「生きる力」(泣)の歴史観:前篇

最初に断っておくが、ひさしぶりだからといって、そして長文だからといって甘くみてはいけない。今日のエントリの中身の乏しきこと、そのレベルの低きこと。

...と書き始めて、途中からすっかり日曜の研究会対策のレジュメ作成モードになってしまい、12000字を越えてもまだオチまで辿りつけない徒労感に苛まれて放置していたが、二宮さんもブログに挙げられていたことであるので、とりあえず前半の「違和感」モードのところだけちぎってアップしておく。後半の研究モードのところは待たれよ次回、ということでひとつ。

さて、水原克敏『学習指導要領は国民形成の設計書――その能力観と人間像の歴史的変遷』(東北大学出版会、2010年)である。資料・索引込みで全291頁、本文259頁。

明治の初め、近代学校制度の創設から今日に至るまでを対象に教育課程(カリキュラム)の歴史的変遷について叙述した、いわば日本の教育課程の「通史」である。教育課程を論じる際の「教科書」としても有用であろう。戦前期については、「小学教則」(1872年)、「小学校教則綱領」(1881年)、「小学校教則大綱」(1891年)、「小学校令施行規則」(1900年〜)、「国民学校令」(1941年)に応じた章立てで扱われ、戦後は学習指導要領のそれぞれの改訂ごとに各章でその内容の変遷が押さえられていく。

教育課程であるから、いわば「教育する側の目論見」(しかも公的に文字化されたもの限定)の歴史であって、どのように教育がなされたか、という次元での「教育の実態」を検討するものではないけれども、しかし、どのような時代背景のもとで、どのような人間像が目指され、どのような能力の育成が企図されたかを知るうえで、このような「通史」が書かれることは非常に重要なことである。いま自分が教職科目を担当していたら授業の教科書に指定してもよいぐらいの便利な本である。

こういう書物をものするためには当然研究上の分厚いバックグラウンドが必要なわけで、著者は戦前期については『近代日本カリキュラム政策史研究』(風間書房、1997年:序7頁、目次10頁、本文868頁、人名・事項・図表索引18頁)、戦後については『現代日本の教育課程改革 ―― 学習指導要領と国民の資質形成』(風間書房、1992年:序5頁、目次9頁、本文717頁、図表索引・索引17頁)、また教員養成について『近代日本教員養成史研究 ―― 教育者精神主義の確立過程』(風間書房、1990年:まえがき5頁、目次10頁、本文・あとがき988頁、索引34頁)といった、いずれも全1000頁にも近い浩瀚な研究業績を誇る。しかも、これだけのボリュームの研究書を90年代に入って立て続けに公刊しているというのだから(著者1949年生まれ)領域が違うとはいえ恐れ入る、のだが。

駄菓子菓子。

冒頭の著書の話に戻すと、その後半(現代)になればなるほど、なんだか不思議なフレーズが満載になってきて目眩を覚える感は否めない。

本の基本的な構成は、それぞれの時代を画する教育課程政策文書(小学教則から学習指導要領まで)ごとに章立てされ/その政策文書がだされる背景となった時代状況を説明し/文書の制定経緯や内容を紹介・検討し/その検討を通じて浮かび上がってくる各時代の「期待された人間像」「求められた能力観」を浮き彫りにする、ということになっているのだが、このうちの「時代状況説明」が現代になるほどだんだんおかしなことになっておる。

なんというか、一貫して「わかりやすい」叙述がつづく本なのだが、その「わかりやすさ」の質が90年代に入るあたり(正確には89年改訂、臨教審からいわゆる「新学力観」導入のあたり:10章)からだんだん変わってきて、「生きる力」の98年改訂を扱った11章に至るやもう完全にベクトルがおかしなことになっておる。

同年[1977年:森]、歌手のピンク・レディーが登場し、水着姿に近い服装で、大胆に太ももを開くセクシーな歌い方は、伝統的な歌手のあり方と違うことが論議を呼びましたが、以後、歌謡界では一般的になりました。翌1978(昭和53)年には、日本発のカラオケが誕生し、日本人の多くが歌手さながらに歌うようになり、今ではすっかり世界にまで普及しています。元来恥ずかしがりやの日本人がどうしてカラオケに興じるようになったのか文化論的には興味あるところですが、とにかく新しい娯楽文化が誕生しました。(179-180頁)

ウォークマンがでた1979年]以後今日まで、人とのコミュニケーションよりも、自分だけの内なる世界に没入している青年の姿が増えつつあります。(180頁)

このあたりから違和感が首をもたげはじめる。「つながりの社会性」とか、そういうくだらない社会学の戯言は無視すべし――その社会観。

そして、「日本のポストモダンの特徴」と題された項では、

日本は「物づくり」を強みにして世界と戦ってきましたが、「物づくり」の伝統を引き継ぐ若者は極端に減少し、中国を初め隣国から安いものがどんどん入ってくるので、皮肉なほどに百円ショップが繁盛しています。(202頁)

【復唱】皮肉なほどに百円ショップが繁盛しています。というかそのまえに、「日本のポストモダン」...

とすれば、我々日本は高度の知識・技術を生かして付加価値の高い物を生産しなければなりません。・・・(中略)・・・一言でいえば、同一種類の物を大量に製造してきた近代的な大工場方式は終わりを告げ、少量異種、高度の知識・技術とアイデアに支えられたポストモダン型の生産と教育が必要になったということです。しかし、私たちは、この時代の意味を即座には理解できませんでしたので右往左往してしまい、日本経済の「失われた10年」などと言われたわけです。さらに10年が経って2010年現在ですが、中国は産業が発達し大規模市場へと変貌を遂げ、日本にとってプラス効果を持つようなステージに入りましたので、そろそろ日本は復活すべき時が来ています。(202-203頁)

時が来ています、と言われても(参照:「時は来た!」@橋本真也)。なんか「失われた10年」も中国(だけ)のせいで生起して、中国(だけ)のおかげで克服できそうでなによりである――その経済観。

あほな茶化しばかりいれるのも失礼なのであとで少しまじめに検討しようと思うが、もう少しつづける。

第2次大戦後50年、一生懸命モウレツ(猛烈)社員として働いてきて、世界第2位の経済大国になったと思ったら、バブル崩壊で経済的低迷という、まるで受験競争にやぶれた後の青年の心境でしょうか、1億総「癒し」を求める時代で、以後、勤勉な国民性はめっきり失せてしまい、もはや「日本の青年はアジアの模範ではない」とまで外国の大統領に言われるようになりました。(204頁)

日本の少女たちの「へそ出しルック」が流行したのが1995(平成7)年で、平和な日本を楽しむ少女たちが明るく自己表出をしてくる時代となりました。世界の別の地域、例えばスーダンでは戦争があり、飢餓に陥って死にそうな子どもたちが大勢居たことと比較すると、同じ地球とは思えないほどです。・・・(略)・・・日本では、飢餓に苦しむ子どもたちのために、あるいは世界の平和のために立ち上がるという青年の正義感はすっかり消え果て、個人的で利己的に生きる時代となりました。(204-205頁)

これでは若者論ウォッチャーにして若者バッシング論者狩りをライフワークとされている先生方もキリがない。いくら「狩った」ところで教員養成の授業――でもし本書が使われるのなら...しかも地位と権威ある教授の――であとからあとからこういう「認識」が再生産されるんじゃ教育社会学系の講義程度でいくら解毒したって追いつかない。水は低きに流れるのだ。

この若者観。

つまり、典型的なあれなのだ。

あるいは、中高生同士が「優越ごっこ」などというかたちで、「一生青春してろ」、「人は裏切るものなんだ」とか、「まだまだ青いね」とか、ちょっと大人ぶった言い方で相手を見下したり、優越感を感じるような言い方で自分を閉じたり、あるいは人を言葉で脅したりいじめたりすることが流行しました。(205頁)

?????......「優越ごっこ」???......流行???......

そろそろお手上げの時も近い。

自分で自分を封印して他人が入れないようにして、かろうじて優越感を保とうとしているのです。それは青年たちの自信のなさと、他人への言い知れない恐怖感とでびくびくしている心的状況を表しています。「人は裏切るものなんだ」などと、ものが分かったような言い方をして、自分ときちんと向き合うことを避け、人との関係も薄いままで済ませてしまうという、本当は寂しくて自信がない状態なのです。(205-206頁)

そして次である、

あるいは、1992(平成4)年に自殺した「若者たちの代弁者」尾崎豊に身を託する人もいました。彼の「卒業」の曲を聴いている時だけは、時代に反抗しているような気分になりますが、人間的な鍛えが弱いので抗しようもなく時代に押し流されてしまい、プライドを守るために逃避し、結局は「癒し」として「卒業」を歌うだけになりがちでした。(206頁)

「人間的な鍛えが弱い」という日本語はいつか使う。

しかしお前見てきたんか、と。カラオケボックス、いくつ見てきたんか、と。

(承前)中には、精神的な病に陥ったり気味悪い殺人事件を引き起こしたりするケースも出て来ました。(206頁)

いやいや。てか、こらこら。おいちょっとだれか、ごとう・かずとも先生をよんできて。

このような青年たちを入学させている学校ではどんなことが起きているか、象徴的な事件は、1990(平成2)年7月6日の校門での生徒圧殺事件です。(207頁)

この事件のまとめ、

・・・時間を正確に管理して、能率的に仕事をするのが日本人のあり方ですので、学校ではそういう躾を厳しくしています。その結果学校の教員は時間厳守を毎日真面目に指導しますので、遅れてくる生徒に対してはだんだん腹が立ってきて、ついには飛び込んできた少女の頭を門扉で潰す事件を起こしてしまいました。教師の真面目さが裏目に出てしまった痛ましい事件でした。(207頁)

ギャグなの?

ギャグならギャグと言ってほしい(私もギャグであってほしい)。そうでないというのなら、これはひどい。死んだ少女とその遺族の無念を鎮める場所もない。門扉を閉めて「頭を潰して」少女を死なせた教師はもしかしたら真面目な教師だったのかもしれない(私は知らない)。しかし、ことはそういう問題ではなかろう。

以上、著書の中身からはまったく外在的なおちょくりに終始しているように思われるかもしれないが(私もそう自覚するが)、ちょっとこれは晒さざるをえないという(ひどい)水準である。ちなみに著者は実証的な教育課程史における(上述したような)浩瀚な業績をおそらくは評価されてであろう、

1995(平成7)年、新学習指導要領を構想するために文部省内に「教育課程に関する基礎研究協力者会議」が持たれていた時、私は、文部省から改革案を提案するように求められました。(207頁)

という立場の研究者である。

私が示したかったのは、こういう「識者」が教育政策に関与することによってもちこまれた、90年代以降の改革の前提として流れ込むことになった「現状認識」――高度経済成長以後の日本社会に対する認識――のありようである。

これは笑うところなのか。それとも泣くべきなのか。

なにが槍玉に挙げられているのか、なにが晒されているのか、もしかしたら著者はわからないんじゃないか? それともやはり、これら全体が1つの壮大なギャグなのか......

私は釣られているのか。

ここから後半

さて、しかし本論に触れずにエントリを〆るわけにもいかないだろう。そういう興味深さを――もちろん――湛えた著書ではある。

......というところまででとりあえず、今日のところは。

学習指導要領は国民形成の設計書―その能力観と人間像の歴史的変遷

学習指導要領は国民形成の設計書―その能力観と人間像の歴史的変遷