(レジュメ) 「天野郁夫と教育社会学――近代化論から(比較)高等教育システム論、その歴史研究へ」

そんなわけで過日、日本教社会学会がこの数年取り組んでいる「若手研究セミナー」なる企画のなかで、天野郁夫による講演「私の教育社会学研究50年」のコメンテイターなる意味不明の役を務める。斯界を代表する研究者の半世紀におよぶ研究生活に「コメント」もなにもないわけで、とかく「ご説拝聴」になってしまい若手と講演者との質疑応答が沈滞しがちという危惧へのカンフル剤として働けばよいものと割り切る。事前にもらった講演レジュメにある浩瀚な研究業績の時系列的羅列を思いきって構造化し、聴衆が奥行きをつけて「読める」ように補助線を引くだけの簡単なお仕事。。。のはずが、90分を越える講演のあと15分ほどの休憩のあいだに拙レジュメが配布され、休憩時間中ずっと隣の席で天野郁夫がそれを熟読するという名の罰ゲーム。後悔先に立たず。

とはいえ、率直にいって、この仕事は引き受けてよかった。指名してくださった方々には感謝したい。たぶんコメンテイターにならなければ私がこのレジュメを手にすることはなかっただろうし、結果、天野郁夫の仕事が「どういうもの」であるかを勘違いして「理解」したつもりのままだっただろうと思う。

多くの著書のある天野だが、単著が刊行されるのは意外なほど遅く、1978年の日経新書『旧制専門学校』が最初である。さらに基準を「学術専門書」に置くとすると、1982年の『教育と選抜』まで待つ。だがそこからの10年に主要なものだけで、『試験の社会史』(83年)、『「学習社会」への挑戦』(84年)、『高等教育の日本的構造』(86年)、『近代日本高等教育研究』(89年)、『学歴主義の社会史』(編著1991年)、『学歴の社会史』(92年)などが立て続けに出版される(そのかん高等教育/教育全般の時論・一般書を加えることさらに数冊)。なかでも『試験の社会史』は教育研究として初のサントリー学芸賞を受賞する。

東大着任が79年なので、この流れを目の当たりにした東大の院生ならずとも、天野は東大にきて(それまで温めてきた)自分の仕事を開花させた、、、それは刊行された著書の「カテゴリー」別の数とインパクトからして『教育と選抜』『試験の社会史』『学歴主義の社会史』『学歴の社会史』といった学歴=選抜研究がメイン・テーマである、、、と思ってしまったとしても無理はない。少なくとも私はそう思った。だが、「その後」、仕事のメインは高等教育論だとされる――天野自身、東大での高等教育論講座の開設にもこだわり尽力する――ようになるし、私もそのことの意味を深くは考えないままそう理解してきた。この「「教育の歴史社会学」系学歴研究の天野」と「高等教育論の天野」との相互関係を、彼のキャリア全体のなかでどうとらえるかということはあまり考えてこなかった。

そのことが、今回よくわかった。天野のレジュメで私がいちばん印象的だったのは、国立教育研究所(アジア教育研究室→教育計画研究室)から始まり、名古屋大学(比較教育学)、東京大学(教育社会学)、国立大学財務経営センターを経て現在に至る自らの研究ステージのなかで、バートン・クラークの比較高等教育研究プロジェクトに参加したイェール大学ISPS客員研究員時代の1974〜75年を「重要な分水嶺」と明記して名古屋大学時代をⅠ期とⅡ期に分割し、もって研究キャリア全体も前期と後期に分かたれてあったことである。

天野の専門は高等教育論、それも「比較_高等教育_システム論」、これがメインで、「教育の歴史社会学(学歴=選抜研究)」がサブとなる。この幹と枝とが合流したところに現在絶賛刊行中のいわゆる「高等教育三部作」(『大学の誕生』(上・下)、『高等教育の時代』(上・下)、『新制大学の誕生』(近刊))がある。本エントリ副題(当日レジュメに同じ)はそのことを示す。

そんなことを軸にした私の理解を当日は述べた。私にとってもそれは意味ある発見だったので、いずれ文章にしてエントリにして残しておきたいと思う。とりあえず今日は、当日配布のレジュメだけ公開(途中、図はうまく再現できていないがそこはそれ)。本文はまたいずれ。

★自己紹介
(略)


★歴史感覚の微調整
東京大学 比較教育社会学コース スタッフ(森在籍時)
・天野郁夫・藤田英典苅谷剛彦箕浦康子・金子元久
藤田英典苅谷剛彦箕浦康子・金子元久 + 広田照幸
藤田英典苅谷剛彦・     金子元久・広田照幸 + 恒吉僚子(森と入れ違いで 白石さや)


東京大学 教育社会学
・牧野巽(教授:1949〜1965)
・清水義弘(助教授:1953〜1965)(教授:1965〜1978)
・松原治郎(助教授:1966〜1978)(教授:1978〜1984)____ここまで東大文学部・社会学科出身
・天野郁夫(助教授:1979〜1984)(教授:1984〜1996)……教育社会学出身
藤田英典助教授:1986〜1992)(教授:1992〜2003)


※1)1984〜1986:東京大学の教育社会学講座に天野郁夫ひとり
※2)天野―参加者 ⇔ 清水―森 …… 「清水義弘の講演の場にかりだされた苅谷剛彦」で近似
※3)一橋卒→富士通→東大教育(学士入学)「高校の先生になりたかった」(だがゼロ免だった)


★1990年代以降の「教育の歴史社会学」系レビュー論文のなかで
・広田(1990):
「麻生は〈機能〉に注目し、天野は〈制度(化)〉に注目した」(82)、「総体としてどういう構造を持つに至ったのかを具体的にたどる」(84)、「「近代化と教育」を解く枠組み自体の不十分さを克服しようとする方向」(85)
・広田(1995):
「平板な変動モデル」「趨勢モデルを越えたモデルの構築はできなかった」(37)
・広田(2006):
「天野郁夫の業績目録(1996年、私家版)をみると、歴史研究の成果を発表している同時期に、「アメリカにおけるマンパワー論の動向」(1963)、「教育政策と人的能力開発政策」(1965年)、「日本の教育計画」(1968年)などの論考が並んでおり、まさに同時代の経済成長と人材需要―教育計画の問題と重なった関心で歴史研究を深めていたことがうかがわれる。現在から未来にかけての長期の構造変動という視角をずらし、過去から現在に至る構造変動という視角を採用すれば、教育計画論と近代化過程の研究とは、手法や理論の面できわめて親和性が高かった」(143)


☑「枠組み」「モデル」: 近代化論、(構造)機能主義 …… ?


☑現代の問題を考えるための歴史研究: 歴史分析と現状分析(・比較分析)とは両輪
「別に歴史研究をしたくて日本の高等教育の明治以来のことをやっているわけではないのです。私の問題関心はいつも現代の方にありました」「私の問題意識はいつも現代が出発点で、現代の高等教育システムの抱えているさまざまな問題の向こうに何が透視できるのか、透視しようとする努力の結果が、この本だと、自分では思っています」(後掲書評会での発言)


★本コメントの要約
☑(比較)高等教育システム論: 「大学」ではなく「高等教育」、「個別」ではなく「システム」← 大衆化/序列


☑印象的だった点: エール大学ISPS客員研究員を分水嶺に、名古屋大学時代を二分


☑2つの分割線: 名古屋Ⅰ期/Ⅱ期、東大前/後
●60s 近代化論―――――――74-75 高等教育システム――――――→ 
(人材養成/専門教育…)     (比較/日本的)         ⇒「高等教育三部作」
・            …………79 教育社会学――――――→
                  (学歴研究/選抜/(葛藤)理論)


☑「経済と教育」・近代化論の問題設定から(比較)高等教育システム論へ
→ 現状への問題意識に立脚して、プロセスを具体的にたどる歴史研究
→ 葛藤モデルで描くか、機能モデルで描くかは、テーマ・対象しだい


☑「近代化論が下敷き」と一括される時期の研究に、むしろ今日の若手と通じる未発の契機?


★近代化論: 『日本の教育システム』(1996)、『教育と近代化』(1997)
☑教育と経済、清水義弘、教育計画、高等教育
・教育開発・技術革新: 人的資本論マンパワー論への不満(労働力の「量」から「質」へ)
→ その後の展開なく(学歴研究・高等教育システム論へ)  cf. 沢井実(経営史)
→ 「学校教育を媒介として伝達・形成される知識・技術の質」「人材形成」(=社会化)
  「教育の過程で獲得された知識・技術の内容や、その有効性」(=レリバンス)
→ 学歴研究を経由することで「選抜・配分」の視点に傾斜していった


・Wastage 研究: 途上国の教育開発・教育計画(ユネスコ)、教育投資論/人的資本論
→「中途退学と原級留置という二つの現象」、「不就学」…人的資源/教育費の「浪費」
→ ウェステージの速やかな解消(不就学の改善・就学率の上昇)に成功した途上国・日本
→ 不就学・中途退学・原級留置…「政策的・実践的な、またきわめて現代的な問題意識」
→ 文脈を反転させ現在の教育社会学の主題に cf. 包摂/排除、酒井朗「学校に行かない子ども」


・教育計画論 : 教育政策・教育行政の「計画化」の歴史(/知識)社会学的解読
→ 「(1)教育の計画化を要請する基盤の成立と変容、(2)教育の計画化の思想と理論の成立と展開、(3)計画化の主体の形成と成熟、(4)政策・行政的な実践としての計画の出現」
→ 1971年中教審答申の前後という時代背景、のちの〈制度(化)〉〈システム(化)〉の発想


・高等教育研究: (旧制)専門学校/私学
→ 近代化の担い手・人材養成・「専門教育」・「速成」、法学商学系私学・「教養」・「実業」


☑「理論」ではなく、「対象」「問題」と、対象にかんするたしかな「事実」「知見」
「…構造=機能主義的な立場に立ったこれらの論文は、「時代遅れ」とみえるかも知れない。…しかし論文の価値は、主題や方法の時代との適合性にあるわけではない。…流行をこえて継承されるべき実証的な研究の積み重ね、蓄積がなければ学問の発展はない。そして私はいまだに、自分が近代日本の教育について確実な事実や知識としてなにを、どれだけもっているのか、…疑念を捨て切れずにいる」(天野1997: 411)


★(比較)高等教育システム論
名古屋大学時代Ⅱによる展開:M. トロウ
・「高等教育」: どの範囲の学校が高等教育か
・「システム」: 法的規定だけではない関係性(ただし「システム」はそう簡単に形成されない)


★教育社会学東京大学
☑学歴研究=選抜研究: 『教育と選抜』『試験の社会史』『学歴主義の社会史』『学歴の社会史』
・「学歴」の意味を「社会的地位」に還元して把握する枠組み(=選抜・配分)
・東大の院生を指導する立場
→ 70s欧米のネオ・ウェーバー(ネオ・マルクス)派の葛藤理論との対峙=「地位表示機能」
→ 初発にあった社会化(「人材形成」)や「レリバンス」への視点とはここで分岐
(→ 70sイギリスの「新しい教育社会学」=「スループット」)


☑院生 指導 との共同研究
トヨタ財団/カシオ財団研究助成: 「高等学校の進路分化機能に関する研究」
→ 以後の日本の教育社会学の一つの潮流へ
 e.g. 学校社会学、学校エスノグラフィ、「教育から職業への移行」研究etc.


丹波篠山: 『学歴主義の社会史』→ その後の「教育の歴史社会学」の里程標に
 cf. 野村正實『学歴主義と労働社会』


★高等教育三部作
☑プロセスを具体的にたどる歴史研究: 『大学の誕生』(形成/葛藤)、『高等教育の時代』(構造と機能)


★結論(論点の提起):研究キャリア初期にみる「未発の契機」をめぐって
☑研究キャリア初期の「未発の契機」: 『教育と近代化―日本の経験』『日本の教育システム』 


☑「通り一本」を越えさせる研究  cf. 菅山真次『「就社」社会の誕生』
・技術革新、労働力の「質」、「教育の過程で獲得された知識・技術の内容や、その有効性」
・学歴=選抜研究への転回とのある種の「距離感」⇔ 経営(史)学、労働(史)研究
・隣接諸領域を媒介し、それらとの接点で研究の有効性を発揮する

※参考資料
「天野郁夫『大学の誕生(上・下)』(中公新書、2009年)書評会――著者を迎えて」より抜粋
(平成22〜24年度日本学術振興会科学研究費補助金・基盤研究(B)「社会理論・社会構想と教育システム設計との理論的・現実的整合性に関する研究」第2次論文集(研究代表者・広田照幸、課題番号:22330236), 2013年所収)


広田照幸: ちょっと全然違う点をうかがいたいのですが、どうやったらこういう本が書けるのかというような話をちょっと聞きたいんですけど。
天野郁夫: ちょ、ちょっと(笑)
広田: いや、つまり何かというと、淡々とこの本は歴史が記述してあるように見えて、実はすごくシステマティックな枠組みで書かれている本だと思うんですよ。枠組みということを考えたときに、麻生誠先生の『大学と人材養成』(中公新書、1970年)の本が同じ高等教育の多様性の問題を扱っていますが、しかしあの本は非常に機能主義的な枠組みですよね。どういう人材が必要で、そのためにこういう学校ができましたというふうな。そういう機能的対応のようにして多様性が論じられているんですが、あの本と比べるとこれは葛藤論ではないかと思って読んだんですね。とくにウェーバー的な集団間の葛藤、威信を争う葛藤の物語として、この本は書かれている、と。だけども、そんなことは本文には一行も書かれていないわけですよ(笑) そうすると、社会学者としての天野先生の部分をださずにこの本を書いたときの、その作り方の思いみたいなものをちょっと聞きたいというのがあります。そもそも、この本の隠れた理論、フレームについての今の理解は適切かどうかという、そこら辺をちょっとうかがわせてください。
上山隆大: なんか、ゼミみたくなってきた。
――: (笑)
天野いや、葛藤論だとか何だとかいう以前に、制度の立ち上がりの時期というのは、どんな書き方をしても葛藤論的な枠組みを組み入れなければ、書けない、面白くは書けない。面白くというのは変だけど、ダイナミックには書けないということがあると思います。この次に書くのは『高等教育の時代』というタイトルになっていますが、これはもう葛藤論では書けません。
広田: ああ、そうですか
天野構造機能主義的な古い枠組みで書いています。僕ももう老人ですからね、あまり方法論や理論にこだわらず、好きなように書かせてもらっています(笑)
広田: 最初のところに、こういうフレームで歴史を見ていこうとか示してあればすごく分かりやすかったのですが、それが書かれていなくて。だけど、それを一つ一つの記述を通して読み取れというのがこの本で、最初少し読み取りにくかったのですが、あるところまでいったら、ああ、なるほどと、大体分かってきたわけです。
上山でもそれは、歴史の正統的な書き方じゃないですか。
広田: ああ、そうですね。まあ、われわれは一応、教育社会学という領域でやってきているから。歴史家はやっぱり違うということでしょうかね。
天野: これは、そういう意味では歴史研究。大体ね、近現代の百数十年というのは、社会科学にとって歴史的過去かどうかという問題もあるんじゃないか。・・・・・・
(中略)
広田多くの歴史家はどうしても事件とか出来事の方を、個別にどう説明するかにいくから、だから多分、全体としてこういうシステマティックな記述にならないんだと思うんですよ。
天野: それは、社会学的なレームワークが、僕のなかのどこかにしまわれていて、それを巧みに引き出しながら使っているっていうだけの話だから。
広田: ええ。パソコンに向かってさらさらと書いて、こんな、密度が高くて、そろったものは書けないから、きっとどっかにプロットがまずあるんだろうと思って。
天野: いや、ないですよ(笑)