いただきもの:『デモクラティック・スクール:力のある学校教育とは何か』

マイケル・W・アップル&ジェームズ・A・ビーン編(澤田稔訳)『デモクラティック・スクール――力のある学校教育とは何か(第2版)』上智大学出版(発売:ぎょうせい)をお送りいただきました。ありがとうございます。

巷では『デモスク』で通っています(うそです澤田さんのメールで習得しました)。アメリカの教育実践論考集です。 訳者解説の言葉を借りると、「アメリカ合衆国において、民主主義的理念に根ざした5つの進歩主義的教育実践事例を扱った、実践家自身による論考を中心に編纂された実践論文集である」(239頁)とのことです。ちなみに、すべての実践事例が公立学校におけるもの。2・3章が小学校、4章がミドルスクール、5章が職業高校、6章が中等学校(中高一貫校)。2・5・6章が学校全体の取り組み、3・4章はあるクラスでの取り組み(240頁)。

訳者の澤田稔さんは、私が数年前に――それまでの仕事の路線からはだいぶ違って――ある公立小学校に入り、具体的な教育実践を題材とした論考を書くにあたって、さまざまな便宜を図ってくれたり、有益なアドバイスをくれた方です(本ブログではこのあたりから前後いくつかのエントリが関連)。

「第2版」とあるように、初版は原著1995年、邦訳は同じ訳者により1996年に刊行されています。原著第2版が2007年に出版されたのを機に、全面的な改訂訳へとリニューアルを果たしたそうです(訳者あとがきより)。ちなみに原著はアメリカで15万部を超えるベストセラーとか。

教育実践論考は背景の具体的文脈を読み込まないとうまく理解できず、私のような門外漢には日本のものでさえ読解が困難です。しかし本書は各章冒頭に編者の序文が掲げられ、本文中には詳細な訳注が付され、巻末には各章解題として書き下ろしの訳者解説が収録されており、読者の理解をおおいに助けています。とりわけ特筆すべきは訳注の充実でしょう。この部分だけを編集しても読み物として価値ある内容となっています。教育関係者・研究者は必読ですが、本書は狭義の教育界を超えて、多くの人に読まれるべき書物となっています。各実践家の教育に傾ける情熱はもちろんのことですが、それに勝るとも劣らない訳者の熱意も伝わる一冊です。

素敵な装丁デザインはユミソンさん。帯には「公教育の再生へ」の一言も添えられています。

私は本書を手にとった今、まず誰よりも、日常的に教育実践に携わっている私の若い友人たち――フェイスブック的な意味で――に、この本を手にしてもらえたらいいなと思っています。かつて私が手探りで作っていた講義に耳を傾けていた、数年前の学生さんたちです。本書のような教育実践論考集をもとにした読書会ネットワークがネットを通じてつながっていく姿も悪くないと感じています。

編者の一人、あの(!)マイケル・アップルが第2版の日本語版刊行によせて、と題した小文を寄稿しています。これがとてもよいので、一部(というかかなりの部分)、以下に紹介します。

最近、アメリカ合衆国の、とある学校の校長と話をしていたとき、その校長は、絶望的なまでの眼差しを私の方に向けていました。そして、途方もない圧力にさらされる時代に、自分の学校でいったい何が起こっているのかを説明しながら、学校の管理職や教員の一日のことを、私がこれまで聞いてきたなかでおそらく最も巧みな言葉で表し、こう言ったのです。「今日もまた、トイレに行く時間すらありませんでした。何かもっといいやり方があるはずですよ」。

この校長にとって、もっともっとテストをという圧力、予算をめぐる恒常的な闘い、貧困の現実、あるいは、自分と教員が行うあまりにも多くのことが学校や教室についてほとんど理解していない人々によって決定されているという感覚、その他まだまだありますが、これらすべてが、なぜその校長やその学校の教員が現行政策にいっそうの不満を募らせることになったのかを物語っています。こうした教育者は、まったく違うことを望んでいるのです。学校がどうあるべきかということに関して、発言権を求めているのです。こうした先生方のために、本書『デモクラティック・スクール』が、まさに時宜を得て刊行されることになりました。

私は何度も日本を訪れ、そのたびに、学校が直面している諸問題について、研究者、教員や管理職、活動家や様々なコミュニティの方たちと議論する機会を得てきました。時に、そうした方々の懸念は、私が上に引いた校長や教員の方々がもつ不満と同様の事柄を映し出すことがあります。私が出会った日本の先生方は、自らが直面する問題の多くについて的確な見極めをしていました。そうした先生方の多くは、より民主主義的な学校運営モデルや、より応答性の高い(レスポンシヴ)カリキュラム・教育方法・評価法を望んでいました。が、こうした先生方が何より望んでいたのは、そこに向かうための実践的な方法であり、私には、それを手に入れるための支援を要請していたのです。

批判的教育学者としての私は、そうした教育者たちに何を示すことができるのでしょうか。ここで、正直に申し上げましょう。教育に関する批判的な仕事が抱える主たる問題の1つは、多くの国における「批判的教育学(クリティカル・ペダゴジー)」運動や批判的・民主主義的教育一般の主導者の一部が、学校や教室の現実に十分に接続できていないということでした。(略)

私は、多くの本の中で、批判的・民主主義的教育者が実践上の問いを軽視しないことが肝要であることを主張してきました。すなわち、悪化の一途をたどる状況下で――学校やカリキュラムや教師に対する保守的な攻撃によってさらにいっそう悪化していく状況のもとで――毎日学校で仕事をしている人々に語りかける(かつ、そうした人々から学ぶ)方法を見出さなければならないのです。このような問題に応答する1つの方法は、「それで、次の月曜日には何をすればいいのですか」という教員や管理職の方々の問いに対して、批判論的な解答を提示する書物を出版することでしょう。この種の問いに対して実践的な解答を示すことは、私たちが民主主義的な学校改革の存続を望むのであれば、何より重要なことです。ここにこそ、『デモクラティック・スクール』が、重要な成功例として取り上げられる理由があります。

すべての教員がつねに進歩的になれるという保証はないものの、多くの教員や教育関係者が、社会や教育実践に関する批判的な直観を現にもっています。しかしながら、日常的に見られる状況にあっては、そうした直観を実地に移すことなど想像することもできず、よって、その実践などは、夢のまた夢ということが多いのでしょう。こういうわけで、カリキュラム・教育方法の政治学(ポリティクス)というものが活躍すべき具体的な教育状況にあるにもかかわらず、批判的かつ理論的・政治的・教育的な洞察は、自らを具現化するための行き場を失ってしまっているのです。・・・したがって、私たちは、こうした立場が理論的ないし修辞的なレベルにのみ留まらないように、批判的・民主主義的教育の「物語」が入手可能な場を拡張し、活用していく必要があります。『デモクラティック・スクール』の刊行と、その発行部数の伸びは、そのような場を拡張し活用する1つの実例を示しています。しかも、批判的・民主主義的教育という立場が、学校や地域社会のような「ごくありふれた」組織機関においても実現可能だと思えるようなやり方で示しているのです。(後略)

強調は引用者。これはアメリカの話なのでしょうか、それとも日本の話でしょうか。教育学研究科のなかで社会学を身につけた私が20年近くかかって「教育学」の傍らまで――たどたどしい足取りで――やってきた所以が語られているように感じます。

これが(批判的)教育学者の仕事なのでしょう。そして訳者解説が正しく注意を促すように、「ここで急いで補足する必要があるのは、本書で描かれる諸実践は、同国でも簡単に見つかるものではなく、まったく卓越した事例であるということである。これら諸事例を『アメリカの学校教育』などと安易に一般化して語ることはできないということを強調しておきたい」(239頁)。

社会学を生業にする者として、私はアップル(や澤田さん)とは違ったやり方で教育実践から学び、教育実践を語る(=分析する)文体を追究していきたいと考えています――ということで、今すこし考えているプロジェクトがあるのですが、その入り口でもまた澤田さんのごやっかいになりそうな道行きです。

以下目次。

第2版への序文
第1章 なぜ、いま、デモクラティック・スクールなのか
第2章 フラトニー小学校:民主主義への大いなる旅路(ジャーニー)
第3章 「『気持ち』わかってくれてんじゃん」:カルビニ・グリーンにおける民主主義とカリキュラム
第4章 このクラスの雰囲気が私たちを特別な存在にした
第5章 作業訓練場を越えて:職業教育の再生
第6章 セントラル・パーク・イースト中等学校:困難なのは実現することだ
第7章 デモクラティック・スクールから得た教訓
訳者解説
索引

チェケラ!

デモクラティック・スクール 力のある教育とは何か

デモクラティック・スクール 力のある教育とは何か

  • 作者: マイケル・W.アップル,ジェームズ・A.ビーン,James A. Beane,Michael W. Apple,澤田稔
  • 出版社/メーカー: ぎょうせい
  • 発売日: 2013/10/05
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
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