高等学校等就学支援金支給制度(いわゆる「高校無償化」制度)から朝鮮学校を除外するための省令改正案パブリック・コメントは本日締切です。

高等学校等就学支援金支給制度(いわゆる「高校無償化」制度)から朝鮮学校を除外するための省令改正案に対する意見募集は本日が締切です。本日中に左記リンク先意見提出フォームまたはメールにて。メールの場合、件名は【パブリックコメントに対する意見】とし、氏名・性別・年齢・職業(在学中の場合は「高校生」「大学生」など在学する学校段階を表記)・住所・電話番号・意見を書く。意見は添付ファイルではなく本文中に書く。詳細はリンク先「意見公募要領」を参照のこと。

明らかに朝鮮学校を狙い撃ちにした差別的措置ですが、これが通ることは日本社会全体に大きなダメージを与えます。「このやり方」で「日本人」の教育機会も一つまた一つと確実に掘り崩されていくでしょう。一行の意見でもいいと思いますので今日中に可能な方はぜひ。

私も昨日提出しました。先方での取りまとめの都合上一つの論点につき一件の提出で、という要領なのですが、確認不十分のまま書き始めたので二つをごっちゃにしたまま書いてしまい、提出の際にまた二つに分けるという二度手間をしてしまいました。下記は分ける前のものです。無知もあり、ご批判受けるべき点が多々あるかと思いますが記します。

高等学校等就学支援金支給に関する法律施行規則第1条第1項第2号から(ハ)の規定を削除する省令改正案に反対します。あわせて、当該規定により就学支援金の支給を受けるべき朝鮮学校生徒が現在置かれている適用除外状態を2010年4月段階まで遡って撤回し、早急に支援金支給の手続きをとることを日本政府に求めます。


高等学校等就学支援金支給制度の実施は、国際的にみても異例の留保状態が長く続いていた国際人権A規約第13条第2項(「中等教育および高等教育の漸進的無償化」条項)について、その留保撤回に向けた教育政策上の歴史的な一歩として刻まれるべきものです。とくに学校教育法第1条規定の学校ではない専修学校高等課程各種学校となっている外国人学校への就学生徒も制度の適用対象としたことは評価されるべき進展です。学習権の普遍的保障という観点からはもちろんのこと、日本の社会的連帯や経済的発展を達成するという観点からも、「全ての意志ある後期中等教育段階にある生徒の学びを保障し、家庭の状況にかかわらず安心して勉学に打ち込める社会をつく」ろうとする本制度の主旨はとても重要です。日本政府をはじめ、日本社会は今後もこの方向性を堅持し、一層の進展に向けた努力を続けていかなければなりません。


しかしながら、日本政府は「外交上の理由」との言辞を弄した政治的判断を口実に朝鮮学校生徒への支給手続きの適用手続き停止という差別を公然と行い、加えて今回の省令改定案はこの適用除外措置を永続化させることを目的として、それを正当化するために企てられた露骨な差別政策というべきものです。


省令改正案によって第1条第1項第2号の(ハ)を削除することは、大使館すなわち日本政府と国交を結ぶ「本国」のある民族系外国人学校や、「本国」の有無に関係なく学校評価団体の認証を受けているインターナショナル・スクール等の就学者に対する支援金支給の事実と対比して、「本国」自体が存在しないかまたは日本政府と「本国」とのあいだに外交関係のない民族系学校就学者を差別的に扱うことになります。これは国際人権B規約第27条に記された民族教育の権利の保障に反するのはもちろんのこと、日本国憲法国際人権A規約子どもの権利条約人種差別撤廃条約に規定された平等原則にも違反しており、正当化を可能にする論拠はどこにも見出すことができません。


どう言い逃れを図ろうとも、日本政府自らが国際社会に対して約束し負うはずの国際法上の義務を、政治・外交上の理由によって破棄しようとするものであり、到底容認できるものではありません。昨年12月28日の記者会見で下村博文文部科学大臣は、民主党政権時の「外交上の配慮」という見解を廃止して「もろもろの事情を総合的に判断、勘案して判断する」と述べていますが、前後の発言では「拉致問題の進展がない」「[野党時代に自民党が提出していた――引用者]朝鮮学校の指定の根拠を削除する改正法案と同趣旨の改正を、省令改正により行う」などと明言しており、朝鮮学校を狙い撃ちにした差別政策であるという批判に対し釈明の余地はないものと考えます。


今回の省令改正案を正当化するために「拉致問題の進展がない」「北朝鮮との国交がない」との「理由」以外に日本政府が持ち出している「事情」、すなわち「国民の理解が得られない」や「朝鮮総連と密接な関係にあり」「朝鮮学校についてはその内容も分からない状況」といった指摘も何ら根拠がありません。


人権の保障は「国民の理解」の有無にかかわらず国家が負うべき義務であるはずです。「国民の理解がない」ことを国家による人権侵害の理由にしてよいはずがありません。もしもこのような「理由」によって省令改正を実施してしまえば、国内に向けては「朝鮮学校の生徒は差別されて当然」とのメッセージを発し、国外に向けては日本が日本国籍をもたない者や国内の少数民族への人権抑圧・侵害に対して容認的さらには加担的な国家であることを宣言してしまうも同然でしょう。


(ハ)の規定の存在は、「本国」政府の確認や国際的学校評価団体の評価によらなくとも文部科学大臣による認定がありうること、すなわち、日本政府独自の判断にもとづいて学習権(民族教育の権利)の普遍的保障に向けた不断の努力を継続する意志を表明するという意味を帯びうるものです。それを今回あえて削除するという行為に踏み切ることは、その努力の放棄を公然と宣言するものと受け取られてもしかたのない選択であり、すでに述べたような観点からの国益に鑑みても採られるべき政策「転換」ではありません。


朝鮮総連との関係」といった政治的事情にもとづいて子どもの学習権に対する差別的取り扱いが正当化できるものではないことはすでに述べました。また「朝鮮学校の内容がわからない」というのも、これまでにも認可を受ける等の機会ごとに教育課程に関する情報の提供や学校内の教育実態の公開に努めてきた(というよりも上述の経緯に照らして「強いられてきた」と表現した方がよいでしょう)朝鮮学校側の営為をあまりに無視した発言です。私の実家がある地方の朝鮮学校でも例年地域住民に対して開かれた各種イベント等が企画・運営されている実態があります。こうした現実を無視して発せられた今回の下村大臣の発言と日本政府の姿勢はあまりに欺瞞的と言わざるをえません。


社会を構成するメンバーの能力と創造性が十全に発展・発揮されてはじめて、わたしたちの社会の発展もまた約束されるというべきでしょう。教育機会の保障にはそういう重要な意義があります。教育機会はメンバー相互が奪い合うゼロサムの資源と考えるべきではなく、むしろその普遍的な保障を通じて社会全体の厚生を絶対的水準で向上させていくための元手です。繰り返しになりますが、日本の就学支援金支給制度のもとで外国人学校を卒業した生徒があるいは日本社会で、あるいは日本社会のよき理解者/批判者として国際社会で活躍することは、学習権の普遍的保障という観点からはもちろんのこと、日本の社会的連帯や経済的発展の観点からも追求していくべき将来像であり、またそのことを通じてはじめて国際社会の発展に寄与すべき日本の責務も果たされるといえるでしょう。


しかも、朝鮮学校に通う生徒たちはかつて日本が朝鮮を植民地支配していた時代に日本に渡ってきた人びとの子孫であり、日本で生まれ育った市民です。日本と北朝鮮とのあいだの政治状況に何の責任があるわけでもありません。同法施行時に規定された要件に照らして、朝鮮学校就学者が支給対象に含まれることは明白です。日本政府は早急に該当者に対して2010年4月段階にまで遡って就学支援金を支給し、今回の省令改正案も撤回すべきです。


上述のような教育機会に対する観点からすれば、日本政府はむしろ、大学受験資格を有する学校としてすでに文科省によって認められていながら各種学校認可がないために就学支援金の支給対象となっていないブラジル人学校等の就学者も適用対象としていく等、教育機会の普遍的保障、日本在住者の民族教育の権利保障に向けた歩みを一層推し進めていくべきだと考えます。