「四六答申」以後の教育政策・教育言説と個性化教育(抄)

そんなようなことを最近考えているので問題意識のとこだけまとめてみたぞ。きみらのイカしたセンスでもっとイカした研究ができるなら、まかした! 後半部分は秘密だ。んじゃ!

1.拙稿(2011)1節「「自由と個性」重視の教育実践をめぐる転回」(pp. 116-122)の歴史的検証

77年改訂の学習指導要領で新設された「ゆとりの時間」に着眼、その「先導的試行」という位置づけでこれを利用し実践開発を推進した緒川小の「個別化・個性化教育」は、臨教審が謳う「教育の自由化/個性化」の有力なモデルとして位置づけ直され、逆に緒川小は臨教審路線との関連で注目度を上げていく、という強化循環に入る

80年代当時は「個別化・個性化教育」以外にも子どもの興味・関心や自主性・主体性に照準した教育方法の開発は各地の先進校で積極的に取り組まれていた。背景には「画一的」な「一斉授業」や過度に管理的な指導への批判的なまなざしの浸透があった。「追い付き型近代化」の終焉という認識を背景とした時代の言説構造が、各地の教育運動の系譜に実践開発への動員を備給し、形を取り始めた新しい実践は政策の方向性を指示するグッドプラクティスとして中央政府に取り上げられるという循環が生起する。(p. 119)

⇒資料にもとづいた検証を

2.ポスト「第3の教育改革」を問い直す:46答申・臨教審・教課審(学習指導要領)
2−1.「教育の計画化」の時代の到達点であると同時にその後の起点としての「四六答申」:
教育実態についての詳細なデータ収集から導出される予測計量に基づいた「長期的教育計画の策定と推進の必要性(第二編第二章)」を強調する「拡充整備のための」基本的施策

ポスト「第3の教育改革」のキーワード(第一編第二章 初等・中等教育の改革に関する基本構想)

豊かな個性を伸ばすことを重視/個人の特性に応じた教育方法/教育の内容・方法については画一をさけ/小学校段階における基礎教育の徹底をはかるため、教育内容の精選と履修教科の再検討

→「量的拡充」の論理と「質的改善」(≒「画一的教育/詰め込み教育」批判)の論理

2−2.1977・1989・1998学習指導要領における昂進過程
1977:「ゆとり」

自ら考え正しく判断できる力をもつ児童生徒の育成」「自ら考える力を養い」
「(3)国民として必要とされる基礎的・基本的な内容を重視するとともに児童生徒の個性や能力に応じた教育が行われるようにすること」(←「個性や能力に応じた」は高校段階想定? それ以前は「能力・適性」)

1989:「新しい学力」、「個性の重視」

「(2)自ら学ぶ意欲と社会の変化に主体的に対応できる能力の育成を重視すること」「自ら学ぶ目標を定め、何をどのように学ぶかという主体的な学習の仕方を身に付けさせるように配慮する必要がある。その際、自ら学ぶ意欲を育てることが特に大切であり、幼児児童生徒に活動や学習への適切な動機を与え、学ぶことの楽しさや成就感を体得させるように配慮しなければならない。/各学校段階を通じて、このような観点から各教科等の内容や指導方法の改善を図る必要がある。」

「(3)国民として必要とされる基礎的・基本的な内容を重視し、個性を生かす教育の充実を図ること」「一人一人の幼児児童生徒の個性を生かすよう努めなければならない。」「その内容を一人一人の児童生徒に確実に身に付けさせるためには、個に応じた指導を工夫することが大切である。」

1998:「総合的な学習の時間」と特色ある学校づくり

(2)自ら学び、自ら考える力を育成すること
 変化の激しいこれからの社会を考えたとき、(1)で述べたように、多くの知識を教え込むことになりがちであった教育の基調を転換し、学習者である幼児児童生徒の立場に立って、幼児児童生徒に自ら学び自ら考える力を育成することを重視した教育を行うことは極めて重要なことである。

 そのためには、幼児児童生徒の発達の状況に応じて、知的好奇心・探究心をもって、自ら学ぶ意欲や主体的に学ぶ力を身に付けるとともに、試行錯誤をしながら、自らの力で論理的に考え判断する力、自分の考えや思いを的確に表現する力、問題を発見し解決する能力を育成し、創造性の基礎を培い、社会の変化に主体的に対応し行動できるようにすることを重視した教育活動を積極的に展開していく必要がある。また、知識と生活との結び付き、知の総合化の視点を重視し、各教科等で得た知識・技能等が生活において生かされ、総合的に働くようにすることに留意した指導も重要であると考える。

 各学校において、それぞれの地域や学校の実情を踏まえ、例えば、各教科等や今回創設される「総合的な学習の時間」などにおいて、体験的な学習、問題解決的な学習、調べ方や学び方の育成を図る学習などが重視されるとともに、自ら調べ・まとめ・発表する活動、話し合いや討論の活動などが活発に行われることが望まれる。

(3)ゆとりのある教育活動を展開する中で、基礎・基本の確実な定着を図り、個性を生かす教育を充実すること
・・・厳選された基礎的・基本的な内容を幼児児童生徒がじっくり学習し、その確実な定着を図るとともに、幼児児童生徒が自分の興味・関心等に応じ選んだ課題や教科の学習に主体的に取り組み、学ぶことの楽しさや成就感を味わうことができるようにすることも必要なことである。
(中略)
 また、一人一人のよさや可能性を伸ばし、個性を生かす教育の一層の充実を図ることも重要なことであり、そのために、各学校段階を通じて、幼児児童生徒の興味・関心等を活かし、主体的な学習の充実を図るとともに、個に応じた指導の一層の工夫改善を図ることが大切であると考える。

2−3.臨教審は何だったのか:
明確な改革理念はなく、抜本的な改革案は何一つ提示できず、内容は多岐にわたり具体的方策も少なくないがいずれも部分的な改善策にとどまり、なかでも中核的な部分は46答申で既出であった
→「教育改革としては失敗」の答申(市川 1990)

「伝統的保守と新保守との妥協の産物」(市川 1995)
→「教育政治の三極モデル」(広田 2009)(後述)

キーワード「個性重視の原則」の産出:「自由化」論の修正作業の産物
 「自由化」→「個性主義」→「個性重視の原則」
 「自由化」の中核「義務教育学校の自由選択化」のための前提として「(民営化・規制緩和による)学校の個性化・特色化」

しかし実質的には「46答申→1977学習指導要領」の流れから第13期中教審「教育内容等」小委員会「審議経過報告」(1983.11.15)内に「自ら学ぶ力」「一人一人の能力・適性、興味・関心に応じた教育」「低学年における合科的な指導」などは既出、「自己教育力」はむしろ第13期中教審の言葉

マスコミを積極的に利用し、したがって世論(教育の素人)の影響を教育政策が強く受けるようになった社会史的契機

→46答申への「能力主義」批判からすでに「画一化/画一的教育」を問題視する関心は左右両陣営とも共有しつつ、日教組の「教育の自由」とは異なるものとしての「(消費者主義的な)教育自由化論」がでてきて、「個性(化)」が落とし所になる過程

臨教審によって生産者(供給者)寄りを批判された文部省の第14期中教審(以降)における姿勢変化
→消費者寄りへの変化=マスコミによる大筋での支持
教育関係者排除の基調の臨教審が打ち出した消費者主義的な、あるいは「公教育の国家独占解体」契機を伏在させる方向性に対して文科省文教族がどう折り合いをつけるか  cf. 第14期中教審西岡武夫文相

教育政策におけるマスコミ利用=主導の構図の誕生

⇒この流れのなかで「公立」の「緒川小」において「学習指導要領の絶対堅持」の方針のもと生み出された「個性化教育」の意味を考える
極めてラディカルにみえながら、実質を子細に検討すれば46答申で示された方向性を理念として「忠実に」具現化した実践

3.「教育政治の三極モデル」再考
広田(2009)の「教育政治の三極モデル」に“「個性化教育」vs. 「教育社会学」の対立構図”を位置づけられるか?「政治的リベラル・社民勢力」あるいは教員集団の布置と分散を問う必要があるのでは?

(図略)

上記の三極モデル図(376頁)以外に292頁では「教育をめぐるイデオロギー対立」として同様の図があげられている。そこでは「保守―左翼」「大きな政府―小さな政府」の2軸で4象限が構成され、第一象限が「日本的システム派(族議員文科省)」、第二象限が「新自由主義派(財界・規制改革派)が描かれ、第三・四象限に曖昧に「政治的リベラル・社民派(野党・日教組市民運動)」が置かれている。

これは基本的に保守の動向中心史観あるいはショッパ(1991=2005)モデルで描かれており、「政治的リベラル・社民勢力」派の描き方が粗雑ではないか?
→ショッパ・モデルは46答申が先鞭をつけ臨教審の華々しい議論があった「1970〜80年代になぜ日本の教育改革は進展しなかったか」を説明する。その意義は大きいが、同時に、上述のような小さいが着々と進展してきた46答申方向での昂進過程を無視することになる

その「小さな進展」を理解するには「日教組」とは異なる位相にあった教師集団や、マスコミ(世論)の教育言説を視野に入れる必要

⇒「日教組的なるもの」とは異なる独自の(対立的な?)位相で展開した「教育(実践)運動」を、個々の人物レベルにまでおりて考察する必要

4.国際的な同時代性+ショッパ・モデル的構造 → 70〜80年代の停滞/小さな進展、90年代の大きな昂進
1970年代末から1980年代にかけての国際的な新教育運動の再評価(社会国家の新自由主義的再編)
「追い付き型近代化の終焉」言説、日本の「画一性」言説

(後略)

参考文献:

市川昭午、1990、『教育改革の理論と構造』教育開発研究所.
市川昭午、1995、『臨教審以後の教育政策』教育開発研究所.
小熊英二、2009、『1968〈下〉――叛乱の終焉とその遺産』新曜社
ショッパ、J. レオナード(小川正人監訳)、1991=2005、『日本の教育政策過程――1970〜80 年代教育改革の政治システム』三省堂
成田幸夫、1987、『学校をかえる力――緒川小学校・学校改革の軌跡』ぎょうせい.
広田照幸、2009、『格差・秩序不安と教育』世織書房
森直人、2011、「個性化教育の可能性――愛知県東浦町の教育実践の系譜から」宮寺晃夫編『再検討 教育機会の平等』岩波書店
Hayao, K,. 1993, The Japanese Prime Minister and Public Policy, University of Pittsburgh Press.

以上。