佐々木輝雄と「教育の機会均等」・序

ふたたび田中萬年先生よりお送りいただきました。佐々木輝雄職業教育論集・全3巻,多摩出版,1987年

金子さんが「それにしてもこんな天才的な学者の研究を知らなかったとはまったく自分の不明を恥じ入るばかり」とまで評する研究者の論集である。萬年先生のホームページ(ブログ)で「申し出てくれたらお安くお送りしますよ」との呼びかけがあったのに無邪気に反応してお願いしたら,ほとんどタダのようなことで(しかもお手をわずらわせてまで)お送りいただいた。ありがとうございます。心して勉強させていただきます。

また,あわせて萬年先生からは「佐々木輝雄と「教育刷新委員会」研究――氏の『教育学研究』誌投稿論文の不掲載をめぐって」1998年4月,という(私家版であろうか)萬年先生ご自身がまとめられた資料集もお送りいただいた。

こちらはすごいブツである。

先生からは「大した編集になっていませんので,おじゃまな時は廃棄して頂いて結構です」と謙遜された私信が同封されているが,そのような謙遜が無意味であるのは明瞭である。ちょっと目を通してからお礼の文章をアップしよう,などと気安く考えていたが,そういう次元のブツではない。

この資料集自体が一つの歴史的考証の産物である。検証しようとしているのは,佐々木輝雄氏が1974年に日本教育学会の『教育学研究』に投稿したが不掲載となった「教育刷新委員会第13回建議の『教育の機会均等』概念について――第3項建議を中心に」という論考が,なぜ不掲載になり,また,なぜ佐々木氏はその論文を再投稿しなかったのか,にもかかわらず,なぜその論文が散逸することなく「残されたのか」という一連の事実経緯のありかである。

なぜ田中先生がそのような事実のありかにこだわるかというと,この不掲載に関して,「公開してはいけない資料(=非公開の教育刷新委員会資料)を用いて氏が論文を執筆したからだ」とする流言がまことしやかに流れていた(いる)からだという。田中先生ご自身も,「氏の反骨精神からすれば噂は可能性がある,筆者も半分以上は信じていたところであった」と書いていらっしゃるが(1頁),そこに本心はあるまい。佐々木氏が1985年に急逝されたこともあり,いきさつを確かめるすべがなくなったところで,歴史考証として,上述の「噂」の真贋を確かめようとする意図のもとに投稿前後の資料が整理され,編まれている。

もう一つ,この資料集編纂の真の意図――そして今回,先生が不肖・私にこの資料をご恵送くださった真の意図――は,この「不掲載になった投稿論文には今日あらためて注目されている『教育の機会均等』論の概念の重要な論点が含まれており,不掲載論文を公開することに意味があると考えた」(1頁)というところにこそ,ある。

目次を紹介しよう。

✓佐々木輝雄と「教育刷新委員会」研究をめぐって・・・1頁
・資料1:当時の教育刷新委員会に関する既発表論文・著書リスト・・・3頁
・資料2:佐藤秀夫「教育刷新委員会」・・・5頁
   [森による注記:『新教育学大辞典』第一法規,1978年7月,所収の佐藤執筆による解説部分]
・資料3:佐々木輝雄投稿論文の日本教育学会受付印・・・6頁
・資料4:佐々木輝雄投稿論文・・・7頁
・資料5:『教育学研究』編集委員会の佐々木輝雄宛「査読報告書」・・・20頁
✓佐々木輝雄投稿論文の『教育学研究』誌不掲載理由について・・・21頁

付録:「教育刷新委員会」関連佐々木輝雄発表論文
1.「職業訓練の高等教育化・成人教育化の課題」『技能と技術』昭和50年3月。・・・22頁
(本論文は,日本労働研究機構編「リーディングス日本の労働7」『教育と能力開発』1998年2月に再掲された。)
2.「戦後高等学校制度改革と教刷審第30回建議」『日本産業教育学会紀要』第7号,1976(昭和51)年3月 ・・・29頁
3.「教刷審第13回建議第3項と戦後高等学校制度改革」『職業訓練大学校紀要』第5号,1976(昭和51)年3月・・・41頁

となる。上記のうち「✓」印の部分が田中先生による執筆部分で,あとは資料であり,資料4が件の投稿論文である。

「歴史的考証」部分については,投稿時点までの既発表論文・著書の状況をみれば教育刷新委員会資料が「非公開」扱いであったとは言い難く,査読報告書にもそのような旨の注記が存在しないため,教育刷新委員会の議事録の公表者を「限定」するという事実が当時あったと想定しない限り,件の「噂」は正しくない――といったところに暫定的結論は落ち着いている(21頁)。少なくとも,査読報告書をみるかぎり,「噂」を生じさせる余地がないのは明らかである。だが,田中先生によれば「日本教育学会の論文審査の運営に疑問が残る」という。なぜなら,「噂」の存在自体が,「当時の学会誌の編集委員ではない者が,佐々木輝雄氏が教育刷新委員会に関する論文を投稿していたということを知っていた,という」情報漏えいを疑わせる事態であるからだという。この点については,私の評しうる範囲を超えており,なんともいえない。なお,念のため申し添えれば,田中先生ご自身も最後に「本稿に関することをご存知の方はその真相をお教え戴ければ幸いである」(21頁)と述べておられる。

さて,そのような「噂」の根拠薄弱を確認したところで本当に論ずべきは「査読報告書」にみる佐々木論文の評価と,実際の佐々木論文との関係――というよりも,佐々木論文が「教育の機会均等」概念の再検討にあたって現在なお有する射程と可能性を検討することである。ちなみに,査読報告書には編集委員会の意見として5点挙げられており,その第5点目には「この論文のままだと,教刷委第13回建議の経過と内容に限定され,教育機会概念との関連はテーマから除いた方が適当ではないでしょうか」とある。

この不掲載論文の論点自体は,部分的な重複をなしながら,他の学術論文として既に発表もされている(例えば資料集・付録の3など)が,職業教育・職業訓練と,教育学における「教育の機会均等」概念との相克は,今日的にも一つの大きなアジェンダではなかろうか(と最近考えている)。

ちょうどいま別件で「教育機会」について再考する論考を考えねばならない「案件」が発生しているが,こちらのルート――佐々木輝雄的問題設定――からの「教育機会」再考も重要なアジェンダであり,そして,件の「案件」にはこのルートによるアプローチは欠如しているのである。

悩み多きところである。アイデアはある。しかし,与えられた時間と能力とには限度がある。

当の佐々木論文については,論集の勉強とあわせて,いずれ本格的に応答してみたいと思う。もしも可能なら,今年中にもう1本,「教育機会」で書いてみたい。

取り急ぎ,本エントリは御礼まで。

佐々木輝雄職業教育論集 (第1巻)

佐々木輝雄職業教育論集 (第1巻)

佐々木輝雄職業教育論集 (第2巻)

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佐々木輝雄職業教育論集 (第3巻)

佐々木輝雄職業教育論集 (第3巻)