ファシズムと現代

神島二郎「天皇ファシズムと庶民意識の問題」『近代日本の精神構造』岩波書店,1961年.

「階級分化」が階級分化としてひとびとに映じないで、秩序感覚の不安としてあらわれるがゆえに、それは正体の分からぬ危機であり、同時にまたそれゆえに烈しいとも言える。・・・危機の受けとめ方が危機の処理方式にもかかわっており、危機はもっぱら意識の問題として処理されるからであり、しかも意識の分極化を再統合に導く契機は伝統的に具わっていたと考えられる・・・日本ファシズムにおいては、このような伝統的統合方式が大衆社会固有のメカニズムによって補強されている。(41頁)


政治的にはこれ[客観的条件による把握]と併行して主観的条件による把握がよりいっそう重要となる。なぜなら、客観的階級帰属がただちに主観的階級帰属とはなりえないからであり、政治がひとびとの意思によって支えられるかぎり、主観的な階級帰属意識が政治の帰趨を決定するのは事理の当然であり、そのゆえにこそ客観的帰属のあいまいな社会層の主観的帰属が尖鋭な問題たらざるをえないからである。そこにこそ、意識面から迫ろうとした私のいわゆる〈第二のムラ〉の問題的意義がある。したがって、客観的帰属を問題とする「中間階級」にたいして、主観的帰属を問題とするという意味で、私は「中間層」をいう言葉を使いたいと思う。・・・このような日本の中間層は、私のいう〈第二のムラ〉として形成されたものであり、このような方法によってこそはじめてこの過程の統一的理解が可能になると私は考える。(60頁)

[都会においては]前近代的要素は歴史的にも社会的にも個人の主体性に媒介されることなく近代的要素にはまりこんでいる。これが日本ファシズムの解明において重要な意味をもつ。なぜなら、ともかくも後者が存在することがファシズム一般との共通性をもたらし、同時にそこに前者がはまりこんでいることがその日本的特質を規定していると思われるからである。(71頁)

以下メモ.

ファシズム期だけの問題ではない.1920-80年代を一貫する日本社会に実現された近代を理解する枠組み.「中間層」/「総中流社会」,ファシズム期/高度成長期。20年代準備→30年代展開→戦時体制進展/敗戦と戦後混乱期の〈集合的〉経験→50年代展開→高度成長期進展→80年代変質の開始.構造変動(という表現で何を意味しようとするのか)とのズレと重なりをもって展開する〈集合意識〉の問題.