感傷

ここ10年でもっともよく参加した学問ネットワーク(学会とはよばない)であるところの比較教育社会史研究会から『通信』節目の第10号が届いた。これについて書こうと思うが、今日はその話は措く。

こないだまで職探しでふうふう言ってたと思ったら、いつのまにやら研究者を目指す院生さんたちにふつうに「先生」と呼ばれるご身分になっていてどうしたもんかなこりゃ、という日々である。「いつまでも若造気分でいるな」とまたお叱りを受けること請け合いの、そんな私であった(報告)。

ある院生さんの研究報告を題材にゼミを開催中のこと。

不意にその院生さんの口から、その筋の研究者界隈でも決して人口に膾炙しているとは言いがたい、ある概念が飛び出してきて、驚いた。ほとんどその概念の提唱者以外には使用していないぐらいのものである。

そうか。あの研究も、こういう世代の研究者の卵にきちんと読まれていたのであるか。

それは若くして不慮の事故で亡くなったある研究者が、文字通り粉骨砕身、ぎりぎりの苦闘の末に絞り出した、概念であった。

現代日本の若者が置かれているある種の苦境を抉出するために、かれが必死の努力の末に、自力で、独自に到達した、オリジナルな地平である。

あなたに、そのようにして生み出したと誇ることのできる概念が、一つでもあるか。

かれはもっと生きるべきであった。それはそうだが、しかし、かれの生み出した概念は、研究者の共同体によって形成され受け継がれゆくこの公共空間のなかで、今も生き続ける。

自分がいる場所はそういう場所なのだ、ということを改めて確認して、そして、しばし感傷にひたる。

かれが生きていれば、この院生を紹介してやれた。それが無念である。