宮教・林竹二・多様な教育機会
宮城教育大学で開催された教育学会第77回大会2日目の課題研究Ⅰ「義務教育を問い直すーー「教育機会確保法」の成立を踏まえて」に登壇した。そこで「「教育機会確保法」の歴史的展望ーー長く継続的な過程の一局面」という報告をした。
同じ部会の登壇者としてご一緒した東京シューレの奥地圭子さんと部会終了後にお話ししていて、どういう流れでそういう話になったのか、「わたし若いころ息子と一緒に南葛であった林竹二先生の授業を受けているんですよ」とおっしゃった。
たいへんに驚く。
林竹二という哲学者は、1965年に東北大学教育学部から分離、設置された宮城教育大学において、1969年から1975年まで、同大学の学長に就任している。大学紛争華やかなりし(?)頃の逸話は多い。
同じ頃から最晩年にかけて、日本各地の学校、とくに定時制高等学校で、授業「人間について」をはじめとするいくつかの授業を行って廻る「授業巡礼」の営みを続けた教育者としても知られる。
「南葛」というのは都立南葛飾高等学校の定時制課程のことである。そこで行われた授業「人間について」を、当時、リアルタイムでその場で受けていたというのである。
大げさに言うと、にわかには信じがたいものがある。
話せば長くなるが端折って言うと、私が前任校の教員養成大学で初めて教えることになったとき、「教師論」という教職科目の導入には、私自身が林の授業「人間について」を「再現」する、という試みをやり、その職場を辞めるまで、それをやり続けた。そのために湊川や南葛で行われた授業記録を収録した著書も擦り切れるほど(←若干盛った)読み込んだ。その人の名を、さっきまで同じ壇上にいた、日本のフリースクール実践・運動を30年以上にわたり牽引してきた人物の口から聞くことになろうとは。(念のため追記しておくが、林の授業「人間について」は、ある非常に大きな問題をはらんだ実践でもあるーーすばらしい授業、だがそこには重大な科学的な《フェイク》が含まれるーー私の講義では、その問題性の確認・検討と「セットで」、この授業実践を題材に教職というものを論じていくという問題設定にしていた。)
そんなわけで林竹二について書いていたエントリをサルベージ。
もう一個は、前段で本田さんの著書にひどい当たりっぷりをしている箇所が長く続いてしまうので内心忸怩たるものはあるが、そこはがあああっとスクロールで飛ばしてもらって、下の方にある「教師論」というところに当時のことをシラバスとともに少し書き込んである。
いろんなことが、じつはいろんな形でつながっているのかもしれない。不思議な縁だ。おもしろい。
明日になると恥ずかしくてとてもアップできなくなると思うので、たぶん明日には後悔することになるんだろうけども、ここにメモしておく。(部会終了後の当日記)