アイナメ

「なんであれ私が作った魚の煮付けは世界でいちばん私の口にあう」

ひさしぶりに納得のいく味付けに仕上がったので、そんなようなことでも書き込んでFacebookに写真アップしてやろうと(あそこはそういう掟になっている場所らしい)、ガラケーを取りだした私であったのだが。

だが待て。ほんとうにそうか。ほんとうに、私が作ったもの以上に私の口にあう魚の煮付けはなかったか。

ふたつのことを思い出した。

ひとつは金沢の料亭旅館「山乃尾」に泊まった翌日の朝食にでた煮付けである。今よりちょっと前ぐらいの季節。アイナメであった。

「やまのお」といえば彼の地の有名料亭であるし、今はどうだか知らないが(←いやとくに含みはなく、ほんとうに最近は行ってないから知らないというだけで)、15年ほど前の当時、味の違いがわかるほどの食の経験も、まあ「文化資本」? みたいな? ものもなく、そもそもそんな生活の余裕があるはずもなく(無職だったし)、記念だからとなんとかの舞台から飛び降りる思いで大奮発してがっついたということを割り引いても、いい店であった。

なんというか、うまかった。あの煮汁がな。薄味でな。やさしーい、味でな。全部「飲んだ」気がする。すごくシンプルなのだが、シンプルゆえに、素人には真似できない。当たり前だな。前の晩の金のかかった豪勢な加賀懐石料理ではなく(いやそれもたいがいうまかったが)、あのアイナメは人生の記憶に残る逸品である。

もうひとつは前の大学で働いていた頃のこと。私は岐阜に住んでいた。

岐阜というと内陸県で、知らない人は海の幸には恵まれない土地だと思うだろう。私はそうだった。だが意外と富山から直線で南下する道に恵まれて(東海北陸自動車道もあって)、富山湾の新鮮な魚が結構ふつうに手に入る。住んでたマンションの近くのスーパーに入ってる魚屋はかなりがんばってる親父さんがやってる店で、すごくいろいろ季節の魚をおいてて重宝した。

ある高校の先生たちを相手に小さな講演みたいなものをして、些少の謝金でもお支払いしたいのはやまやまですがそんな予算もつかない高校でしてせめてお酒を一杯ごちそうします、いやそんなたいした話でもなかったのにかえって恐縮しますすんません、みたいなことで仕事終わりに車で迎えにきてくれて、「とっておきの居酒屋」にご招待します、という。

どんな「とっておき」のとこだろう、と内心わくわく車窓の外が気になりながら会話も弾んでいると「着きました」と。

あれ?

古ぼけてうす汚れたチープな作りの一軒家。なんかいろいろ破れてるし。中に入りどうぞどうぞお待ちしておりましたと通された二階の畳部屋もお世辞にも洒落たとか小奇麗なとは言い難い風情の、言うたらほんとに失礼だが、そんな感じのお店であった。

んーまあこんなもんだなそうだよな、と(ほんとに失礼な話だが)割り切って酒でも飲もうと思っていたら、そんな私の表情がでたのだろう、「ここはうちの生徒のご両親がやってる店でして、こんな小汚く(原文ママ)見える店ですけど安くて味はたしかなんですよ、ねえ大将?」

おしぼりを持って上がってきた、角刈りで明るい笑顔が印象的な男性が、その高校に通う生徒の父親である。

それがどんな高校かは既出を参照するとして。

「今日は先生方のとっておきの席だって聞いたんでね、腕振るいますよ」

たしかに、そのあと奥さんが運んできてくれる料理はどれもこれもうまかった。

その席のとっておきの「メイン」料理は大将自ら運んで上がってきた。「今朝の市場のいちばんがこのアイナメだったんで煮付けにしてみました。脂のってうまいですよ。まあ食べてください」

それ一本だけ特別に仕入れたんだと思う。

「大事なお客さんを呼んでる席だから、お任せするから何かひとつとっておきの料理を用意しておいてくれ」――それが先生方から大将へのリクエストだったらしい。大皿にのったアイナメの煮付け。でかいし。脂のってる。煮付ける前にヒレのとことかちょっと揚げてる。小骨とってる。カリカリのぷりぷりでうまい。煮汁うまい。ぜんぶうまい。

あれもうまかった。

それ以上にうれしかったんだな。私みたいなもんに、「とっておき」の店を紹介しようという先生たちの出した答えが生徒の親がやってる古ぼけたチープな作りの居酒屋で、その店の大将が自分とこの娘がふだんすごい世話になってる先生に恥かかせるわけにいかんと「とっておき」のご馳走を早朝から考えてくれて出した答えが、その日の市場いちばんの「アイナメ」である。

これが「マグロ」や「タイ」だったら話が変わるわけである。

あれも人生の記憶に残る逸品である。なぜかアイナメ。しかしアイナメ

たしかそこから「根魚」話になって、からのーーーぼくスキューバ趣味なんですええほんとですかすごいですね、のフリがあってーーーのーーー、前のエントリのあの主任の話というw(「スキューバなんかやめちまえ!」)

なんか変に思い出してきた。

また何か勉強会みたいなの企画しましょう。そしたら先生焼肉好きですか? だったら生徒の親がやってるすごいうまい焼肉屋があるんでね、今度はそこで焼肉でビール飲みましょう。

ほど近く焼き肉屋がたくさんある界隈があって、そのなかにまた「とっておき」の店があるのだという。生徒の親がやってる。「肉焼くとすぐ店中が煙ぼわーってなって前にいるやつの顔見えなくなる店なんですけどw」らしい。

そこで先生たちといっしょに肉食ってビール飲む前に大学を移った。心残りだ。

残念ながら今日食したのはアイナメではない。養殖の真鯛である。スーパーで安売りだったというだけのことである。

アイナメは、思い出のなかに。