『教育と平等』雑感

あらかじめ手の内を明かしておくと、今日のエントリがだらだらとしまりなく長文なのは、(今日のは)わざとである。

そして、たぶんしつこいと思われているだろうが、いまだ 宮寺晃夫(編)『再検討 教育機会の平等』(岩波書店 出版記念、販促祭りは継続中である(販促になっているか否かは別にして)。まだまだ。ぜんぜんである。よくもまあ一本の論考でここまで長文のエントリ何本も引っ張るなとお思いだろうが(私も思っている)、噛んで噛んで噛みつくしてもう味もぜんぜんせえへんわ、と思ってから再びふわっと味が甦る「味の向こう側」(@麒麟・田村)の境地はまだであろう。これからである。

ところで、ひさしぶりに「苅谷節(かりや・ぶし)」という言葉に触れた。昔、院生の頃、学会発表の場にオーディエンスとして座っていたときに耳にして以来だ。

「また苅谷節がきたよ」。

発表が始まったとたん背後に小声でそう吐き捨てられた言葉に身を固くして以来のことだ。振り向けば、その当時の私でも知ってる著名な研究者であった。

私も矢野眞和先生の独特の話法を指して「矢野節」などと(冗談半分親しみを込めて)言ったりしてきたが、「苅谷節」という語はそうではない。私の知る限り、「苅谷節」というのは、苅谷的「計量」分析_にもとづいた_苅谷的ストーリーテリング_に対し、主としてスタンダードな計量社会学プロパーの人間(の一部)によって与えられた、明確に揶揄のニュアンスが込められた名指しである。

少なくとも私の知ってるその言葉は、そういう言葉であった。

もちろん、そこには裏返しの憧憬も、ある。

苅谷先生の「計量」分析_にもとづいた_ストーリーテリング_に、すっきりしないもやもや感を抱きつつも、その違和感の所在をうまく言い当てることができずに「説得」させられてしまう読者は多い。とくに、スタンダードな計量社会学的手法を身につけた研究者の視点からは、おそらく、その「違和感」はいっそう強いことだろう。しかし、正確にその所在を言い当てることは、しばしば、困難である。端的に、そのとっかかりが「ない」ことが多い。

苅谷先生の「計量」分析_にもとづいた_ストーリーテリング_を、「天才的だ」と私は思う。しかし、それは議論の説得力を動員する手つきの鮮やかさに対し、如上の両義性を織り込んで一回ねじれた称賛である。

基本的/主要な変数の基本統計量や2変数間の単純相関などをみながらデータ全体の変数間の布置関係を確認しつつ、事前の仮説にもとづいたモデルを検証し、修正し、再検証していく、、、というプロセスにおいて、苅谷的「計量」分析にはどうしても「決め打ち」の感がぬぐえないわけだ(そして、その「決め打ち」のセンスは抜群だ)。

たとえば、だが、苅谷的「計量」分析は最終的なキメの分析に重回帰系の手法がおかれることが多い。その際に変数の合成や加工を行うことがしばしばある。その合成や加工の手際など。

あるいは、分析に使用されていた変数のワーディングと、分析結果の解釈のときに採用されるワーディングとの、瑣末にみえるが、しかし、時に決定的な差異(こう言って言い過ぎなことは承知しているが言ってしまえば「レトリカルなすり替え」)。

あるいは、追随する分析者が反証活動に入る前にデータの大枠の傾向性を脳内構成しやすいようにと、事前提示する役割を担う単純な統計表の不在(ひらたくいって本文だけに内在した場合に分析過程の再現が困難)。

具体的な分析を取り上げることもなしにこういうことを言うのは、はっきり言って、言いがかりである。

だが成田先生のところの教え子の院生(金もり(←森)千ひろ(←浩)氏。現在は教諭として勤務)が以下のように書いている――苅谷先生による「教育の個性化」批判への反批判――のは、苅谷的「計量」分析がはらむ上述の特性を結構正確に言い当てている(以下は成田先生から送られたコメントからの重引である)。

個別化・個性化教育が指す「興味・関心・意欲」と、教育社会学[具体的には苅谷先生:森]において、「個性尊重」教育によって階層間格差が拡大したとされる「意欲や興味・関心」はその取り扱われ方において大きな違いがあります。


(グラフをみてください。教育社会学の主張の根拠のひとつとなったグラフです。)[割愛:森]


ここで、「意欲や興味・関心」における「学習意欲」とは、「先生や親の期待にこたえるために、勉強しなければと思う」かどうかという考えが言い換えられた概念であり、「他者の期待による切迫感から生じる学習に対する意欲」であるといえます。また、同じくここにおいての「興味・関心」とは、「授業がきっかけとなって、さらに詳しいことを知りたくなることがある」かどうかの言い換えの概念であり、「教師の授業の質によって誘発され、高められる興味・関心」であるといえます。しかも、この調査は高校生を対象に行われているため、日本の近年の受験体制の状況を考えると、ここでいう「授業」とは主に伝統的な講義式の「一斉画一指導」を想定していることは容易に想像がつきます。

では、個別化・個性化教育で定義される「興味・関心・意欲」はどうでしょうか。個別化・個性化教育では、「興味・関心・意欲」は主に「オープン・タイム」の学習、「総合的学習」において話題の中心とされており、緒川小の実践を概観する中でも、そこでの教育活動における「興味・関心・意欲」とは、「主体的で行動力のある子を育成するために、捉えらえ、応じられるべき個性」だと捉えられていることがうかがえます。個別化・個性化教育では「子どもたちの興味・関心を優先させる」という概念が顕著にみられ、また、それは「授業や勉強によって生じさせられ、高められる」というよりは、「興味・関心に応じて」他の力をつけるというように、教育の過程で考慮されるべき個人の特性と捉えられている。つまり、個別化・個性化教育において「興味・関心・意欲」を重視するということは、「子どもたち1人1人の個をより正確に捉えるという視点をもつ」という意味で用いられているのです。

この点で言えば、個別化・個性化教育は、苅谷(2001)が危険視した、1998年の教育課程審議会答申において、「強い個人」をつくりだす手だてとして、学ぶ意欲や興味・関心を育てることが重視されているといった記述や、その育成のための具体的な方法としての「新しい学力観」にもとづく評価とも、個別化・個性化教育はまた立場を異にしているといえます。「関心・意欲・態度」は評価という名のもとで評定されるべきものではないと考えられているのです。

少し冗長で、しかも「借りてきた言葉」をそのまま使っているのでポイントがぼやけてしまっているが、個別化・個性化教育がらみの論点でいうと、前エントリ内のコメントで指摘した論点の15)「個性」重視/尊重教育におけるそもそもの「個性」の位置と、その政策化=《通俗化》以降における位置との差異の問題である。

だが、ここまで指摘してきた苅谷的「計量」分析に内在する問題点として照準すると、上述の「データの変数化の作業と分析結果の解釈作業との《間》におけるレトリカルなすり替え」を批判しているとも読める。

もちろん、これは二次分析における不可避の限界という言い方もできるが、少なくとも苅谷的「計量」分析において時に指摘されるポイントと重なるものではある。

この(元)院生は私の前任校時代に「教育社会学」を受講していた(はずの)元学生であるだけにちょっと感慨深い。

経験則からいうと、こういう苅谷的「計量」分析がはらむ問題点の指摘は、学部の上級生から修論手前のM1ぐらいが一番景気よく行なってくれる。怖いものも「分析」の困難も知らないかれらはグレーの色を(白ではないという意味で)「黒」だと簡単に言い放ってくれるからである。

だが、たとえば苅谷先生最初の単著であるところの『学校・職業・選抜の社会学』(東京大学出版会、1991年)の分析について、プロの研究者としての立場から、上述してきたような苅谷的「計量」分析の問題性をデータ上の確たる根拠にもとづいて最も早い段階で、最も適確に批判したのは、誰あろう、本田由紀さんであった(探せば活字になっているものもヒットするはずだ)。

あの本の肝である「高卒就職における実績関係」の量的比重の評価について、その過大性への指摘と、もう一つは重回帰分析において導入された「成績」変数の操作化の手際(と「メリトクラシーの大衆化」テーゼとの整合性)について、であったと記憶する。

それはある研究会の場で行われたやりとりであった(←だから記憶違いもあるかもしれない)。それは研究の世界に入ったばかりの駆け出しの私にとって、大変に印象的なシーンであった。

その後の本田さんの論の運びからすれば、苅谷的ストーリーを「温存」しておいたほうが好都合な面があったわけだから、にもかかわらず自らの議論の端緒を苅谷的ストーリーテリングがはらむ過大性・一面性に対してきちんとデータにもとづいた批判を行うことから始めた姿勢については銘記されてしかるべきである。

当時、その場に居合わせた私は、ああ「本物の研究者」というのはこういうやりとりをするのだな、と感じ入った。

それに対する苅谷先生のリプライは、その批判の妥当性を(おそらく)全面的に認めたうえで、しかし、自らの大枠の「ストーリー」そのものが瓦解するわけではないと、その存立余地を確保するという性格のものであったと記憶する(←全部うろ覚え)。

なんであれ分析結果の「解釈」は「ストーリーテリング」にならざるをえない側面がある、という意味ではその通りであろう。これはもう、どこまでが許容の範囲か――そこにある「グレー」を「白」とみるか「黒」とみるか――というのは程度の問題であって、一概に、一般論としての是非を語るのも不毛な領域に足を突っ込んではいる。

だが、「グレーゾーン」がどこまで説得的に「書き込まれて」いるかについては、きちんと吟味されなければならない。

『教育と平等』に話を戻そう。

本書の肝である4章・5章の分析とその結果の解釈における「苅谷節」性は指摘されてよい。

4章では、「都道府県の財政力指数と児童生徒1人あたり教育費との相関」と「児童生徒1人当たり教育費とPT比(教員1人あたり児童生徒数)との相関」の2種類の単相関が示されたうえで、「財政力の弱い県ほどPT比が小さいという、以前とはまったく逆の関係を示す」ことが主張される。しかし、細かい話で恐縮だが、これは分析と主張とが一段とばしの短絡論法になっているので、2種類の単相関を重ねただけでそう主張するのではなく、素直に財政力指数とPT比との相関を見せてほしい(JK:常識的に考えて)、と言いたい気分である。

5章では、都道府県単位の学力テスト平均点と都道府県の財政力指数/1人あたり県民所得/生活保護率/児童(・生徒)1人あたり教育費との相関関係が、1962年と2007年の2時点でそれぞれ検討される。その結果、1962年にはあった「財政力指数」「県民所得」と学力との正の相関が2007年には消えたこと、1962年にはあった「児童1人あたり教育費」と学力との正の相関が2007年には消えたこと、が示され、教育資源配分における「面の平等」化が学力における「面の平等化」を達成した根拠として主張される。

行論上、とくに重要なのは「児童1人あたり教育費」の規定力の如何である。

いずれも単相関の相関係数の統計的有意性にもとづいた議論であるが、1962年については財政力指数/生活保護率/児童1人あたり教育費の3変数を独立変数とした重回帰分析が行われ、いずれも影響力が「あった」と主張される(行間では2007年に「なくなった」の含意が強調される――その直前に「単相関で相関係数が有意でない」の記述が置かれているわけで)。

47ケースで重回帰分析を行うということを忌避したと見えないこともないが、1962年についてやったなら2007年についてもやればいいのに、と思う(JK)。しかも――細かい話で恐縮だが――、実際、既刊の別稿で苅谷先生自身、行なっているわけなので(苅谷剛彦教育再生の迷走』(筑摩書房、2008年)、第4章「学力調査から見えてくるもの」168‐170頁、【追記9/9】同「学力調査と格差問題の時代変化」東京大学学校教育高度化センター編『基礎学力を問う』(東京大学出版会、2009年)81−130頁)。

そこの記載によれば(1962年の各係数の値が微妙に異なる理由も不明だがそれは措く)、2007年も、1962年と同様、「児童1人あたり教育費」は学力と統計的に有意な正の相関を示す【追記の文献内の分析ではむしろ62年が有意でなく07年に有意になる。なぜ結果にこうしたブレがでるのか確実な判断は下せない】(ちなみに財政力指数の規定力は低下し、統計的に有意でなくなる(すべてにおいてではない))。なお、前提として、児童1人あたり教育費と財政力指数とはこの45年の間に明瞭な負の相関になっている、という理解を置かねばならない(4章より)。

わからないのは、重回帰分析を回避したいなら1962年についての結果を示す必要はない(あるいは、示すべきではない)し、1962年について重回帰分析の結果を示すなら、2007年の結果も示したほうがよい(あるいは、示すべきである)のではないか、ということである。

「財政力の弱い県の方が児童生徒1人あたり教育費が高くなった_だが児童生徒1人あたり教育費と学力の正の相関は消えた」、と、「財政力の弱い県の方が児童生徒1人あたり教育費が高くなった_そして児童生徒1人あたり教育費と学力との正の相関はある」との間には、「面の平等化」の評価に際して、微妙だが決定的な意味の違いが存在する。

それは4章で確認された「財政力指数と児童生徒1人あたり教育費との負の相関の強まり」、すなわち、「累進的」な教育資源配分の達成、というときの「累進」性の評価にかかわる。そこで生起したのは、はたして「平等化」なのか。

本書は分析と解釈の要の部分で、微妙だが、しかし、決定的な意味の違いをもたらす可能性のある、意図の不分明な手続きが介在する。そこを読み飛ばせば、本書のストーリーテリングの示すところは明瞭である。

たぶん、「追随する分析者が反証活動に入る前にデータの大枠の傾向性を脳内構成しやすいようにと、単純な統計表を事前提示すること」を重視する分析者であれば、重要な変数については、47都道府県全部の統計量の一覧と順位表を本文中のどこかで明示するだろうと思う。そうすれば、このような「疑念」を生みだす余地は小さくなる。

この点は、しかし、件のセッションの場では指摘しなかった。

もう一つは、前エントリの16)のコメントでも指摘したことだが(したがって件のセッションで指摘したことだが)、都道府県という分析単位での検討しかしていないにもかかわらず、個人単位の分析がなければ主張してはならないはずテーゼの提示(「大衆教育社会論」テーゼの修正)が、それもきわめて重要な文脈においてなされているという点である。

この主張の妥当性を補強する別のデータの確認が他所であったから、というリプライだったと記憶するが、逆にいえば、本書の記述内では完結しない主張だということを認めたリプライでもある(そして、これはまったくの予想の範囲でしかないが、そのデータによる主張の補強は、おそらく、それほど上首尾にはいかないのではないかと思う)。

さらに厳しくいえば、裏に自説を補強する材料があろうがなかろうが、都道府県単位の分析をもとに個人を単位にした主張に踏み込む記述を院生レベルの研究者(の卵)が行えば、検討会等で大目玉をくらうレベルのものであろう。

総じて、スタンダードな計量研究の基準でいえば、本書が主張するテーゼ(の大胆さ)と、本書内部で提示されている分析&解釈(の精度)との間にはやや「距離」がある、と言わざるをえない。

にもかかわらず、というか、それゆえに、というか、本書が語る「ストーリー」には、いわく言い難い説得力――というよりもっと直截に「魅力」といったほうがよいだろう――がある。「面の平等」しかり、「知られざる革命」しかり。

まさに、「アイディアとしては説得的」――そして画期的――なのだ。

もっとも、今回の本の分析は反証が可能な手続きが担保されているので、上記の「疑念」が妥当かどうかは検証可能である(はずだ)。誰か先にやってくれるとありがたい。

とまあ、そういうデータの再分析でもしてるならいざ知らず、してもいないのに難癖つける系のコメントは後景に退き(←でもここで言うてるやん)、戦後日本の教育社会史を再審するという研究会の目的に照らしていくつか論点を出し、いくばくか苅谷先生からのリプライをいただけたのは大変にありがたいことであった。

やりとりの途中で「このコメントのうち、もりくん的にはどれが一番クリティカル?」という苅谷先生の問いに対しては、本来ならば、上述のごとく応えるべきであったのかもしれない。

『教育と平等』を一読して私が抱いた、これは一つの知の生み出し方の終わりを告げる本だ、という直感は、この手の「ストーリーテリング」が「計量」分析として許容される時代はもう終わる、という見通しに連なる。「苅谷節」に対して「計量」分析プロパーでない人の評価が甘くなるのはいたしかたないが、計量的な手法にもとづいた「政策科学としての教育社会学」が「これ」でもいける、という時代はもう終わる。そのことはプロパーの人間は肝に銘じておくべきであろう(とか私ごときがいうまでもなく、斯界の常識はそうなっている)。

計量経済学が「教育の政策科学」のフロントに踊りでてくれば、分析の手法は標準化が進み、争点は「データ構築」と分析モデルの選択といった水準に移行するだろう。そのとき、「効果」の所在が頑健には確認されずらい教育政策の領域において、どのように教育への公共投資の妥当性を「ディフェンス」するか。それはいわば、かつて戦後教育学が「教育的価値」を旗印に「経済の論理」から「教育の論理」を死守しようとした努力とほとんどまったく同型の苦難を、「政策科学としての教育社会学」が抱え込むことになることを意味する。

教育学的観点_に立脚した_分析モデルの選択と分析手法の精緻化_による教育への公共投資の「ディフェンス」。

拙稿「個性化教育の可能性」(宮寺晃夫(編)『再検討 教育機会の平等』岩波書店)は、たしかに苅谷的な「政策科学としての教育社会学」が提起した「教育の個性化」をめぐる二項対立を利用して一方の実践運動に棹さすものという面を指摘してよいと思うが(ぜんぜん否定するつもりはない)、もう一方で、というか研究内在的には、そうした二項対立の地平自体が「ストーリー」の次元から、広く一般研究者への公開を前提とした大規模/実験データの構築とその分析の次元へと移行したのちの立論のあり方をシミュレーションする、というところもある(が、たぶん失敗しているのだろう)。

そこでは00年代に苅谷先生が奮闘したような「政治」を行使する余地などない。というよりも、それ自体が計量分析のフォーマットのもとに埋め込まれて直截に検証の対象となる。仮に私が実践運動としての個別化・個性化教育に棹さそうとしているとしても、その拙い「政治」とて、同上の成り行きである。

そして、繰り返しになるが、どちらかというと私は、そういう日が来ることを心待ちにしている。

付け加えておくと、越後湯沢の研究会における苅谷先生ご自身の言によれば、この『教育と平等』自体が、「そういう時代」の到来という事態をすでに織り込み済みと認識したうえで、そこで力をもつだろうと想定される研究潮流への「対抗」的研究の提示という執筆意図が込められていたという(まあすでにそういう「闘争」の現場に身を置かれたわけで、そのような危機意識があるのは当然ではありましょうが、しかし、この点のコメントがご本人の口から明示的に語られたことは、個人的には、件のセッションのクライマックスであった)。

これにははたと膝を打つ思いであった。そういう意味では、苅谷先生が「政治を知っている」という評価は――それが「言説」闘争レベルのものであるにしても――、たしかに正鵠を得るものかもしれない。苅谷先生の言説動向への感度は、その嗅覚の鋭さにおいて称賛に値するものであろう。他方で、その言説闘争における身振りが重大な副産物――「教育の個性化/自由化による学力低下」というストーリーの「過度の」強調が、階層上位の家庭「のみ」を学校外教育への投資へと一層駆り立て、階層下位との格差をかえって拡大させる副産物を生んだとする容疑も、それ相応にかけられるべきであろうが。

苅谷的「計量」分析と「ストーリーテリング」との《間》。フォロワーを饒舌にさせるのは、それである。

そして、私が何度も彼を指導教員にするチャンスがあったにもかかわらず――学部3年にあがったとき、修士にあがったとき、主指導教員として、さらに(当時は仕組みとしてあった)副指導教員として、さらには学振のPDになったとき――、そのいずれの際にも、ついに制度上の指導教員には選ぶことがなかったことも、他方で、制度上の指導教員に選ばなかったにもかかわらず、つねに苅谷教育社会学の進展に並走しながら同種の問題の周辺を別様のルートで掘り進んできたことも、その所以はそこにある。

だから再びいうが、私がやるべき仕事は、「苅谷教育社会学」的な知の生み出し方をどのように学的言説のアリーナから退場させるか、ぎりぎりまで突き詰めたうえでこれを葬送し、次なる「科学」にきちんと場を明け渡すことだろうと思う。正しく葬送することは、新たにもたらされる言説の地平においてそれがふたたび必要とされるとき――必ず、そして一層切実に必要とされる時はくる、なぜならどんなに「科学」が発展しても「科学」を超えて語らなければならない語りの範域があるからだ――、正しくそれを召喚するための前提条件である。

ということで、かねこ氏が「理論科研夏合宿2011」と題したエントリで盛った話にのってみた。

つられたともいう。

ただし誤解があるといけないので付け加えると、私は「苅谷のエピゴーネン」なるものを実体のある固有の人格として存在するとは考えていない(探せばいるのかもしれんが)。存在するとすれば、それはむしろ苅谷的言説の効果としてのなにものかである。私の知る限り、固有の人格としての彼のフォロワーはみな、少なくともその最良質の層はみな、苅谷的ストーリーテリングへのアンビバレンスを突破するための堅実な実証研究をそれぞれに積み上げてきている人びとである。

そこは信頼するに足るのである。

【追記】
本エントリ中に存在するであろう私の理解と認識の誤りにお気づきの方は、ぜひご指摘ください。