交錯するパラドクス(5節=最終回)――職業訓練論が提起する「非教育の論理」との対話

8月7日(土)に明治大学で開催される「非教育を考える懇談会」予稿集に寄稿した文章です。最終回の今日は5節と参考文献。あとは明日の懇談会を待つのみです。いろいろと詰めどころ満載の拙い中間報告ではありましたが,最後までお付き合いくださり,ありがとうございました。

交錯するパラドクス――職業訓練論が提起する「非教育の論理」との対話

1.田中萬年氏の「非教育の論理」
2.やや外在的な違和感
3.論点(1):「個の尊重」と「自発的な学習」の重視
 3−1.「教育」という思想の危機のなかで
 3−2.「自発的な学習」の「強制」というパラドクス
 3−3.テクノロジーの進化とパラドクスの深化
4.論点(2):「人権としての職能形成」の保障
 4−1.「職能形成軽視」の歴史的背景に対する教育社会学の視角
 4−2.佐々木輝雄と「教育の機会均等」のパラドクス
5.さらなる対話のために
[参考文献]

5.さらなる「対話」のために

「エルゴナジー」の理念は,所与の条件としての不平等社会を前提とした,具体的な制度設計へと実装していく営みを伴うべきである。事実,その制度理念が具現化すれば,社会階層上の「弱者」の人生を支えうるものとなるだろう。

比較社会階層論の石田浩(1999)は,単線型システムの日本に対して複線型システムを採用するイギリスが1970年代以降,継続教育制度の充実とパートタイム学生の増加といった教育制度と労働市場の間の浸透性・流動性を高める施策を推し進めた結果,到達階層に及ぼす出身階層の影響の面で70年代までは同程度だった日英両国が,90年代にはイギリスのみ出身階層・社会的背景要因の影響力が顕著に低下し,学歴・職業資格の取得による効果が増大するという変化――〈生まれ〉による生活機会の格差の希薄化――がもたらされたことを実証している。

教育社会学がこの事実に理論的な説明をつけるのは容易い。クリティカルな選別局面を人生の早期にずらすほど本人の努力と無関係な家庭環境要因がもたらす影響が強くなるし,人生の後期にずらすほど,その逆が生起する。抽象的システム次元での単線/複線の別よりも,教育プロセスの生涯にわたる実質化がもたらす恩恵のほうが大きいというわけだ。

だからこそ筆者には,田中氏の「非教育の論理」に対して,さらなる違和感が残る。教育制度と労働市場の間の明らかな分断と硬直性によってある種の均衡状態をもたらしている一方の当事者であるところの「企業の論理」がまったく批判の俎上にのぼらない点である。上述の石田はいう。

日本では,様々な仕事と直結した資格を取得できる複線型システムが制度化されておらず,教育制度と労働市場の間に明らかな分断があるといえよう。学歴取得の機会は,単線型の学校制度をはじめて通過するときに限られ,一度労働市場に参入すると,再び教育制度の中に戻って資格を取得することは難しい。このような日本の教育制度と労働市場の構造は,日本において社会・経済的地位の配分に関して学歴の相対的重要性が米英に比較して小さく,学歴効用もそれほど大きくないことと関連していることが推察される。(前掲,56頁)

だが,ここに課題の所在があることを認識できたとしても,その実行は大きな対立を呼び起こすだろう。すでに単線化を達成した教育制度を,「格差」が社会問題化する現状のもとで,どのような規範的根拠のうちに複線化しうるだろうか。

「所与の条件」としての階級社会。われわれは――どんなに逆立ちしても――,それを所与の条件にせざるをえないのだから/をえないのであれば,「教育の機会」を「均等」にする,という営みの実質的意味を,根底において組み替えることによって,より受忍可能な/望むべき階級社会像を選択し,それを担いうる人間形成を保障していくべきである。われわれは――「平等な社会」を,ではなく――,規範的強度ある不平等社会こそを目指していくべきなのである。それこそが追求さるべき「人間の主体的な整合性」なのである――佐々木輝雄氏の問題提起の意義はここにある。われわれは未だ佐々木輝雄の思想圏域からいくらも隔たってはいないのだ。

以上が,著書『非「教育」の論理』が提起した論点に対する筆者からの現時点での応答のすべてである。本書の貢献は,人間形成のプロセスを実質化しようとする真摯な営みが直面せざるを得ないパラドクスが交錯し輻輳する地平を浮き彫りにしたところにある。だが,それは到達地点ではなく,スタート地点の所在を示したに過ぎない。われわれの「対話」は――始まりの遅すぎた「対話」は――,本書によって緒についたばかりなのである。

[文献]

元木健・田中萬年(編)(2009)『非「教育」の論理』明石書店
広田照幸(2009)『ヒューマニティーズ 教育学』岩波書店
石田浩(1999)「学歴取得と学歴効用の国際比較」『日本労働研究雑誌』第472号,36-45頁。
石田浩(2000)「産業社会の中の日本」原純輔(編)『日本の階層システム 第1巻:近代化と階層』東京大学出版会, 219-248頁。
石田浩(2002)「社会移動から見た格差の実態」 宮島洋・連合総研(編)『日本の所得分配と格差』東洋経済新報社, 65-98頁。
苅谷剛彦(2001)『階層化日本と教育危機』有信堂。
菊池城司(2003)『近代日本の教育機会と社会階層』東京大学出版会
佐々木輝雄(1987a)『学校の職業教育』(佐々木輝雄職業教育論集・第2巻),多摩出版。
佐々木輝雄(1987b)『職業訓練の課題』(佐々木輝雄職業教育論集・第3巻),多摩出版。
園田英弘(1993)『西洋化の構造』思文閣出版。
鈴木寛寺脇研(2010)『コンクリートから子どもたちへ』講談社
竹内洋(1995)『日本のメリトクラシー東京大学出版会