晩歳の恋――あるいは「ボケないための7か条」

先日,親父が死んでもう20年近く母親が一人で住んでる実家に帰ってきた。テレビの上のカレンダーには筆ペンで書いたデカい文字で「ボケないための7カ条」とある。「自分で料理をする」とか「散歩をする」とか無難に続いた最後の7カ条目は「恋をする」。ちなみに「恋」という字は旧字体(←高女文化)。

オーバー80のマイ・かあちゃん。

「ボケないために」,恋をするのか。いいのかその順番。それでアテはあるのか。大丈夫か親父のときは見合いだったろ,......いろんな言葉は胸に去来したが,そのまま帰ってきた。

少女時代は戦時中,高女の卒業は年限短縮,授業は大半勤労動員,若くに倒れた母の介護と母没後は父親の身の回りの世話,で遅れた結婚は見合いで後妻,子宮筋腫の摘出と同時に取り出された唯一の子ども。70過ぎまで食品工場のラインで働き,昭和40年製・大量生産の築45年木造平屋のボロ家で老後。

晩歳の恋,ぐらいのドンデン返しはあってもいい。

恋でもなんでも好きにしてくれればいい。好きにできないことの多い人生を生きた人だから。

私が心の準備をしておけばいいだけのことだ。緊張した面持ちのおばあさんによる,「この人が今日からあなたの新しい父さんよ」の一言に。たぶん私は爆笑したいのを堪えながら,「こんな母ですが,よろしくお願いします」と言う練習をしておく必要がある可能性がある。

人が笑うときというのは,多くの場合,幸せなときだ。