社会の・多様な教育機会

このエントリは某研究会の備忘メモである、が、メモに至るまでの前置きは長い。


1.戦後の_「日本の学校」の_歴史
「学校の外」にも「教育」と呼びうる営みは存在する。もちろん。それを指して「社会教育」という日本語もある。公民館や図書館・博物館だけが「社会教育」ではない。

学校教育法の第一条に規定されたもの――「この法律で、学校とは、幼稚園、小学校、中学校、義務教育学校、高等学校、中等教育学校、特別支援学校、大学及び高等専門学校とする」――のみを「学校」と呼ぶ立場からは、自主夜間中学、外国人学校フリースクールオルタナティブスクール、等々はすべて「学校に類するもの」、あるいは「学校に類するもの_ですらないもの」であって、そこで繰り広げられている営みが仮に「教育」と呼びうる価値あるものだったとしても、それは「学校外の教育」、その意味で――いささかの違和感は禁じ得ないが――「社会(の)教育」ということになる。

木村元の『学校の戦後史』(岩波新書、2015年)は、戦後の_「日本の学校」の_あゆみを描く。「日本の学校」は、明治以降に「西洋でつくりあげられた近代学校を移入し、日本の社会に合うようにつくりかえていった過程」(2-3頁)のうえにある(=第一章「「日本の学校」の成立――近代学校の導入と展開」)。そのうえで、「筆者は、学校の歴史的な展開を、それぞれの時代の新たな課題に対応するため、学校が自らの姿を調整しながら内実を整えていった過程ととらえる」(2頁)と宣言された視点から、戦後の_日本の_学校の、歴史的展開が描かれる。

それはいわば、「学校」が_「学校の外」(の変動)に対応しながら_「学校の外」にあったものを絶えず組み込みつつ_「学校」であり続ける歴史、となるだろう。

時期区分は以下の通り。「戦後民主主義社会の構築を担う教育」が課題であった「敗戦後から1950年代までの第1期」(=第二章「新学制の出発――戦後から高度成長前」)、「産業化社会の構築に対応する教育」が課題となった「1960〜80年代の第2期」(=第三章「学校化社会の成立と展開――経済成長下の学校」)、「新たな課題への対応と学校の土台の再構築」として画される「現代に至る第3期」(=第四章「学校の基盤の動揺――1990年代以降」)。そして、終章「学校の役割と課題――戦後学校制度の再考」においてまとめ。

新学制の出発(第二章)において「学校」の新たな体系(=6-3-3制の単線型学校体系)を構築・整備するにあたり、「学校」の「内」と「外」の境界にあって、あるものは「内」に取り込まれ、あるものは「外」へと放逐される。「定時制課程の設置」(66頁)、「夜間中学の出現と福祉教員」(68頁)、「障害児の学校」(69頁)、「朝鮮学校をめぐって」(71頁)、「沖縄の教育基本法」(「「戦後」教育の展開のなかで」、73頁)。新制高校定時制課程以外は、新たな「学校」の枠組みから除外される。除外されつつ、「学校の外」にはじき出された子どもたちを支える実践が展開する。

「生計をたてるために働かざるを得ない大量の子どもたち」=「不就学・長欠児童生徒」、就学義務猶予・免除規定の存置により就学の義務制が延期された障害児、において義務教育が保障されない状況に対し、その就学機会をひらこうとする動きが「学校の外」に展開するとともに、「教育(学校教育法)と福祉(児童福祉法)にまたがる法制システム」で対応することになる(70頁)。この「教育と福祉」の「二元的法制による対応」という論点は、現在を考えるうえでひとつの焦点となるだろう。

他方、英文教育基本法案の"the people" を「国民」として国籍保持者に限定した「教育基本法下において、教育の自主性や民族教育がもつ『価値』が、教育の『公共性』と相容れないものとして排されること」となった朝鮮学校は、その後、都道府県ごとに各種学校(「学校教育に類する教育」)として認可を受け、正規の「学校」の枠組みの「外」に展開する。また、アメリカの「直接的な軍事占領下で始まった沖縄」では、「教育基本法」の成立が、いや「戦後」の到来そのものが未達であった。

したがって、「公教育」からの排除とは、(1)「公=国家/国民」からの排除、(2)「教育=学校」からの排除、の二重の契機――「日本_の_学校」からの排除――としてある。

こうして構築された「学校」の枠組みのもと、経済成長を背景とした第2期(第三章)に、「学校を当たり前のものとして受け入れ積極的に利用する『学校化社会』の構築が急激に進」む(7頁)。沖縄の教育民立法(1958年)、技能連携制度(1961年)、高校全入運動(1962年〜)、沖縄「本土復帰」(1972年)、養護学校義務化(1979年)等々による「学校」への組み込みは続く。だが――という逆接でよいか――「学校に行くことが普通になるや子どもは学校に行かなくなった」(15頁)。

「1980年代後半から・・・学校に行かない・行けない人たちが安心して過ごせる『居場所』づくりや、フリースクールオルタナティブ・スクール)と呼ばれる学びの場を設立する動きが急速に進展する」(17頁)。折しも「転機としての臨教審」において「国家に依拠したこれまでの公教育概念を問い直し・・・『教育の自由化』を明確に打ち出」す動きを背景に、「教育における規制緩和と教育サービス提供の主体の多様化、さらに教育を受ける側の選択機会の拡大」(135頁)をめざす制度基盤の変容が進む。それが第3期、現在に至る。

教育特区を利用した株式会社立「学校」の試行的導入のほか、学校選択制の拡大、中高一貫中等教育学校の拡大、習熟度別学習の促進、大学入学年齢制限の撤廃、民間人校長の任用と校長裁量権の拡大、学校の外部評価の導入と公表、日本版公設民営学校(チャーター・スクール)たるコミュニティ・スクールの導入、これらと対比的に進む「国旗・国家法」の制定と学校現場への指導徹底や、「教育振興基本計画」規定を含む2006年の教育基本法の改正では「戦後教育における国家と個人の関係の見直しを含めて、教育政策における国家の役割が示された」(137-9頁)。

こうした動きすべての渦のなかで、渦に巻き込まれながら、「新学制の出発」(第二章)において「学校の外」に放逐されていた論点が――姿を変えつつ――回帰する。不登校/登校拒否の増大という現象を受けて「学校」の枠組みの「外」にある子どもたちの「居場所」として拡大するオルタナティブ・スクール/フリースクール/フリースペース、その制度化をめざす動き(160-2頁)。「現行の制度では、日本にいる外国籍の子どもが教育を受ける権利は保障されておらず、あくまで日本の学校への通学を希望する場合に『恩恵』として日本人と同様に取り扱」われてきた外国籍の子どもたちの教育保障(162-4頁)。貧困や生活困難を背景にした「脱落型不登校」として可視化された長期欠席児童生徒の存在への対応(164-6頁)。

そこでは、「公教育制度としての学校のあり方自体も問われている」(183頁)。とられる対応策の路線は二つ。ひとつは「内側の取り組み」(164頁)。「居場所としての学校」をケア/福祉の観点から編み直す。スクールカウンセラーやスクールソーシャルワーカーらも組み込んだ「チーム学校」の路線。もうひとつは、「多様な学び」の機会を保障する制度化へと向かう、「多様な教育機会の確保」路線。この路線を先導した動きの背景には、第2期には一体化し自明視されていた「教育」(教育の権利)と「学校」(就学の権利)との結びつきの「相対化」があった。

戦後の学校制度は、子どもたちの教育への権利を保障するものであり、教育の機会均等の重視と、学校の就学機会の確保が、さまざまなかたちで進められた。貧困への対応や就労との関係なども制度的な裏づけをもって積極的に進められたことで、経済的・文化的要因での不登校は減少の一途をたどった。夜間中学校や定時制高校の存在はそれを象徴する。


しかし、1970年代の中盤以降、学校不適応による不登校の子どもが増加に転じる。子どもと学校制度との乖離が進み、子どもの教育の権利を保障することと、学校制度を充実させることが、ストレートには結びつかなくなったといえる。(183頁)

特区制度を利用して不登校の子どもたちのためのフリースクールから生まれた私立中学校の設置も2007年に認可されるなど、公教育自体がその概念を広めている。こうしたオルタナティブの教育の場の展開は、子どもの教育の権利を保障するために、「不就学の権利」という要求を生み出すことになった。一体化していた教育の権利と就学の権利が、相対化されたといえる。(184頁)

もう一段、正確に言うならば、「日本_の_学校」への「就学の権利」と「教育の権利」との――唯一絶対視されてきた――結びつきが相対化されている、ということだ。これまで日本の「公教育」からの排除は、「公=国家/国民」からの排除、と、「教育=学校」からの排除、の二重の契機としてあった。逆に言えば、「学校の外」にあった多様な学びの「公教育」への組み込みは、「公=国家/国民」への回収と「教育=学校」への回収、という二重の回収を意味することになった。その二重の回収を拒絶しつつ、教育の権利を保障する、という課題。

2010年、公立高校授業料無償化・高等学校等就学支援金制度の施行、さらに同年に審議未了なった「外国人学校支援法案」(義務教育段階の外国人学校に対する支援に関する法律案)、そして昨年9月には「多様な教育機会確保法案」(義務教育の段階における普通教育の多様な機会の確保に関する法律案)。

後者が当初「オルタナティブ教育法」という仮称であったことは、「二重の回収」を拒絶しつつ教育の権利の保障をめざした姿勢を象徴する。今年2月の座長試案では「多様な」の文言がすべて削られ(義務教育の段階における普通教育の機会の確保等に関する法律案)、現在に至る。そこに、「学校」ではない《オルタナティブ》な「教育」の制度化、というポテンシャルはすでにない。これもまた、「学校」が「学校の外」を絶えず組み込みつつ「学校」であり続ける長い歴史のひとコマだ、ということもできるだろう。

「多様な」の文言が全削除された法案は、「普通教育の機会の確保」をめざすという。普通教育とはつまり、ユニバーサルな教育、ということだ。


2.「学校制度内教育の機会均等」と「学校制度外教育の機会均等」のパラドックス
労働問題≒貧困問題という近似が自明性を帯びていた高度経済成長以前には、「学校」と「学校の外」にまたがる二元的法制による対応という課題は、「教育と労働」「教育と福祉」という二重の二元制としてあった。社会政策(論)における労働と福祉との一体性の帰結である。

だが高度成長期も1960年代に入ると、社会政策(論)における労働と福祉との一体性は解体、分離を明確にする。それは教育との絡みでは、前者が教育社会学と、後者は社会教育学との近接をもたらすことになった。教育社会学と社会教育学。教育学部あるあるのジョークのようだが、「社会」_のなかの/で_「教育」を考える問題意識の、ふたつの系譜。「勤労青少年」の問題とは、やがて分離していく「教育と労働」と「教育と福祉」の両者にまたがる最後(?)のアジェンダであった。

そこでは「学校」と「学校の外」の二元的法制下での教育機会の保障という課題は、どのように追求され(ようとし)たか。

佐々木輝雄は、戦後まもない1948年2月の教育刷新委員会第13回建議において提起され(かけ)た理念の意義にこだわった。6-3-3-4制の単線型学校体系として結実する戦後学制改革をめぐる議論における、異質なふたつの「教育の機会均等」理念の相克の行方を、佐々木は追う(『佐々木輝雄職業教育論集 第二巻 学校の職業教育―中等教育を中心に―』多摩出版)。

教育刷新委員会第13回建議「労働者に対する社会教育について」の第3項は、「労働者のための技能養成所、見習工教習所、組合学校等の教育施設に対しても、・・・教育の機会均等の趣旨に基づき、高等学校、更に大学へ進みうるために単位制クレジットを与える措置を講ずること」を建議した。すなわち、「学校の外」である技能養成所等での中卒「勤労青少年」の学習に対して高等学校のクレジットを与えることにより、高等学校の「教育の機会均等」を保障するとともに、さらに「大学に進みうる途」をも開こうとするものであった(187頁)。労働の場での技能者養成と学校=教育との連携を制度化しようとする、技能連携制度の構想である。

ただし、これは先の木村の書でも言及箇所のあった、「1961年に実際に現実化した技能連携制度」とは似て非なるものである。13回建議の連携制度化の構想は、「学校の外」にある技能教育訓練の場に対して「教育」機関である/になることを求めない、すなわち機関認定をともなわない単位制クレジットの授与を可能にしようとする制度化案であったという。技能者養成制度と(工業)高等学校それぞれの独立性を維持しながら、「クレジットのパイプによって連結一体化」(223頁)させる構想である。

これは戦後新たに生み出される単線型学校制度によって教育の機会均等を保障しようとする論理とは異なり、鋭く対立することになる。佐々木はこれを、「学校制度内教育の機会均等の追求と、学校制度外教育の機会均等の追求のパラドックス」として定式化する。

彼等[淡路円治郎・関口泰両委員のクレジット・システム導入による技能連携制度の提起]の根拠は、文部省の六・三・三・四学校制度の固持という姿勢が、その意図に反して学校制度下の教育はもとより、それ以外の教育をも空洞化させ、引いては教育全体を沈滞化させるということにあった。


彼等の発言は、技能連携制度化の内在するきわめて重要な問題の所在を鋭く指摘するものであった。その問題とは、「教育の機会均等」の実質的な保障に関する方法論上の対立とも云うべきものである。


その第一の立場は六・三・三・四の単線型学校制度の固持こそが、「教育の機会均等」の実質的保障の近道であり、それ以外の教育を制度的に認めることは単線型学校制度を崩し、引いては新学制下の「教育の機会均等」の理念そのものを否定するという立場である。


かかる見解は・・・学校教育法体制を支える理念であった。


その第二の立場は教育の営みが学校制度外においても存在するという前提に立って、この教育を制度的に保障しないかぎり、「教育の機会均等」は実質的に保障されたことにはならないという立場である。


関口、淡路両委員によれば、かかる教育を制度的に排除する考え方こそ、単線型学校制度下の教育を空洞化させ、「教育の機会均等」を否定するものであると云うのである。(『佐々木輝雄職業教育論集 第二巻 学校の職業教育―中等教育を中心に』多摩出版、223頁)

しかし、この対立の潜勢力は、「論争の終結を意識するあまり、技能連携制度の内在する基本的な課題を、抽象的表現によって糊塗する」妥協により、不発に終わる。

技能連携制度は高等学校制度の内実を規定するものであり、ひいては六・三・三・四学校制度と異質な制度理念を提起するものであった・・・


より具体的に云えば、それは学校制度外の教育を学校制度下のそれと同等と認めることから、必然的に技能連携の制度理念と学校制度のそれとが、如何なる構造を持つべきかを明確化しなければならなかったのである。


しかし、第一三回委員会は意識的にか、あるいは無意識的にかは必ずしも明らかでないが、この問題追及[ママ、以下同様]の姿勢が欠如していたのである。(同前、230-1頁)

「学校ではないけれどもクレジットを与える」の見解と「学校でないものにクレジットを与えるわけに行かない」のそれとの対立・・・・・・(同前、273頁)

以下、さらに長くなるが引用する(引用中の太字は原著傍点)。

第一三回建議の「学校でないけれどもクレジットを与える」、つまり技能連携制度化提案は、学校教育法の体制下において追及された「教育の機会均等」概念あるいは教育制度観とは異質なものを提起している・・・。この異質なものとは何であろうか。この疑問を解明するためには、・・・学校教育法体制下において追及された「教育の機会均等」概念あるいは教育制度観が、いかなるものであったかを吟味し、そしてそれと比較しなければならない。


(中略)


学校教育法体制下の高等学校教育への「教育の機会均等」の内実・・・・・・は、学校制度内教育の機会均等であった。


かかる「教育の機会均等」概念は、教育基本法の「教育の目的は、あらゆる機会に、あらゆる場所において実現されなければならない。」(第二条)、「家庭教育及び勤労の場所その他社会において行われる教育は、国及び地方公共団体によって奨励されなければならない。」(第七条第一項)と比較する時、極めて限定的な概念であった。しかし、教育基本法は「家庭教育及び勤労の場所その他において行われる教育」、つまり社会教育の普及を、国民の教育機会の拡大の見地から規定したにもかかわらず、しかしこれ等の社会教育を「教育の機会均等」の視座から、学校教育と如何に関連づけるかについては、何等具体的に規定することはなかった。


教刷委第一三回建議の「教育の機会均等」概念、「学校でないけれどもクレジットを与える」の狙いは、まさにこの課題に答えようとするものであった。そこでは、「教育の機会均等」の保障は、学校教育法体制下にみられる、いわば学校制度内教育の機会均等の追及と、教刷委第一三回建議の技能連携制度化案にみられる、いわば学校制度外教育の機会均等の追及のパラドックスによって,はじめて実現するものと捉えられたのである。


(中略)


新学制下の「教育の機会均等」概念は、学校制度内教育の機会均等学校制度外教育の機会均等の二つの相貌を持っていた・・・


教刷委第一三回建議は、かかる「教育の機会均等」概念を提起した結果、その教育制度理論においても学校教育法体制下のそれとは、異質なものを構想する。


教刷委第一三回建議第三項の意図は・・・、「技能者養成所」等での教育に、「単位制クレジットを与える措置を講ずること」によって、これ等学校制度外教育施設で学習する勤労青少年に、「高等学校,更には大学へ進みうる」道を開くことにあった。


同建議はかかる意図を実現するために、これ等教育施設に高等学校の単位制クレジットの授与条件として、これ等教育施設を高等学校に認定すること、換言すれば機関指定を前提としないことを構想した。つまり、そこでは個々の教育行為それ自体の実質が重視され、その教育行為が学校制度下の教育であるか否かは、余り問題視されなかったのである。


かかる教育制度観は、学校教育法体制下において追及された教育制度観と著しい差異を示す。と云うのは、高等学校制度外の「教育の場」を是認し、しかもその教育に高等学校のクレジットを授与することは、教育制度上、高等学校の多様化を図り、いわゆる「袋小路」を作るかのように見えるからである。文部省が第一三回建議に反対したのも、この理由からであった。


しかし、建議の教育制度観によれば、「教育の機会均等」を保障する教育制度とは、個々の具体的な教育行為を取捨[ママ]した、制度的整合制[ママ]を持ったシステムにあるのではなく、個々の教育行為それ自体の実質を重視するシステムでなければならないと捉えられた。従って、同建議が一見多様な制度あるいは「袋小路」を構想しているかのように見えても、それは個々人の教育プロセスでの多様化であり、個々人の教育ゴールでは単一な制度として、止揚されるのである。


この二つの教育制度観の対立は、組織志向による「教育の機会均等」論と、個々の教育行為志向の「教育の機会均等」論の対立とも云うべきであろう。所与の条件の下での「教育の機会均等」の保障が、勿論この対立の中に実現するものであったことは云うまでもない。


しかし、戦後教育制度改革の実施過程はこの対立を発展させるのではなく、学校制度内教育の機会均等あるいは制度的整合性の追求を中核にして展開するのである。そしてその展開過程においては、「教育の機会均等」を保障するために、個々の教育行為を排除あるいは切り捨てるという自己矛盾を犯すのである。


その結果、戦後教育制度改革は高等学校さらには大学進学率の上昇という形で、「教育の機会均等」の保障を実現しながら、しかし他方ではこの教育の大衆化の背後で学校間格差を助長し、学校教育の空洞化を拡大させることになったと云っても過言ではない。(同前、283-5頁)

技能連携制度化構想じたいは、その後、1949年の教育刷新審議会第30回建議「職業教育振興方策について」でもとりあげられるが、そこでは「教育の機会均等の趣旨に基き」の字句は削除され、「主として『実際的の一番いい職業人』の養成の視点から論じられ」ることとなった(同前、355頁)。さらにその後、1961年には、機関指定_を_ともなう_制度として、技能連携制度は実現する。

何が見失われたのだろうか。

佐々木によれば、「学校制度内教育の機会均等」の追求と「学校制度外教育の機会均等」の追求という、相互に矛盾を含んだ理念をそれとして受け止め、具体的な制度として具現化する努力を放棄し、安易に後者を切り捨て、前者の概念だけを追求していった戦後日本の教育が、早晩その「学校教育制度内教育の機会均等」すら放棄することになるのは「簡単なことだ」という(同前、391頁)。

その論の延長上で佐々木は、学校体系の「単線型」が、制度の外見上、「否定」されるようにみえたとしてもそれでよい、とまで言っている――「かく解することは誤解であろう」――ようにみえる(以下、引用の太字は原著傍点)。

文部省当局の意に反する[教刷委第一三回]第三項建議の「教育の機会均等」理念とは、いかなるものであろうか。


文部省の構想する「教育の機会均等」理念を、学校制度内教育の機会均等であるとすれば、第三項建議が構想するそれは学校制度外教育の機会均等ととらえることができよう。


(中略)


しかして、後者の「教育の機会均等」理念は、いかなる論理に基づくものであろうか。・・・


その論理は、教育現実に対する次のような認識を前提としていたのである。すなわち、(一)人間形成という教育的営みが、現実に「学校」以外の教育施設においても行われていること、(二)かかる教育施設での教育を、すべて「学校」によって包括することは、物理的にも不可能であることの認識にあった。


かかる認識によれば、学校制度内教育の機会均等の理念は、敗戦前の日本の学校制度が内在する課題を克服した点において、極めて重要な意義を有しながらも、しかし、かかる理念による「教育の機会均等」の保障は、部分的且つ限定的なものととらえられた。


というのは、その保障が単に理念の段階にとどまらず、所与の条件の下で、一人一人の国民にとって現実的意味をおびるためには、その理念が学校制度外教育までも包括しなければならないと考えたからである。


「教育の機会均等」のかかるとらえ方は、その必然的結果として、文部省が構想した教育制度と異質な教育制度理論を展開することになる。


文部省の学校制度内教育の機会均等理念に基づく制度理論が、・・・個々の学校の制度および教科課程の整合性を重視するのに対し、その制度理論はこれらの整合性を特に重視することはない。


従って、この学校制度外教育の機会均等理念に基づく教育制度理論は、現象的には教育制度にいわゆる「袋小路」を作り、それはあたかも敗戦前の教育制度への回帰を提言しているようにみえる。


しかしかく解することは誤解であろう。


と言うのは、その制度理論によれば、「教育の機会均等」を保障する制度とは、個々の具体的な教育的営みを捨象した、いわば抽象的・非人間的な整合性を持つ制度にあるのではなく,個々の教育的営みそれ自体の実質を保障する制度にあるととらえられたからである。


従って、システム論的には一見多様にみえる教育制度であっても、その制度は個々人の教育プロセスの多様化であり、個々人の教育ゴールでは単一な制度として止揚されるのである。つまり、整合性の追及の主体は、抽象的な制度の側にあるのではなく、個々の具体的な人間の側にあるのである。


所与の条件における「教育の機会均等」の保障とは、まさにかかる具体的な人間の主体的な整合性の追及を可能にする制度によってのみ、初めて可能になると考えられるのである。(『佐々木輝雄職業教育論集 第三巻 職業訓練の課題―成立と意義―』多摩出版、261-3頁)


3.異同および論点メモ
高等学校は義務教育ではない。また、普通教育と職業教育は違う。

オルタナティブ教育は「(近代)学校」への、あるいは「日本の_(近代)学校」への批判ないし「否定」により、そこから《脱する》モメントを明瞭にする。

義務教育ゆえに「単位制クレジット」とはならず、「指導要録上の出席扱い」制度がこれに近似するか。前者に近似すれば、「中卒認定試験」風の議論(≒課程主義的発想)をも呼び込む。

高卒認定試験」の拡充は、す・で・に、事実上「個々人のプロセスの多様化」を可能にし、「個々人の教育ゴールでは単一な制度として止揚される」現実をもたらした、といえるか。

「指導要録上の出席扱い」(現時点で4割強)プラス「義務教育修了でも夜間中学への入学希望(入学希望既卒者)を認める」双方の枠の拡充によっても補償されることのない/されるべきではないもの。

いま・ここで現に毀損されている/されつつあるもの、の保障。その支援。福祉の論理。

「ユニバーサル」であること、その論理を突き詰めることと、「国家=国民」教育の乗り越え? 「公民」「市民」、《マス(中間大衆)》、ユニバーサル/ナショナル/シビル/リージョナル、国家を否定するならそこから「自立」できるだけの「強い社会」を?

などなど

学校の戦後史 (岩波新書)

学校の戦後史 (岩波新書)

佐々木輝雄職業教育論集 (第2巻)

佐々木輝雄職業教育論集 (第2巻)

佐々木輝雄職業教育論集 (第3巻)

佐々木輝雄職業教育論集 (第3巻)