初心。

最近ブログのほうがつまんなくなっていた。いろんな理由が複合的に重なってるけど,こんなんじゃやり始めた意味がなくなるな。

なんかただの教育ブログ,研究(メモ)ブログになってきた。しかも自分にとっての「本流」でないものばかり(それが重要でないとか楽しくないとかいうのでは――もちろん――ないが,私の記憶が正しければ,たしか私の「本流」は「階層研究」だったはずだ)。そういうもののため(だけ)に始めたわけじゃないのに。

前任校では,必ずしも恵まれた境遇にいるわけではない学生たちが,それなりに懸命に学んだり遊んだりしている姿があって,それが余りにも正当に外へ伝わっていないことにいささかならず憤りを感じつつ,その姿に励まされつつある自分ごと伝えていきたいという原点があった。

4年前,ある高校――地方・私立・「底辺」高校,就学援助給付対象水準≒生活保護・要保護&準要保護水準世帯比率「(約)3割」,母子世帯比率「(約)3割」の高校――の先生たちと酒を飲んだ。ちょっとこういう場所で書くのもはばかられるほどの「困難」な実践の現実が赤裸々に,しかし,あっけらかんと話されていることに,少し圧倒された。

念のため申し添えるが,就学援助給付対象水準≒生活保護・要保護&準要保護水準世帯のうち,実際に(前後者どちらでもよいが)受給しているのは,ごくごく一握りの世帯に限られる。

1人の,30歳前後の若手教師が酒の席でも落ち着かず,席を立っては外にでてケータイで何事かしゃべってまた戻ってくる,というのを繰り返す。それは一応わたしを軽く「接待」するような意味合いの席だったので,主任の先生がその若手教師に(酔った拍子もあって),ちょっと切れた。失礼だろ,と。なにを話とんねん,と。

彼は(何度も席をはずしていた若手教師は),クラス担任をしている女子生徒の1人が明日中に授業料4半期分を納入できないと「放校」処分になるんです,と打ち明けた。アケミ(仮名)が退学になるんです,と。

他に2名いた彼と同世代の教師の表情が,その瞬間に,曇る。

アケミ(仮名),けっこう見た目かわいいじゃないですか。こないだ,ぼくにいってきたんですよ。「よっちゃん(仮名;この教師のあだ名),キャバクラでバイトするのって,やっぱ学校的にはダメかなぁ」って。お母さんお金払えないか,ってきいたら笑って「無理に決まってんじゃん,家もお店も家賃も光熱費も全部滞納してんだよ」って言うんです。いま聞いたらお母さん金策に駆け回ってるんですけど,まだ集まってないっていうんです。

この子の母親はスナックを経営しているらしい。それももう経営が限界に近い。

よっちゃん「それ聞いたときに,ああ自分の教え子が風俗に流れていく,っていうのが現実味もっちゃって,なんかどうしたらいいのかよくわかんなくって...」

主任「アケミ(仮名)が滞納してる金額いくらやねん(←関西出身の先生である)」

よっちゃん(仮名)「○○万円です」

主任「お前,給料いくらやねん」

よっちゃん(仮名)「え......」,主任「ええから,いくらやねん,って聞いてんねん(←完全に酔っ払いが絡んでる状態)」,よっちゃん(仮名)「(仕方なく)○百万円です」

主任「払えるやないかい。払ったらんかい,そんなに退学させたないんやったら」

よっちゃん(仮名)「(無言)」

主任「払えんのかい。払えるやないか。払ったればええやんけ,退学させたないんやったら。けどお前アケミ(仮名)にそれやったら,キリないんと違うんか。他の生徒かてギリギリで学校きとんのやぞ。払い始めたらお前の給料なんか,あっという間に消えてなくなるわ。そうやろが」

よっちゃん(仮名)はじめ,わたしを含めて全員,無言。

主任「お前だいたいなんや,趣味がスキューバて。休日になるたんびにスキューバとかゆうて,あれ道具一式なんぼや。30万!? 30万あったらアケミ(仮名)学校これるやんけ,なんじゃそら,スキューバなんかやめちまえ!」(←完全に酔っ払いである)

いや趣味はよろしいんちゃいますのん,と失笑しかけた私であるが,主任は続けた。

おれは自分の金使って生徒の親と喫茶店で話しとんで。あのな,教師いうのは生徒が学校に来てくれとるあいだしか仕事ができんのと違うか。学校に来てくれとる間にどんだけのことができるかいうのが教師の仕事と違うんか。おれはそう思っとる。だから,生徒が学校に来てくれとる間に,親にも学校のことにちょっとでも関心もってもらおう思て,自腹で喫茶店誘って学校のことや子どものこと話しとる。学校から離れたところで教師にできることなんか,あるかそんなもん,今頃罪悪感にかられてあほちゃうかお前......

別にこの主任の教育観への賛否はさしあたりどうでもよい。私の記憶に刻み込まれた言葉はこのあとである。

主任「スキューバとかゆうて,あほかお前,現場がいちばんおもろいにきまっとるやんけ

「現場」というのは,もちろん,かれらの職場の「現場」のことである。

そのときの私には,その前段で聞いていた「現場」の実態があまりに大変なものだったので,ちょっとにわかには耳を疑う一言ではあった。

だが,今なら――少しだけ――わかる。それを「おもろい」と言ってしまえる感覚が,少しだけ,わかる...気がする。そして,今の私がつまらないのは,「こういう世界」から遠ざかってしまったからではないか,とも思う。

だから,私はフィールドにでることにした。「困難」な「現場」を「おもろい」と言ってしまえる人たちがいるところにでて,自分に書けることを,書く。そういうことをする必要性がある。

安楽椅子に座ったままで「おもろい」ことができるほど,才能も教養も恵まれていない。

そういうところからスタートしたはずだったのだ,このブログは。

ちょっとここのところ調子にのっていた。初心忘るべからず,というのは陳腐だが,ゆるぎなく正しい教えである。