捩じれの思想家(?)・佐々木輝雄

結局のところ,問題は,「教育の機会均等」の実質的な保障に関する方法論上の対立をどのように超克するか/しうるか,というところにある。実践上の課題――一斉教授様式/個別化・個性化教育学習――として,そしてまた,制度設計上の課題――単線型学校教育制度“内”機会均等/「単位制クレジット」による技能連携制度――として。

現在の私は,だから,異なる2つの主題を追っているのではなく,それらを同じ1つの課題として論述可能な地平をつくろうとしている,その途上にある(ということにしておきたい)。

田中萬年先生の議論は,後者――佐々木輝雄の所論――から発して,前者――「非教育の論理」――に突き抜けようとするところに賭ける。だが正直なところ,私の目には,それは途方もない賭けであるように映る。途中に突き破らなければならない思想的課題が,それも堅固な岩盤が陸続と連なっているように見えてならない。

そもそも佐々木輝雄のテクストは,つ_ね_に,捩じれている。読んでいるうちに,そのテクストがあまりにも捩じれているから,ときどき,もしかして実はただのまっすぐな議論なんじゃないか,と思ってしまいたい衝動に駆られるのだが,やはり捩じれている。総体として捩じれを内包した議論を一点へと微分していくと素直な命題が取り出せるだろうが,それでは議論の総体を見誤る。それではたぶんダメなのだ。佐々木のテクストは,つねに,捩じれを内包することなしには表現できない何事かを浮かび上がらせようとして,断片を積み重ねているのだ。彼が生前まとまった著書をものすることがなかったのは,したがって,私には偶然だとは思えない。

あまりな深読みだろうか。

例によって「教育刷新委員会第13回建議第3項」問題から。『佐々木輝雄職業教育論集 第2巻 学校の職業教育――中等教育を中心に』(多摩出版,1987年),第2編「高等学校制度改革の課題」・第2部「占領期日本における高等学校制度改革論と職業高等学校」・第1章「技能連携制度化論と職業高等学校より。例によって引用文中,太字は原著における傍点部分,色の変わったところは森の強調。

学校教育法体制下の高等学校教育への「教育の機会均等」の内実・・・・・・は,学校制度内教育の機会均等であった。(283頁)

かかる「教育の機会均等」概念は,教育基本法の「教育の目的は,あらゆる機会に,あらゆる場所において実現されなければならない。」(第二条),「家庭教育及び勤労の場所その他社会において行われる教育は,国及び地方公共団体によって奨励されなければならない。」(第七条第一項)と比較する時,極めて限定的な概念であった。しかし,教育基本法は「家庭教育及び勤労の場所その他において行われる教育」,つまり社会教育の普及を,国民の教育機会の拡大の見地から規定したにもかかわらず,しかしこれ等の社会教育を「教育の機会均等」の視座から,学校教育と如何に関連づけるかについては,何等具体的に規定することはなかった。(283-284頁)

教刷委第一三回建議の「教育の機会均等」概念,「学校でないけれどもクレジットを与える」の狙いは,まさにこの課題に答えようとするものであった。そこでは,「教育の機会均等」の保障は,学校教育法体制下にみられる,いわば学校制度内教育の機会均等の追及[ママ:以下同様]と,教刷委第一三回建議の技能連携制度化案にみられる,いわば学校制度外教育の機会均等の追及のパラドクスによって,はじめて実現するものと捉えられたのである。(284頁)

これまでの戦後日本の教育制度改革研究は,しかし学校制度内教育の機会均等の追及を重視する余り,かかる「教育の機会均等」概念・・・を見過ごしてきたように思う。その結果,そこでの「教育の機会均等」概念の理解は,一面的なものに過ぎないことになった。と云うのは,行論において考察してきた通り,新学制下の「教育の機会均等」概念は,学校制度内教育の機会均等学校制度外教育の機会均等の二つの相貌を持っていたからである。(284頁)

ここまではすでに本ブログでもここでご紹介した議論の詳細版である。今日はもう1歩進みたい。

教刷委第一三回建議は,かかる「教育の機会均等」概念を提起した結果,その教育制度理論においても学校教育法体制下のそれとは,異質なものを構想する。教刷委第一三回建議第三項の意図は,・・・「技能者養成所」等での教育に,「単位制クレジットを与える措置を講ずること」によって,これ等学校制度外教育施設で学習する勤労青少年に,「高等学校,更には大学へ進みうる」道を開くことにあった。同建議はかかる意図を実現するために,これ等教育施設に高等学校の単位制クレジットの授与条件として,これ等教育施設を高等学校に認定すること,換言すれば機関指定を前提としないことを構想した。つまり,そこでは個々の教育行為それ自体の実質が重視され,その教育行為が学校制度下の教育であるか否かは,余り問題視されなかったのである。(284頁)

かかる教育制度観は,学校教育法体制下において追及された教育制度観と著しい差異を示す。と云うのは,高等学校制度外の「教育の場」を是認し,しかもその教育に高等学校のクレジットを授与することは,教育制度上,高等学校の多様化を図り,いわゆる「袋小路」を作るかのように見えるからである。文部省が第一三回建議に反対したのも,この理由からであった。(284-285頁)

教育制度上の「袋小路」を作る,とはすなわち階級社会の存続を是とした制度理念の継承であるということではないか?

しかし,建議の教育制度観によれば,「教育の機会均等」を保障する教育制度とは,個々の具体的な教育行為を取捨した[ママ],制度的整合制[ママ]を持ったシステムにあるのではなく,個々の教育行為それ自体の実質を重視するシステムでなければならないと捉えられた。従って,同建議が一見多様な制度あるいは「袋小路」を構想しているかのように見えても,それは個々人の教育プロセスでの多様化であり,個々人の教育ゴールでは単一な制度として,止揚されるのである。(285頁)

「それは個々人の教育プロセスの多様化であり,個々人の教育ゴールでは単一な制度として,止揚されるのである」と佐々木が述べるとき,彼が想定している「教育の機会均等」概念は,おそらく教育学,それも教育社会学が伝統的に想定してきた「教育の機会均等」とはおそらく異なるものなのではないか。佐々木がこう述べるとき,おそらく,他の誰とよりも,私の恩師・藤田英典と激しく対立するだろう。しかし,そんなことよりも,そもそも,「個々人の教育ゴールとしては単一な制度として」などという表現で,何が言われようとしているか,何の留保もなく理解可能であろうか......だがそれでもなお,ここでは重要な何かが言われているような気がする。「ゴール(目標)」という言葉で意味されているものが,教育社会学が想定してきたそれとは,おそらく,異なるのだ。

この二つの教育制度観の対立は,組織志向による「教育の機会均等」論と,個々の教育行為志向による「教育の機会均等」論の対立とも云うべきであろう。所与の条件の下での「教育の機会均等」の保障が,勿論この対立の中に実現するものであったことは云うまでもない。しかし,戦後教育制度改革の実施過程はこの対立を発展させるのではなく,学校制度内教育の機会均等あるいは制度的整合性の追求を中核にして展開するのである。そしてその展開過程においては,「教育の機会均等」を保障するために,個々の教育行為を排除あるいは切り捨てるという自己矛盾を犯すのである。その結果,戦後教育制度改革は高等学校さらには大学進学率の上昇という形で,「教育の機会均等」の保障を実現しながら,しかし他方ではこの教育の大衆化の背後で学校間格差を助長し,学校教育の空洞化を拡大させることになったと云っても過言ではない。かかる事態は,・・・教刷委第一三回建議が最も危惧したことではなかったのであろうか。・・・この問題に対する真剣な取り組みなしには,現在の職業高等学校問題さらには全学校教育の矛盾も解決し得ないのだが。(285頁)

私は思うのだが,ここで批判されているのは,他のどんな教育諸学よりも,われわれ,教育社会学者ではないだろうか。教育社会学が80年代以来,今日に至るまで発展させてきた,日本教社会学のプレゼンスを高めてきた主流派実証研究の担い手たちはいずれも,自らマッチポンプを演じてきただけである,と宣言されているように,私には思える。*1

『佐々木輝雄職業教育論集 第3巻 職業訓練の課題――成立と意義』(多摩出版,1987年),第4章「職業訓練の高等教育化・成人教育化」では,ここまで見てきた所論が,佐々木自身のなかで1つの思想へと結晶化しつつある,そういう域にまで達しうるのではと思わせるような濃縮をみせる。

文部省の学校制度内教育の機会均等理念に基づく制度理論が,・・・個々の学校の制度および教科課程の整合性を重視するのに対し,その[教刷委第一三回建議第三項の――引用者]制度理論はこれらの整合性を特に重視することはない。従って,この学校制度外教育の機会均等理念に基づく教育制度理論は,現象的には教育制度にいわゆる「袋小路」を作り,それはあたかも敗戦前の教育制度への回帰を提言しているようにみえる。しかしかく解することは誤解であろう。と言うのは,その制度理論によれば,「教育の機会均等」を保障する制度とは,個々の具体的な教育的営みを捨象した,いわば抽象的・非人間的な整合性を持つ制度にあるのではなく,個々の教育的営みそれ自体の実質を保障する制度にあるととらえられたからである。従って,システム論的には一見多様にみえる教育制度であっても,その制度は個々人の教育プロセスの多様化であり,個々人の教育ゴールでは単一な制度として止揚されるのである。つまり,整合性の追及の主体は,抽象的な制度の側にあるのではなく,個々の具体的な人間の側にあるのである。所与の条件における「教育の機会均等」の保障とは,まさにかかる具体的な人間の主体的な整合性の追及[ママ]を可能にする制度によってのみ,初めて可能になると考えられるのである。(262-263頁)

田中萬年先生の「非教育の論理」の初発の原点がここにはある。たぶん,ここにあるのは,近代日本における職業訓練に対する見解の表明であることをはるかに超えた,1つの思想的言明である。

「かく解することは誤解であろう」と佐々木はいう。しかし,ここにある「制度理論」は,相当すごいことを言っているのではないだろうか。

「所与の条件」としての階級社会。われわれは――どんなに逆立ちしても――,それを所与の条件にせざるをえないのだから/をえないのであれば,「教育の機会」を「均等」にする,という営みの実質的意味を,根底において組み替えることによって,より受忍可能な/望むべき階級社会を担いうる人間形成を,保障していくべきである。われわれは――「平等な社会」を,ではなく――倫理的強度ある不平等社会こそを目指していくべきなのである。それこそが追求さるべき「人間の主体的な整合性」なのである

しかし,佐々木は本当に“そんなこと”を言っているのだろうか?......といったあたりで逡巡する今日この頃。

こんな「思想家」と出会わせてくれた田中萬年先生には感謝するばかりである。それでいながら,件の「書評」の冗長さ,にもかかわらずの無内容さ,出来の悪さに辟易しながら,後半部分を書きあげるために佐々木輝雄を読み返す今日この頃。

【追記:7/25】
賢明なる読者のお一人・金子さんから「いや苅谷先生,“鎌倉幕府”ちゃんと言及しとるっちゅうに」というご指摘を受けました。ぬゎ〜〜,苅谷先生,ごめんなさぁいっ!!苅谷剛彦増田ユリヤ『欲ばり過ぎるニッポンの教育』講談社現代新書,2006年。ぼくこれ読んでるのに,なぜか忘却の彼方...orz。最近の私は苅谷先生に対して無駄に厳しいw 私の中で「苅谷・教育論」像というのが確固としてできあがってしまっていて,不正確な言及になっております。大村はま・苅谷夏子・苅谷剛彦『教えることの復権ちくま新書,2003年とあわせて「苅谷・教育論」は改めてしっかり詰めておきます。ここは個別化・個性化教育への評価とも連動して,また,田中萬年先生の「非教育の論理」とも関連して,「教育論」として一つの分岐点にはなりますので,機会を改めて論及します。一つだけ申し添えれば,「個別化・個性化教育」に関わって既にアップしたエントリの底流からもご推察いただけるように,苅谷先生の「教育論」に対しては,私はそれでも批判的だと思います。こんど会ったら苅谷先生とはきちんとお話しておきたいポイントではあります。とりあえず今日は,お詫びまで。また後日。

欲ばり過ぎるニッポンの教育 (講談社現代新書)

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教えることの復権 (ちくま新書)

教えることの復権 (ちくま新書)

*1:「「教育の機会均等」を保障するために,個々の教育行為を排除あるいは切り捨てるという自己矛盾を犯す」とは,私の目には,「学力低下」論争で苅谷先生が果たした役割,それを指すように思えてならない。彼が「東大生の3分の1が鎌倉幕府の成立と滅亡の年号を言えない」と言挙げしたとき,橋本健二氏は,「東大生の学力を云々する時に,なぜそれが“鎌倉幕府の成立と滅亡の年号”であって,“ファシズムの社会的背景”や“平和憲法の意義”ではないのか」と論難したが,苅谷先生はそれに答え(られ)なかった。私はこれは問題の本質を突いていると思う。この点で,私は苅谷先生に対して,かなり批判的である。