「教育の論理」

正直しんどい(報告)

先日司会を務めた「教育の歴史社会学コロキウム」終わりの懇親会でも途中で力尽き、思いっきり舟を漕いで寝てしまったことであり、報告者の先生はじめ周囲の方には大変失礼で申し訳ないことをした。

そんなわけで、リハビリがてら備忘。

(※ 以下、当日の報告内容に言及するが、すべて私の解釈を経たものであるので、報告者の意図や主張とは異なる誤解・誤認が含まれうる。その責は一に私にある。また報告内容の実質にあたる部分には一切言及しない。ご関心の向きは下記文中にでてくる報告者既刊の著書・論文に直接あたってほしい。)

当日は当コロキウム3回目にして、私にはもっとも刺激的な会となった。

データ分析が面白かったのは岩井先生のご報告である。SSMデータを合併してライフコース視点から計量的な分析を施す、という方法はかねてから岩井先生の採用するところであるが、今回は55年と65年データの合併により、戦時体制と戦後社会との連続/不連続を問うところに焦点が置かれた。すでに論文が発表されているので(岩井八郎「戦時経済の『遺産』仮説の検討:SSM調査の再分析」『京都大学大学院教育学研究科紀要』)、詳細はそちらを参照されたい。

10年おきのSSMデータの合併を進めていくと、どんどん「生き残った人(だけ)」についての分析結果となる。それは「過去の再現」としては「バイアス」がかかっていくことを意味する。だが「社会」とは――つねに――現に生き残っている人(だけ)により構成されるわけである。とすれば、「生き残った人(だけ)」についての結果(でしかなくなっていく)という「バイアス」をどのように解釈していくか、というところは「社会」学の根幹にも触れる――つまり、それは「二重に」解釈されるべきものであると――ような気がして(気のせいかもしれない)、もう少し掘り下げて考えてみたいと感じたことである。

菅山先生の報告題目(「「日本的」雇用システムの形成:戦時・戦後復興期の制度変化を中心に」)を最初みたときは、大著『「就社」社会の誕生』(名古屋大学出版会、2011年)から、とくに第3章の議論をピックアップして報告されるのかと思ったが、実際には本全体のエッセンスを戦時・戦後復興期に焦点をおいて著者自ら改めて整理し直す、といった性格の内容であった。岡崎哲二「戦時計画経済と企業」「企業システム」論文の批判的検討のうえに、(1)企業システムと、(2)労働市場との制度変化に関する実証分析を位置づけ、それぞれ戦前から戦時・戦後を経て現在にまで連なる歴史を一貫して説明する図式が提示されていたのではないかと思う。

制度変化の第1ラウンドが戦間期、第2ラウンドが戦時・戦後復興期、そして第3ラウンドが1990年代以降の現在、であるという。A. ゴードンにみるようなパワー&コンフリクトの説明モデルではない。歴史経路依存性のもとで形成されたシステムがさらなる「シンカ」を遂げていく(「シンカ」が「深化」か「進化」かは訊きそびれた)。たとえば財閥解体は「所有と経営の分離の徹底」という意味で、戦時期にあった企業理念(さらに遡れば財閥にみられた「総有制―番頭政治」来の事実上の所有と経営の分離)と制度的には同じ方向へのアクセルなのだと。

著書では1章から順に各章が時間的に整序されていたのに対して(それゆえ途中挿入される3章がいささか異質に感得されたのに対して)、「企業システム」と「労働市場」の2側面に分節したうえでそれぞれを同じ図式で整理したその報告は、私には印象的なものであった(繰り返すが、私の知識・理解不足による誤解・誤認を含む可能性はある)。

とりわけ「1990年代、とくに2000年代以降 制度変化の第3ラウンド」での「専修学校の役割拡大」を、「自営業者の減少、「職人」の世界の衰退」に替わる「学校化」として指摘する論点が印象的であった。つまり、(前掲書・第2章で明らかにされた)教育と労働市場とのインターフェイスを支配した「教育の論理」の――「転換」、「変容」あるいは「消失」ではなく、その――さらなる拡大・「シンカ」として現在を把握する視角である。

その視角からすれば、昨今の「ブラック企業」問題も、「教育の論理」からの転換あるいはその後退・衰退などではなく、企業が「人を育てる」という社会規範を軽視すればここまで批判の対象となる、という日本社会における「教育の論理」の基底性を示す事象として理解すべきだということになる。

今後試みられる制度改革も、この「教育の論理」――育ててくれる企業――という社会規範に合致するものでなければうまくいかないだろう、と。

主張として、一貫性はある。

その「一貫性」が印象に残る報告であった。菅山先生の前掲書は、労働問題研究、日本経済史・経営史、教育社会学の視角と知見の総合のうえになったもので、「パワー&コンフリクトでは解けない」問いに答えた、というのはその通りだが、同時に、制度の形成・変容局面での諸アクター間の交渉の動態もまたしっかり描き込まれたものであったので。

「教育の歴史社会学」はどちらかといえば「連続的拡大の『趨勢モデル』」や「ある事象の登場と単線的進化の物語」ともいえる歴史叙述に傾きがちであったように思うが、天野郁夫の近年の「高等教育の歴史3部作(の現在途中まで)」は明確にコンフリクト・モデル(にならざるを得ない形で)の歴史像になっているし、むしろ〈ポリティクス〉をどう描くかということが焦点になるような気がしているのだが、当日はあまりそういう話にもならなかった。

「教育の論理」のほうは当日も質問と応答があった。私はあまり使わないほうがよいワードだと思っているが、菅山先生の使い方は限定的で、鶏が先か卵が先かでいえば、企業と学校のリンケージができるに際して「最初は学校(からの働きかけ)」ということである。

ただし、

・・・〈教育〉の論理が既存のシステムを越境し、拡散していく事態など、〈教育〉と隣接領域との接点における動態を捉えるときに注意しなければならないのは、〈教育〉の論理(意味論・レトリック…)を、それ以上の説明要因への遡及を妨げる思考停止のマジックワードにしてはならないということである。「生活世界における教育の充満」こそが〈近代〉の条件なのだから(森重雄, 1987, p.109)、融通無碍に用いられる〈教育〉の論理を、研究者自身が融通無碍に分析に用いることは、ミイラ取りがミイラになることを意味する。それを避けるためには、あくまで具体的な場面に定位して、〈教育〉の論理の具体的な内実をそのつど明確に特定しつつ、そこに働く包摂と排除が交錯する論理と機能を描き出すことである。
(井上義和・森直人, 2013, 「教育の歴史社会学:1995年以降の展開と課題」『教育社会学研究』93, p.209.)

とは思う。

議論の余地はあるところだろうが、報告者の著書・論文に直接あたったうえでにしてほしい。前掲著書のほか、菅山真次「「日本的」人事管理とサラリーマンの誕生」宮本又郎・岡部桂史・平野恭平編『1からの経営史』碩学舎、2014年が参考文献に挙げられていたことを記しておく。

1からの経営史

1からの経営史