ソウル・アメリカ・TVXQ

ユノの兵役入隊により7月21日からしばらくグループとしては活動休止と報じられる東方神起だが、そのことは韓国の徴兵制とユノの年齢とを理解しているファンなら誰でも予期したことだから、余裕のないなかを縫って昨年から今年前半にかけてのライブにはできるだけ足を運んだ。ドームツアーでは全国複数のドーム球場を追いかけたし、国境を越えてソウルの会場も経験した。この間に体感したなかでは、そのソウルでのライブがベストであった。韓国産の楽曲で編成されたセットリストの質の高さと、生のバンド演奏やバックダンサーたちのパフォーマンスへのスポットライトなどの要素も入れ込んだ日本産のライブ演出の妙とが合流したステージは圧巻であった。2人が国境をまたいで蓄積してきた経験を後続のK-POPアーティストやファンたちへ伝えようとする第一人者の使命感のようなものすら感じられて、圧倒された。

とか書くととても偉そうに知ったかをかましているわけだが、私は2人組になってからのファンなので、正真正銘のにわかである。

東方神起のライブに行っている、というと「なんで?」と訊かれることがある。「男なのに」というのは省略されているのだろう。もっと直截に「どういう気持ちで観てるんですか?」と尋ねてくる人もいる。「あれは“女向け”の“商品”なのに」ということか。たしかに、あからさまなセックスアピールに訴えた演出はある。けれど、ふつうに考えて「かっこいい」と思って観ているに決まっているだろう。心中去来する少しく棘のある違和感を飲み込んで、「やー、どうやったら自分も東方神起に――みたいに、じゃなくて東方神起のメンバーそのものに――なれるかなー、と思って観てるに決まってるじゃないですかー」とおどけて返す。

実際には、もう少し歌と踊りが上手くならないと東方神起になるのは難しいだろうと思っている(真顔

もちろん、会場を埋め尽くす何万という観衆の圧っっっ……(略)……っっっ倒的な多数は女性ファン、ファンというか、ビギスト(Bigeast)である。もしくはカシオペア(Cassiopeia)である。覚悟はしていたが、連れに誘われ初めて東京ドームのライブに参加したときはちょっと怖かった。なにがといって、三塁側(甲子園でいえば)アルプス席後方に陣取ると、あそこはどうも球場の何万人ぶんの黄色い絶叫が集まって、真後ろからその反響の直撃をくらうことになるのである(憶測)。というかもう絶叫が共鳴する大渦の真ん中で押しつぶされることになるのである(比喩)。40を過ぎて初めて本気で泣こうかと思ったが、もういい大人なのでさすがにそこは「泣きべそ」レベルでなんとか堪えた。

あとはまあ「好奇の目」というほどではない――し、自意識過剰といわれると返す言葉もない――が、会場を歩いていると周囲からの無言の「視線」の圧力を浴びている気がして、今はだいぶ慣れたが最初はまったく落ち着かなかった。東方神起の2人はライブ会場でもマスコミ向けにも「男性ファンの存在はとてもうれしいしもっと増えてほしい」と折に触れて強調してくれるので、かなり気は楽になる。最近は楽曲の合間のMCトークのあいの手に会場から野太い男の声が飛び交って、笑いを誘うというシーンも増えた。そんな今でも会場に着いたらまず自分以外の「男性」の姿を探してしまい、何人か視界に確認してから、ようやく少しほっとする。多くは彼女や奥さん娘さんが熱烈なファンで、それに連れられてきた彼氏や旦那・お父さんといった趣だが(私の最初もこの部類)、そこからハマって自立したファンになるとか(現在の私はこの部類)、ダンスをしていそうな若い衆(残念ながらあまり見かけることはない)などは純粋にダンスパフォーマンスの質の高さに惚れているのだろう。もちろん、もっとふつうの意味で惚れている人もいるだろう。

私は平均的な日本人男性よりはやや身長が高いので、ドーム球場だと内野席・外野席ならよいのだが、アリーナ席なんかが運よく当たると逆に心配の種を一つ抱えることになる。私の後ろの席にくるのは99.8%ぐらいの確率で女性であって、そのほとんどが私よりかなり背が低いことになるので、総立ちライブで後ろの人が視界を遮られることなくちゃんとパフォーマンスを満喫できるかがすごく気になる。あろうことか0.●%(零点何パーセント)かという確率で前の席にきた無駄に背の高いおっさんのせいで、やっと会える東方神起の姿が見えなくなる(かもしれない)のだ。あの黄色い絶叫ぶんの東方神起への愛が反転した敵意となって背後から刺される痛みを想像してほしい。もちろん、いろんな角度から視線が届くよう計算しつくされたプロの手になる演出なので、そんなのはふつうは杞憂にすぎないのだが、それでもやっぱり気にはなる。

その日はじめて運よく(?)ドームのアリーナ席があたり、どうなるかなあという一抹の不安を抱えつつ会場に着いて、連れが先にトイレに行っておくというので一人でチケットに記された席を探すと、はたして私の後ろはグッズで完璧に身を包んだバリバリのビギスト(女性)5人組であった。しかも真後ろはひときわ小柄。背中を丸め首をすくめ、精一杯小さくなって席に着いたつもりであったが、案の定、

「あ゛ーっ、もぉーなにぃー、なんでよぉーー、まじさいあくぅーーー」と、後ろから。

ごめんなさい。としか言いようがない。

だいぶ遅れて隣の席に着いた連れを相手に、それまでたった一人で聞えよがしの落胆と敵意の声に耐え続けた時間の辛さをひとしきり聞いてもらってからそっと後ろを確認すると、声と口ぶりから自分より10コぐらい年上を予想していたら一回りほど年下っぽくてなんや知らん、さらに凹む。ステージが始まっても最初のうちは膝を曲げて身を屈め、少しでも低くなろうと努めていたが、先に述べたとおりのプロの仕事であるので、しばらく経って、そんな気にしなくても視界を遮ることもない、と確認してからは落ち着いて超絶パフォーマンスを楽しむことにする。

ふと気がつくと左斜め2列ほど前の席に、それまでまったく視野に入っていなかったが、小柄な20代前半ぐらいの男の子がいる。思わず男の「子」と口走ってしまうほどには小柄なナデ肩で背中も広くないので、斜め後ろから見てそれとはなかなか気づかなかったが、たしかに大人の男性だ。友人か恋人の女の子といっしょに来ているのかと思ったが、両隣ともそんな雰囲気は微塵もなくて、どうやら完全に1人で来ているらしい。赤いペンライトや首にかけたタオルやら、コールのかけ方やサビの部分の振り付けやら、もう何度も東方神起のコンサートには足を運んでいるベテラン・ビギストの風情である。お世辞にもリズム感のいいほうではないとお見受けしたが、コンサートの間中ずうーーーっと、心から楽しそうに、満面の笑みをたたえた幸せそうな表情でステージ上の2人を見つめている横顔がとても印象的だった。ステージが終わってアンコールを待つ時間、「トー・ホー・シンキ」、の4拍子で赤いペンライトを振るのが恒例だが、そこでの彼は周りの誰よりうれしそうに、はじける笑顔で喜びに体を揺らしていた。

なにかしらん、たぶん私は感動していたのだ。彼のそんな姿を見ていると、ちょっと前まで変に周りの目を意識して、ぎこちなく不格好に縮こまっていた自分の姿が妙に滑稽で、ばかばかしく、醜く思えてきた。むしろそれはそのまま私自身のなかにある「偏見」の裏返しに過ぎなかったんじゃないのだろうか、と。でもこれでいい。自由だ、と思った。好きなものを好きでいて、誰に迷惑をかけているわけでもない。アンコールでは私も自然に背中を伸ばして楽しく揺れた。

6月、pride month のソウルではさまざまな困難や妨害にも屈することなく、今年も Korea Queer Culture Festival が開催され、28日にはソウルでの過去最大規模のプライド・パレードが行なわれたという。そのパレードにわずかに先立つ26日(現地時間)、アメリカの連邦最高裁判所同性婚を認める歴史的な判断を示した。オバマ大統領は声明を発表し、「すべての人びとが、誰であるのか誰を愛しているのかを問われることなく、平等に扱われるべきだと再確認された。…自分たちが結婚できるのかどうか、多くの同性カップルが不確かな状況におかれてきたが、これで終止符が打たれる。…この判決は原告にとって、長きにわたり闘ってきたゲイやレズビアンのカップルとその子ども、支援者たちにとっての勝利であり、そしてアメリカにとっての勝利だ」と述べたという。

2つのニュースの映像のなかに映し出された人びとの伸びやかな姿や表情を見るにつけ、東方神起のドームツアー会場で目にした印象的な笑顔の記憶がよみがえる、2015年6月の終わりである。