「僕達の職業訓練」とは何か――佐々木輝雄講義録より

むかし,いまから15年ほど前,その被差別部落は日本でも有数の大規模部落であったが,1990年代半ばのその時点で私がそこに行ったとき,その地区で現役の高校生は1人しかいなかった。中卒で働くか,高校に入学したとしても1学期のうちに退学するのが通例だったからだ。

「中卒で働く」とか「高校を中退」という事実に「貧困」がかかわっている,というのは正しいが,しかし,不十分である。ほぼ全員の教師も含めた地区外の人間からもたらされるさまざまな有形無形の差別,それを避けたいと思う心性――当然の心性――が複合的に折り重なってかれらを下層へと押し留める。規模が大きいだけに,そのような不愉快な「外の世界」との接触をもたなくとも,地区内に留まっても生活が――最低限の生活が――成立するがゆえの低進学状況であったかもしれない。

私が「職業訓練校」――高等学校,ではなく――に通っている/いた,という人間と直接の接触,面識をもったことがあるのは,あとにも先にも,そのときだけだ。当時,年齢は高校1年生段階だったはずと記憶しているので,養成訓練というやつに通っていたのかもしれない。たしか木工をやっていると語っていた。その地区の主産業とは異なったから,覚えている。

職業訓練とは何か,という問いに対して佐々木輝雄が辿りついた結論を私なりに解釈すると,「弱者」に生きる術を与えること,ということに尽きるのではないかと思う。『佐々木輝雄職業教育論集 第3巻 職業訓練の課題――成立と意義』(多摩出版,1987年)に収録されている講義録「職業訓練の歴史と課題」は,佐々木輝雄の職業訓練論が到達した境地を刻み込んだ文章として,もっと広く読まれてよいものだと思う。以下,太字は原典中における傍点部分,色を変えたのは森による強調部分である。

時代の変化が激しければ激しい程,[知識・技能を持たない;引用者]弱い人間が損をする。(339頁)

失業問題が一定のボリュームを持ってくると,・・・社会問題化して,彼等に,生きる術を与えないといけない。彼等が生きる,そして彼等が働く,職を見つける事。生き,働くという事が失業という事は困難になるという事ですね。・・・この人達を,こうしようとした時に,教育訓練という問題を入れざるを得ない。(340-341頁)

知識・技能を持たないと云う事は,人間として生き働く事を常に危険な状況に置いている事と同じだと云う事です。で,世の中と云うのは不平等ですから,常にそういう集団を抱え込んでいると云う事です。そういう集団に対して初めて彼等が生き,働く事を,彼等に何とかしようとした時,失業救済という言葉に置き替えたっていいですよ,置き替えた時,教育訓練と云う事を,好むと好まざるとに係わらず,これを忍び込ませないと成り立たないと,いいですか。・・・人間的に彼等が生き,働く事を彼等に保障する,せざるを得ない立場に立った時に,教育訓練,当時の言葉で云うと授産とか,補導とか,そういうものを社会が,ここに金を投入せざるを得ないと。(341頁)

15年前の,職業訓練に通っていた彼は,高校1年の年齢だったはずだが,私の眼には,同年代の他の男女よりもちょっと幼く見えた。大人数きょうだいの末っ子だと聞いたが,そういう次元を超えて,幼く映った。彼がふだん一緒につるんでいるのも小学校高学年ぐらいの男子・女子で,それでもそこで(今でいう)イジられキャラ的ポジションになっていた。からかわれたりだとか。だから,同年代の同級生のグループにはどこにも入っておらず,その小学校高学年グループで,“対等”な存在として相手をしあっている,といった雰囲気だった。

10歳/11歳という小学校高学年ぐらいというのは,箕浦康子先生の言葉でいうところの「文化の衣」を身に纏い終わる年齢。たとえば「地区内/地区外」といった社会的断層の意味への認識が確立するのもこれぐらいの年齢である――といった意味のことを箕浦ゼミで(箕浦先生の所論を知らずに)報告したら,ずいぶんと好意的な(←もちろん学術的に,という意味だが)リアクションが返ってきた。「おお,やっぱりね!」みたいなことである(どうでもいいことだが)。

だから最初は私も「警戒」されて,ほとんど誰も寄ってこなかったのだが,だんだん距離が近づいてきて,やがて気安く話しかけてくるようになる。いったん打ち解けると,他では経験したこともないぐらいに気のおけない,気さくで人なつっこい人間ばかりだった(私が触れた人びとは)。

ある日。まさに今みたいな,酷暑の,夏のこと。

職業訓練校の彼が私に寄ってきて,私の顔の前に,肘をたたんだ腕をぐっと突き出す。見ろよ,とでもいうように。そこにはいくつも,腕の他の部分より色のくすんだ小豆大の何かの《痕》が点々と模様をなしているのがみえる。

いや,《痕》というのはその後の展開から得ている知識をもとに記憶を捏造しているな。たぶん,《それ》をみた瞬間の私は,ただ,ちょっとくすんだ肌色の点々がある,という認識しかしていなかったに違いない。

「これ,なにかわかるか?」と彼。

私にはその点々がなんなのか,純粋に,単純に,まったく,皆目,見当もつかなかったので,黙って,その点々と彼の顔とを交互に見ていただけだった。その様子を遠巻きに眺めていた彼の(小学校高学年男子の)連れが,「根性焼きだろ?」と,答えられないでいる私に気を使って――興味なさそうなそぶりを装って――教えてくれた。

彼のほうを見ると,彼は,笑って,私の顔を見ていた。

「肉が焼けるときの臭いって知ってるか?」と彼が笑ったまま尋ねるので,私は肉が焼けるときの臭いなど嗅いだこともないし,想像もつかなかったので,

「想像もつかない」と答えた。

彼は笑ったまま,「ここと,ここと,ここにもあるんだよ。あと,ここと...」と,次から次へとタバコの火を当てられた《痕》を私に見せた。肘の内側の腕を曲げたときに肉が盛り上がる部分とか,手の指と指の間とか,柔らかくて,ぱっと見には見えにくい箇所に,それは集中していた。

「火を押しつけるとさ,ジュッ,って音がして,焦げてさ,一瞬,肉が抉れて,沈むんだよ。わかる?」と彼。

「いや」とわたし。

「すーって煙もでてさ,あれ,くせぇーんだよなぁー」と言って,私のリアクション(のなさ)を確認してから,彼はまた――自分よりずっと年下の――連れの輪の中へ戻っていって遊んでいた。

その地区では,その彼が所属するグループ(小学校高学年のイケイケグループ)や,それ以外のいわゆるヤンキーグループや,なんやかやの諸集団のいずれからも超リスペクトされている,一人の少年がいた。やはり高校生相当の年齢で(しかし高校には通っていない),年がら年じゅうボールを蹴っていたサッカー少年(というような次元の“目つき”ではなかったが)だった。私は(これも)後にも先にも,ああいう目つきでボールを蹴っている人間を間近でみたことはない。彼が「友だち」と一緒にいるところなど,見たこともない。誰かと談笑している姿すら,結局,一度も見なかった。

昼過ぎにそこの事務所に入っていくとき,小さな空き地でリフティングをしていた彼が,夕方6時過ぎに「お疲れでーす」といって出た瞬間,昼に見たのと同じその場所でまだリフティングを続けている(彼の立っているところだけ地面の色が変わっている――彼から落ちた汗のせいである)という,そういう少年だ。マンガの世界ではない。小林まことの『1・2の三四郎』に虎吉(か馬之助か誰か)が腕立て伏せをしている三四郎を目にしてから外出し,夜遅く帰ってくると,三四郎がまだ腕立て伏せをしていて,その場所だけ滝のような汗でびしょぬれになっているのに虎吉(か馬之助だったか誰か)が腰を抜かして驚く,みたいなシーンがあったと記憶するが(今わが家の『三四郎』は奥さんの家のほうにあるので出典を確認できない),その実話版である。

当時開幕したばかりでイケイケムード満載だったJリーグ,その日本初のプロサッカーリーグの某球団にスカウトされて入団が内定していた彼は,本当に,文字通り,その地区の希望の星だった。みんなが期待してた。毎日,朝から晩まで16時間(!)の肉体労働をしている,彼の幼なじみも,「もりさん,あいつはほんとにすごいんだよ。ずっとプロになるっつって,ほんとになっちゃうんだから。ガキの頃からあいつだけはほんとの本気でサッカーやってたから。おれらみたいなハンパもんとは違うんだよ」,と。

だが,伝え聞いたところでは,その『三四郎』の彼は,入団2年後に――実に,たった「2年」である――解雇されたという。

だから,今でも私は,サッカー日本代表がふがいない試合をしたからといって,とてもじゃないが,かれらを非難する気になど,なれない。どのツラさげて,そんなことができるというのか。

さて,そう云う今云った動機で出てくる教育訓練と,先程云った近代日本のスタートで支えられた学校教育に代表された教育システム・・・とは,A 同じなのか,B 思想的に違うのか,C 佐々木の云ってる事は分からん,A,B,C,どれですか。(341頁)

B.「思想的に違う」。

私は,職業訓練と云うのは,立身出世だとか,国が必要不可欠としている人材養成とか云う側面よりも,一人の佐々木という人間が,生きるか死ぬかの瀬戸際に当面した時に,そのコアとなる,中核となる教育訓練が,職業訓練そのものなんだと,考えてる訳です。(342頁)

もう少し学問的に云うと,生きることはこれは生存権,働くことは勤労権,これは教育権,これは学習権と云ってもいい。で,職業訓練の存在そのものは,私的に云うと,生き,働くという事と,学ぶと云う事が,三位一体,不即不離,どれが上でどれが下とかでなく,それが三位一体で成り立つのが職業訓練なんだと。歴史的事実としての職業訓練はそうなんだと。失業救済として公共訓練はスタートしました,と云ってる言葉の背後にあるものは,だからそれは,近代学校教育のような,人材養成だとか選別機能とは異質なものなんだと,ここでの営みは。(342頁)

近代学校のこのハイラルキーだけで世の中というのは成り立たない。絶対に成り立たない。この論理と違った論理がやはり世のなかには存在してきたし,今後も存在するんだと。(342頁)

それを担うのが,この世の中でもっともよく担い得るのが,「僕達の職業訓練だ,と。

この講義録のなかで,佐々木輝雄は意識してか無意識にか,「僕達の職業訓練」とか,「私達職業訓練」といった物言いを連発する。私はその言葉を目にするたびに,ある種の感慨を禁じ得ない。仮に今後,私たちが自分の人生の区切りを迎えたときに,こんなにも屈託なく,自然体で,それでいて確信に満ち,後進の身を引き締めさせるような言葉の重みをもって,「僕達○○は...」と何かを語り得るだろうか。

今僕達が,一番悩んでいる事は,そういう今迄の[職業訓練と高等教育を依然として峻別することに象徴されるような「選別思想」的な;引用者]近代化の思想ではカバーできない問題が現代社会であり,その現代社会の根幹を解きほぐしてゆく事こそが,教育・訓練の問題点なんだと思います。職業訓練は過去にもそうだったんですが,過去以上にこの混乱に対して,大きな役割を果たせると私は考えます。そのノウハウを,私達は持っている。日本の教育・訓練の集団として,そのノウハウを一番持っているのが,私達職業訓練関係者なんだと,こう理解しています。(360頁)

実は職業訓練がいまだに,エリート型価値尺度から見られた時に,うさん臭く,安かろう悪かろう,そのような教育・訓練のように見えましたけれども,実はそこで僕達が身に付けた知恵とノウハウは実は今正に,今正にこの大衆化された社会の中で,とても大切なノウハウを僕達は持っているのではないだろうかと。(362頁)

普通科」高校への「全入」が社会的に目指され,「普通科」高校の顕著な増設を経た今日,新設ゆえに高校間格差構造の低位に組み込まれる普通科高校,あるいは地方の私立・普通科・すべり止め・「底辺」高校――それは教育社会学の知見によれば出身階層上の不利を抱えた生徒が集まる高校でもある――において,「人権としての職能形成」を保障されることなく社会に出て行かざるを得ない若年層の問題が噴出しつつある現在,われわれは佐々木輝雄のこの言葉に改めて立ち返るべきではないだろうか。

自らが職業訓練大学校で教鞭をとる佐々木輝雄が言う,

うちの訓練大学校の生徒が,文部省系の大学は知られているけど,うちの訓練大学校は何ですかと云われる,犬の訓練所ですか,と云われて(笑い)傷つく,恋人なんかに聞かれて特に傷つくと云う。(325頁)

「犬の訓練所」とまで言われて傷つく教え子を見つめる佐々木は,しかし,喝破する,

僕は正しいと云うんです。傷つくのはね。しかしね,君,訓練大学というのは二四〇名の定員なんだぞ,今早稲田の一学年の定員は何名だと思う,そうすると君は早稲田の学生が「私は早稲田の学生です」と云う間に,君は百回云わなんぞと,知られる為に。(325頁)

佐々木輝雄,自らも。

私はだから職業訓練大学校の佐々木です,職業訓練大学校とは何ですかと偏見と下げすみ[ママ]で言われたことがたくさんある。一々そんな事に傷ついていたら命がもちませんから。(325頁)

それでも「僕達の職業訓練」には存在意義があるのだ,と。他のどんな教育施設にも代替できない,理念とノウハウの蓄積があるのだと,佐々木輝雄は断言する。

失業者の教育訓練について,各種学校はやってくれるんでしょうか,文部省はやってくれるんでしょうか。ただ出来るんでしょうか,文部省系各種学校の人材が。あるいは在職労働者の教育訓練を東京大学はやってくれるんでしょうか。多分,混乱するからかなわん,と云うと思います。そうじゃないでしょうか。そう云う,在職者の教育訓練のノウハウはどこが一番日本では持っているでしょうか。私は職業訓練校だけとは云いませんけれども,訓練校はたくさんそのノウハウを持っている。じゃあ,選別機能で傷つけられた若い子供達を,これからの臨教審で実施されるのかされないのかわからんですが,学校が悔い改めて,悔い改めてそういう子供を引き受けてくれるでしょうか。私は安心できませんね。(362頁)

先生方,若い現場の先生が,ああ今日も警察に呼び付けられて頭下げに行かんならんと,思って朝校門をくぐられる方がたくさんおられると思います。だけど,私は,訓練校が,そういう養成訓練生を抱えて,社会に巣立たせて,ある役割を持っている事は信じて疑いません。(362-363頁)

「世の中と云うのは不平等ですから,常にそういう集団を抱え込んでいると云う事」であり,そして,どんな時代にも,そういう集団の人間にも人間として生き,働くことを保障するために,そういう風に人間を捉えたときに,「教育訓練という問題を入れざるを得ない」。そういう確信が,佐々木輝雄が晩年に――早すぎる「晩年」に――至った境地であろう。

「そういう集団」は,ある面では,時代によって,その――表層的な――現れ方を異にするだろう。かつての夜間中学/定時制高等学校の生徒たちと,現代日本のかれらとは,やはりぱっと見には,違う。あるいは,現在のへき地・専門高校には,中学時代にすさまじい「いじめ」――という名の犯罪行為――を受けて不登校になり,しかし人生のリセットを求めて,「中学時代の同級生が誰も行きそうもない,過去の自分を知っている人間が誰もいない,その高校」へと,悲壮な覚悟を胸に入学してくる,そういう現実がある。現代日本には,かつてないほど多くの,移民家庭の子どもたちも,いる。

だから,佐々木輝雄の,この確信は,時代を超越した,ある種の普遍性を伴っている,とみるべきである。

この同じ講義録を,佐々木輝雄の研究者としての出発点のテーマ「イングランドにおけるワークハウス制度」の研究を読んだあとに読了した稲葉振一郎さんは,以下のごとく,彼の到達点を総括する,

労働省所轄の特殊法人雇用職業事業団が運営する職業訓練大学校(現・職業能力開発総合大学校)に職を得て、その後一貫して(学校での)職業教育と(公共施設・企業での)職業訓練の研究を続けた結果、おそらくはからずも著者は、ワークハウスにおける訓練――「授産」とでも呼ぶのがもっともふさわしい営みが、まさに現代の公的職業訓練の原点に当たるという結論にたどり着いてしまっている・・・。
「佐々木輝雄祭り(承前)」【インタラクティヴ読書ノート別館の別館】

このあとだ。

その結論にたどり着いた上でそれでも著者は絶望せず、最後の講義において凄愴な笑いとともに職業訓練を、自らの人生を肯定し、後進を鼓舞する

「その結論にたどり着いた上でそれでも著者は絶望せず、最後の講義において凄愴な笑いとともに職業訓練を、自らの人生を肯定し、後進を鼓舞する」......

蓋し,名文である。

そして,そのあとの付言,「しかして公的職業訓練の現状は……?」との言葉を重く受け止める。

佐々木輝雄職業教育論集 (第3巻)

佐々木輝雄職業教育論集 (第3巻)