人生の節目を迎えるあなたへ

北太平洋沖大地震とその後の津波による被害に遭われた方々、また、震災による被害のみならず、その後の福島第一原発での事故と放射性物質拡散による避難生活を余儀なくされている皆さまに心よりお見舞い申し上げます。

そんな今だからこそ、人生の節目の話をしようと思う。

被災地ではもちろんのこと、首都圏でも卒業式・学位授与式の中止という判断を下す大学が多くなっている。不必要な「自粛」を戒める声も大きいし(個人的にはその意見に賛成だ)、なにより、4年の時間をかけて教え子を「学問」という営為へと誘う役割を真摯に引き受けてきた多くの教員にとって、その最後をきちんと祝したうえで次の進路へ送り出してやりたいという思いは強い。だが、いまだ大きな余震の発生可能性も否定しきれず、輪番停電や鉄道をはじめとする交通事情等々に鑑みれば、さらなる被害や混乱の拡大を防ぐという面からも、いたしかたのない判断であろうとも思う。

かくいう私の本務校でも明日(18日)、卒業式挙行に関する最終判断が下されるが、会場となるべき建物の現時点での被害状況を考慮すれば、悲観的な予測を立てざるを得ない(←ただし、これは現時点(17日)での森個人の憶測でしかありません。正式発表は18日のこちら→筑波大学HPでご確認ください)。

一方、私が昨年度まで勤めていた別の大学(被災地から遠く離れた私立教員養成系大学)では先日、無事卒業式が行われた。昨年の卒業式が終わった直後に、もう一年後のその日の予定は空けていたのだが(つまり今年の卒業式後の二次会以降に出席するために)、今回の震災の影響でそれも叶わなかった。

ツイッター上で見かけたところによると、明治学院大学でも卒業式は中止になったとのこと(→明治学院大学HP)だが、社会学部・社会学科では学科長である稲葉振一郎先生が直々に学位記を授与してくださるそうな(なお当該学科の卒業生の方は当日直接出向かなくとも、例年通り後日郵送されるそうですので、無理に出席することはないとのことです→と、リリースした直後に訂正。卒業生のみなさんの安全確保のためにも「来るのはできるだけ控えて」ということに変更だそうです。その代わり、事態が落ちついたら、今年度卒業生のみなさんに「ホームカミング」を実施してくれるんだって! ねーねーホームカミングって何? なんかとってもおしゃれで楽しそう!)。

いいなあ、と思う。そして、稲葉さんが卒業生に学位記を手渡している場面を脳裏に浮かべて鮮明に蘇ったのが、自分が学部を卒業するときには天野郁夫先生に直接学位記もらったよなあ、という記憶と、そのとき撮ってもらった写真に映る天野先生の姿である。

全体の卒業式が終わったあと、教育学部3階301室(だったっけ、とにかくいつもゼミをやってたあの部屋)で教育社会学・高等教育コース(現・比較教育社会学コース)卒業生に、天野先生が一人ひとり手渡しで学位記を授けてくださった。天野先生が定年退官される前年の学部卒業生である。なんか自分(たち)に都合よく記憶がねつ造されてる可能性大だけれど、例年は成績優秀(?)の卒業生一人が代表して受け取るのだが、その年はなかなかみんなよく頑張ったんで甲乙つけがたいから一人ひとり渡すらしいよ、って誰かが言ってた記憶がある(←例年と違ったという事実認識自体が勘違いかもしれないし、仮に事実がそうであったとしても、たんに定年間近の天野御大の感傷がなしたワザとの可能性はかなり大きいw)。

とにかく、私たちは一人ひとり天野先生から手渡ししてもらったんだ。

そして全員が一人ひとり手渡ししてもらう瞬間を、当時助手だったKさんか事務員のどなたかが写真に撮ってくれて、(たしかその場でだったよなあ)みんなでその写真を見せあって笑ったのが、手渡しする瞬間、天野先生も卒業生のほうも両方お辞儀してるんだけど、一人の例外もなく、卒業生よりも天野先生のほうが深々と折り目正しいお辞儀をしているという絵だったwww

人柄というのは、こういうときに、如実にでる。

っていうか、ちゃんと頭下げろおれたちw

別にその当時はそれほどありがたいことだとも思わなかったと思う。若いっていうのはそういうことだ。だけど、こういうのは、あとからじわじわ、ぐっとくる。自分が次の路に進むことを、天野先生(をはじめとする研究室の先生方や事務員の方々)がきちんと祝ってくれたんだな、と実感するから。だから、無理する必要はぜんぜんないけれど、行ける人は直接もらいに行ったほうがいいと思うし、渡せる先生は直接渡してあげたほうがいいに決まってる、と思う。

残念ながら、今の勤務校を今年卒業される学生さんとは親しくお付き合いする機会が限られていた。着任1年目だし、しかたがない。

私は前勤務校で丸4年働いたのち、昨年の4月1日付で、現在の本務校に移った。だから、昨年度送り出した卒業生は私が前勤務校で唯一、入学から卒業までフルにお付き合いさせてもらった「同級生」ということで、感慨もひとしおであった。他方で、今年の卒業生、なかでも学校心理課程というところの卒業生は、その新課程立ち上げの際に、そこの初年次教育のカリキュラム(というほどのものでもないが)を作って実践したという縁で、これも思い入れひとしおの学年である。仲良くさせてもらった同年輩の同僚2人と、責任者である先生1人の計4人のチームでわいわいアイデアを出し合いながら、模索しながら初年次教育にたずさわったものだから、今でも前勤務校での鮮明な思い出の一つである。

さて、人生の節目の話であった。

これをお読みのみなさんは、「自分が人生の折り返し地点を過ぎた」ということを実感した「瞬間」というものをお持ちだろうか。たしか昔、村上春樹のどれかの小説のなかに、鏡の前で自分の裸体をあらためてまじまじと眺めた35歳の主人公が、「自分はもう人生の折り返し地点を過ぎた」と述懐する場面があったと記憶するが、そんな「瞬間」である。当時(まだ20代になったばかりぐらいだろう)の私は「そんなもんかな」ぐらいにしか感じなかったし、その後、35歳になったときにもそんなことは微塵も感じなかった(当時無職だった私は、それどころじゃない、オレの人生はまだ始ってもいないんだぜベイベー、ってなもんだった)。だが今なら私は自分の人生の折り返し地点を明確に、特定して、日付まで入れて、答えることができる。

私にとっての「人生の折り返し地点」の日付は2010年3月24日である。

前勤務校での最後の1カ月、昨年の3月は、上述の同僚2人となんか毎週夜中まで飲み歩いてたよなあ、と思う。もう、ぐでんぐでんである。そして、卒業式とその後の謝恩会、さらにその後の2次会・3次会、という(文字通りの)お祭り騒ぎも終わって数日たった24日、たしか水曜日、職場の教員の互助会みたいな組織が開いてくれた公的な送別会のあとの2次会を、その同僚2人が中心となって学生に声をかけてくれて、名鉄岐阜駅まえの「プロント」を借り切った私個人を送る送別会として開いてくれたのだった。私が授業を担当した2〜4年生までの学生が集まってくれた。どれくらいの人数が集まってくれたかというと、今度、岐阜まで足を伸ばしたときに名鉄岐阜駅前のプロントをのぞいてみてください。あそこを借り切るぐらい集まってくれたのです。さらに感激したことには、事務職員の方もお二人駆けつけていただいたこと。当日はたしか事務職員の方の送別会も別途行われていたはずであったにもかかわらず。

ありがたいことであった。

私のその年ただ一人のゼミ生は記念にと、学校心理学科(この学年まではこの呼称)卒業生みんなの――いや厳密には全員じゃないけど――一言メッセージや写真(いつの間に撮ったんやおれが研究室で仕事してる写真も含めて)をファイルしたなんやいい感じの贈り物と、私の名前の入ったマグカップ(森研究室にくると必ずマグカップに紅茶が入ってでてくるというのをネタにしたらしい)を贈ってくれた。

今回の震度6で壁に四隅をボルトで留めた書棚が壁ごと剥がれて倒れ、本やその他のマグカップやらコーヒーカップがすべて散乱し、割れ散ったなかにあって、ウソみたいな話だが、その彼女がくれたマグカップだけが椅子に引っかかって落ちず、無事生還した。これはこれからも大切にせざるをえんやろ。

なんというか、私はその2時間余りの時間を夢見心地で過ごしたあと、引っ越しまでの数日にわたって、この貴重な時間の意味について真剣に考えた。そしてまじめに辿り着いたのが、どうやらこれは「私の前半の人生に対して与えられた、なにか神様的な何者かからのご褒美の時間」ではなかろうか、という答えであったのだよ。もうほとんど、啓示が降りてきた、ってなもんだったのだよ。

そう考えるしかなかったのだよ。

だから、私の前半生の折り返し地点は2010年3月24日(水)、くだらない時間も長く過ごしてしまった前半生ではあったが、終わりよければすべてよし、前半生に私が貯め込んだそれまでの負債を一気に返す機会を与えてくれたのが、前半生最後の4年間をご一緒させていただいた前勤務校の学生さんたちなのであろう。

われながら前半生、前半生いいすぎである。

そういうことで、私は、今年卒業した学生さんたちの門出も、彼/女らへの感謝の気持ちを込めて、きちんと祝してあげたいと思う。そのことを、自分の人生の節目の記憶とともにお伝えしたいと思う。

そして、この私的な文章をここに書きつけることを通じて、私が直接お付き合いしたわけではない、今年大学を卒業するその他のすべての卒業生のみなさんにも、その旅立ちを心から祝している先生方が、あなた方のそばに必ずいるのだということを、お伝えしたい。

みなさんは、私たちの社会が困難をきわめる現実に直面するまさにこの時に、新たな進路へと巣立つわけだけれど、大学で学んだことを糧として、この後の人生に立ち向かい続ければ、必ず道は切り拓けると私は確信しています。あんなにくだらない若者だった私にさえ、あのように素晴らしい時間が与えられたのだから、みなさんが40歳を迎えるときには、きっともっと素晴らしい贈り物が与えられることでしょう。

いま私たちの目の前にある困難に対して余りに無力な自分に歯噛みする思いでいる人もいるでしょう。たぶん、あなた方のほとんどは、今すぐには、貢献できない。けれど、いま困難な状況に対峙して活躍している人たちも、かつては、今のあなた方と同じくらいに、無力だったのです。そのときの歯噛みする思いをずっと忘れずに、社会に出た後も努力し学び続けた人たちが、今/これから、その蓄えた力を発揮している/していくのです。

知は力です。そして、あなた方は大学で、その礎を身に付けたはずです。

そのことを無駄にしないような、これからを過ごされることを期待します。

卒業おめでとうございます。

昨日来てくれたみなさん,ありがとう。心から感謝します。大変しあわせな時間を過ごすことができました。


自分がこの世に生を享けたことに感謝することも知らず,自分の〈生まれ〉を呪うだけだった10代や,


最善の努力を尽くすこともないまま,自分の才能への過剰な自信と,自分の無能への過剰な怯えの両極を振り子のように往復するだけだった20代の頃の自分に,


“2010年の3月24日にお前は「こういう時間」を過ごすことになっている”


と予言されたとしても,信じることなどなかったでしょう。


卒業生へ,

不安の大きい4月を迎えているかもしれないが,勇気をもって跳べ!


新4年生へ,

結果を恐れず,自分のベストを尽くすことだけを目指して進め!


新3年生へ,

学生時代に一番成長する1年,自分のなかの可能性を信じて走れ!


怖れるな,この世は希望に満ちている。


人生は,いつだって生きるに値する。


私はこれからの人生でみなさんと過ごせた時間を忘れることはないでしょう。それが私の支えになるはずです。


みなさんにも時々思い出してもらえれば,ありがたい。


ではまた。


2010年3月25日