「戦後教育の問題」の所在

2学期の授業も始まり,なんやかやと慌ただしいなかブログの更新は滞りがちになる。正直,twitterというサービスの誕生は,(少なくとも私程度の人間にとっては)ブログの有用性を有意に低める(笑)。ブログに書いていた程度のことはツイッターでつぶやけるし,それを超える重要度の高いものは(もちろん)オフラインでの仕事にまわす。オフラインの仕事にはのらない話だけど,自分(と身の回り)を超えて共有したい話題,というブログ固有の領域は両極から浸食されて今や「虫の息」である。

そんなことはどうでもいい。

田中萬年先生から「戦後教育の問題」と題したエントリで,先日の「非『教育』を考える懇談会・予稿集」において拙稿が(最重要論点であるはずの)堀尾輝久的「教育を受ける権利」の問題点について一切触れていないのはどういうことか(大意)というご指摘を受けました。私としてもぜひ「懇談会第2弾」をご一緒できればと思いますので,その折にお答えすればよいものかもしれませんが,実はそんなに深い意味もないので,レートを不必要に上げてしまう前に(笑),簡単に言及しておこうと思います。

若干どうでもいいことなのですが,私の学問的背景は(そんなたいしたもんじゃないですが),おそらく田中先生が思ってらっしゃるよりもずっと「社会学」よりのところにあるので,「教育学」ましてや「教育法学」の議論についてはほとんど素養がないという...orz。ですから,論じる用意がない論点については論じることを避けた,というのが正直なところでしょうか(その割にはその他のところで結構トンデモなことも書いてますが)。ただ,田中先生の議論の枠内だけで判断するに,「教育を受ける権利」を「教育への権利」あるいは「学習する権利」へと書き替えるべきこと,そして「人権としての職能形成」を労働権と学習権との関係性の再措定によって明確に位置づけなおすこと,等の問題提起に対しては基本的に異議がない,ということです。

私が批判的に評した点があるとすれば,その一点目は,「教育を受ける権利」から「学習の保障」への転換は,条文の書き換えという「法改正」の形こそとっていないが「法解釈」レベルでの「読み替え」はすでに大々的に生起している,とする現状認識にもとづいています。そのうえで,「そのこと」――教育を「受ける」権利から「学習する権利」とする転換/受動的な教育観・人間観から自発的主体的な学習観・人間観への転換――が諸矛盾を解決する突破口とはみなせない,むしろ実態においては矛盾の深化する局面もありえる,あるいは,「そのこと」によって職業訓練・職業教育への正当な社会的位置づけが回復されるとする見通しにはやや飛躍があるのではないか,ということを論じています。

もう一つは,「教育を“受ける”権利」という表現になんら矛盾を感じないという実態に集約されるような,明治以来「悪性」を宿して誕生した「教育の論理」が大衆レベルにまで深く根付いてしまったところに日本の教育訓練システムの偏り――「人権としての職能形成」軽視――の根源を見出す,という歴史分析に対しては,「社会学的に」説得力がない,という批判はしていると思います(濱口桂一郎さん風にいうなら「知識社会学」的な分析としての説得性の問題です:カッコ内追記)。対比的に提示した見解は非常に雑駁でいい加減なものでしかないので正直あまり掘り下げたくはないのですが(笑),田中先生の説が「〈虚偽意識〉の(大衆的規模での)内面化」仮説的な説明になってしまっているように思えたので,そうではなく,客観的な制度化プロセスとその過程で実際に制度が機能した具体相のレベルに淵源を見出すべきなのではないか,と。

まあでもこの辺は今読み返すと自分でもあきれるぐらいいい加減な議論のまま提出してしまっていますので,もう少し中身を詰めてからにすればよかったと,さぶいぼだらけの背中に冷汗をダラダラ流しながら反省していますw でも繰り返しますが,懇談会という場で議論できるいい機会を与えていただいたと感謝しております。

個人的には,田中先生の提起されている問題を正確に捉え直すとするなら,やや時代は下って,「高校全入運動」が普通科高校増設という帰結へとつながっていくところをもう少し掘り下げなければならないのではないかと感じています。私が今後検討すべきと考える「戦後教育の問題」はむしろその辺りにあります。

その他,金子良事さんや濱口桂一郎さんのブログ・エントリにも言及したいのはやまやまなのですが,ちょっと今はその余裕がありません。この田中先生関連のエントリも,今日を逃すと当分書けなくなりそうだったので急ぎ書きつけました。後日ゆっくりと議論できる機会がもてればと思います。

ちなみに余談ですが,今月17日・18日・19日には日本教社会学会が関西大学で行われますが,ちょうど同じ時期,18日・19日・20日に神戸大学で日本社会教育学会(←関係者以外にとってはややこしいことでしょうなあ)が開催されます。私は18日にバッティングしていて行けませんが,うちの奥さんは萬年先生の部会にお邪魔すると思いますので,よろしくお願いいたします。

最後は個人的な挨拶で〆てみた。