もうすぐなくなる映画館

※しつこいですが私は社会学を教えているただの大学教員であって映画評論を生業にされている方とは別人です。

今回のオーディトリウム渋谷での上映はとうに終了した「サウダーヂ」だが、終了日を迎える前にもう一度観てきた。ゼミで紹介したこともあり、向こうでゼミ生の何人かと一緒になった。そのうち一人は山梨は甲府の出身だったので、映画にでてくる舞台の位置関係と方言のレクチャーを受けることができ、ずいぶんと理解も進んだ。あの団地はその学生の生活圏ど真ん中にあるのだそうだ。ああいう映画は土地勘があるとまた違ってみえる。初見時の記憶のバイアスもいくつか確認できたし、初見時にはそれほど意識しなかったシーンも二度目には強く印象に残るものがあった。「天野猛」の「変調」はむしろ映画の冒頭から仕込まれてあった。その最後は古典的といえばあまりに古典的な「進路選択」でもある。いろんなシーンにいろんな見方があるしできると思うので、できたらDVD(ブルーレイ?)化してほしいというのが正直なところだが、それはまあ製作者の考えもあるのだろうし。

ついでにケン・ローチ監督の「天使の分け前」も観てきた。はしごである(なにせ都内までの電車代がばかにならない)。銀座テアトルシネマが5月末で閉館する。観てきたときの場内アナウンスでは「27年の歴史に幕を閉じ・・・」と言っていたか。そのクロージングを飾る公開である。1987年開館。上京して何度か足を運んだ90年代前半にはまだできたてだったのに、という感慨はある。若いつもりが歳をとった@ユニコーン

さて、その「天使の分け前」であるが、イギリスではケン・ローチ作品史上最大のヒットとなったらしいし、twitter上(日本語圏)でも好意的な感想を複数目にしたし、劇場も(閉館の報による効果もあったかもしれないが)ずいぶんと盛況であったし、ハートウォーミングないい話でもあり、多くの人に観られるであろうし、観られてよい作品である。ケン・ローチもいつの間にか日本でこういう風に観られる映画作家だったのだなあ、とこれもちょっと感慨深い。

私がとくに好むのは彼の作品のなかでも60年代末の「ケス」や、90年代以降に表舞台に「復帰」してからの初期作品――「リフ・ラフ」「レイニング・ストーンズ」「レディバード、レディーバード」といった作品群であるので、なんとか賞を獲った作品とかそれ以後の作品とかは実はそうでもなかったりする(そのなかで「この自由な世界で」は繰り返し観る作品の一つだ)。

いしかわじゅんだったか誰だったか、BSマンガ夜話でしゃべってたのか何かに書いているのを読んだのか、西原理恵子の作品を評して「社会のふつうの人たちがある線以下を“クズ”の一言で済ませるダメな人たちの多種多様さをしっかり見つめて描いている(大意)」的なことを言ってたのに触れたことがあるようなないような気がするが(要するに何ひとつちゃんと覚えていない)、私が好きなケン・ローチ作品にもそれと似たようなところがある(いや違うか)。

いろいろと「ダメ」な人がでてくる。でもその「ダメ」にはそれなり(以上)の「事情」があって、でもやっぱり「ダメ」なのだ。そこから目を逸らさずに描く。それは対象への愛情がなせる業だと言えばそうだけど、結果できあがる人物像はそんな簡単に感情移入を許すものではない。救いがないように見える結末にはそこに至るまでに一筋の光たりうるシーンが用意され、結果よかったじゃんと思える結末は実は永遠に続く罰だったりする。善人と悪人は紙一重、というよりも同じ人のなかで共存する。女手一つで息子の将来を心から案じる母親はそんな汚い鳥の死骸なんざとっとと捨ててこいとわめくし、善なるものの象徴のような牧師さまはあんな奴死んでみんなせいせいしてると吐き捨てる。

学部生だったか入院したての頃か、「レディバードレディバード」を劇場に観に行ったとき、まあ観てもらえばわかるがイギリスの社会福祉局がこれでもかっちゅうくらい主人公を追いかけてくる(何度も反復するその描き方は実話にもとづくという以上の作者の意図を感じないでもない)お話なのだが、何回目かの社会福祉局登場!の場面で、隣で観ていたちょっと年上くらいの大学院生かNPOかボランティアかの活動をしてる人かという風貌の見知らぬ女性がふつーの会話のボリュームで「むっかつくゎぁぁぁ、こいつら......」と思わず漏らした独り言が劇場内に響き渡ったのもいい思い出です。

それに比べると「天使の分け前」は安心して観ることができるだろう。そういう意味でおススメの一品である。ハリーは安定してロビーを支えるし、ロビーは安定してそれに応えようとする。だって息子が生まれたから。ロビーの恋人は安定してロビーが好きで、実はロビーには本人も気づいていなかった才能があった。このロクでもない環境から離れればきっと俺たちはうまくいくぜ。だってもう改心したんだあの頃に戻るつもりはないからね。

みんな必死で善人になろうとしてもなれない悲哀や、支援の善意のなかに不意に姿を現す悪意が描かれることはない。人は変われる。その希望が描かれる。

上映が終わり、帰りしな振り返り、たぶんこれが最後となる銀座テアトルシネマの会場を目に焼きつけた。いろんな感情を整理したくて2つほど駅を余計に歩いてから山の手線で秋葉原に向かい、帰路につく。

21世紀になって、もう10年以上が過ぎた。

1936年生まれのケン・ローチ「ケス」を撮ったのが1969年(デビュー作はその前年)。長い不遇時代を経てカムバックした1990年代、彼は50歳を過ぎてすでに数年。国際的な賞を獲って映画監督としての地位を不動のものにしたときの彼はもう(日本でいえば)還暦であった。何が言いたいかというと、富田克也監督にはがんばってください応援しています。

銀座テアトルシネマでの「天使の分け前」公開は5月末まで。25日(土)にはオールナイトで「この自由な世界で」「麦の穂をゆらす風」「ルート・アイリッシュ」のケン・ローチ作品3本が上映される。

終映までの残り少ない期間、時間帯によっては劇場の混雑が予想されるので、余裕があればインターネットでチケット予約してから出向かれるのがよいと思う。