選択肢

ちょっと調子もよくなかったし、なんかしゃべるような感じでもなかったわけである。だがせっかく無理して足を運んだことでもあるし、少しだけ感じたことを記しておく。

「教育と職業・政治 再論」という発題なのだが、いったいぜんたい「職業教育」と「政治教育」がどうして対抗関係、みたくなっているのか、いくら考えてみてもよくわからない。しかも「再論」とか言われて、いつ論じたことになっていたのか、と思って読み直すと昨年の研究会で教育と職業の関連性と教育と政治の関係性とが焦点になったからだと書いてある。でもそれは濱口桂一郎と小玉重夫を呼んだからだろうとしか思えないわけだが、しかしこの二つがなぜか交差する二軸みたく扱われることとなった。

一つ気になったのは、この二軸でできる四象限に各論者をプロットした報告があって、広田照幸もそこに位置づけられたりしてまあそれはどうでもよいのだが、『陸軍将校の教育社会史』という本からその後の「教育学者」化への理解が私とだいぶ違っていたのでそのことを記す。

報告者によればこうだ。『陸軍将校の教育社会史』はイデオロギー「内面化」図式を否定したうえで天皇制教育の作動を説明した本である。イデオロギーの「注入」は、そのコンテンツが自らの立身出世と結びつきやすい条件にいる場合にのみ成功するのであって、ふつう人の「内面」にイデオロギーはそんな簡単に入っていかない。この本が発表された当時、

教育社会学では教育システムにおける「選抜・配分の失敗」(階層の再生産)がいわれていた時期。これに加え、「社会化にすら失敗する」ということを明らかにした点に、大きな意義。

があったという。

そこからすると、

以上の名著の含意として引き出せるものは、高密度の陸軍将校でさえ実はグダグダだったのだから、今の学校で「政治教育(=批判的思考力を持った市民の形成)」なんて無理、ということになりそうなものだが、なぜそうならないのか?

というのだが、私にとってここはそんなに不思議なことではない。

細かいことをいうとあの本においては陸軍幼年・士官学校の社会移動装置=流動化装置としての「成功」を言ってたりするとかつまらないことはいえるのだけどそこは当然重要じゃなくて指摘したいのは「社会化」とか「政治教育」のほうなわけだけど、広田は「政治教育」を「注入‐内面化」の図式でなんか理解していないし、一度もそうは書いていないはずである。そこは教育基本法改定のときに「政治教育」に焦点化して対抗論陣を張っていたから間違いない。

重要なのは『陸軍将校』という本の理解で、たしかにあれは教育システムは「社会化に(すら、とあえて加える必要はないと思うけど)失敗する」と言ってる本かもしれないけれど、あの本の教育学的含意というのは実ははっきりと別のところにあって、教育なんか偉そうなこといったって「社会化に失敗する」んだあんなもん、みたいなポモ臭漂うようなこといってる本では、ない。

じゃあ教育学的には何を言ってる本かというと、あれは教育と政治とかイデオロギーとかの問題では、何が「注入」される=教えられるかが重要なんじゃなくて、何が「教えられないか」がすごく重要なんだ、ってことを強調した本なんだと思う。

社会学の本としてのあの本はT. シブタニとかゴッフマンとか慣れない名前をもちだしながら、「相手や状況によって、さまざまな[準拠]価値のリストから適切なものを選んで対処する、きわめて戦略的に行動する個人」というモデルにもとづいて「内面化」図式を乗り越えようとした本だと思うけれど、その最後のあたりで次のような言葉を書き込んでいる。

準拠価値のリストの形成について一つだけつけ加えておこう。一般に、「知らないことは考えられない」ものである。戦前期の教育でも、偏狭なナショナリズムが教えられていたことよりも、それとは矛盾するような準拠価値――たとえばコスモポリタニズム――を内面化する機会が欠落していたことが大きな意味を持っていた可能性がある。準拠価値のリストに採用すべき別の選択肢がないという事態である。われわれは、何が教え込まれたのかという点に関心を払いがちであるが、その際、何か別のものが教えられなかった効果としばしば混同しているように思われる。(409頁)

戦中世代・・・は、それ以前の世代に比べて、献身イデオロギーを忠実に内面化していたように思われる。・・・しかしそれは、教え込みの技術が適切だったからではなく、献身イデオロギーと対立する別の準拠価値を内面化する機会がほとんどなかったからではないだろうか。物心ついて以来、「何が正義とされるか」について別の選択肢が用意されていなかったこと、すなわち別種の情報から隔離されていたことが、彼らに超国家主義を心底から信じ込ませることになった、というように。彼らは敗戦に直面して初めて・・・、異なる視角が存在する可能性に気づいたのである。(409頁)

ちょっと長くなった。ほんとかどうかはわからない。実証からはずれたところでの議論である。けれども、あの本を教育学の本に「も」しているのはこの箇所であって、そしてこの箇所しかない。

だから教育学者としての広田はずっと同じことを主張していて、それは「子どもに可能な限り選択肢を提示しろ」ということだと思う。その選択肢が貧しくなったときが危険なときなんだ。その限りでは、今日の報告者がいってたのとはかなり違う文脈でだけど、ある時期の宮台真司の構想と通じるところはあるのかもしれない。

広田が教育基本法がらみで政治教育について語っている時論でもたぶんここからはずれたことはいってないはずだと思う(手元に本が見つからないので疑う人は調べてみてください)。

教育は子どもの選択肢を可能な限り狭めないものとして――もし望めるなら選択肢を増やしてやるものとして――構想されなければならない。すごい正統派教育学者の発想である。そして、そんな彼の眼に職業教育は子どもの可能性を一点に――ある特定の職業に、そしてある特定の職業「のみ」に――「限定」するものに映るから、「職業教育主義」には批判的なスタンスを崩さない。「特定の職業」のことしか考えなくなるし、「職業のために」という以外の可能性を教育に見出す視点も失ってしまうから。

もし批判されるべきだとしたら、そういう「職業教育」理解が「貧しい」ということだろうか。一面的、というか。職業陶冶論とか難しい言葉はあるけれど、「普通教育では適応できなかったのに職業訓練では皆勤で通した子」というのはいて、そういう子は職業教育・職業訓練でこそ可能性を拓くし、もしかしたらそういうところでしか救えない。そして、ある特定の職業に一心に打ち込むことによってそこから始めて世界を見る目が拓かれていく、というのは「教養人」たるにありうる回路の一つである。

ただし、広田的問題意識のうち私がとても重要で譲ってはならない一線だと思うのは、職業教育を重視するというあまり、学歴資格の制度的に固定化された格差を容認する方向性は持ち込むべきではないというところ。このあたりは濱口さんのおっしゃるところとは少し異なるのかもしれないけれど(よくわかってないけれど)、四年制の「大学(学士)」に対してそれより格下の教育機関・教育資格として制度化されるのはいろいろ不都合なことが起こり過ぎるのではないか(ここはだから佐々木輝雄がどうして企業内訓練に高校と同じクレジットを与えるという制度に拘泥したかを思い出すべきなんだろうと思う。彼は企業内訓練の経験「しか」ない者も「大学」に行ける制度なんだ、ということでこのクレジット制に拘っていたはずであって、そこは広田的問題意識と通じているんだと思う)。

さて研究会の話に戻るが、Uさんの報告はもう少し質問して話を聞きたい部分もあったのだが、なかなかそういう感じにもならなかった。いちばんお聞きしたかったのは、「不利な境遇にある人々が自らの権利のために闘うだけでなく、現在置かれている境遇にかかわらず多くの人々が、特定の人々を不利な境遇に落とし込む現状を改善していくことを要求する」のくだりから「研究者の知がもっと定型化(?)され、共有される基盤になる回路」みたいなものを考えたい(?)的なことを口頭でおっしゃっていた部分。なんかよくわかってないなw とても優秀なテイカーによる文字起こしがでるはずだから、それをもう一度確認してみよう。

もう一つは「ケイパビリティ・アプローチ」。いちばん可能性を見出しつつも、同時にその測定困難性を深く自覚しておられる点について、もう少しぶっちゃけた話をうかがいたかった。まあぶっちゃけたところでどうなるということでもないのだが。

それにしても、「厳密に機会の平等を測定することより、より望ましい結果を達成するために何が必要かを考え、それに対して公的に対応する根拠を与えることのほうが実践にとってより役立つならば、ケイパビリティ・アプローチの有効性は否定できないだろう」みたいなくだりはよい。「実践にとってより役立つならば」のくだりである。その通りだと思う。

上にあわせて「専門家への信頼」がないと難しい、ということも言われていた。いちいちマニュアル化して対応すべき次元の話ではない。そこを裁量でやりくりするフリーハンドをわれわれの社会が「専門家」に渡せるか否か。然り。しかしわれわれの社会からそんな「信頼」はどんどん失われているのではないか。

とりとめがなくなったところで終わり。