「生きる力」(泣)の歴史観:追伸

前エントリ、

明治以降、今日に至るまでの日本における近代学校の教育課程の展開が〈科学技術主義〉−〈復古的道徳主義〉−〈自由教育=自己教育力主義〉の3項のせめぎあいの過程として描かれる。

なんかどっかで目にしたことのある「図式」だな、とそのあまりの既視感になぜかと考えて気づいたが、これは広田照幸『日本人のしつけは衰退したか――「教育する家族」のゆくえ』(講談社、1999年)であげられていた戦前期・新中間層の教育意識にみる3要素とかぶっているではないかw(57-63頁)

のみならず、広田によれば、

実をいうと、これら三つの志向性は、当時の学校教育自体の中に対立しながら存在していた。その意味では、学校教育と同じ教育目標を意識的に追究しはじめた新中間層の親にも、これら三つの方針を見出すことができるのは当然のことであった(58-59頁)

という。

広田はここで出典を明記していないし、その後この話をふくらませてもいないが、もしかしたらここで想定されていたのは本書の著者(水原)による上述の戦前期・教育課程史の研究成果だったのかもしれない(明後日――っていうか明日っていうか――本人(広田)に聞いてみればよい)

...ということでしたが、本日お聞きしましたところ、

「いやあ水原さんの読んでじゃない、あの頃の[史料を]読んでたらそうなんやわー(大意)」

とのことでした。

まあだからそれなりにまじめに考えたことのある人のあいだでは共通了解の得られるところではあるんでしょうねえ。

この時点で今日の私の研究会はすでに終了を迎えていたといってよい。

ん? あ、ごめん。今日、それだけ。