奥さんと二人で初めてこの映画館でみた映画です.ナチスの親衛隊中尉の虐殺と拷問のノウハウが戦後の冷戦構造のもとで延命/利用されて,この時期のボリビアをはじめとする南米独裁政権に「輸出」されていたという指摘は,私自身そのつながりに無知だったので単純に驚きでした.「ゲバラなんか大したことねえよ」とうそぶくバルビーの顔を思い出してしまった,ゲバラ最期のシーンでありました.

敵こそ、我が友~戦犯クラウス・バルビーの3つの人生~ [DVD]

敵こそ、我が友~戦犯クラウス・バルビーの3つの人生~ [DVD]

*1:もうすぐ比較教育社会史叢書でもこのテーマの巻が刊行予定のはずです

*2:その点で,「最高学府はバカばかり」だから下流大学を全部淘汰して大学進学率20%ぐらいまで落としていいんじゃないの,という類の議論は,この「教育」がもつ「両刃の剣」的潜勢力を軽く見積もりすぎです......じゃないか,逆向きに切れるほうの刃を重く見積もってっから進学率落としたいのか,こりゃ失敬.