最近の息抜き

最近なんかブログの更新億劫になってるな,と思っていたら「どうでもいいエントリを書く」ということを疎かにしていたことに気づいたのであった。少しずつアクセス数が伸びるにつれ,そして,オフラインで存じ上げている方が拙ブログを見ている事実を知るにつけ,あまりにも無意味なエントリをアップすることに気が引けるというのもある。まあでもあと職場が変わるってことでとくに3月4月は激しかったからねぇ,いろいろと。しかしよくない。こうやってだんだんブログが面倒くさくなっていくんだと思う(←憶測)。

そんなこんなの近況なのであるが,本ブログをご参照くださっている大学教員と大学生・院生の皆さんには申し訳ないが,私,もう夏休みなんで。ええ,うち3学期制なんで,10週で1学期終わりなんすよ。もう今週で終わりなんすよ(←ご報告)。日本でこういう制度にしてるのって筑波とICU以外にどのあたりにあるんでしょうか(←問いかけ)。ICUの場合はあれだけれど,筑波の場合はさすが「新構想」大学だけのことはある(←棒読み)。

75分で1コマ,10週で1単位。1年は3学期制。したがって,2単位の講義科目なら(1)週1コマで2学期間(「1・2学期」「2・3学期」,見たことないけど「1・3学期」というのも教師の都合によってはありえるのかな?←未確認),あるいは,(2)週2コマで1学期間で完了,という選択肢がありえる。3単位の演習科目なら週1コマで通年とか。制度上はたぶん「週3コマで1学期」とかもできないことはないと思う(←未確認)。実習科目には週2コマで通年=6単位というのもある。

このあいだ「福祉と教育」研究会の打ち上げでご一緒した先生には「75分だと,これからまとめの15分!ってところがないから,講義の盛り上がりと全体性に欠けちゃうねぇ」なんて言われましたが,よく考えたら私,1学期はゼミ科目だけでした。すみません。でも,講義をやってみたらそういう思いは抱くように思います。

ただ,「講義」は所詮教師からの一方向性に陥りがちなので,たぶん,まだ影響は小さいと思う。それよりは「ゼミ」である。担当したゼミ2つ(もう1つ複数教員担当のも入れると3つ←すみません,私,新規着任なんで今年はずいぶん楽させてもらってます。いえ,来年から馬車馬のように働かされますので,変な仕事は回さないでください。これほんとです)のうち,1つは6限という1日の最終コマなので,楽勝で毎回時間超過で2時間以上やってるので問題外の外であるが(←みんなの腹が減る頃終わる),それ以外の,「あとがある時間帯のゼミ」はやっぱ難しい。体内ゼミ時計の時間感覚が90分(正確には自分が経験した大学・大学院教育は1コマ100分だったので,厳密には私のゼミ時間感覚は「100分」)なので慣れていない,ということ以上に,この75分というのはクセものである。たぶん前提になっている「ゼミ観」「教育観」が違うんだと思う。

詳細はもう少し経験を積んでから考察したいと思うが,どうしても「教育的」ゼミになってしまう。自分が院生時代のゼミでは1コマで350頁の著書1冊とか,論文3本とか,ふつうにあったけど,75分では無理である。1コマ・論文1本。←この法則は,twitterで筑波関係者に問いかけて答えをもらったので,実態としても正しいと思う(私だけの判断ではない)。講読文献をコマ切れにして1つ1つを丁寧に扱うという点ではすぐれている。ただし,大きな議論の流れを「がっ」とつかませるような(一見無駄なものも周辺文献も一度に全部ひっくるめて扱うような)力技のゼミは無理。だから,昔の東大・上野ゼミのようなストロング・スタイルは無理。そういうスタイルの教育効果というものをそもそも想定していないようなつくりになっていると思う。むしろ,教員の側が事前に講読文献を濃密な「教育的意図」のもとに精選して(1つの著書でも扱う「章」を取捨選択して)講読するスタイルとなる。

ところで話は変わるが,twitterって便利っすよ。75分でゼミって他の先生どうやってるんだろ,論文2本とかって扱えるのかなぁ?って思って,でもなんか改めて誰か先生に聞くのも面倒いから試しにtwitterで聞いてやれ,って思って聞いてみたら,ちゃんと学類生(←と筑波ではいう,なぜなら「新構想」大学だから←棒読み)さんの1人が反応してくれて,「どのゼミも論文1本っすよ」ということだったので,そうしたのであった。あのとき,twitterユーザーとしての私が誕生したといっても過言ではない(←いや過言である)。

でまあ,他の先生にも「75分ってどうなんすか?」と聞くと,たいてい,「やめてほしいよ」というんだけれども,たぶん「75分」は変わらず続いていくと思う。なぜなら「新構想」大学だから(←棒読み)。

なんで前フリでこんな長くなってんだか。いや,この間もそれなりに息抜きはしているので,6月,日記代わりに書き留めます(←意外と便利なんです。去年の今頃これやってたんだよ,とか分かるんで)。

くるりライブ興行2010〜地獄の団体戦

名前がどうなんや,というのはあるが。

くるりのカップリング・ベスト・アルバム「僕の住んでいた街」がリリースされたことによるショート・ツアーに参戦。このアルバム,これまでリリースしてきた22枚のシングルのカップリング曲(←昭和世代用には「B面」っすね)を全曲収録。ひらたくいえば「B面ベスト」。そのほとんどがアルバム未収録&未配信であり、その中にはライブの定番曲も多数含まれる。ちなみに,約1年ぶりとなる待望の新曲「東京レレレのレ」も収録。初回限定盤は全34曲入り、2枚組。ボーナストラックとして、6th シングル「ワーダーフォーゲル」の初回盤に収録されていた「ノッチ5555」及び、iTunes Storeで期間限定配信された「ベーコン&エッグ」の2曲も特別収録。通常盤は全32曲入り、2枚組。いや,初回限定版,買えてないけどw

秋にはニュー・アルバムのリリースもあるらしい。すでに録音済みとか。で,ライブでは「僕の住んでいた街」からの他に,このニュー・アルバムからも数曲...っていうか,それ知らんし,だれもw 「そんなことかんけーないっ,おれらがやりたいからやる」というくるりがよい。今回は1曲もライブ定番曲(←A面曲)をやらず。「ぜったい今日はやらんから」と断言する岸田氏w......うちの奥さんは,未発表のニュー・アルバムから演奏された1曲がすごくよかったと感想(←いやだから題名は知らん)。私は過去のカップリング曲から演奏された「地下鉄」がよかった。MCでの話を聞いてから味わうと「ガロン」の歌詞が面白くてしようがない。

「僕の電波は何ガロン 君の電波は何ガロン 僕らの電波は何ガロン」

歌詞といえば,くるりの詩集もでた。全36編。うち13編には岸田繁氏本人の直筆の歌詞と解説あり。個人的にくるりの歌詞が好きなところは,「死」は悲しいことではなく「生」は世代を超えてつらなっていく,というイメージを膨らませてくれる部分があるからなのであるが(「ワンダーフォーゲル」「ブレーメン」),そんなことはどうでもいい。

既述のようにニュー・アルバムがスタンバイ状態なので,たぶん今年はもう1本,本格的なライブツアーが秋ごろにあるはず。いくよ。必ず。

僕の住んでいた街(初回限定盤)

僕の住んでいた街(初回限定盤)

くるり詩集

くるり詩集

映画「ハート・ロッカー」(原題:The Hurt Locker)

2008年アメリカ。キャスリン・ビグロー監督。ジェレミー・レナー主演。脚本はジャーナリストでもあり脚本家でもあるマーク・ボールが自らの取材をもとに執筆。イラクに展開するアメリカ軍・爆弾処理班を描く。タイトルはアメリカ軍の隠語で「苦痛の極限地帯」「棺桶」を意味するらしい(←wiki情報)。

まあアカデミー賞祝いということで。

ついでなのでwiki情報を重ねると,映画作製に協力した「ポール・リークホフ(全米イラクアフガニスタン帰還兵協会会長)は,『戦争を分かりやすく伝えようとしているが、経験者の私たちはあまりの不正確さにうんざりしてしまう。調査不足というだけでなく,端的に言えば米軍への敬意に欠けている』と,この映画に対して不満を述べている」らしい(間違いだらけの戦争描写 アカデミー賞に輝いた『ハート・ロッカー』は米軍への敬意に欠ける ニューズウィーク日本語版 2010年3月24日←原典は未確認)。

このコメントのほうが,本映画に寄せられた凡百の「賛辞」よりも,私の印象に近い。「端的に言えば」以降のくだりは,私が感じたこの映画の「戦争観/兵士観」の別様の表現である。ポール,そういう意味ではなかなか鋭いおじさんである。

「人間爆弾」のシーンなどグロい場面もでてきて,そういう意味では「迫真の戦場シーン」を作ろうとしているのだろうし,事実,当初モロッコという予定だった撮影場所も,よりイラクに近くということでヨルダンに変更されたらしい(←wiki情報)。が,映像は根本的なところで「リアルな戦争シーン」というのが端的に語義矛盾だということが露わになって,むしろそこが面白い。

131分という時間を感じさせない作りになっていて,よい。しかし,トータルでいうと,私に一票あったなら,「アバター」に入れるね,というまとめでひとつ。

ディズニー・ランド&シー

姪っ子襲来。

久しぶりに(たぶん10年ぶりぐらいに)雄ネズミの帝国に行ってきた(←半ば強制的に)。しかも2泊である。一つだけ論じたい。「プーさんのハニーハント」は「プーさん色」が薄すぎる。不満である。もっとまっきっきでいいのである。だって「プーさんのハニーハント」ではないか。あれではティガーのほうが存在感あるではないか。もっと「プーさんだらけ」のものへとディズニーの総力をあげて改良していくことを期待したい>ディズニー関係者。

あとパレードのときにいたピグレットは,中に人が入っているので(←中の人などいない@吉田戦車) プーさん達と同じ大きさなので,「こぶたくん」ではなくてただの「ぶたくん」になっておる。あとイーヨーが2本足で立っているというのもいかがなものか。「くまのプーさん」はディズニーランド&シー的に商品としての洗練を加えて行くにはおのずと限界があるとみるべきか。

改めてそう考えると雄ネズミや雌ネズミはディズニー的によくできておる。ネズミのくせにスターとしてのアウラがでておる。雨降るなかで水上からネズミがでてくると,やっぱりテンションがあがってしまう自分がいるわけである(私ともあろうものが雌ネズミには手を振ってしまったわけである)。

ネズミなのに。